玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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軽自動車には軽油だよねー。

2008年10月08日 | 光市母子殺害事件
もちろんそんなことをしてはいけない。

念のために言っておくと、私の知る限りすべての軽自動車は「ガソリンエンジン」を搭載している。軽油は「ディーゼルエンジン」用の燃料なので、ガソリンエンジンに入れると故障する。
たいていの人は「まさかそんなバカなことを」と思うだろうが、「軽自動車には軽油」を実行したドライバーが全国でトラブルを起こしている。原因はガソリンの値上がりとセルフ式スタンドの増加。

livedoor ニュース - ガソリン高騰でトラブル急増 セルフで軽油給油、エンスト
首都圏の一都三県で4月~6月に153件のトラブル
JAF本部はJ-CASTニュースの取材に、首都圏の一都三県で緊急調査したところ、07年4月~6月で153件のトラブルが見つかった、と明かした。07年に入って燃料の入れ違いによる救援依頼が急激に増えたことに疑問を持ち、トラブルのデータを分析したところ、こんな結果が出てきたのだという。トラブルの多くは、セルフ式のガソリンスタンドでガソリン車なのに軽油を入れてしまった、というものだそうだ。これを受けて、JAF愛知支部も東海4県と北陸3県でも調査を実施した結果、07年7月~9月の間に計232件発生していたことがわかった。

間違って軽油を入れた場合どうなるのか。「JAF Mate」07年11月号によると、エンジンの力が無くなり白煙を噴きエンスト。仮にガソリンと軽油を50%ずつ入れると約5キロメートルで走行不能になる。軽油100%では500メートルで止まってしまう。こうなると、整備工場やディーラーで軽油を抜き洗浄しなければならず、部品が壊れるケースもあるのだという。

では、なぜガソリンと軽油を間違ってしまうのか。JAF愛知支部は「ガソリンスタンドの店員や車の知識があるドライバーなら間違うことは通常ありえない」という。さらに、

「ガソリン価格が高騰していますから、できるだけ安いガソリンを買おうとセルフ店に行って、さらに、軽油の方が安いから軽油を入れる、という例があります。また、軽自動車だから軽油、と勘違いするドライバーもいるようです」
と説明した。

まったく困ったものである。
「運転するなら自分の乗ってる自動車の仕組みについて最低限の知識を持ってくれ」と思う。
そう、無知はトラブルの元なのである。
自分自身が損をするだけではなくて、公道の真ん中でエンストすれば事故や渋滞の原因となり社会全体の損失となる。本当に困るのだ。

「軽自動車に軽油」と同じくらい、いやそれ以上に私が「困ったものだ」と思うのが、先日広島地裁で判決が下った懲戒請求騒動である。
懲戒請求を煽った橋下弁護士も、煽られた請求者たちも「軽自動車に軽油」の同類だ。
自分の住んでいる社会の仕組み(司法制度の基本)を知らずに無茶をやる人がある程度いるのは仕方ないが、無茶を応援し、判決や社説でいさめられても聞き入れない人たちがびっくりするくらい多い。その点が「軽自動車に軽油」問題と違うところだ。

広島地裁の判決(要旨 判決文前半後半pdf)で明快に記されているとおり、光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を煽った橋下弁護士の行為にはまったく正当性がない。広島地裁は「デタラメを広めて世間を煽った橋下弁護士は弁護士失格だ」と宣告したのに等しい。橋下弁護士自身も「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪し「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます」と反省している(そのくせ控訴するというのは意味不明だが)。
「軽自動車に軽油」のたとえを使えば、「軽自動車には軽油を入れましょう、お得です」と宣伝したガソリンスタンドが厳しい処分を受けたようなものだ。それなのに、だまされた客の多くがいまだに「軽には軽油だよね」と言い合っている。実に情けない。

懲戒請求支持者の問題についてコンパクトにまとめられたブログ記事がある。とてもわかりやすいので「弁護団けしからん」「懲戒請求は当然」と思っている人にぜひ読んでほしい。

橋下弁護士VS弁護団-天狗の庭
弁護団批判および橋下弁護士支持のコメントは、3つに分かれるんじゃないかな。
1.事実誤認。
2.刑事手続、および人権への無知。
3.懲戒請求制度への無知。


「事実誤認」についてはマスコミの責任が大きい。私自身も「弁護団は裁判を死刑廃止運動に利用している」というデマを鵜呑みにしてしまったことがあり、えらそうなことは言えない。
「懲戒請求制度への無知」も仕方ない部分がある。実際に弁護士を依頼した経験のある人は少ない。弁護士から被害(「腹が立つ」程度ではなく実質的被害)を受ける可能性がなければ懲戒請求について知る必要もない。「和の国」日本で訴訟沙汰が嫌われてきた結果である。

だが、「刑事手続、および人権への無知」はとても見過ごせない大問題だ。
刑事裁判は社会を維持するのに欠かせない重要なメカニズムであり、人権は人間らしく生きるための基礎である。本来まともな社会人であれば最低限の常識としてわきまえていなければならないはずだ。ところが、懲戒請求騒ぎで橋下弁護士を支持する人たちの意見を読むと、「軽自動車には軽油」レベルの思い込みばかりが目立つ。というか、それしかない。
来年からは裁判員制度も始まるというのに、こんなありさまではいったいどうなってしまうのかと暗い気持になる。

「軽油で走る軽自動車がほしい」と思うこと自体は個人の自由である。
だが、現実の車、ガソリンで動くように設計された軽自動車に軽油を入れて走らせようとするのは無茶だ。「個人の自由」というようなものではなく単なる愚行でしかない。常識ある人間はやらないし、誰かがやろうとしていたら止める。親切というよりも道の真ん中でエンストされたら大いに迷惑だからだ。
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「判決が不当とは思わない」のに控訴?

2008年10月02日 | 光市母子殺害事件
懲戒請求煽りだけでも弁護士として恥さらしなのに、意味不明の控訴をしたらまさに恥の上塗りだ。
せっかく "good loser"になれる機会を得たのに、無意味な訴訟を続けるのは愚かである。

asahi.com(朝日新聞社):橋下知事「判決が不当とは思わないが…」控訴の意向
 山口県光市の母子殺害事件をめぐり、橋下徹・大阪府知事が知事就任前の07年5月、テレビで繰り広げた発言で2日、知事敗訴の判決が出た。

 橋下知事は「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げた。「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます。判決が不当とは思わないが、三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい」と述べ、控訴の意向を示した。


広島地裁の判決文については共同通信が詳しく伝えている。

弁護団懲戒請求の判決要旨 光市の母子殺害事件
 山口県光市の母子殺害事件の弁護団懲戒請求をめぐる訴訟で、橋下徹大阪府知事に賠償を命じた広島地裁の2日の判決の要旨は次の通り。

 【名誉棄損】

 被害者を生き返らせるためだったなどと弁護団が許されない主張をしているという被告の発言は、正確性を欠いているものの弁護団の主張と著しく乖離しない。弁護士が主張を組み立てたという発言は、刑事事件では被告人が主張を変更することはしばしばあり、本件でも原告らが選任される前の弁護人の方針により主張しなかったことも十分考えられる。創作したかどうか弁護士なら少なくとも速断を避けるべきだ。弁護士である被告が真実と信じた相当な理由があるとは認められず、発言は名誉を棄損し、不法行為に当たる。原告らの弁護活動は懲戒に相当するものではなく、そのように信じた相当な理由もない。

 【それ以外の不法行為】

 弁護士懲戒制度は弁護士会の弁護士に対する指導監督作用の一環として設けられた。だが根拠のない懲戒請求で名誉を侵害される恐れがあり、請求する者は請求を受ける者の利益が不当に侵害されないよう、根拠を調査、検討すべき義務を負う。根拠を欠くことを知りながら請求した場合、不法行為になる。

 マスメディアを通じて特定の弁護士への懲戒請求を呼び掛け、弁護士に不必要な負担を負わせることは、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に該当する。原告らは極めて多くの懲戒請求を申し立てられ、精神的、経済的な損害を受けたと認められ、被告の発言は不法行為に当たる。

 被告は、多数の懲戒請求がされた事実により、原告らの行為は非行に当たると世間が考えていることが証明されたと主張するが、弁護士の使命は少数派の基本的人権の保護にあり、弁護士の活動が多数派の意向に沿わない場合もあり得る。

 また刑事弁護人の役割は刑事被告人の基本的人権の擁護であり、多数の人から批判されたことをもって懲戒されることはあり得ない。被告の主張は弁護士の使命を理解しない失当なものである。

 被告の発言は懲戒事由として根拠を欠き、そのことを被告は知っていたと判断される。被告が示した懲戒事由は「弁護団が被告人の主張として虚偽内容を創作している」「その内容は荒唐無稽(むけい)であり、許されない」ということであるが、創作と認める根拠はなく、被告の憶測にすぎない。また荒唐無稽だったとしても刑事被告人の意向に沿った主張をする以上、弁護士の品位を損なう非行とは到底言えない。

 被告は、原告らが差し戻し前に主張しなかったことを主張するようになった経緯や理由を、一般市民や被害者遺族に説明すべきだったと非難するが、訴訟手続きの場以外で事件について発言した結果を予測することは困難であり、説明しなかったことも最善の弁護活動の使命を果たすため必要だったといえ、懲戒に当たらない。

 【発言と損害の因果関係】

 発言は多数の懲戒請求を呼び掛けて全国放送され、前日までなかった請求の件数は、放送後から2008年1月21日ごろまでに原告1人当たり600件以上になった。

 またインターネットで紹介され、氏名や請求方法を教えるよう求める書き込みがあり、ネット上に請求書式が掲載され、請求の多くはこれを利用していた。掲載したホームページには発言を引用したり番組動画を閲覧できるサイトへのリンクを付けて発言を紹介、請求を勧めるものがあった。

 多数の請求がされたのは、発言で被告が視聴者に請求を勧めたことによると認定できる。被告は請求は一般市民の自由意思で発言と請求に因果関係はないと主張するが、因果関係は明らかだ。

 【損害の程度】

 原告らは請求に対応するため答弁書作成など事務負担を必要とし、相当な精神的損害を受けた。

 もっとも呼び掛けに応じたとみられる請求の多くは内容が大同小異で、広島弁護士会綱紀委員会である程度併合処理され、弁護士会は懲戒しないと決定した。経済的負担について原告の主張そのままは採用しがたい。

 弁護士として知識、経験を有すべき被告の行為でもたらされたことに照らすと、精神的、経済的損害を慰謝するには原告らそれぞれに対し200万円の支払いが相当だ。


まともで立派な判決だと思う。常識と筋道に沿っている。文句をつける所が見あたらない。その点において「判決が不当とは思わない」橋下氏と私の意見は一致する。
まったく一致しないのは橋下氏が控訴を望み、そしてその理由をまともに説明できないことだ。

控訴を望むのが問題ではなく、まともな理由がないことが問題なのである。
日本の裁判制度は多審制であり、下級裁の判決に不満があれば控訴・上告すること自体は正当だ(ちなみにWikipediaによれば、日本の裁判制度は「少なくとも2階層の審級制」であり「三審制」と呼ぶのは通称らしい)。
ところが、橋下氏の場合は「判決に不満があるから控訴」という正当な理由を示していない。「判決が不当とは思わないが、三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい」とはどういうことか。これでは裁判すること自体を目的とした裁判を望んでいるとしか思えない。
仮に控訴が認められたとして、高裁も被告が「不当と思わない」地裁判決をそのまま踏襲するか、あるいは目的のない控訴を行って司法制度を愚弄した被告に厳しい判決が下されるか、そのどちらかになるだろう。

「判決が不当とは思わないけれど控訴」という発言自体が愚かしいのだが、橋下氏が弁護士であり、また大阪府知事でもあることを思うとますます呆れる。開いた口がふさがらないとはこのことだ。
私のような素人でも「目的のない訴訟を起こしてはいけない」とか「裁判所は『訴えの利益がない』訴訟を棄却する」ことくらいは知っている。裁判所は税金で運営される社会的インフラであり、無意味な訴訟で裁判官に無駄な仕事をさせるのは社会(納税者)からの窃盗に等しい。いたずらに訴訟を長引かせるのは相手側(この場合は今枝弁護士などの原告)への迷惑でもある。

仮に橋下氏が一般人で、「一般人は好き勝手に社会的財産を浪費していいんだ」とか「裁判を長引かせて原告に嫌がらせをしたい」と主張するのであれば、愚かで身勝手だと批判するけれどあきれ果てるところまでいかない。人間なんておよそ身勝手なものだ。私だってたいていの人に引けはとらない(自慢することじゃない)。
だが橋下氏は大阪府知事である。高い支持率を誇り、府政の建て直しを期待されている。財政破綻が危惧されている大阪のために、ときには熟慮し、ときには蛮勇を奮って(後者のほうが多いように見えるのが気になるが)「無駄な」事業の停止・予算カットに励んでいる。

その橋下知事が、「不当とは思わない」まともな判決を出してもらってなお控訴するとはどういうことか。
知事として大阪府の関わる訴訟について判断することもあるはずだ。担当者が「まともな(不当とは思わない)判決をもらいましたが、『三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい』のです」という説明で予算(事務費・弁護費用等)を計上したら納得するのだろうか。「無意味な裁判を続けて無駄な仕事を増やし、予算を浪費するのはやめなさい」と叱るはずだ。「裁判は『お試し』や嫌がらせのためにやるものじゃない」と諭すはずだ。

橋下氏の「懲戒請求煽り」自体については、私はまったく同意も共感もしないけれど多少の同情はしていた。サービス精神の旺盛な人らしいし、「たかじんのなんでも言って委員会」という特殊な空気の流れる場所でつい「カッコいい」ことを言いたくなる気持ちはわかる。私もお調子者なので失言やカッコ付けには甘いのだ。後でちゃんと反省できればそれでいい。
その点、橋下氏が「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げたのは立派である。「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます」という反省もすがすがしい。橋下氏がそのまま会見を終えていれば私も気持ちよく拍手できた。
残念ながら、意味不明な「高裁にご意見をうかがいたい」発言で台無しである。謝罪も反省もポーズだけかと思ってしまう。橋下氏が自分の正しさを信じていれば戦い続ければいい。不当な判決を認めず控訴するのは当然の権利だ。しかし、謝罪し反省し「判決が不当とは思わない」のに控訴するのはまったく筋が通らない。
このままでは「自己満足と嫌がらせのために裁判を長引かせる卑怯者」ということになってしまう。橋下氏は本当にそれでいいのか。いったい何を考えているのだろう。またしても「カッコいい」ことを言っただけなのか。府民の負託を受けた知事なのだから、お調子者もいい加減にしてほしいものだ。

橋下氏個人の名誉については正直言ってどうでもいいが、彼の支持者と大阪府のために惜しむ。
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「刑事弁護というのは辛いもの」

2007年11月16日 | 光市母子殺害事件
「光市事件の弁護団けしからん!」派の総本山、「たかじん委員会」大会議室(掲示板)で刑事弁護人への誤解と敵意を解くため孤軍奮闘している女性弁護士「すちゅわーです」さんのことは以前にも書いた。

  煽る弁護士、勇気ある弁護士

一ヶ月以上たっても議論は続き、継続スレッドが立てられた。そこから「すちゅわーです」さんの最近の発言を引用する。

 橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2

Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2 2007/11/13 (Tue) 01:26
  名前:すちゅわーです

  この会議室で議論を重ねてきましたが、理屈ではわかるけど、完全な納得が得られないという人も多いのではないかと思います。だから、誰かが責任を取るべきだ、となりがちで、1審、2審の弁護人が悪いのではないか、とか、弁護士会が悪いのではないか、というふうな議論になってしまうのだと思います。

しかし、発想を変えてみられてはどうでしょうか。刑事弁護というものは、どこまで行っても納得が得られるものではないと。納得が得られないことが本質である、ということで納得していただくしかないのではないかと感じるようになりました。それが刑事弁護というものであり、そういうものとして捉えるしかないのではないかと思います。普段の日常ではありえない、異常な世界のことなのです。

なぜ、裁判の結果を待つしかないとしても、罪を犯したことがほぼ確実な被告人(日本の刑事裁判での有罪率は99%以上です)が守られなければならないのか。近代国家の基本原則であり、歴史から人類が学んだこととは言え、自然な人間の感情からすれば、完全な納得を得ることは簡単なことではないでしょう。

私たち弁護士だって、刑事被疑者、被告人のことは信用できないことの方が多いです。嘘をつかれた、裏切られた、という経験は枚挙に暇がありません。犯行に争いがない場合、目を覆いたくなるような悲惨なことをやった被告人をどうやって弁護したらいいのか、よい情状をどう引き出したらいいのか、正直、頭を悩ますことも多いです。自分の生理的な感情が嫌悪感を持つこともしばしばです。それでも、それを抑えて、被告人のために活動してあげないといけない。

誰かが、被告人の利益を最大限確保するよう弁護してあげないといけない。それをやると、世間からは嫌われ、被害者を前にして何を言っていいのかわからず、悪の味方のように思われて罵られる。金銭面で正当な対価が得られるのならまだしも、凶悪事件になればなるほど持ち出しを強いられる。それなのに利権を確保しようとしているなどと言われる。

弁護士でなくても、刑事司法の精神をきちんと理解した人が、きちんとした弁護ができるのなら、喜んでそのような人に刑事弁護の職をお譲りしたいですよ。難しい試験を通って、何年もの実務経験を経て、一人前の刑事弁護人になっても、こんな処遇しか受けないのでは、やりきれなく思います。この会議室にいる一般人の方で、どなたが、進んでこのような仕事を引き受けるというのでしょう。

私たち普通の弁護士が、橋下弁護士に腹を立てるのは、このような刑事弁護人の辛さがわかるからです。本当に崇高な自己犠牲の精神がなければ、あのような事件を担当することはできないのです。

国連の「弁護士の役割に関する基本原則」は、第1条において、人権と基本的自由を連切に保障するため、「すべて人は、自己の権利を保護、確立し、刑事手続のあらゆる段階で自己を防御するために、自ら選任した弁護士の援助を受ける権利を有する」と定め、第16条において「政府は、弁護士が脅迫、妨害、困惑、あるいは不当な干渉を受けることなく、その専門的職務をすべて果たし得ること、自国内及び国外において、自由に移動し、依頼者と相談し得ること、確立された職務上の義務、基準、倫理に則った行為について、弁護士が、起訴、あるいは行政的、経済的その他の制裁を受けたり、そのような脅威にさらされないことを保障するものとする」と定めています。

刑事弁護人が迫害に遭いやすいのは、世界各国共通です。でも、日本よりは歴史の長い欧米の方がずっとましでしょう。

一般市民の方にお願いしたいのは、完全な納得は得られなくても、せめて、刑事弁護というのは辛いものだ、ということは理解していただいた上で、その活動を見守っていただくことです。

「刑事弁護というものは、どこまで行っても納得が得られるものではない」
「被告人のことは信用できないことの方が多いです」
「自分の生理的な感情が嫌悪感を持つこともしばしばです。それでも、それを抑えて、被告人のために活動してあげないといけない」
「金銭面で正当な対価が得られるのならまだしも、凶悪事件になればなるほど持ち出しを強いられる」
「刑事弁護というのは辛いものだ」

「すちゅわーです」さんの言葉は率直だ。理想主義的だけど「きれいごと」じゃない。
多数派の感情に迎合せず理性を信頼する。完全に納得を得ることは難しいと知りつつ、それでも自分たちの仕事の必要性を訴える。自分のいらだちとやりきれなさに向き合って流されない。
「すちゅわーです」さんこそ本当に誠実な、信頼に値する弁護士だと思う。いや、弁護士としてのみならずひとりの人間として尊敬できる。原理原則があり、覚悟があり、ガッツがある。おためごかしの優しい言葉は使わないが思いやりがある。

紹介したスレッドでは「すちゅわーです」さんの努力のおかげで最初の頃のような誤解やあからさまな敵意は減っているが、それでもまだがんばっている人たちがいる。名前を挙げると「プログラマー」「右大臣」「DareDaro」の三氏である。
彼らにも彼らなりの原理原則がありそれを守っているのだろうが、残念ながら一般的な法理・常識と異なった「オレ理論」に凝り固まっている。論理の穴を見つけるパズルとして以外、彼らの主張を読む価値はない。時間と労力の無駄であり、奇妙な思い込みに付き合わされて頭が悪くなる。

三氏とは違った意味で問題なのは「ファブヨン」氏で、凝り固まっているわけではないが何だかズレている。私には典型的な半可通に見える。分かったつもりなのだろうが全然分かってない。そのくせプロの横から「通」気取りで口を出す。たしなめられても蛙の面に小便だ。

橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴
Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2007/10/15 (Mon) 17:29
  名前:すちゅわーです
  「ファブヨン」さん

>横レスですが、・・・裁判員制度とは・・・自然な感情の赴くままに受け答えすることが望まれてます。

本当に横レスですね。
被害者が気の毒だからとして、どれだけ無罪を示す証拠があっても、自然な感情の赴くまま死刑相当の意見を言う裁判員・・。
私は、自分が被告人だったら、こんな裁判員のいる裁判だけは受けたくないですね。少なくとも事実認定と量刑の区別くらいはできる裁判員、そして事実認定については感情を入れない裁判員、量刑については他の同種事件との均衡を重視する裁判員を望みます。「ファブヨン」さんはそうでなくても良いみたいですけど。ご自身の命はあまり重要ではないらしい。殆どの人はそうは思わないのじゃないですか。

これまで積み重ねてきた議論も、少なくとも「ファブヨン」さんに対しては全く意味がなかったようです。徒労感が募ります。

「すちゅわーです」さんを呆れさせ、その後も反省の色が見えない「ファブヨン」氏のような人が一番の難物かもしれない。
コメント (4)

弁護人の職務

2007年10月15日 | 光市母子殺害事件
刑事裁判における弁護人(弁護士)の職務についての対話を2ちゃんねるより引用する。


光市母子殺害事件弁護団vs橋下弁護士 第8回口頭弁論
728 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:25:43 ID:eh6oomBp0
実際のところ、世間を気にするようになった今枝弁護士は、
「弁護人として」不適格と判断されたのかもな。
今枝弁護士の描く弁護士像はそりゃ理想的かもしれないが、
ボランティアで20人以上の弁護団という「特別待遇」だからこそ、
今回のような活動ができたわけで。
つねに一線にいる安田弁護士なんかにしてみれば、
弁護士がそこまでして当然と世間にとられるのは、
弁護人としての負担を増やすことになるから困るのだろう。

729 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:27:55 ID:ER4Jn5V80
>>728
法は社会秩序維持の為にあり
裁判が勝てばいいゲームじゃない

法学部でも教えてるだろ


731 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:30:46 ID:XIMacuLb0
>>729
考え方が逆
弁護士が被告の利益を守ることで、社会秩序が維持されるんだよ


733 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:35:34 ID:ER4Jn5V80
>>731
そんな事はない
罪に対して、妥当な罰を与える事も重要
ただ単に被告の利益になれば良いものじゃない



738 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:39:32 ID:XIMacuLb0
>>733
裁判やることで妥当な罪が決まるんであって、はじめから「これが妥当な罪」だなんて
決まってるわけじゃない
だから、弁護士も検察もとにかく裁判に全力を尽くすことが重要なんだよ
それが妥当な罪を決めることになり、ひいては社会秩序を維持することになる


742 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:42:46 ID:ER4Jn5V80
>>738
だから減刑ゲームじゃないんだよ

今枝プログ<「書いて欲しいだろ」
今枝も、まったく同じ疑問を持ってるだろ
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490


743 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:46:10 ID:XIMacuLb0
>>742
誰も減刑ゲームだなんて言ってないよ
弁護士は刑を軽くしようとする、検察は厳罰に処そうとする
それを裁判官が総合的に判断することで妥当な罪が決まるんだよ
あなたの味方は単純で一面的すぎるんだって

744 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:47:17 ID:ER4Jn5V80
>>738
弁護士も疑問に思うことを
私は疑問に思わないと言ってまで
減刑ゲームするのは、社会秩序の維持からはなれ
妥当な罰を与えるとは言えないんだよ


745 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:50:08 ID:XIMacuLb0
>>744
それは論点がずれてるよ
罪の重さを決めるのは弁護士じゃなくて裁判官だから、弁護士が減刑を求めたからって
おかしいことにはならない
そもそも、はじめから「妥当な罪」なんてモノが決まってるなら裁判する意味ないじゃん

746 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:55:06 ID:ER4Jn5V80
>>743
根拠のない発言、可能性の低いものは
弁護士だからと許される物ではない
裁判官の判断を惑わすだけだ


747 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:55:52 ID:tfdgvxxm0
>>745
 そう,人間は神ではないから絶対に動かない真実とか妥当な結論に到達することはできない。
しかし,利害相対立するものに真摯に事実を競わせてより真実に近づくことができるというのが
長年にわたって築きあげてきた裁判制度の骨格なんだよね


748 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:56:50 ID:tfdgvxxm0
>>746
 根拠がない可能性が低いって誰が決めるんだ?

749 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:58:26 ID:BchcjDM50
>>747
その為には手続きを保障して主張漏れがないように・・・
という方針じゃなかったっけ?今枝さんは。
死刑に相当するような事案だけに。

750 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 21:58:30 ID:XIMacuLb0
>>746
被告人が言ってるなら仕方ないじゃん
訴えられてる本人は、あくまで被告人であって弁護人じゃないんだから
被告人の言うことは尊重しないといけない

被告人にしてみれば、自分の生死が関わってるのに自分の考えを
主張できないなんておかしいし、それじゃ真実が明らかにならないだろう


752 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 21:59:38 ID:ER4Jn5V80
根拠が無くても私も信じられると言うならそれは妥当だが
今枝ちゃんは、自分も違うと思ってたとプログで言っちゃってるわけで
それは、正当な弁護とは言えない

>>748
弁護人、そう思う場所には触れなけばいいだけ



753 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:00:11 ID:eNdqEnO50
>>746
裁判官の有罪心証を惑わすのが弁護人の仕事ですが・・・

754 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:01:06 ID:XIMacuLb0
>>752
根拠がないって弁護士が勝手に判断して、被告人の主張を握りつぶしたら
その方が問題だって

755 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:01:42 ID:ER4Jn5V80
>>750
弁護人は被告に絶対服従ではないよ
意思の賛同は、弁護士個人の問題

757 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:03:06 ID:ER4Jn5V80
>>754
>>根拠がないって弁護士が勝手に判断して、被告人の主張を握りつぶしたらその方が問題だって
主張はさせれば良いじゃん
賛同してやる必要はないけど


759 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:03:49 ID:tfdgvxxm0
>>755
 賛同という問題ではない。
被告の主張を握りつぶすことはできないと言っているんだ。

762 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:05:19 ID:tfdgvxxm0
>>757
 言わせるだけ言わせて,自分は知りませんなどと言うことはできない。それは,被告人を
見捨てたことになる。

764 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:05:46 ID:XIMacuLb0
>>757
主張はしても賛同する必要はないって、、
法廷で被告人が主張したことを、弁護人が「私は被告人の主張に賛同できません」
って言うのか?
そんな弁護人は訴えられると思うけど

767 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:11:26 ID:ER4Jn5V80
>>被告の主張を握りつぶすことはできないと言っているんだ
だから主張はさせればいい
私は疑問に思わないと言う必要はない
現に疑問に思ってるんだから

769 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:14:43 ID:ER4Jn5V80
>>764
何も言わずに、妥当な部分のみ弁護すればいいんじゃない
もしくは、可能性は低いし私も賛同しかねるが確固たる意思を持って主張してる以上
裁判官に判断をゆだねますと言えば良いだけ


770 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:22:11 ID:BchcjDM50
>>769
みんな吃驚しちゃってるんじゃないか?w
それじゃあ検察が反対すれば時には
「私もそうかもしれませんと思いますが、被告は反対の模様です」って言うのか?w

771 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:25:05 ID:ER4Jn5V80
>>770
弁護を降りれば良いじゃないか


787 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:44:19 ID:519iRWIf0
>>769
分かりやすいように解説

・ 弁護人て誰のために活動するの?
  → 被疑者被告人の利益のため(無罪獲得、量刑を軽減させるため)
・ 弁護人は誰にどういう義務を負っているの?
  → 被疑者被告人に誠実義務を負っている。
・ 世間に対する道義的な説明義務は?
  → 誠実義務に勝る「道義的義務」なんてあるわけない。
・ では、被告人はやっていないと言っているけど、弁護人は証拠から
  やっていると判断。色々説得したが被告人は意見を変えない。
  国選弁護人の場合、辞任はできない。第1回公判で被告人は
  犯人性否認、弁護人は意見陳述で「全面に認める」「一部認める」
  といえるか。
  → 言ってはいけない。言ったら誠実義務違反で100%懲戒になる。
    留保は事情によってはありだが、最終弁論までに被告人が見解を
    変えない場合は、弁論では当然被告人の意見に沿うようにする。
    有罪弁論なんてしたら100%(ry
・ 逆に、被告人が認めているのに、弁護人が否認できるか?
  → 例えば、前科10犯の被告人がやってないのに捜査段階で誘導される
   ままに自白、面倒くさくなって公判でも意見を変えない場合であっても、
   弁護人は証拠から無罪と思えばそのように意見陳述できる。
   理由は、被告人の利益になるから。実際そうやって、一部無罪になった
   事例を知っている。

 

789 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/14(日) 22:46:45 ID:ER4Jn5V80
>>787
だから答えなければ良いんだよ
責任能力で争ってるんじゃないんだからさ


791 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:48:50 ID:519iRWIf0
>>789
じゃあ、冒頭手続の意見陳述は沈黙、証拠意見も沈黙、
弁論要旨は提出せずってこと?

職務怠慢で100%懲戒w


793 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:50:04 ID:BchcjDM50
>>791
「降りる」んでしょうな。

794 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 22:51:04 ID:519iRWIf0
>>793
私選は降りられるが、国選は裁判所から解任されないと降りれない。


821 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 00:09:11 ID:3KP4rQ6W0
>>791
誰も引き受けないほど
酷い被告ならそれ仕方ないんじゃないの?
弁護士だけ無責任に吼えるだけで良いって方がおかしい




827 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 00:57:19 ID:CPBxUd4K0
>>821
酷い被告人でも必要的弁護事件なら絶対弁護人がつく。
誰かが引き受けなくてはならない。
弁護人は貴方のような無責任な外野とは違うんだよ。
そして被告人がどんな主張をしようと被告人の防御権を保護し、
唯一の見方になるのが弁護人。
刑事訴訟法は、適正手続を確保するためにそういう制度を置いている。
刑事訴訟法に文句があるなら改正活動でも何でもして下さい。
でも、制度の理念に従って活動する弁護人を、無知な人間が
不相当な手段で叩くことなど認められない。


826 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 00:44:51 ID:+yrsSw/q0
>>787
横レスですが良ければ教えてください。

・では、被告人はやっていると言っている。弁護人も証拠から
 やっていると判断。色々話している内、犯行前後の事情に関して
 被告人はびっくりぎょーてんの主張を始めた。初めは眉唾だったが
 じっくり聴いている内、信じることはできるようになった。しかし
 それをそのまま公判で主張することは、却って被告の不利益になるの
 ではないだろうか、裁判官の心証を悪くするのではないだろうか・・
 と迷う疑う・・というようなケースはありますか? あれば、どうするの
 でしょう?

829 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 01:16:43 ID:CPBxUd4K0
>>826
「信じることができるようになった」のには、
何らかの理由があるはず。
客観的証拠と被告人の主張が符合するとか、
被告人の供述に迫真性があり信用性が高いとか、
被害者の供述の信用性が低いとか、
もしくは新証拠を収集できたとか。

その理由に従って訴訟活動(証拠の提出、P提出の書証を
不同意、証人尋問、被告人質問その他)を行い、
最終弁論で自分が信じることができた理由を述べる。

もし、被告人の主張が「それもありえるかも」レベルで、
証拠を精査するとその主張を立証しきれるかどうか分からないときは、
その旨正直に本人に伝える。最終的な判断はあくまで被告人にある。

被告人の主張が「全然ありえない犯人性否認」なら、
最初は自分が「ありえない」と思う理由(客観証拠と符合しない、
被告人の供述の不合理さ等)を述べて、その主張を維持するとどういう
不利益があるかということを、徹底的に説明する。
それでも納得しなかったら、私選なら降りると思うが、国選なら原則
被告人の主張どおりに主張する。但し、そこに上手い具合に情状にも
なりうる事実ももぐりこませる。そこらへんは技術。


833 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 01:54:56 ID:3KP4rQ6W0
>>827
結局、宅間の弁護は誰も出来なかったじゃねぇか
安田魔人なら出来たとでも?
寝言は、弁護を受ける意思の無い被告を弁護する方法でも考えてから言え
絶対、弁護が必要だが
出来ない物は仕方ないんだよ


855 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 09:31:40 ID:/CDv4ptA0
>>833
 宅間の事件もちゃんと弁護人が付いて,弁護しています。

一 弁護人らの主張の要旨
 弁護人らは、判示第一及び第二の殺人、殺人未遂等の犯行(以下、これらを「附属池田小学校事件」という。また、本項におい
ては「本件」または「本件犯行」ということがある。)の当時、被告人は心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張する。

                                                      大阪地裁平成15年8月28日判決より

856 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[] 投稿日:2007/10/15(月) 09:34:20 ID:Xi+16pzj0
結果、宅間は死刑。


858 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 09:49:54 ID:5CEidZsp0
>>855
単発で話の流れも読まずレスしてるけどハァ?
>>被告人がどんな主張をしようと被告人の防御権を保護し、
>>唯一の見方になるのが弁護人。
被告の主張は死刑でいいなんですよ?
どの辺が被告の味方なの?
>>心神喪失もしくは心神耗弱の状態
「もう、ええからさっさと死なせてくれや、貧乏ばっかりで詰らん人生やったわ」
どの辺が被告の味方なの?



859 名前:傍聴席@名無しさんでいっぱい[sage] 投稿日:2007/10/15(月) 10:04:16 ID:/CDv4ptA0
>>856
弁護人が,言い分を尽くして死刑なら良いんじゃないですか?

>>858
 被告人が死刑を望んでも,被告人の正当な利益を保護する弁護人は死刑回避の主張をしなければならない。
精神の病気のせいで,死刑を望んでいることもあるからね。

 身代わり犯人の場合だとわかりやすいだろ。被告人が罪を認めても,弁護人は証拠との矛盾を指摘して無罪
を主張することは許される。というか,しなければならない。


私は職業倫理に則り誠実に職務を遂行する弁護士を尊敬し応援します。
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「橋下弁護士を応援します」

2007年10月11日 | 光市母子殺害事件
「わかりやすく」「熱い」主張で人気を集め、光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求を扇動した(支持者は「方法を紹介しただけ」というが私にはそうは思えない)橋下弁護士。
私は彼の弁護士としての誠実さを全く評価できない(*)のだが、橋下弁護士を応援する人は世の中にずいぶん多いようだ。

橋下 応援 - Google 検索

  橋下 応援 に一致する日本語のページ 約 202,000 件

橋下弁護士を応援するブログをいくつか見たところ、弁護士と被告を同一視したり、「弁護士が国民を見下している」と怒っていたり、弁護団のやり方が「人として許せない」と憤慨している人が多いようである。
応援ブログの雰囲気が何かに似ていると思ったら、2005年2月にライブドアがニッポン放送株を買収しようとしたころの「ホリエモン応援団」だ。あのときはフジサンケイグループのみならず「ライブドアが買収したら出演拒否」と報道されたタモリや中島みゆきに怒りをぶつける善良なホリエモンファンがたくさんいた。

玄倉川の岸辺 タレントにはファンを大事にする義務がある     …のか?
玄倉川の岸辺 愛を要求する根拠

当時のホリエモンファンの声。

どこまでもやるにきまってるじゃーん♪|仮想的現実な日々
堀江さんがどこまでやるかって?
どこまででもやるにきまってるじゃーん♪

見た目はアホだが、彼はそれほどアホではない。
必ず『Plan B』を持っている。

大御所たちにがっかり|仮想的現実な日々
ファンを一番大事にしなければいけないのは出演者ではないのか?

経営者が変わったからといって番組を降りる、そんな決断をする人にファンがつくのか?
がっかりするだけじゃん?

どれほど自分に自信を持っているのか知らないが、視聴者をなめるのもほどほどにしておいた方がいい。

絶対しっぺ返しを食らうぞ!

何もかもみな懐かしい、というかなんというか。
あのころ暑かった熱かったホリエモンファンたちは今どうしているのだろう。

ホリエモン 応援 - Google 検索

  ホリエモン 応援 に一致する日本語のページ 約 448,000 件

ヒット数は多いけれど最近の記事は少ないようだ。



ついでに最近話題になったり物議をかもした人たちについて「応援」検索ヒット数を調べてみた。

福田康夫 応援 に一致する日本語のページ 約 477,000 件

  キャラクターが地味なわりに「応援」ヒット数が多いのは総裁選の影響か。

小沢一郎 応援 に一致する日本語のページ 約 271,000 件

  政権を本気で目指すには「応援」が足りない気がする。

安倍晋三 応援 に一致する日本語のページ 約 636,000 件

  ヒット数は多いけれど皮肉や批判がたくさん混じっていそう。

麻生太郎 応援 に一致する日本語のページ 約 449,000 件

  熱烈なファン多数。麻生さんの強みであり心配なところでもある。

朝青龍 応援 に一致する日本語のページ 約 592,000 件

  マスコミでは批判ばかりだがネットではかなり応援されている。

沢尻エリカ 応援 に一致する日本語のページ 約 1,770,000 件
エリカ様 応援 に一致する日本語のページ 約 568,000 件

  クククッ、圧倒的じゃないか、我が軍は…




番外
河村たかし 応援 に一致する日本語のページ 約 36,200 件

  人望なさ過ぎて笑った。さすがたかし、がんばれたかし。
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煽る弁護士、勇気ある弁護士

2007年10月03日 | 光市母子殺害事件
橋下弁護士が「世間」に光市事件弁護団への懲戒請求を煽った番組である「たかじんのそこまで言って委員会」の掲示板で興味深い議論が行われている。

たかじんのそこまで言って委員会|大会議室 橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴

懲戒請求の“総本山”だけあり、最初のうちは「弁護団けしからん」「世間と常識が許さない」「懲戒請求は当然」という雰囲気だが、一人の勇気ある発言者によって次第に流れが変わってきた。
Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2007/09/12 (Wed) 21:58
  名前:すちゅわーです 年齢:35歳 性別:女

  私は大阪で弁護士をしています。
弁護士の意見は、おそらく100人中、99人までが、橋下弁護士の行ったことに対して憤りを感じるでしょう。
なぜなら、彼の行ったことは、弁護士としての最後の砦になる良心までなくしたことになるからです。
弁護士の良心というのは、例え世界中の人たちがバッシングしても、被告人、依頼者の正当な利益を守ることにあります。


大阪(奇しくも橋下弁護士と同じ)の弁護士「すちゅわーです」さんが弁護士の職務、法廷のルール、憲法の規定、日本は法治国家であり「世間」至上主義は人治につながる危険があること、懲戒請求には責任が伴うことなどをていねいに説明している。
あえて言ってしまうが、ほかの人の意見は後にして「すちゅわーです」さんの発言だけ抽出して読むことをお勧めする。とても勉強になるし、論理的で上手な文章を読むと自分の頭の中が整理され賢くなったようで気持ちいい。

もちろん「たかじん委員会」掲示板に書き込むことで「すちゅわーです」さんに個人的な利益は生じない。ギャラが発生することも名前が売れることもない。それでも「敵地」に乗り込んで責任感と良心から長文を書き続ける「すちゅわーです」さんの勇気と誠実さに敬意を抱かずにはいられない。
弁護士として、それから「人として」立派なのは橋下弁護士のような無責任な煽り屋ではなく「すちゅわーです」さんのような人だ。
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職業倫理と「人としての倫理」

2007年10月03日 | 光市母子殺害事件
橋下弁護士のブログを読んであきれた。

橋下徹のLawyer’s EYE : 原告今枝弁護士へ

思い付きを並べた散漫な長文で、引用しようにもどこを選べばいいか迷う。
橋下弁護士の考え方が端的にあらわれた一行だけ引用しよう。

簡単に言うと、「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずあるだろう」と。

私はこれを読んで「なるほど橋下氏が弁護士失格と言われるわけだ」と納得した。
たぶん多くの人が「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずある」という橋下氏の言葉に何の問題も感じないだろう。私は職業倫理と「人としての倫理」を対立させる誤解(あえて誤解と言い切ってしまおう)が「世間」の感情的な弁護士批判の元になっているように思う。
(余談だが「人としての倫理」という言葉はちょっとおかしい。「人」の倫理のほかに「ライオンとしての倫理」とか「電車としての倫理」とか「山としての倫理」が存在するだろうか。「人として」などと大げさにせず「基本的な倫理」とか「社会倫理」でいいはずだ。「人として」を強調するのは「批判する奴は人間失格」という決め付けが隠れているようで嫌な感じがする)


「プロフェッション」という言葉がある。
…と書いてはみたものの、実は私自身プロフェッションの意味について充分に理解しているわけではない。以前ある本でプロフェッションの特質について書かれているのを読み「なるほどそういうことか」と感心したのを覚えているが、その本が誰が書いた何という本だったのかどうしても思い出せない。ネットや図書館で少し調べてみたものの、あの本ほど納得できる説明は見つけられなかった。
だから、以下に書くのは素人の手探りである。

プロフェッションの歴史的発展
 プロフェッションの概念は、西欧社会の中でどのように形成されてきたのであろうか。語源的には、プロフェッションは、プロフェス(Profess)--信仰を告白する--という言葉から派生したものであって、非常に宗教的ひびきをもった言葉である。また沿革的にも、初期のプロフェッションは教会と強い結びつきがあったといわれる。
(中略)
初期のプロフェッションは教会の強い影響のもと大学の中で育ってきたのであり、中世ヨーロッパの大学は、それゆえにプロフェッションのための訓練所でもあったのである。このことは、当時の大学が、一般に神学(Theology)・法学(Law)・医学(Medicine)、の三つの学部から成っていたこと、そして当時のプロフェッションが、聖職者・弁護士・医師に限られていたことによっても知ることができよう。


第18回日司連中央研修会 基調講演法律家としての倫理
倫理的な法律家とは、「プロフェッションのあり方について、見識を持ち、正しい法実践をすることのできる法律家」だという。そして、プロフェッションとは、「学識に裏付けられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的奉仕活動を行い、よって社会全体の利益のために尽くす職業」のことを言う。


弁護士という職業は誕生したときから神と自らの良心への誠実を誓うプロフェッションだった。プロフェッションの根本は高度な専門知識と厳しい職業倫理である。職業倫理は「人としての倫理」を無視したものではない。聖職者のプロフェッションも弁護士のプロフェッションも医師のプロフェッションも、人としての倫理をはみ出すものではなくむしろ素朴な倫理観を専門知識と良心によって深めたものである。
たとえば聖職者は信仰を通じて世の中のために善行を行う。神は善であり、神の命じることは善である。もし彼が「神が悪を命じる」ことがあると信じるようになれば聖職者でいられないだろう。
同じように弁護士も法秩序の正義と弁護士の職業倫理を信じなければ職務を果たせない。職業倫理を守り、それを高めることによって正義が実現されると確信しなければ誠実な弁護はできない。そもそも「悪人(と世間からみなされる被告人)の味方となり代弁する」刑事弁護人の仕事は職業倫理と責任感の助けなしには困難だ。

ところが橋下弁護士は、弁護士の職業倫理が「人としての倫理」とは別に存在していると思っているようだ。(「弁護士の職業倫理の前に、人としての倫理がまずあるだろう」
もし弁護士の職業倫理が基本倫理に反したものであるなら問題だが、もちろんそんなことはない。橋下弁護士が「世間」に光氏母子殺害事件弁護団への懲戒請求を煽る根拠に利用した「弁護士倫理規定」を読んでも「人として」許せないようなことは書かれていない。弁護士の職業倫理が「人としての倫理」を基にしているのは当然であり、それはパンなしのトーストが存在しないのと同じだ。

橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護団の手法に倫理的問題があると考えているなら、まず弁護士倫理規定を用いて批判すればよかった。第一条には「弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と祉会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。」とあり、「過度の情報公開が被害者家族の基本的人権を侵している」といった批判をすることは充分可能だ。「『社会正義の実現』のために世間に対して説明責任を果たせ」という批判だってできなくはない。
あるいは橋下弁護士が「弁護士倫理と『人としての倫理』の間に容認できないズレや矛盾がある」と考えるなら、彼がすべきなのは弁護士倫理を基本倫理に沿うように改めることだ。橋下弁護士が引用した佐藤彰一教授はそのようなことを言っているのだろう。具体的な改善案がどんなものになるかわからないが、理にかなうものであれば弁護士からも「世間」からも歓迎されるはずだ。

だが橋下弁護士は弁護士倫理の向上・改善を呼びかけるより、弁護士倫理を(一時的に?)放棄して「人としての倫理」に従えと叫ぶ。
彼のいう「人としての倫理」とは「世間」や「空気」のことだろう。弁護士倫理に畏れを抱かず、世間に媚びるのを邪魔する障害物とみなしているようだ。橋下弁護士の文章からは弁護士の職責の重さ、職業倫理の厳しさが感じられない。私が「弁護士失格」と感じたのは彼が「自分が弁護士であること」「弁護士倫理を守ると誓ったこと」を忘れた無責任な弁護士批判をしているからだ。
職業倫理を軽んじるものは誠実な職業人とはいえない。「信仰告白」を語源としたプロフェッションであればなおさらのことだ。橋下弁護士が「弁護士倫理など二の次でいい、人としての倫理のほうが大事だ」と考えるなら、バッジを外して一般の道徳家として生きるほうが彼自身にも依頼者にも幸せだろう。
コメント (5)

常識と「世間の空気」

2007年09月27日 | 光市母子殺害事件
光氏母子殺害事件の弁護団に「人として許せない」と憤っている「普通の」人たちに読んでほしい。

元検弁護士のつぶやき: 「世間」、「常識」、「社会一般」等について コメント欄

No.95 名無しさん さんのコメント | 2007年09月27日 00:13 | CID 82280  (Top)

自分なりに考えてこと、感じたことをまとめてみました。

Q:刑事弁護士の職責とは
A:被告人の利益を主張すること

Q:検察の職責とは
A:被告人の罪を追求すること

Q:裁判官の職責とは
A:刑事弁護士と検察の主張を検討したうえで、適切な刑を下すこと

Q:刑事裁判における正義の実現とは
A:事実を明らかにすること、その事実に基づいて適切な刑が下されること

Q:事実を明らかにする(事実に近づく)ために必要なことは
A:弁護士、検察、裁判官がそれぞれの職責を果たすこと

Q:犯罪者を弁護するのは正義に反するのではないか
A:弁護士が被告人の利益を主張しなければ事実は明らかにならないし、正義も実現されない

Q:何があろうと人を殺した以上は死刑が適当ではないか
A:現在の司法制度は殺意の有無や犯行の計画性などの事情を考慮している

Q:なぜ事情を考慮するのか
A:考慮しなければ、正当防衛で人を殺しても死刑になる

Q:世間の感覚では死刑にするのが当然だ
A:世間には、死刑にするべきと考える人もいれば、そうでない人もいる

Q:現行の法律は民意から乖離しているのではないか
A:法律は民意に基づいて選ばれた議員によって作られている
  本当に民意から乖離しているのであれば、いずれ改正される


付け加えるなら

Q:被告は真実を語る義務があるはずだ
A:黙秘権は憲法38条1項で定められている

Q:目には目を、歯には歯を。凶悪犯にはそれにふさわしい刑を与えよ
A:残虐刑の禁止は憲法36条で定められている

本来これらは義務教育で身につける常識でなければならないのに、実際は学校でも社会(マスコミ)でも十分に教えられていない。
逆に憲法と刑事訴訟法について知識を持たず、あるいは知っていてもそれを否定して感情論を叫ぶ人たちのほうが多数派のようだ。「普通」の「一般人」が作る「世間の空気」はこうだ。

  「悪党はこいつだ! 悪党を吊るせ! 悪党の味方には石を投げろ!!」(典型例 

私はキリスト教徒ではないけれど、「罪なき者まず石を投げよ」と言ったキリストも、自らを省みて恥じた民衆も実に立派だと思わずにいられない。
コメント (33)

「正義」の創造

2007年09月22日 | 光市母子殺害事件
私には正義とは何なのかよくわからない。
世の中には「多数派の意見(世間の風)」と正義を同一視しているかのような橋下弁護士のごとき人もいる。私はその手の「世間主義」にはまったくうんざりしているけれど、「それならお前の考える正義とは何だ」と問われてもうまく説明できない。


以前の記事で「弁護団への懲戒請求殺到問題」について書いた。その問題に深く関わる「光氏母子殺害事件」差し戻し控訴審で被害者遺族が意見陳述を行った。

中国新聞ニュース:「供述が真実とは思えない」 遺族に無念と怒り
 光市母子殺害事件の弁護団と、本村洋さんは二十日の公判後、広島市内で記者会見し、五月から三回の集中審理を振り返った。弁護側は「主張が証拠に基づくものと立証できた」と評価し、本村さんは「死刑判決を出してほしいという思いを新たにした」と述べた。

 弁護団は中区の弁護士会館で記者会見。弁護団長の本田兆司弁護士は「事実を証明するために弁護してきたが、主張が証拠に基づき立証できた」と自信を見せた。

 被告を死刑にするよう求めた本村さんの意見陳述に対し、安田好弘主任弁護人は「前提の事実が違う。真実が何かもう一度、知ってほしい」と説明。立証の自信を問われると「100%の立証はできたが、300%の立証ができないと裁判所は認定してくれない。さらに理解を求める」と述べた。

 被告と面会を重ねた今枝仁弁護士は「異常とも言える注目を受け、非難や偏見にさらされ正直つらかった」と心境を吐露。「遺族を傷つけたならおわびしたいが、真実を明らかにするため全力でやってきたことは信じてほしい」と言うと泣き崩れた。

 一方、本村さんは市内のホテルで会見。「被告は水に描くがごとくの発言ばかりで、真実を話しているとは思えない」と疲れた表情をみせた。

 涙を交え謝罪と弁解を繰り返した被告に対し、「検察官の質問には敵意をあらわにし、心から改心している人間と思えない。死刑判決を出してほしいという思いを新たにした」と力を込めた。

 被告が法廷で「生きて償いたい」と訴えたことについては「生きたいと思うのは当然。それでもなお命で償わなければいけない罪の大きさを知ってほしい」と述べた。

 被告が罪と向き合い反省することを常に望んできた本村さん。「二人の命をあやめてまだ反省できないのかと思うと非常に残念。私の気持ちが伝わっていないのかなと思う」と無念さをにじませた。(鴻池尚、門戸隆彦)

私は事件と裁判について語る言葉を持たない。
事実がどこにあるのか、被告に更正の余地があるのか、適切な量刑はどのあたりか、詳しい情報を持たないし正直に言って知りたくもない。おぞましい事件の詳細を追及し判断を下す苦行は司法の専門家たちに任せたい。事実に基づいた厳正な判決が下され、それが被害者遺族と被告の双方が納得できるものであることを願う。

気になるのは「被害者遺族の意見陳述」報道だ。
私の見た限りでは20日のテレビ朝日系「報道ステーション」と日本テレビ系「NEWS ZERO」(ニュースゼロ)がトップニュースとして取り上げていた。特にNEWS ZEROは本村氏の意見陳述を中心に長時間をかけ、最後にはスタジオのタレントが涙ぐんでみせるという演出まで付いていた。「弁護団への懲戒請求殺到」に表れたように世の中には本村氏に強く感情移入している人が多いようである。日本テレビの番組構成はまさに視聴者が望むとおりのものだったのかもしれない。
私にはワイドショーまがいのあざとい視聴率稼ぎに見えた。

あらためて言うまでもなく私は意見陳述を行った被害者遺族を批判しているのではない。あくまでもマスコミの扇情的な報道とそれを受け入れる「世間」のあり方に疑問を抱き、恐れている。
これまでこの裁判について知ることを意識的に避けてきた。知ったところで嫌な気持ちになるだけだし、どうしても知る必要があるとも思えなかった。だが、「弁護団への懲戒請求殺到」事件が起きて「この裁判の周辺でおかしなことが起きているようだ」と思いはじめ、意識してニュースを見ることにした。これまでは「光氏母子殺害事件」のテロップや本村氏の顔が画面に映るとすぐにチャンネルを変えていた。本村氏の話す姿をテレビ画面でじっくり見たのはほとんど初めてである。

これまで本村氏がマスコミを積極的に利用して被害者感情をアピールする姿を見てきて、いや、「見る」というよりは「遠くの視界の隅に入れる」くらいの見方なのだが、ぼんやりした印象を持つようになった。「この人は妻と子のために復讐の鬼になることを選んだのだな」というのがその印象である。本村氏の会見を見てその印象が変わることはなかった。
本村氏がどういう人物なのかは知らない。ヒーローとして心酔する意見も、亡き妻の尊厳を傷つけていることを批判する意見も読んだが、そのどちらが実像なのかわからない。
本村氏がどのような人であるかとは別に、この事件、この裁判において彼は復讐の鬼となることを選んだのだと私は思っている。そしてそれを批判するつもりはない。あれほど無残なやり方で妻子の命を奪われた男が復讐を決意するのは当然だ。私だって本村氏の立場であればそうするかもしれない。

本村氏の行動を批判はしないけれど、彼の意のままに動いているようなマスコミのあり方はどうかしていると思う。NEWS ZEROのような報道はあまりにも感情移入が強すぎて客観性を失っている。裁判で争われるのはまず何をおいても事実であり、法律であり、判例であるはずだ。被害者を無視すべきだとは言わないが、被害者感情の吐露が過半を占める裁判報道が適切とは思えない。


以下は一般論として書く。
犯罪の被害者(遺族)が犯人に怒りを燃やし復讐の鬼となるのは個人の自由だ。権利とさえ言っていい。
だが、報道や世論が「鬼」と化した被害者(遺族)に過剰に感情移入し英雄視する必要があるのだろうか。それが社会の倫理を高め良い方向に導くのだろうか。私にはそうは思えない。
光市の事件だけではなく、北朝鮮による拉致事件でもイラク人質事件でも「被害者(家族)を絶対化する」傾向が一部にあり、嫌な感じがしていた。拉致事件やイラク人質事件の場合は絶対化しようとする勢力に対して反対する勢力があり歯止めとなったが、光氏母子殺害事件の場合は「世間」の被害者遺族への同情・共感・一体化・賞賛・英雄視にとめどがない。

戦後社会はリベラルになり価値相対化され「善と悪」「味方と敵」の区別がしだいにあいまいになった。「日本は常に正義である」とか「自分の仲間(会社・業界・組合)以外は敵だ」といった考え方を維持するのは困難だし、そういった意見を公表すると偏狭と批判される。
だが、光市事件(北朝鮮拉致事件、イラク人質事件)のような「かよわい被害者と凶悪な加害者」の構図は別だ。被害者はあくまでも被害者であり、加害者は加害者である。けっして両者の立場が入り混じることはない。
無関係な第三者(観客)にとって「正義」や「味方」を信頼するよりも「被害者」に同情するほうが安全だ。「正義」はいつ仮面が落ちて醜い正体が明らかになるかわからないし、「味方」は裏切るかもしれない。だが殺人事件や拉致事件の被害者が「実は加害者だった」といったことはまず起こらない。
被害者はいつまでも被害者であり、それに同情する「私たち」(世間)は心優しい人間であり、被害者に同情しない(ように見える)連中は人間の心を失った悪党であり、それを糾弾する「私たち」(世間)は正義の味方なのである。実にすがすがしく単純明快だ。
この明快さ、自らの正しさを疑わない人たちの純粋さが私には恐ろしい。

被害者はあくまでも被害者であり、人々から同情されるべきである。とりあえずそのことに疑問はない。
だが、無関係な第三者が被害者に同情し一体化することによって「正義」をわがものにするメカニズムは恐い。誰がいつそんな力を与えたのかと聞いてみたくなる。あなたたちはもともと単なる観客じゃなかったのか。
例として適当かどうかわからないが、経済における信用創造のメカニズムを連想する。

信用創造 - Wikipedia
銀行は預金を受け入れ、その資金を誰かに貸し出す。その過程で信用創造は発生する。以下は、そのプロセスの例である。

A銀行は、X社から預金1000円を預かる。
A銀行は、1000円のうち900円をY社に貸し出す。
Y社は、Z社に対して、900円の支払いをする。
Z社は、900円をB銀行に預ける。
この結果、預金の総額は1900円となる。もともと1000円しかなかった貨幣が1900円になったのは、Y社が900円の債務を負い返済を約束することで900円分の信用貨幣が発生したことになるからである。この900円の信用貨幣(預金)は返済によって消滅するまでは通貨(支払手段)としても機能する。このことはマネーサプライ(現金+預金)の増加を意味する。

さらに、この後B銀行が貸出を行うことで、この仕組みが順次繰り返され、貨幣は増加していく。このように、貸出と預金を行う銀行業務により、経済に存在する貨幣は増加する。

信用創造のメカニズムを「正義」の創造に置き換えてみる。
  「世間」の善良なる市民は被害者に「共感」のかたちで資本を貸与する。
  被害者は資本を「世間」に還流する(吸収される場合もあり、本村氏のように積極的に増幅する場合もある)。
  「世間」と被害者は資本(共感)を行き来させることによって何倍にも増幅させる。正のフィードバックだ。
  巨大化した資本(共感)はやがて自らの論理で動きだす。
  金が集まるのは価値がある証拠であり、共感が集まるのは絶対的な正しさを意味する。
  金で買えないものはないし、被害者への共感は常に正義である。
  それを疑うものは資本主義社会への反逆者であり、「人として許せない」異常な連中なのだ。

経済学に無知な私には無から有を生み出す魔法あるいはインチキのように思えるが、信用創造のメカニズムは活発な経済活動のため不可欠なものであるらしい。同じように社会において共感を増幅させて「正義」を創造するメカニズムは必要である。誰もが自分のことにしか関心を持たないようでは社会は成り立たない。
だが、信用創造もやりすぎればバブルになるように、共感による「正義」の創造も限度を超えると危険だ。自分たちで作り出した「空気」にやがて縛られることになる。第三者が「当事者の気持ちになって」客観性を失えば合理的な判断をするのは難しい。
さらに共感や「空気」を絶対視するようになると、冷静な態度をとる人を「人の心がない」と罵倒するようになる。こうなると信仰集団と紙一重だ。

20年ほど前に「無から有を生み出した」かのごときバブル景気に浮かれた日本社会は、やがて祭りの後の虚しさを痛感し甘い汁の後の苦汁をなめることになる。現代の「善良なる市民」たち、マスコミやネットで誰かが煽った「共感」をインフレートさせ「正義」の信用創造に手を貸している人たちが先人の失敗(20年前だけでなく70年前にもあったことだ)に学んで現実を見失わず限度を超えないように願う。
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書きたくはない

2007年09月11日 | 光市母子殺害事件
ちょっと憂鬱である。
ブログに書きたくないことが溜まってしまった。
「書きたいことが溜まる」「書きたいことがない」という状態は普通だが「書きたくないことが溜まってしまう」のはめずらしい。
ちっともうれしくない。

書きたくないなら書かなければいい、というのはもちろん正しいけれど、古人曰く、「物言わぬは腹膨るる業なり」とか。モヤモヤした嫌な感じは固めて外に出さないといつまでも残る。
いったい何のことかといえば、「光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求殺到」問題だ。

中国新聞ニュース:懲戒請求4千件超える 光母子殺害のTV発言波紋
 光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で、被告の元少年(26)の死刑回避を訴える弁護士への懲戒処分請求が四千件を超える「異常事態」になっている。きっかけは、橋下徹弁護士(大阪弁護士会)のテレビでの呼び掛けとされ、元少年の弁護団のうち四人が橋下弁護士に損害賠償を求め提訴。弁護の在り方をめぐって、刑事とは別の法廷で、弁護士同士が全面対決することになる。

 橋下弁護士は、五月二十七日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)で「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい。弁護士会としても処分を出さないわけにはいかない」と発言したという。

 放送後、広島を始め各地で弁護団メンバーへの懲戒請求が相次いだ。日弁連によると、七日昼までに十弁護士会、四千二十二件に達した。昨年一年間の全弁護士への申し立てが千三百六十七件で、突出ぶりがうかがえる。

 今枝仁弁護士ら元少年の弁護団側は訴状で「広範な影響力を持つテレビを通じて不特定多数の視聴者になされた発言。専門家による正しい知見であると認識されやすく、極めて悪質だ」と指摘。

 これに対し、橋下弁護士は、五日に記者会見し「世間は弁護人が被告を誘導して主張を変えさせたと思っている」とした上で「『刑事弁護はここまでやっていいのか』と思えば弁護士会への信用は損なわれる」と反論した。自ら懲戒請求しなかったことは「世間の感覚で出してほしかった」と説明した。

 今枝弁護士は「刑事弁護活動には、社会に敵視されても被告の利益を守らなければならない困難を伴う」と話している。

 最高裁判決は、本村弥生さん=当時(23)=の殺害、乱暴について「乱暴するため殺害を決意した」と認定。元少年も一、二審で殺意や乱暴目的を争っていなかった。

 しかし、広島高裁の差し戻し控訴審で、二十二人の新弁護団は「殺意はなく傷害致死にとどまる」と主張し、元少年も「甘えたいと思い抱きついた」と法廷で供述。死亡後の乱暴は「復活の儀式だった」との説明に、夫洋さん(31)は「聞くに堪えない」と憤りをあらわにした。

 ▽自ら傍聴の努力を 一審から公判の傍聴を続けている作家佐木隆三さんの話

 わたし自身も差し戻し控訴審で弁護団が主張するストーリーはあんまりだと思っている。しかし法廷を自分の目で見た上で、物書きとして原稿を書き批判している。今回、橋下弁護士はなぜ自分で懲戒請求をしないのか。テレビでけしかけるようなやり方には賛成できない。弁護団を許せないという意見も多いだろうが、自分で傍聴する努力もせずにテレビの情報だけで懲戒請求をしたという人がいたとすれば情けない。


「光市母子殺害事件の弁護団」については以前にも書いたことがある。

  社会主義的弁護士を望むthessalonike2氏
  「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏

読み返してみてそれほど変なことを言ってなかったからとりあえず安心した。
ただ、「「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏」で

あの事件の弁護士たちのやっていることは「被告人の人権の擁護」というより自分たちの死刑廃止論のアピールだ。

と断定したのは軽率だった。
弁護団の一員である今枝弁護士のコメントを読み、「死刑廃止論のため裁判を利用している」という憶測に根拠がないと納得したので批判を撤回する。
私自身は漸進的な死刑廃止論者であり、国民の多くが「死刑を廃止しても問題ない」と思う日が来ることを願っている。だが残念ながら光市事件弁護団の手法は(弁護人の義務への誤解が原因とはいえ)死刑廃止論への反発を生んでおり、「これでは逆効果だ」という苛立ちからつい八つ当たりしてしまった。
イデオロギーのためでなく職責として困難な任務を遂行している弁護士の方々にお詫びする。申し訳ありません。


ここまでの文章で私の「モヤモヤした嫌な感じ」の対象が光市事件の弁護団でないことは明らかだが、それならいったい誰に・何に対して不快感を抱いてるのか。
とりあえず「嫌な感じ」をキーワードにして並べてみた。

  ・ 「相手の立場に立って考える」
  ・ 世間主義

  ・ 死者の威を借りる生者

  ・ 批判と「黙れ!」の違い
  ・ 論理的な過ちの指摘と「人として間違っている」論
  
  ・ 弁護人の義務と「人として」論
  ・ 「正義の味方」と「法秩序の執行者」

  ・ リーガルマインドとプロフェッション

  ・ 光市殺人事件弁護団懲戒請求と「代理出産」
  ・ 「かわいそう」は無敵
  ・ 実感思考とシステム思考


一つひとつが私にとって難しい。実は「プロフェッション」という言葉の意味からしてよくわかってない。頭を振り絞って書いても結局は誰かの二番煎じか「意余って力足らず」になりそうだ。
ついでに気が重くなる理由を並べてみる。

  ・ こんなこと書かずに済めばその方がずっと幸せだ
  ・ そもそも自分には司法制度について知識がない
  ・ 特定の「悪党」を叩けばスッキリするような問題ではない
  ・ 何百万何千万人という「善良な一般人」を批判してもまさに蟷螂の斧
  ・ 「善意の人たち」の「純粋な怒り」を向けられるのが鬱陶しい
  ・ 人情の薄い奴だと思われたくない
  ・ 書いても楽しくなさそう
  ・ その他いろいろ

ますますモチベーションが下がった。
キーワードを見て何かを感じた方がおられたらご自分のブログなどで考察してくれないものか。誰かが「わが意を得たり!」という文章を書いてくれたら自分で書かなくて済むのに。
そんな虫のいい話はないか。
これまでブログをやっていて「書きたかったことを誰かに先に書かれて悔しい」と思ったことはあるけれど「自分の思っていることを誰か代わりに書いてほしい」と願うのは初めてだ。
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