玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

偏向なのか、それとも無能なのか

2006年02月28日 | テレビ鑑賞記
荒川選手が日の丸を持って滑る姿を見たかった。
写真でも美しいのだから、動画ならもっと素晴らしかったはずだ。実に残念でならない。
ブロガーの皆さんも怒っている。

木走日記 - 生中継で全く放映されなかった荒川選手ウィニングラン
新・へっぽこ時事放談 - 放送されなかった荒川選手の日の丸スケーティング
Dr.マッコイの非論理的な世界 -  偏向NHKに受信料を払う価値なし
Let's Blow! 毒吐き@てっく: 偏向NHK日の丸ウイニング-ラン放映せず
シッタカブリ~ゼの私何様?!:荒川選手のウィニングランがみたい!
びーちぇの別館:NHKに消された「ウィニング・ラン」
Baatarismの溜息通信 - 荒川選手のウィニングランを放映しなかったNHK
福田 逸の備忘録―独断と偏見 : 信じがたいNHKの偏向
マスコミ不信日記:荒川選手と日の丸~これはNHKによる検閲だ!
nv倉庫 - うんざり
もののふのこころ - 今オリンピックに関する話題
帝國愁報 | 第60号 トリノでもみなさまの国辱放送NHK
katakの極めて私的な身辺雑記
冷凍力の膳所狒々日記3:幻のウィニングラン
拾い猫日記: 今度は隠蔽!
日本の傳統(伝統)を守らう!:NHKに電突 -- 荒川選手の失はれたウィニングスケート --
SUPER-X.COM:犬HK、これはどういうことだ。
ぼやきくっくり::「日の丸ウイニングラン」をカットしたNHK
*エ・ン・テ・イ・ニ・ッ・キ*: 「表現の自由」の逆侵害では?
今日の覚書、集めてみました:狗HK:ウィニングラン、カットですか、そーですか@タイムス

まとめサイトまで出来ている。
荒川静香選手のウイニングスケートを放送しなかったNHKまとめ

多くのブロガーはこれを「NHKの反日意識、偏向の表れ」と断じているようだ。
だが、私には「NHKが政治的意図を持って荒川選手の『日の丸ウィニングラン』をカットしたとは(今のところ)思っていない。
その理由を並べてみる。

 ・ 荒川選手が金メダルを獲得することは事前に想定可能だが、
   日の丸ウィニングランは(おそらく)ハプニングである
 ・ だが、ウィニングランの代わりに流されていた再編集リピート映像は
   「あわてて突っ込んだ」という感じではない(アナウンサーも戸惑っていない)
   *NHKの放送した映像はてっくさんのところで視聴可能
  → リピート映像を流すのは結果にかかわらず事前に計画されていた。
    たぶん、スルツカヤが金メダルでロシア国旗を持って
    ウィニングランしてもリピート映像に移ってたはず。


 ・ なぜリピート映像を用意していたのか
  → 表彰式の後、インタビューが取れるまで時間つなぎするため。    
  
 ・ なぜウィニングランをリピート映像に代えて流さなかったのか
  → お役所仕事。無責任体質。事前に決められていたタイムテーブルを変えられなかった。
    (なにしろ開会式でもパバロッティの歌をカットしたNHKである)
    ディレクターが無能でウィニングランの価値を理解できなかった。
    視聴者はウィニングランよりもリピート映像を望むだろうと勘違いした。


以上の仮説はあくまでも「日の丸ウィニングランはハプニングだった」という前提のもとに成り立っている。
もしNHKが「荒川選手(あるいは村主選手)がメダルを獲得したら日の丸を持ってウィニングランをする」ことを知っていて、それを視聴者から隠すためにわざわざ別の映像を準備したのだとしたら「反日偏向」と呼ぶしかない。とはいえ、「NHKもそこまで暇じゃなかろう」というのが私の正直な気持だ。

私も荒川選手のウィニングランが放送されなかったことをたいへん残念に思う。
だが、その理由を確たる証拠もなしに「NHKの政治的偏向」と決め付ける主張には共感できない。
生中継で忙しい最中、「ハプニングに対応して」「とっさの判断で」「自分の(あるいは局の)政治的価値観のために」「放送予定を変更する」のは容易ではなかろう。言っては悪いが、スポーツ担当のディレクターがそこまで明確な政治意識と反射神経を兼ね備えているとは想像しにくい。
むしろ「NHK職員は無能で怠惰だった」と考えるほうがよほど私にとって自然だ。

このように私は「NHK反日偏向説」ではなく「NHK職員無能説」を採るのだが、その多くは
「自分だったら『自分(局)の政治的価値観のために急遽放送予定を変える』ような面倒で風当たりの強いことはやらない」
その逆に「『いい映像が来ても、面倒なので事前の放送予定は変えない』ことはありうる」
という実感から来ている。
要するに私自身が「政治的にいい加減な怠け者」なので、その姿をNHK職員に投影しているわけだ。
私のことはともかく、NHK職員は政治的に中道(あるいはノンポリ)であってほしいものだ(働き者であってほしいけれど)。

「政治的偏向説」「無能説」の他に「放送権問題説」というのもある。

Baatarismの溜息通信 - 荒川選手のウィニングランを放映しなかったNHK
のコメント欄より。
ヘタレ 『オリンピックの生映像は、自国のテレビ局が撮影しているようですが、実は違うんです。放映権料を支払ったメディアがでかいカメラを持ってみんなで競技場に来ると混雑するので。「ORTO」(オリンピック放送機構)というのがホストになって動いています。で、その時々によって「NBC」やらジャパンコンソーシアム(日本連合)など世界の放映権料を支払っているメディアが競技によって振り分けられて「支援」するという形なのです。ですので、ORTO連合以外のメディアが生を放映したりするのはダメなんです。
可能となるのは、「選手が競技から下がった時」(通路時、観客撮影)「録画放映」などだけでして、生は先程も述べたとおり「ORTO連合」の撮影映像を放映権利を持っているところが「中継」するという形になります。ORTOとどこかの国のどこかのテレビ局のチームが映像を選択(中継車の中みたいな)して、中継の権利を持つテレビ局に「垂れ流し」しているんです。利権ですね、所謂。』
なるほど、こういう話はいかにもありそうだ。
まとめサイトにもこんな話があった。
91 名前: マンセー名無しさん 投稿日: 2006/02/28(火) 14:54:01 ID:by38jxpb
NHK電凸しました。ちょっとつめたい感じのおねいさんが出ました。
以下要約です。

私)何故,生放送中にウイニングランをぶったぎったのですか?
N)映像権を表彰台までしか買ってなく、正午のニュースにようやく(ウイニングランの
  VTRが)間に合った。
私)外国ではフルで最後まで流れてたのですが…
N)外国の映像とはちょっと違う契約をしているので、同じようには流せないとこと。

私の感覚で「NHK、日の丸ウィニングラン放映せず」事件の原因としてありそうな可能性を数字にしてみる。
 「NHKが無能だった」  = 40%
 「放送権の問題」     = 40%
 「NHKの偏向の表れ」  = 20%


政治的偏向の可能性を全否定するつもりはないが、今のところそれを支持する具体的な証拠は無いようだ。
「政治的偏向に間違いない!」と断言しておられる方は、永田議員の例も鑑みて慎重になさったほうがいいのではないか。

リンク
言うだけならなんとでも。:美しきウィニングスケートヽ(´ー`)ノ

4分間の奇跡

2006年02月26日 | 日々思うことなど
ちょっと遅くなってしまったけれど、荒川静香さん金メダルおめでとうございます。

彼女の演技を見ていると自然に涙が出てくる。
別にメダル獲得に感激して泣いているわけではない。
早朝のリアルタイムでフリー演技を見ていて、彼女のイナバウアーに観客が大きな拍手を送った瞬間からポロポロ泣いていたのだから。
技術的なことはよく分からないが、素晴らしく優雅で神々しいまでに美しい演技だった。
彼女のこれまでの努力、支えてきた人々の力、そして観客の期待のすべてがあの4分間に凝縮されて眩しい輝きを放っていた。

リンボウ先生こと林望は、本当に素晴らしい芸術を見ると反射的に涙が出るのだそうだ。
私は残念ながら鈍感で芸術的素養がないので、名作とされる音楽を聴き映画を見てもよくわからないことが多い。
だが、トリノの荒川の演技に芸術の女神が祝福を与えているのをはっきりと見てしまった。
…ような気がする。

荒川さん、素晴らしい芸術を見せてくださって本当にありがとうございました。

関連リンク
綾川亭日乗 - 女王の帰還 ~荒川静香選手、金メダル獲得

絶対教育改革と人間力

2006年02月25日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
はてなブックマークで絶賛炎上中はあちゅう主義。:小娘が何か言ってます。より一部を引用する。
ねえ、

日本が可及的速やかに、しなきゃいけないことはなんだと思う?
私は絶対教育改革だと思う。

この間テレビで

「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」

って言ってる高校生を見て、

「は?」って思った。

もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。

世の中には説明の要ることと要らないことがあって、

その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。

生きるのに苦労してないからそんな質問出てくんだろうね。

あたしも大して苦労してないけどさ。

生きることがどれだけ大変なことか知ってたら、

そんな質問できなくない?

そういう低レベルなことをぼやいてる奴らをまとめて、カルカッタのマザーハウスとかルワンダとかに全員ボランティアに行かせるべきだと思った
向こうも迷惑だろうけど、頭下げて勉強させてもらいに行くべき。

必死に生きることにすがりつく人間を目の当たりにしたら、

「なんで殺しちゃいけないか」なんて言えなくなるはず。

こういう感覚を持った若者がいること自体間違ってるよ。

日本、なんか最近情けなくない?

この間、公務員が「将来はニートになりたい」って言ってて、

「終わってるな」と思ったんだけど。

公務員がそんなこと言う時代?

友達と話してた時、その子が

「ニートは国民の三大義務である

勤労、教育、納税の「勤労」をしてないから非国民だ」

って言ってて、

すごい説得力あった。

うーん。これはすごい。
先日のエントリで女子カーリングチームに感動して「日本の女性は素晴らしい!」と書いたが、あやうくそれを撤回しそうになった。
(どうでもいいことだが、引用した三行目「私は絶対教育改革だと思う。」の「絶対」と「教育改革」の間に読点が入っていない〔元ブログでは色分けしてある〕ので「絶対教育改革」という単語と勘違いした。)

「友達と話してた時、その子が「はあちゅうは何も考えず勇ましいこと言ってイキがってるだけだ」って言ってて、すごい説得力あった。」

はあちゅう氏の論調そのものはkanose氏kmizusawa氏が指摘しておられるように割とありふれたものではあるけれど、「友達と話してた時~」にも見られるお手軽さが私をうんざりさせる。

ベストセラーとなった藤原正彦「国家の品格」を私はそれなりに楽しんで読んだ(ベストセラーになるほどの本ではないと思うが)。意外にも、というか何というか、はあちゅう氏の主張は藤原氏の言っていることと近い。
また、人気政治家・杉村太蔵氏のブログの特徴である「親しみやすい話し言葉・熱い語りかけ」は、はあちゅう氏の文体と似ている。
藤原氏や杉村氏の文章を楽しんで読むことのできる私が、はあちゅう氏の文章を受け付けないのはちょっと不思議だ。

あ、そうだ!
たぶん私の「人間力」が足りないせいだ、そうに違いない。
何しろブログで「低レベルなこと」しか書いてないし。

…それにしても人間力って何?
どうやって計測するの?
測定単位は?
そういう疑問を抱くのは「末代までの恥」であり「人間力」という概念は「説明の要らないこと」なのかな?

どうやら私は、はあちゅう氏に「常識を叩き込」まれる側の人間らしい。
なんてこった。はあちゅう的「絶対教育改革」反対。

カーリングと銀玉鉄砲

2006年02月23日 | 日々思うことなど
日本勢の不調が続くトリノオリンピックだが、私は女子カーリングチームを見ているだけで満足だった。
準決勝に進めなかったのは本当に残念だが、これまで実に面白く感動的な試合を見せてくれた。
私の巡回先ブログでも熱心に観戦されていたようだ。
雪斎の随想録: 色々な「独り言」
音極道茶室: 日本中を熱くさせたカーリングの「聖地」常呂町が消える
夜盗虫の朝寝坊 - カーリング女子1次リーグ「日本×スイス」
不可視型探照灯:カーリングの裏舞台を伝えるマスコミの眼差し
できるだけごまかさないで考えてみる:地味に盛り上がってるカーリング「今日の夜中が勝負!」

カーリング女子チームは久しぶりに「大和撫子」という言葉を思い出させてくれた。
別にフェミニストを気取るつもりはないけれど、日本女性は本当に素晴らしい。
ごく普通に見える若い彼女たちが、世界の強豪と渡り合って互角の勝負をし、ありのままの喜怒哀楽を見せる姿にすっかり魅せられてしまった。約40m離れた目標に向けて20kgのストーンを投げ、数センチの精度でコントロールする彼女たちの技量は、私のような素人にはほとんど神業としか思えない。
真剣にストーンを見つめ、短い時間で戦略を立て、チームメイトと声を掛け合いつつ繊細な指先(スローイング)と力強い動き(スウィーピング)でストーンを操る姿には日本女性の美質が余すところなく現れている。
観察力、知性、繊細な指先と体力、そしてコミュニケーション能力。これらすべてが備わらないと優秀なカーリング選手にはなれないだろう。そしてこれらの要素を併せ持つ女性なら、どんな分野でも立派に務めを果たせるのは間違いない。

カーリングという競技そのものも実に面白い。常に数手先を読み、自チームのみならず敵チームの石をも利用しないと勝利は得られない。邪魔な石を数センチの感覚ですり抜けたり、絶妙な速度と角度でヒットさせて操ったり、あるいはぎりぎりで接触させて後ろをガードさせたり、さまざまな技量が駆使される。
素人にはいったいどういうつもりで石が投げられたのか、その結果が狙い通りなのかそれとも失敗したのかなかなか分かりにくいけれど、カーリング放送で解説してくれた小林宏さんのおかげでよくわかった。私もスイス戦ではすっかり半可通気取りで「ここはカムララウンドで回りこみ敵ストーンの前にフリージングだな」とか呟くようになっていた。
「先を読んで戦略を立てる」楽しみを教えてくれたカーリングチームと小林さんにはいくら感謝しても足りない。本当にありがとうございました。


さて、素晴らしいカーリング娘たちの後にこんな話を持ち出すのは実に気が引けるが、「偽造メール疑惑」(本人は「堀江メール疑惑」だと思っていたようだが)の火付け役だった民主党・永田寿康議員が辞意を表明したようである。
私も「堀江メール」と称するものは実銃ではなくモデルガンにしか見えないと揶揄したが、件の偽装メールは詳しい人から見ればまさに子供だましの銀玉鉄砲にも等しい代物だったようで、そんなものを振りかざしてヒーローになろうと目論んだ永田氏とそれをバックアップした民主党執行部の頭の中身はいったいどうなっているのか、実に不思議としか言いようがない。
彼らの観察力も知性もコミュニケーション能力も一般国民の平均値以下としか思えず、まして戦略とか先読みとかいった高度な思考の跡はまったく見て取れない。
いったいどういういつもりで「自信がある」と言い続けてきたのか正直に語ってほしいものだが、民主党議員のブログを見るとまともな反省は期待できそうにない。実に残念である。

竜虎対決というより、ぬらりひょんと猫又の戦いなのか

2006年02月19日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
優れた知性と抜群の文章力で多くの読者に支持されている人気ブログ「世に倦む日々」最新エントリでは、人気急上昇中の「きっこのブログ」への批判がなされている。

最近の「世に倦む日々」をほとんど読んでいないので何をどう批判しているのかよくわからないのだが、どうやら沖縄で変死された野口氏のご遺族が「きっこのブログ」に助力を依頼し、それに対するきっこ氏の態度が不誠実である、ということらしい。

私にはなぜ野口氏の遺族がきっこ氏を頼ろうと思ったのか想像もつかない。実に不思議だ。溺れるものは藁をもつかむ、ということなのかもしれないけれど、彼らが本当に野口氏変死の真実を明らかにしたいと望むのであれば、正体不明のきっこ氏よりも名の通ったジャーナリストに協力を求めるほうがよほど良かろうにと思う。
(ジャーナリストが協力してくれなければ快傑ズバットがいる。彼なら必ずや「ズバッと解決」してくれるはずだ)
信頼性にかけてはズバット以下のきっこ氏に対し「遺族の気持を惑わすな、これ以上関わるな」ではなくその逆に「ジャーナリストとしての責任」を問い「ブログ上で何がしかの行動」を期待するthessalonike2氏の批判も私には不可解である。きっこ氏は最初から「ジャーナリスト」とか「責任」などという言葉とは無縁の人であろう。
(きっこ氏のブロガーとしての属性については「絵文録ことのは」松永氏が全文読破という偉業の末に「ジャーナリズムとかどうとか関係なくて、聞いた話の正確さをあまり気にせずに流しまくり、自分の嫌いなものを徹底的に攻撃する人」としている)

2ちゃんねるで言われるところの「ネタにマジレス」がthessalonike2氏の美学なのかもしれないが、きっこ氏に「ジャーナリストとしての責任」を問うのはどう考えても無駄なのでお止めになったほうがよろしかろう。

モデルガンにしか見えない

2006年02月19日 | 政治・外交
冷たく硬い鉄の質感や重量感が無い。

「送金指示メール」民主党が公表…送信者など黒塗り
 民主党の野田佳彦国会対策委員長は17日夜、党本部で記者会見し、ライブドア前社長の堀江貴文被告が武部自民党幹事長の二男への送金を指示したとされる電子メールを印刷したものを公表した。

 メールの表題は「至急」で、送信者のメールアドレスを示す欄などは、永田寿康衆院議員が入手した時点ですでに塗りつぶされていたとしている。

 本文は、永田氏が16日の衆院予算委員会で公表したものと同じで、情報提供者の特定につながる部分などは永田氏が塗りつぶした。ただ、16日には公開していた二男の名前とされる部分は、私人であることに配慮し、新たに赤く塗りつぶしている。

 民主党は、情報提供者に危害が及ぶことを理由にメールの開示を拒んでいた。野田氏は記者会見で、「メールの存在すら疑われる状況になったので、情報提供者の理解を得て公表することにした」と説明した。

 記者団からは「堀江被告がメールを書いたというなら、送信者ぐらいは明らかにしてもいいのではないか」という指摘も出たが、野田氏は「明示の仕方で受取人が特定される可能性がある」と拒んだ。


民主党がハリー・キャラハン気取りで自民党に突きつけている「威力抜群、世界最強(今はもっと強力な銃があるけれど)の44マグナム」には本当に実弾が装填されているのだろうか?
いや、そもそも銃自体本物なのか?
私にはどうしても東京マルイ製の作るモデルガンとしか見えないのだが。
もしも永田議員がモデルガンを実銃と信じ込むほど真贋の区別ができず、民主党はそれをたしなめることができないほど現実認識が弱いのだとしたら、それはとても情けなく悲しいことである。
時々モデルガンを振りかざして銀行に押し入る頭の緩い人がニュースになるが、永田議員と民主党が彼らの同類でないことを願わずにはいられない。

参考リンク
 404 Blog Not Found:「堀江メール」の真贋鑑定
 時事ブログ「グースの勿忘草」 - (画像)メール捏造の検証

皇統派は「皇道派」ではありません

2006年02月16日 | 皇位継承問題
先のエントリにおいて「いわゆる『男系派』を『皇統派』、いわゆる『女系(容認)派』を『直系派』と呼びたい」と書いた。
自画自賛すれば、この呼び方は皇位継承をジェンダー論争に矮小化する危険から遠ざけ、また双方の勢力に中立的でもありなかなか良い方法だと思う。だが残念ながら一般的に使われてはいない。
Googleで検索してみると、それぞれのヒット数は
 「男系派」 約 15,500 件   「女系派」 約 9,110 件
に対して
 「皇統派」 約 122 件   「直系派」 約 127 件
にすぎない。

気になるのは、皇統派を皇「道」派と間違えて使っている例がいくつか見受けられたことだ(一例)。Wikipediaによる皇道派の定義を引用する。
皇道派(こうどうは)とは、天皇が神であるという説に基づき、当時の腐敗した財界や政界を直接行動(クーデターのような過激な運動も辞さない)で天皇親政による国への国家改造を目指していた大日本帝国陸軍内のグループである。皇道派はこれを昭和維新と称した。この思想は主に青年将校たちに広く支持されていたという。象徴的な人物は荒木貞夫。(⇔統制派)

私が現在のいわゆる「男系派」の呼び換えとして提案した皇「統」派はもちろん皇「道」派とは無関係である。
「皇位継承は歴史と伝統に基づいた方法で行われるべきだ」と主張するのが私の言うところの皇統派であって、国家改造などという革命思想の対極に位置する。「クーデター」を企んだり「天皇親政」という非現実的な主張をする輩を見たことがないし、もしそういう主張をするものがいれば強い批判を受けるだろう。もちろん私も批判する。

私の言うところの「皇統派」(いわゆる男系派)と昭和初期の「皇道派」はまったく違うのだが、文字では一文字だけ、発音を比べても「こうとうは」「こうどうは」と濁点の有無しか違わない。これではうっかり間違える人がいても無理はないし、悪意を持って両者を重ね合わせようとする動きが出てこないとも限らない。
ではどうするか、というと正直いっていい考えがない。
「男系派」「女系派」という呼び方はジェンダー論のようで良くないが、といって「皇統派」と言い換えても「皇道派」を思わせて悪いイメージを与えかねない。困った。何かいい呼び方はないものだろうか。

皇統派と直系派

2006年02月14日 | 皇位継承問題
皇室典範改正について、政府案に反対する勢力を「男系派」、支持勢力を「女系派」と呼ぶと「男尊女卑」「男女平等」「ジェンダーフリー」といった余計な要素が紛れ込んでしまいどうもよろしくない。
そこで、今後「玄倉川の岸辺」では、いわゆる男系派を「皇統派」女系派を「直系派」と呼ぶことにする。
私自身はまぎれもなく皇統派だが、直系派の考え方にも一理あることを認めるのにやぶさかでない。ロボット工学の専門家が座長としてまとめだけあり、機械的な長子優先は合理的な考え方である。また、現在の国民感情を重視している点は民主的だ。
だが、「合理的・民主的であること」を至上価値とすれば、そもそも世襲の天皇を戴く必然性がない。
私は断然「古代からの歴史と伝統」を選ぶ。
以前にも書いたが、私には直系派の主張は「果実を守るために果樹を切り倒す」ようなものとしか思えない。

以下は2ちゃんねる某スレッドからの引用だが、皇統派と直系派の考え方をうまくまとめてある。
最後の文章を含めて大いに同意する。
男系を維持すべし=皇統の正統性を守ることが大切
(特徴) 
◎ 天皇や皇室は日本文化の柱であり歴史と伝統を体現しながら継承する存在
◎ 天皇や皇族を個人崇拝するのではなく、皇室が継承している伝統や
  文化的精神的価値を崇敬の対象と考える
◎ 国家の基本コンセプト(国体)の問題として天皇のあり方を考える
◎ 正統性は確固たる歴史と伝統に由来する
◎ 比類のない皇統の伝統の重みこそ皇室の安泰に不可欠
◎ 象徴=国家の最高権威
◎ 権威(天皇)>国家権力の形こそ統治の安定につながる
◎ 理論型皇室像

 
女系でもいいじゃないか=今上天皇家の家系を守ることが大切
(特徴) 
◎ 今上天皇や皇室ファミリーに対する愛着や人気が皇室を支持の重要な柱
◎ 天皇存在の根拠は日本国憲法である
◎ 象徴天皇の機能や制度的役割を重視
◎ 今風の価値観に基づく皇室を志向
◎ 正統性は国民の支持(世論)に由来
◎ 継承者の数的安定=皇室の安泰
◎ 象徴=マスコット
◎ 国家権力>天皇(法定天皇)
◎ テレビ型皇室像


 客観的に男系と女系の論拠を見るとこんな感じです。女系容認論は天皇の正統性を移ろいやすい現時点での国民世論の支持に置いていますが、「世襲制君主」の永続性を担保できる根拠であるかを考えると、将来的に皇室の廃止も睨んだ考えであることが伺われます。そもそも世襲身分の支持根拠を世論におくことは論理破綻しています。
 男系維持は、皇族に新たに男子が誕生するか、旧皇族を何らかの方法で皇族に復帰させなければなりません。男系男子の継承者さえ担保できれば、皇室の永続性は女系容認よりも安泰であると思われます。
 どちらにせよ皇室の根幹に関わることを決めるのにあの「有識者会議」では権威がなさすぎます。
また皇族方に対して問答無用の態度は許せません。
政府や国会が皇室と皇族方のご意見をよく伺った上で、慎重に審議して政府の責任で決めるべき問題です。

トリノオリンピック開会式・雑感

2006年02月12日 | テレビ鑑賞記
■ フェラーリのF1マシンがスピンターン
さすがイタリア。派手なことこの上なし。
運転していたのはテストドライバーのルカ・バドエル、あるいはマルク・ジェネかな?
レースに出られない裏方の彼らに、世界が注視する大役が任せられたのだとするとうれしい。

■ ネットをよじ登るパフォーマンス
「スパイダーアクションはきけんだ!まねをしてはいけないよ」というテロップを出すべきだ。

■ オノ・ヨーコの平和アピール、ピーター・ガブリエルの「イマジン」
うわあ。
水戸黄門の印籠パフォーマンスを批判するのと同じくらい無駄なことだが、それでも言いたい。
あまりにも安直すぎやしませんか。
オリンピックといえば平和、平和といえばジョン・レノン、ジョン・レノンといえばオノ・ヨーコと「イマジン」。
連想というのも愚か、「リンゴといえばゴリラ」なみにベタベタじゃないか。

久しぶりにピーター・ガブリエルの顔を見られたのは少しうれしかったけれど。
洋楽の知識ゼロの私だが、昔の友人にプログレッシブ好きのガブリエル信者がいて、ずいぶん熱を吹き込まれたものだった。懐かしい。それにしても、「SO」のジャケットと比べるとずいぶん老けたなあ(当たり前だ)。毛糸のキャップを被ってたけど、もしかして…?

■ 聖火台への点火
うーん。
トーチの火が聖火台に伝わったようには見えなかったぞ。
別の火種で着火したようにしか見えない。
「別の火種」が聖火の株分けなら問題ないのかもしれないが、つい疑心暗鬼になってしまう。
政治の問題を持ち出すのは野暮だが、皇室典範改正問題を思い出してしまった。
ギリシャからはるばる運んできた聖火をないがしろにするかのような演出は、あまり感心しない。

偶像と神

2006年02月07日 | 日々思うことなど
それは裏返しの偶像崇拝ではないか?

ムハンマド風刺画に中東全域で怒り爆発
 [ガザ 3日 ロイター] 欧州の複数の新聞がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載した問題で3日、モスクで礼拝を終えた中東の群集が怒りを爆発させた。中東各国で群集が欧州の国旗を燃やし、「冒涜(ぼうとく)的な」風刺画に対する復讐を誓うなどの騒ぎとなっている。

 問題の風刺画はデンマークの新聞に最初に掲載され、のちにノルウェー、フランス、ドイツおよびスペインの各紙にも転載された。

 ガザにあるアル・オマーリ・モスクでは、ある礼拝参加者が「われわれは、必ず責任者らの首を取らずにはおかない」と怒りを表明した。

 湾岸諸国では、店やスーパーの棚からデンマーク製品を排除する動きが広がった。

 また、デンマーク製品を「イスラムの名の下に」ボイコットするよう訴える携帯メールが出回った。

具体的な事件について書こうとすると「言論の自由」とか「他者の宗教の尊重」とか「文明の衝突」とか難しい要素がたくさんあり、僅かな知識と貧しい思考力しか持たない私の手にあまる。
そこで、イスラム教という具体的な宗教や中東・ヨーロッパという具体的な地域ではなく「偶像崇拝の禁止」という一点だけについて考えてみることにする。
(つい「考えてみる」と書いてしまったが、私は宗教学についてまったく何も知らないので、以下の文章は「素人の戯言」でしかないことをあらかじめお断りしておく)

「偶像崇拝の禁止」とは、その宗教(仮に「T72教」とする)において神や聖人とされる存在の像を崇拝してはならない、という戒律だと理解する。
具体的には、偶像(たとえばタミヤ製1/35のプラスチックモデル)に「T72教の敬虔な信者が」「真心を込めて」「祈る」というプラスの要素を3つ加えても、「偶像は神聖ではない」「偶像に神は宿らない」「偶像と神・聖人は無関係」ということになる。
例えるならプラスチックやロウでできた食品見本をいくら丁寧に料理しても決して食物にはならない、といったところだろうか。

では、その逆はどうだろう。
偶像を「T72教の信者でない者が」「いたずら心で」「侮辱する」場合、その偶像に神は宿っているのだろうか。
私にはとてもそうは思えない。
信者が真心を込めて祈っても「偶像に神は宿らない」のだから、異教徒が戯れに侮辱する偶像はまったく神とは無関係のはずだ。
(もしかしたらT72教の神様はマゾで、崇拝される像には宿らないが侮辱される像は好んで宿る、ということも考えられなくはない。そのときは神の意思のまま侮辱してさしあげるのが献身となるはず)
食品見本を汚したり、ぞんざいに扱っても決して「食物を無駄にしている」ことにはならない。

論理的パズルとして見た場合、偶像崇拝を禁止する宗教の信徒が「異教徒が神や預言者の偶像を侮辱した罪」を糾弾するのは自己矛盾のように思われる。
本当に心から偶像崇拝を消し去っていれば、異教徒が偶像(とされるもの)をどう扱おうと「偶像に囚われた愚かさ」を哀れみこそすれ怒りの対象とはしないはずだ。
T72教の敬虔な信者と称する人たちが、「異教徒が預言者の偶像を侮辱した」ことに怒れば怒るほど、それは彼らがT72教の教えを理解していないことを露呈する結果となる。

仮にT72教徒が「偶像を汚したこと」ではなく「神・預言者への侮辱」を怒っているのであればそれは理にかなっているが、彼ら自身その区別をしておらず「裏返しの偶像崇拝」の危険に気付いていないように見える。

偶像崇拝の禁止を突き詰めていくと仏教の「色即是空」「涅槃」のように「物質に囚われない心」に近づくはずだが、ほとんどの人々(凡人・俗人)にはたいへん困難であるらしい。
もちろん私自身も部屋にガラクタをあふれさせ、アイドル(偶像)のCDボックスを嬉々として購入する「物神崇拝の徒」の一人である。