玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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「正論」と「お約束」

2008年10月30日 | 日々思うことなど
このごろ「正論」と言う言葉が軽々しく使われすぎてるんじゃないか。
あまり安売りされるとありがたみが薄れる。使い古されて磨り減ってしまう。
真性引き篭もりhankakueisuuさんは「神」の大安売りを批判したけれど、私には「正論」のほうが気になる。神は結局のところフィクションに過ぎないが(こんなこと言うと罰が当たりそうだ)、正論は実体と重みのあるものであってほしい。

デヴィ夫人という人がいる。
インドネシアの初代大統領スカルノに見初められ、第三婦人になった日本人女性だ。
生まれや育ちは失礼ながら(と言うべきなのかどうなのか)庶民的だが、数奇な運命を経て現在は日本では貴重な「国際的セレブ」として存在感を発揮している、らしい。

そんなデヴィ夫人の意見に、多くの人が「正論だ」と賞賛を寄せている。

麻生首相とホテルBar|デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
麻生首相がホテルで飲んだくらいで、
なぜ日本のマスコミは騒ぐのでしょう。



それを庶民的でないとか言いますけど
確かに首相は庶民ではないのですから。


麻生首相がホテルで飲んだぐらいで騒ぐマスコミはおかしい。日本は本当に3等国:アルファルファモザイク
2 冷 :2008/10/28(火) 14:19:19.63 ID:0TI2Ul2y 正論過ぎワロタw

はてなブックマーク - 麻生首相とホテルBar|デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba
「実に正論だ」「気持ちの良い正論」「正しい!」「正論オブジイヤーです」etc.....


私はこの様子に違和感を覚える。はっきり言って気持ち悪い。
デヴィ夫人の言葉は、正論というよりむしろ「お約束」に近い。多くの人はそれに気が付かないのか気にしないのか、「正論だ」「正しい」「立派だ」という評価で埋め尽くされるのはちょっと変だ。
たとえとして適切かどうかわからないが、芸能評論家がテレビのワイドショーで「やっぱりキムタクってカッコいいですね!」「ananの好きな男ランキングナンバーワンを15年続けてますから!」と言ったときのありさまを想像してほしい。ほかの出演者が「そうですね!」「まさに正論」「異議なし!」と全力で同意したら視聴者はどう思うだろう。私はよほどの木村拓哉ファン以外は不快に感じて怒るかバカにすると思う。
多くの視聴者は木村氏の「15年連続ナンバーワン」も芸能評論家のジャニーズタレント礼賛も業界のお約束であることを知っている。業界内だけでお約束を確認しあうのはまあ勝手だが、それを「常識」「正論」として押し付けられてはかなわない。「キムタク礼賛」「全力で同意」の構図を見せられたら「お前らいい加減にしろよ」と突っ込むのが健全な市民的常識である。
ところが、「デヴィ夫人が麻生総理のバー通いを弁護」の場合はそういう突っ込みはほとんどない。逆に正論と呼ばれ多くの共感を集めている。どうにもそれが気持ち悪い。

彼女が「首相は庶民ではないのですから」というとき、それは「自分も庶民ではない」「庶民は上流階級に口出しするな」というアピールなのである。
麻生氏は生まれも育ちもまぎれもなく上流階級だ。なにせ大久保利通の子孫、吉田茂の孫、妹は皇族に嫁ぎ、自らは麻生グループの総帥である。かたやデヴィ夫人は生まれと育ちはともかく(ともかく?)誰もが認める国際的セレブである。二人は言ってみれば同じ穴のムジナだ。少なくともデヴィ夫人はそのつもりでいる。たぶん麻生氏のほうはそう思ってないんじゃないかと私は想像するけれど。
上流階級を自称する人間が上流階級への批判に対して反論するのはごく当たり前のことだ。
デヴィ夫人の発言は、「芸能評論家がキムタクを賞賛」とそれほど変わらない。お約束をなぞっているだけで何の意外性もない。

せいろん 0 【正論】 - goo 辞書
道理にかなった正しい議論・主張。

辞書にはこのように載っているけれど、私は実際に「正論」という言葉を使うには意外性とか勇気といったプラスアルファが必要なんじゃないかと思う。つまり、「お約束」や「ごく当たり前のこと」の場合は道理にかなって正しくても正論として賞賛されない。

私が「交通ルールを守りましょう」「赤信号で止まりましょう」といったら正論になるだろうか。
たいていの場合「なにをわざわざ」「そんなことはわかってる」という反応しか返ってこない。当たり前すぎて感心する余地がないからだ。
社民党の福島瑞穂党首が「憲法九条を守りましょう」と言うとき、「正論だ」と賞賛する人はどれだけいるだろう。熱心な護憲派でも「正論」という大げさな言葉を使わないと思う。社民党の党首が「九条を守れ」というのはそれこそお約束である。いちいち正論だとほめていたら「正論」という言葉が磨り減って価値がなくなる。

「赤信号で止まらなくてもいい」という意見が正論になる場合もある。
たとえば「深夜の交差点の赤信号で止まっていたら後ろからノーブレーキで車が迫ってきた」という状況を想像してほしい。たぶん居眠り運転で、このままなら間違いなく追突される。一方、交差する道は一台の車も通っていない。
この場合は「信号を無視しても追突を避ける」のが合理的な選択だ。仮に世間が(マスコミが)「追突されても信号は絶対に守らなきゃダメだ」という意見で塗りつぶされていても「いや、この場合は無視するのが正しい」と勇気を持って発言するのが「正論」である。
福島党首の場合は、「九条を守れ」はお約束すぎて正論にはならないけれど、「自衛隊員のみなさんは国のためにがんばっている。尊敬すべき人たちです」と言えば主に右のほうから「正論だ」「そのとおり」「たまにはいいこと言うじゃないか」という声が集まるだろう。驚きが感動につながり、それが「正論」という賞賛を生む。
単に「道理にかなって正しい」というだけでは正論とは呼ばれない。そこには勇気とか意外性が必要である。

こういう視点で見ると、デヴィ夫人の意見に「正論」という賞賛が集まるのは妙なものである。
セレブであるデヴィ夫人(「自称」と付けるかどうか迷ったがとりあえず)が上流階級の麻生氏のぜいたくを庇うのは当たり前。空気を読まずに独自の意見をいうキャラクターが売りの彼女がマスコミの麻生批判に逆らうのも自然なこと。デヴィ夫人が麻生擁護の発言を書くとき勇気が必要だったとも思えない。そこにはまったく驚きがなく、感動が生まれない。

「正論」という大げさな言葉で賞賛した人はいったいどういうつもりだったのだろうか。
デヴィ夫人はトンチンカンなことしか言わないと思っていたのか、それとも彼女が庶民代表のふりをして麻生(上流階級)批判すると考えていたのか。だとしたら、デヴィ夫人という人をよく知らないせいで「お約束」に驚いたことになる。
それとも、単に自分の意見と同じだから「正論だ」とほめたのか。この場合は正論とそれ以外の区別が自分の好みだけになってしまい、とても危なっかしい。自分がどうしても好きになれない、むしろ反感さえ覚える「正論」もこの世にはある。いや、むしろ正論とは「良薬口に苦し」である場合のほうが多いのではなかろうか。甘い薬と効く薬は違う、ということを大人ならわきまえておくものだ。

お約束そのままの意見、自分が気に入った意見を安易に「正論だ」とほめたたえるのは危険である。
それは健全な常識というより思い込み(通念)の再確認でしかない。「正論」という言葉を気軽に使って磨り減らすのはそれこそもったいないことだ。
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万能薬、あるいは大さじ一杯の砂糖

2008年10月29日 | 「水からの伝言」
アメリカの小説を読んでいると、あちらの人は体の具合が悪いとき「アスピリンさえ飲めば大丈夫」という感じで気軽に飲みまくっている印象を受ける。頭が痛いといってはアスピリン、疲れたといってはアスピリン。あくまでも小説を読んだだけなので実際どうなのかは知らない(無責任)。
アメリカ人は「万能薬」好きなのか。そういうものがあればそりゃ便利だよね。
でも、本当になんでもかんでもアスピリンで大丈夫なの?

kagaku331: あれっと思った話
市の広報誌に,廃油から石けんを作るという記事がありました。
 その中で,「あれっ!」と思ったことがありました。

 廃油石けんは,良くある話で,油をそのまま捨てるとCODを上げるので,使える物にするという発想は悪くないです。
 しかし,油を石けんにするには,アルカリ性の水溶液と反応させなければなりません。
 水と油ですから,それをうまく混じり合わせるのにアルコールや洗剤など,界面活性剤を加えます。
 そして,加熱してかき混ぜます。
 この時注意しなければならないのは,かき混ぜている液がはねたりして皮膚に触れないようにすることです。
 温度の高いアルカリ性の水溶液は,タンパク質をとかすはたらきが大きいからです。

 広報誌には,その石けんづくりの時にEM菌を入れるので,環境浄化にも役立つことが期待されるという話がありました。


アメリカのアスピリンほどではないが、日本には「EM菌」なるものがあって愛好者はどこでもなんにでも混ぜたがるようだ。
もっとすごい(ひどい)例が幻影随想で紹介されている。

幻影随想: ニセ科学の総合商社としてのEM

セラミックの材料にEM菌を混ぜるとありがたい効果あるのだとか。
黒影さんが突っ込んでいる通り完全にナンセンスなのだが、たぶん愛好者の耳には届かないのだろう。
鰯の頭も信心というかなんというか。

「なんにでも混ぜたがる」という点で、ある種のおせっかいな人たちを思い出した。
私が料理をしていると「あ、これを混ぜるとおいしくなるから。絶対だから!!」とか言って横から手を伸ばしてくる人がいる。「化学調味料愛好家」だったり「砂糖好き」だったり「醤油マニア」「バターファン」「蠣油信者」「豆板醤教徒」「オリーブオイル友の会」などなど。
味の好みは自由だから、自分の家で自分が料理するときは甘かろうと辛かろうと何でも好きに入れればいい。
でも人が料理してるときに横から手出しするな!うっとうしいんじゃボケ!!(なぜか関西弁になる)

人間の味覚の基本として「甘み」と「油」が好まれるのは確かだ。料理の本にも「隠し味として砂糖を少し入れる」とか「カレーの仕上げにバターを大さじ一杯」などと書かれている。
とはいえ、「それさえ入れればおいしくなる」とか「たくさん入れれば入れるだけ良くなる」というものでは断じてない。一人前のドレッシングに一つまみの砂糖を入れるのは結構だが、大さじ一杯は悪夢だ。カレーにバターを入れるのはいいけれど、肉じゃがには合わない。

EM菌なるものの場合は、適切に使えばある程度の効果はあるようだが(その辺が微妙なところ)、アメリカ人のアスピリンのごとく気軽に万能薬として使いまくっていいものじゃない(「EM菌投入は河川の汚濁源」kikulog)。
世の中に実際に万能薬があれば便利だけど、多くの場合「万能と信じたいから万能と思い込む」確証バイアスが働いているようである。

EM菌(万能薬)愛好家の「いつでもどこでもEM菌」の安直さは「おいしさの秘訣は隠し味の砂糖」という情報(これ自体は事実)を聞きかじった料理の素人が「とにかく砂糖を入れればおいしくなるんだ」と思い込むようなものではないか。
煮込み料理に砂糖、は別にいいけれど大量に入れてギトギトに甘くする。玉子焼きならともかくオムレツにもスクランブルエッグにも砂糖。ゆで卵にも砂糖を付けて食べる。果ては冷奴や刺身にも砂糖をふりかけて「おいしいおいしい」と喜ぶ。
…さすがにそこまでやる人はいないだろうけど、もしいたら味覚障害はもちろん糖尿病が心配だ。そんな食生活を続けていたら体をダメにしてしまう。

伝え聞くEM菌愛好家の行状は「なんにでも山盛りの砂糖」と大差ないように思われる。
特に問題なのは、EM菌発明者の比嘉教授自身が「いつでもどこでも(大量に)」という普及戦略をとっていることだ。自分の発明品が有用だと信じ、広く使ってほしいと願う気持はわかるが、それにしても度が過ぎる。
小林カツ代やグッチ裕三が「きょうの料理」で「どんな料理にもたくさん砂糖を入れましょう」「入れれば入れるだけおいしくなります」などと言えば大ひんしゅくだが、EM菌の場合それに近いことがまかり通っている。困ったものだ。

ちなみに、北海道(道東)ではアメリカンドッグに砂糖をまぶして食べるそうである。秋田では納豆に砂糖を混ぜるとか。
私の住んでいる地方でも、家によっては赤飯に水煮した小豆ではなく「甘納豆」を入れることがある。初めて食べたときは衝撃的だった。
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お上手(2)

2008年10月27日 | 政治・外交
書き終わったあとで気付いたのだが、前の記事「お上手」は人によっては「民は依らしむべし、知らしむべからず」「愚民のすすめ」のように感じられるかもしれない。政治家に「国民なんて甘い言葉でたぶらかしておけばいい」と勘違いさせ、有権者には「政治家が気持ちよくしてくれたらそれ以上考えなくていい」と思考停止を勧めているように見えるかもしれない。
そんなつもりは全然なくて、逆に「そうなっちゃまずい」と言いたかったのだが、説明不足で逆の意図に読まれてしまいそうだ。あわてて説明を追加する(蛇足かも)。

政治家
 ・ 政治家は「お上手」を使うものである
 ・ 「お上手」を使いこなせば支持が集まり、やりたい政策が実現できる
 ・ 逆に下手を打ちつづけると見放されてなにもできない
 ・ 「お上手」は政策実現の手段であって目的ではない
 ・ 「お上手」だけの政治家も、必要なとき「お上手」が使えない政治家も二流

レストラン経営にたとえるなら
「料理(政策)もサービス(お上手)もどちらも大事にしないと客を呼べない」

国民
 ・ すべての政治家は「お上手」を使うものだと知る
 ・ 「お上手」と真に自分たちのためになる政策を区別して評価する
 ・ 「お上手」ばかりの政治家をもてはやしてはダメ(これはわかりやすい)
 ・ 「お上手」の使えない政治家を持ち上げるのもよくない(愚直さと愚かさはときに区別がつかない)
 ・ 両方バランスの取れた政治家が一番使える

レストランのたとえなら
「大事な人と行くなら『雰囲気だけで味の悪い店』も『味がよくても雰囲気の悪い店』のどちらも選ばない」

小沢一郎
 ・ 「お上手」を使う能力があるのに出し惜しみしている
 ・ さらには無駄に「客」を怒らせるようなことをする
 ・ シャイなのか不器用なのか傲慢なのか知らないが、結局は本人と「店」が損するだけ

レストランでサービスの悪さを指摘された従業員が
「役職に付けてくれないとやる気が出ません」
「マネージャーになったらちゃんとサービスします(安月給でヘコヘコできるかよ)」
などと言えば昇進の見込みはゼロだろう。ヘビースモーカーの禁煙の誓いと同じくらい説得力がない。

リップサービスという言葉もあるが、私の言う「お上手」はもっと広い意味になる。
リップサービスだとそれこそ口先だけだが、「お上手」は全身を使う演技だ。相手を喜ばせるちょっとしたプレゼントとか骨折りも「お上手」に含まれる。
マスコミではパフォーマンスという言葉が良く使われるけれど、手垢が付いているのと「ただの演出」「真の実力」両方の意味がごちゃ混ぜになっているのがいやだ。「政治家のパフォーマンス」と言えばたいてい悪口だし、F1で「中嶋はよいパフォーマンスを見せた」と評価されたら実力を認められたことになる。

私の苦手な分野だが、恋愛にたとえてみる。
政治家が「お上手」を駆使するのは恋をした男が女性の気を引こうと優しさや頼もしさ、賢さや面白さをアピールするのに似ている。
乱暴にいうと男の恋愛衝動の中心には性欲があるのだが(乱暴すぎるかな)、「本質だけが大事なんだ、恋の駆け引きなんていらない」という愚直な価値観で好きな女性にいきなり性交を持ちかけても成功する確率はゼロに等しい。ひっぱたかれるのがオチだ。
面倒くさくても相手の気持を大事にしてうまく恋愛関係を作り上げないと何も手に入らない。苦労が実り恋が成就して幸せな家庭を築き、円満で末永く暮らせば本人のみならず社会の幸福である(修身の教科書かよ)。
…そういう道から外れて立ち戻る見込みのない私がこんなことを言っても説得力ないけれど。

女性のほうから見れば、ティーンエイジャーならいざ知らず大人の女性であれば「男なんて基本的にしょうもない生き物である」ことはとっくにわかっている。それでも「男ってバカだけどかわいい」とか「時には頼りになる」と感じて(勘違いして)恋などするのだろう(たぶん)。せっかちな男のアプローチをうまくいなし、相手の正体を見極めてどの程度の関係を持つか決めるのが賢い女性だ。
賢い有権者は賢い女性のように政治家を冷静に判断し、そして欲得ずく(「プレゼント買って」)だけじゃない温かい目で見守る。乱暴で身勝手な野郎にはお引取り願い、調子がよくて口先だけの軽薄男も相手にしない。

小沢氏のインド首相会談キャンセルとそのあとの下手糞な釈明は、有権者に本気でアプローチ(求愛)しているはずの男が身勝手で興ざめな一面を見せたようなものだ。デート中は「こちらに向けたいい顔」だけじゃなく「第三者に向けた横顔」も観察されている。店員さんに横柄な態度だったり、逆に卑屈になったりしたら必ず見破られる。すでに恋に落ちていれば気にならないかもしれないが、品定め中なら評価が暴落してしまう。
女心は微妙なのである。何度となく痛い目にあってきた私の実感だ(泣)。
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お上手

2008年10月26日 | 政治・外交
政治家は言葉が商売道具である。
民主国家の政治家は自分の考えを広く説明し、国民の同意を得ないと政策が実現できない。
彫刻家がノミを大事にするように、政治家は言葉を大事にするはずだ。
それなのに、次の総理とも目される有力者がぞんざいな言葉遣いをしている。
私は小沢氏の支持者じゃないけれど、なんだか悲しくなる。

asahi.com:印首相との会談欠席 小沢氏「首相じゃないから」と釈明 - 政治
 民主党の小沢代表は24日の青森市での記者会見で、前日のインド・シン首相との会談を体調不良を理由に欠席したことについて「総理大臣になって首脳会談ということなら、多少体調が悪くても欠席することはない。私、野党だから。総理大臣じゃない。国務大臣でもない。勘違いしないでください」と述べた。


小沢氏の体調問題、シン首相との会談欠席問題はこのさい批判しない。私が悲しく思ったのは小沢氏の釈明だ。
「釈明」と言うけれどこれが釈明になっているだろうか。むしろ逆切れである。
「勘違いしないでください」という言葉から小沢氏の「問題視されること自体が不快」という思いが伝わってくる。

小沢氏の本音は、まあどうでもいい。
本当に不快に感じてそのまま口にしたのであれば正直だ。上に「馬鹿」が付くけれど。
小沢氏の「釈明」はまったくもって誰の得にもならない。アンチ小沢の人たちを喜ばせただけである。小沢氏の傲慢イメージは強まったし(2ちゃんねるはてなブックマークの反応)、インドの人が聞いたら不快に思うだろう。そこまでして「私、野党だから」「勘違いしないでください」にこだわる必要があるのかといえば、私には想像もつかない。言わないほうがマシな最低の言い訳だった。

世の中には「お上手」というコミュニケーションのテクニックがある。
事務的じゃなく、かといって露骨なお世辞でもない、微妙に相手の心をくすぐる言葉の技だ。
辞書には「お世辞。見えすいたほめ言葉。」と載っているけれど、ここでは「相手のテクニックとわかっていても(あるいは気付きもせず)つい気持ちよくなってしまうコミュニケーション能力」の意味で使う。

私自身は無神経で口下手なので実際に使いこなせはしないけれど、「お上手」な人にはいつも感心させられる。何十年も顧客対応を工夫してきたサービス業のベテランは本当にすごい。
以前とあるレストランで食事をしたとき不快なことがあって「マネージャーとお話させてください」と言ったことがある。そのとき出てきた人のことが忘れられない。Mさんという50代の女性なのだが、とにかく丁寧で親切そのもの。こわばった心がマッサージされるようで「この人と話すだけで不快感は消えた、その他の対応はなにもいらない」とさえ思ってしまった。5分後には眉間のシワが笑顔に変わっていた。
意地悪な見方をすれば「うまい言葉で丸め込まれた」のだが、後になって思い返しても不快な感じはいっさい起きなかった。
具体的にMさんが何を言ったのか実はあまり覚えていない。ちょっとしたチャームの魔法にかけられたようなものだから、心がフワフワして記憶力が(たぶん判断力も)まともに働かなかったのだろう。
もちろん、彼女のような人はざらにはいない特殊能力の持ち主である。ああいう人が詐欺師になったら社会に大きな損害を与える。とはいえ、というかだからこそ、サービス業じゃない素人も「お上手」のテクニックを知っておいて損はない。

小沢氏のような状況で「お上手」な人ならなんと言うだろうか。
私は残念ながら「お上手」じゃないのでうまい言い方を思いつかないが、ない頭を絞って考えるとこんな風になる。

 「はるばるおいでいただいたシン首相とお目にかかれず申し訳ありません。
  私自身もたいへん残念に思っています。
  近日中に民主党が政権をとりますので、来年にでも総理としてインドを訪問し埋め合わせしたいと願っております。
  本場のカレーを食べるのが今から楽しみです」

シン首相を無用に貶めず、小沢氏が傲慢とそしられることなく、民主党の政権獲得意欲もアピールできる。
あくまでもこれは最低限であって、本当に「お上手」な人であればもっとウィットを利かせて聞くものの顔をほころばせるだろう。
冷静に考えると、小沢氏が本当に総理になれるかどうか、インド訪問が実現するかどうかは単なる願望でしかない。だが小沢氏が聴衆に「うまいこという」「気が効いてるね」と思わせればそんな難癖はつけられない。文句を言うほうがほうが野暮になる。

小沢氏と対照的に「お上手」の名人だったのが小泉元総理である。
言葉よりも万国共通のボディーランゲージに秀でていた。

 
世界の首脳を笑顔に(クリックで拡大します)。


 
だれもが「面白い男が来た」と感じる。


   
子供のように興味を示し、楽しむ。

小泉純一郎の行くところどこにでも笑顔があった。
(これは小泉氏の「お上手さ」つまり社交的魅力をほめているので、政策の評価ではない。小泉嫌いの方々には「ネオリベが!」とか「格差が!」といった批判はお門違いだとあらかじめご注意申し上げる)

小泉氏のように天才的な人たらしの真似をする必要もないが、小沢氏はせめてがさつな言葉を使うのをやめてほしい。高倉健じゃあるまいし、いい年して責任ある立場の人間がいつまでも「不器用ですから」で済ませていたら甘えである。
小沢氏はがさつな言葉しか使えないほど言語能力が低いわけじゃない。選挙の応援演説ではちゃんと聴衆の心をつかむ。参院選だか補欠選だか忘れたが、地方の住宅街で「ミカン箱演説」をしたときは私も「なかなかやるな」と感心した。
それなのに、外国の賓客との会談をすっぽかしたときの釈明は無神経そのもの。自分の得になること(選挙応援)に使う神経はあっても、インドの首相のために使う神経はないのか。計算高いというかさもしいというか、決して尊敬できる姿ではない。
「勘違いしないでください」といった傲慢な言葉は小沢氏自身と支持者が損をするだけだ。それこそ野党であるうちは「ご勝手にどうぞ」だが、本当に総理になったら国民の士気や日本のイメージまで下がる。いつも不景気な顔の福田総理はズルズルと支持率を下げたが、このままだと「小沢総理」はそれ以上にメディア対応に失敗するだろう。
ついでに言うと福田氏はいつでもどこでも仏頂面で皮肉っぽいので、損得で態度を使い分ける小沢氏のような浅ましさは感じられない。私は福田氏のキャラクターは今でも好きである(世間受けしないのは無理もないが)。

小沢氏よ、お上手になれ! …とは言わないが(できるとも思えない)、私のようなものから「下手糞だなあ」と思われない程度には言葉の技を磨いてほしい。
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「闇の代理出産マーケット」

2008年10月16日 | 代理出産問題
NHKで放送された「闇の代理出産マーケット」(デンマーク製作)を見た。
期待したとおり、「お涙ちょうだい」ではない立派なドキュメンタリーだった。多くの人に見てほしいがBSのみの放送では期待できない。地上波で放送してくれれば一番なのだがあまり期待できそうにない。せめて番組内容を書き起こして紹介する。
番組はデンマーク人依頼者とペルー人「代理母」の間で起きたトラブルを縦糸に、イギリス・インド・アメリカの「代理出産」事情を横糸として描く。
(文中「代理出産」「代理母」とカッコを付ける理由はこちらを参照)




 「あの子たちは私の子供です。ほかの誰の子供でもありません」
悲しげな表情の女性。

ナレーション
 アメリカのこの「代理母」は、三つ子の赤ちゃんを出産し報酬を手にしましたが、今も後悔しています。
 ヨーロッパのほとんどの国は、赤ちゃんを第三者に産んでもらう「代理出産」を違法行為としています。
 しかし多くの子供のない夫婦が「代理母」を探しています。

デンマーク人のカップル、キルステン(妻)とヘンリック(夫)が登場。
キルステンは糖尿病のため子供が産めない。
夫はそれを承知で結婚したが、やがて二人は子供を持ちたいと望むようになる。
養子を望んだが健康状態が問題とされ認められない。
テレビを見て「代理出産」について知り、インターネットで「代理母」を募集。
ペルーに住む25歳の女性、ティファニーが「代理母」をやりたいと連絡してくる。
費用は15.000ドル。

 「目の前のチャンスに賭けたんです。
  これを逃したら、もう二度とチャンスは来ないかもしれない。
  そう思って、一か八かやってみることにしたんです」
 デンマーク人「代理出産」依頼者 キルステン

 「まるで子供を注文して購入するようなものです。代理母になる女性も物のように扱われるのです」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク

キルステンとヘンリックはペルーを訪れ、ティファニーに「代理出産」を依頼する。
一回目の分割支払金1.800ドルを支払い人工授精を行う。




ヨーロッパでは例外的に代理出産が認められているイギリス。

 「話を聞いたとき、頭の中に光が射したみたいでした。明快で、理にかなっていたからです」
 「代理出産」依頼人 リンダ・コーエン

 「代理出産は、子供を作って家族を増やしたいという私たち夫婦の願いを実現できる方法だと思いました」
 「代理出産」依頼人 ニール・コーエン

 「私にもできるんじゃないかと思って、詳しく調べてみると本当にすばらしいことだとわかったんです」
 「代理母」 リンダ・ジョーンズ

テレビ番組を見て「代理出産」に興味を持ったリンダはコーエン夫妻のために男の子を出産。
再び依頼を受けて二回目の「代理母」となる。
「代理母」は必要経費のほかに最高10.000ポンド(約80万円)を受け取る。

 「お金目当てで引き受けてるわけじゃありません。
  もちろん、時間や労力に対する報酬は受け取りますが、もし何か問題が起こっても何の保証もないんです」
 「代理母」リンダ・ジョーンズ

 「代理出産を批判する人たちに、うちの家庭を見てもらいたいですね。
  道徳に反するなどというのは心ない非難です。
  これは、人が人のためにできる最高の贈り物なんです。金で買えるものではありません」
 「代理出産」依頼人 ニール・コーエン




チリの「代理母」ティファニーが妊娠し、キルステンとヘンリックは9.000ドルを送金。
その後ティファニーとの連絡が途切れる。心配するキルステンとヘンリックのもとに「交通事故にあって流産した」という知らせが入る。ティファニーは無事。凍結保存されているキルステンの精子を使ってもう一度「代理出産」をやりたいという。デンマーク人依頼者は1.200ドルを送金。




ナレーション
 途上国には、欧米の夫婦と代理出産の契約を結びたいと望む貧しい女性がおおぜいいます。
 インドは代理出産の新しいマーケットとして台頭してきました。
 外国人夫婦のために、8.000ドルで代理出産をするというインド人の女性に話を聞くことができました。

 「去年、夫が失業してしまって生活が苦しいんです。それで、『代理出産』を引き受けることにしました」
 インド人「代理母」

不妊治療専門クリニックでは卵子提供者と『代理母』を1万~2万ドルで斡旋。欧米の不妊カップルには魅力的な価格。
インドでは遺伝的な親の名前で出生証明書を出すことが認められている。

 「代理母の大半は非常に貧しく生活に困っています。
  しかし大量のホルモンが投与される『代理出産』は女性の肉体に対する暴力なのです。
  依頼者の支払う料金の大半はクリニックの懐に入り、代理母には約束どおりに支払われません。
  私は長年反対運動を続けてきたので、こうしたひどい実態を把握しています。
  代理母に話を聞こうとしても口を開いてくれません。
  余計なことを言ったら金を払わないと脅されているからです」
 インドの産婦人科医 プニート・ベディ

ヨーロッパで代理出産を禁止しても、子供の欲しい人たちが途上国に向かう抜け道がある。

 「実に嘆かわしいことです。
  金の力で発展途上国の女性の自由や子供の人権を奪い、搾取をしているのです。
  代理出産は新たな帝国主義の表れといえます」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク

 「ヨーロッパはいわゆる高い倫理基準を設けていますが、
  これは子供を持つ自由を禁じる措置に他ならないと思います。
  それが結果的に誠実で良識ある人々を闇のマーケットに走らせます。
  代理出産の技術は確立していますから、子供をほしいと思うあまり、
  闇のマーケットに頼ってでも実現しようとするのです」
 アメリカ・フロリダ州の家族間問題専門弁護士 シャーロット・ダンシュー




取材班はペルーに飛ぶ。ペルーでは「代理出産」は違法行為。
だが子供のない欧米人カップルのプロフィールをインターネットに掲示すると、すぐに「代理母」志望者から連絡が入る。
取材班はティファニーの家を訪ね「事故」の真相や二回目の妊娠について質問する。
ティファニーは言を左右にして言い逃れする。




イギリスの「代理母」リンダが出産。
イギリスでは万一「代理母」が心変わりしたら生まれた子供を自分の子にできる。

 「友だちの赤ちゃんを抱いているような感じですね。
  とってもかわいいけど私の赤ちゃんじゃないし、育てるわけではありませんから。
  この子は、依頼人の両親と家に帰るんです」
 「代理母」 リンダ・ジョーンズ

後になってリンダは「赤ちゃんと充分な時間をすごせなかった」と取材班に不満をもらす。
帝王切開とテレビ取材のストレスで体調を崩して落ち込む。その後、リンダとコーエン夫妻は口をきいていない。




アメリカ・ペンシルベニア州では「代理出産」の法規制がまったくない。

 「人の役に立ちたいと思ったんです。三人の子宝に恵まれたことへの感謝の気持からです」
 「代理母」 ダニエル・ビンバー

依頼者は59歳と62歳のカップルだが、ダニエルとの面会時に年齢を若く偽る。
「代理出産」で三つ子を妊娠。出産時の立会いが問題となりダニエルと依頼者の関係が険悪化。
依頼者は赤ちゃんをなかなか引き取りに来ず、ダニエルの退院時にも姿を見せない。
依頼者への不信が募り、三つ子への愛着を感じたダニエルは親権を求める訴訟を起こす。

 「最先端技術や生命倫理の分野で、どんな問題が発生しうるか、依頼者はどんな行動をとるのか、
  どんなシナリオが考えられるか、司法はこのような問題を予想し、
  対策できる枠組みを作る必要があります。事が起きてからでは遅すぎます」
 ピッツバーグ大学法律学教授 アン・シフ

最終的な判決が下され、三つ子の親権は依頼者にあるとされる。

 「この子たちは私の子供です。ほかの誰の子供でもありません」
 「代理母」 ダニエル・ビンバー




デンマークの「代理出産」依頼者、キルステンとヘンリックはペルー人「代理母」ティファニーの嘘に翻弄される。金を送らせておいて子供は引き渡されない。本当に妊娠したのかどうかさえ疑わしい。
ティファニーの友人がやはり「代理母」を志願していると聞かされデンマーク人カップルに紹介するが、そちらもトラブルになる。
デンマーク人依頼者たちは自分たちの子供が売り飛ばされたのではないかと心配している。

 「私たちと同じつらい経験をほかの人にはさせたくありません。
  いつかあのような犯罪をなくしたいと思っています」
 「代理出産」依頼者 ヘンリック・ニールセン




「代理出産」賛成派の意見
 「相手は世界をまたにかけて人を食い物にする強欲な犯罪者です。
  子供をほしいと願う人の金を奪い、精神的にも大きな打撃をあたえます。
  もし各国の政府がフロリダ州と同じように『代理出産』の技術が存在することを認め、
  司法制度や弁護士を通じて監督・監視・責任を追及する体制を整えれば、
  倫理に反しない正しいやりかたで『代理出産』を行うことができるのです」
 家族間問題専門弁護士 シャーロット・ダンシュー

反対派の意見
 「実際に詐欺にあった人がいたからといって、『代理出産』の合法化を進める理由にはなりません。
  倫理的に越えてはならない一線があるからこそ規制するのです」
 デンマーク倫理評議会議長 オーレ・ハートリンク




私の感想。

・ デンマーク人依頼者には同情できない
デンマークでもペルーでも禁止されている「代理出産」を依頼した時点ですでに違法なのだから、だまされても自業自得である。金銭の詐取を訴えてもデンマーク・ペルー両国で相手にされないだろう。こう言っては悪いが、麻薬取引のトラブルと同じだ。「代理出産」の依頼は法律が保護する正当な権利ではない。ヘンリックが「いつかあのような犯罪をなくしたいと思っています」というのを聞いて「最初に法を破ったのはあなたたちでしょうに」とあきれてしまった。
詐欺を行った「代理母」が実際に出産していたら子供の行方が問題になるが、個人的にはその可能性は高くないように思う。子供をよそに売るよりも人質にして依頼者を脅迫したほうが確実に大金を得られる。そうしていないのだからたぶん妊娠・出産そのものが嘘なのだろう。

・ イギリスの「代理出産」にも問題がある
代理母が妊娠・出産中に健康を損ねても「何の保証もない」のであれば恐ろしいことだ。依頼者の「人が人のためにできる最高の贈り物」という言葉は無責任で自分勝手なきれいごとでしかない。
「すばらしいこと」と言っていた代理母も精神的に不安定となり依頼者との関係を絶った。やはり「代理出産」は母性をねじ曲げる不自然で残酷な行為だ。

・ インドでも「代理出産」に反対する産婦人科医がいた
「インドの文化は『代理出産』に親和的」という説があったので反対派はいないのかと気になっていた。
インドが「代理出産」を認めるか認めないかはインド国民が決めることだが、「代理母」と子供の人権は何よりも大事にされなければならない。

・アメリカの「代理出産」はどうなっているのか
ペンシルベニア州のように何の規制もないというのはひどい。
…と思ったけれど、日本でも「代理出産」を規制する法律はなく、日本産婦人科学会の規定で禁止されているだけという状況なので偉そうなことは言えない。

・ 番組の結論はどちらなのか
全体的には「代理出産」に批判的だった。
イギリス人「代理出産」依頼者の「代理出産は最高の贈り物、金で買えるものではない」というきれい事の後に、まさに金目当てで「代理出産」(代理母詐欺)が行われる現実を描く構成は皮肉が効いている。だが最後のまとめでは賛成派の意見を反対派の意見より長く言わせていた。
これは「デンマークでは代理出産反対が多数派なのであえて異論を伝えた」のか、それとも「代理出産合法化が番組制作者の本音だった」のか、どちらなのかわからない。

・ 日本的な問題
日本で「代理出産」が容認された場合特に心配される「家族と周囲による強要」の視点がなかった。欧米では問題になっていないとしても(本当はどうなのか知らない)日本では確実に起きる。学術会議の答申(pdf)から引用する。

代理懐胎の依頼または引受けに際して、自己の意思でなく家族及び周囲の意思が決定的に作用することも考えられる。とりわけ、「家」を重視する傾向のある現在の我が国では、(義)姉妹、親子間での代理懐胎において、このような事態が生じることが懸念される。さらに、このようなことが繰り返されるときには、それが人情あるいは美徳とされ、それ自体が一つの大きな社会的圧力にもなりかねない。

私は「代理出産」が合法化されることよりも「代理出産」が美談にされることのほうが怖い。
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軽自動車には軽油だよねー。

2008年10月08日 | 光市母子殺害事件
もちろんそんなことをしてはいけない。

念のために言っておくと、私の知る限りすべての軽自動車は「ガソリンエンジン」を搭載している。軽油は「ディーゼルエンジン」用の燃料なので、ガソリンエンジンに入れると故障する。
たいていの人は「まさかそんなバカなことを」と思うだろうが、「軽自動車には軽油」を実行したドライバーが全国でトラブルを起こしている。原因はガソリンの値上がりとセルフ式スタンドの増加。

livedoor ニュース - ガソリン高騰でトラブル急増 セルフで軽油給油、エンスト
首都圏の一都三県で4月~6月に153件のトラブル
JAF本部はJ-CASTニュースの取材に、首都圏の一都三県で緊急調査したところ、07年4月~6月で153件のトラブルが見つかった、と明かした。07年に入って燃料の入れ違いによる救援依頼が急激に増えたことに疑問を持ち、トラブルのデータを分析したところ、こんな結果が出てきたのだという。トラブルの多くは、セルフ式のガソリンスタンドでガソリン車なのに軽油を入れてしまった、というものだそうだ。これを受けて、JAF愛知支部も東海4県と北陸3県でも調査を実施した結果、07年7月~9月の間に計232件発生していたことがわかった。

間違って軽油を入れた場合どうなるのか。「JAF Mate」07年11月号によると、エンジンの力が無くなり白煙を噴きエンスト。仮にガソリンと軽油を50%ずつ入れると約5キロメートルで走行不能になる。軽油100%では500メートルで止まってしまう。こうなると、整備工場やディーラーで軽油を抜き洗浄しなければならず、部品が壊れるケースもあるのだという。

では、なぜガソリンと軽油を間違ってしまうのか。JAF愛知支部は「ガソリンスタンドの店員や車の知識があるドライバーなら間違うことは通常ありえない」という。さらに、

「ガソリン価格が高騰していますから、できるだけ安いガソリンを買おうとセルフ店に行って、さらに、軽油の方が安いから軽油を入れる、という例があります。また、軽自動車だから軽油、と勘違いするドライバーもいるようです」
と説明した。

まったく困ったものである。
「運転するなら自分の乗ってる自動車の仕組みについて最低限の知識を持ってくれ」と思う。
そう、無知はトラブルの元なのである。
自分自身が損をするだけではなくて、公道の真ん中でエンストすれば事故や渋滞の原因となり社会全体の損失となる。本当に困るのだ。

「軽自動車に軽油」と同じくらい、いやそれ以上に私が「困ったものだ」と思うのが、先日広島地裁で判決が下った懲戒請求騒動である。
懲戒請求を煽った橋下弁護士も、煽られた請求者たちも「軽自動車に軽油」の同類だ。
自分の住んでいる社会の仕組み(司法制度の基本)を知らずに無茶をやる人がある程度いるのは仕方ないが、無茶を応援し、判決や社説でいさめられても聞き入れない人たちがびっくりするくらい多い。その点が「軽自動車に軽油」問題と違うところだ。

広島地裁の判決(要旨 判決文前半後半pdf)で明快に記されているとおり、光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を煽った橋下弁護士の行為にはまったく正当性がない。広島地裁は「デタラメを広めて世間を煽った橋下弁護士は弁護士失格だ」と宣告したのに等しい。橋下弁護士自身も「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪し「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます」と反省している(そのくせ控訴するというのは意味不明だが)。
「軽自動車に軽油」のたとえを使えば、「軽自動車には軽油を入れましょう、お得です」と宣伝したガソリンスタンドが厳しい処分を受けたようなものだ。それなのに、だまされた客の多くがいまだに「軽には軽油だよね」と言い合っている。実に情けない。

懲戒請求支持者の問題についてコンパクトにまとめられたブログ記事がある。とてもわかりやすいので「弁護団けしからん」「懲戒請求は当然」と思っている人にぜひ読んでほしい。

橋下弁護士VS弁護団-天狗の庭
弁護団批判および橋下弁護士支持のコメントは、3つに分かれるんじゃないかな。
1.事実誤認。
2.刑事手続、および人権への無知。
3.懲戒請求制度への無知。


「事実誤認」についてはマスコミの責任が大きい。私自身も「弁護団は裁判を死刑廃止運動に利用している」というデマを鵜呑みにしてしまったことがあり、えらそうなことは言えない。
「懲戒請求制度への無知」も仕方ない部分がある。実際に弁護士を依頼した経験のある人は少ない。弁護士から被害(「腹が立つ」程度ではなく実質的被害)を受ける可能性がなければ懲戒請求について知る必要もない。「和の国」日本で訴訟沙汰が嫌われてきた結果である。

だが、「刑事手続、および人権への無知」はとても見過ごせない大問題だ。
刑事裁判は社会を維持するのに欠かせない重要なメカニズムであり、人権は人間らしく生きるための基礎である。本来まともな社会人であれば最低限の常識としてわきまえていなければならないはずだ。ところが、懲戒請求騒ぎで橋下弁護士を支持する人たちの意見を読むと、「軽自動車には軽油」レベルの思い込みばかりが目立つ。というか、それしかない。
来年からは裁判員制度も始まるというのに、こんなありさまではいったいどうなってしまうのかと暗い気持になる。

「軽油で走る軽自動車がほしい」と思うこと自体は個人の自由である。
だが、現実の車、ガソリンで動くように設計された軽自動車に軽油を入れて走らせようとするのは無茶だ。「個人の自由」というようなものではなく単なる愚行でしかない。常識ある人間はやらないし、誰かがやろうとしていたら止める。親切というよりも道の真ん中でエンストされたら大いに迷惑だからだ。
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Rugemor til salg (売買される代理母)

2008年10月06日 | 代理出産問題
NHK-BS1で「代理出産」のドキュメンタリーが放送される予定。

BS世界のドキュメンタリー シリーズ 子どもがほしい「闇の代理出産マーケット」
~2007年 デンマーク DR制作~
10月13日 月曜深夜[火曜午前] 0:10~1:00
不妊のカップルが第3者の女性に精子を提供して子どもを出産してもらう「代理母出産」。ヨーロッパの国々では代理母出産が殆ど認められていないため、インターネットなどで海外の代理母を捜しトラブルに巻き込まれるケースが増えている。番組では、ペルー人の悪徳代理母に騙されたデンマーク人カップルのケースを追跡取材し、ペルーなどの途上国で見られる、先進国のカップルをターゲットにした闇の代理母マーケットの実態に迫る。


「デンマーク "代理出産"」で検索したら、隣国スウェーデン在住で "BABY BUSINESS" 問題に関心を持つ人のブログを見つけることができた。こういうときネットの威力を実感する。

デンマークの代理母事情 - BABY BUSINESS
デンマークでは、Rugemor/代理母が禁止されている。しかしながら、海外に渡ってまで利用する人は多いということだ。渡航先は、インドなどのアジア。


デンマーク国営テレビのDRで、1月9日にドキュメンタリーが放映された。タイトルは、Rugemor til salg(売買される代理母)


実際に見てみないとわからないが、日本の多くの「代理出産」ドキュメンタリーのように依頼者目線べったりのお涙頂戴ではなさそうだ。
なぜか日本では「海外では代理出産が認められている」「代理出産容認は世界のトレンド」と思われているが、「ヨーロッパの国々では代理母出産が殆ど認められていない」のである。
「代理出産」が少子化対策に役立つというトンデモを言う人までいる。出生率の高さ(フランス=2.0 日本=1.3)で「少子化対策を見習うべき」とされるフランスでは、「生命倫理に関する2004年8月6日の法律」により「代理出産」契約は公序良俗に反して無効とされているのに。

「それでも海外で『代理出産』を依頼する人がいる、海外で貧しい女性の子宮を買わせるよりも日本国内で『代理出産』を認めるべき」という意見もある。とりあえずこれを「代理母自給論」と呼ぶことにする。
「食料自給論」が現時点では(そして予想される限りの未来において)夢物語であるように、「代理母自給論」も現実無視の理想論でしかない。「代理出産」の利用を希望するカップルは多く、「代理母」志願者は少ない。需給の不均衡はあまりにも大きく解決の見込みはない。
貴重な「代理母」の前には行列が並びコストは上がる。待ちきれない、あるいは安価な「代理出産」を求める依頼者が海外で「代理母」を求めるのは間違いない。
「代理出産」公認は潜在的依頼者の欲望の後押しとなり、かえって海外における「代理母」漁りを勢いづけるだろう。学術会議の答申に従い、フランスを見習って速やかに「代理出産」を法律で禁止すべきである。
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「判決が不当とは思わない」のに控訴?

2008年10月02日 | 光市母子殺害事件
懲戒請求煽りだけでも弁護士として恥さらしなのに、意味不明の控訴をしたらまさに恥の上塗りだ。
せっかく "good loser"になれる機会を得たのに、無意味な訴訟を続けるのは愚かである。

asahi.com(朝日新聞社):橋下知事「判決が不当とは思わないが…」控訴の意向
 山口県光市の母子殺害事件をめぐり、橋下徹・大阪府知事が知事就任前の07年5月、テレビで繰り広げた発言で2日、知事敗訴の判決が出た。

 橋下知事は「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げた。「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます。判決が不当とは思わないが、三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい」と述べ、控訴の意向を示した。


広島地裁の判決文については共同通信が詳しく伝えている。

弁護団懲戒請求の判決要旨 光市の母子殺害事件
 山口県光市の母子殺害事件の弁護団懲戒請求をめぐる訴訟で、橋下徹大阪府知事に賠償を命じた広島地裁の2日の判決の要旨は次の通り。

 【名誉棄損】

 被害者を生き返らせるためだったなどと弁護団が許されない主張をしているという被告の発言は、正確性を欠いているものの弁護団の主張と著しく乖離しない。弁護士が主張を組み立てたという発言は、刑事事件では被告人が主張を変更することはしばしばあり、本件でも原告らが選任される前の弁護人の方針により主張しなかったことも十分考えられる。創作したかどうか弁護士なら少なくとも速断を避けるべきだ。弁護士である被告が真実と信じた相当な理由があるとは認められず、発言は名誉を棄損し、不法行為に当たる。原告らの弁護活動は懲戒に相当するものではなく、そのように信じた相当な理由もない。

 【それ以外の不法行為】

 弁護士懲戒制度は弁護士会の弁護士に対する指導監督作用の一環として設けられた。だが根拠のない懲戒請求で名誉を侵害される恐れがあり、請求する者は請求を受ける者の利益が不当に侵害されないよう、根拠を調査、検討すべき義務を負う。根拠を欠くことを知りながら請求した場合、不法行為になる。

 マスメディアを通じて特定の弁護士への懲戒請求を呼び掛け、弁護士に不必要な負担を負わせることは、懲戒制度の趣旨に照らして相当性を欠き、不法行為に該当する。原告らは極めて多くの懲戒請求を申し立てられ、精神的、経済的な損害を受けたと認められ、被告の発言は不法行為に当たる。

 被告は、多数の懲戒請求がされた事実により、原告らの行為は非行に当たると世間が考えていることが証明されたと主張するが、弁護士の使命は少数派の基本的人権の保護にあり、弁護士の活動が多数派の意向に沿わない場合もあり得る。

 また刑事弁護人の役割は刑事被告人の基本的人権の擁護であり、多数の人から批判されたことをもって懲戒されることはあり得ない。被告の主張は弁護士の使命を理解しない失当なものである。

 被告の発言は懲戒事由として根拠を欠き、そのことを被告は知っていたと判断される。被告が示した懲戒事由は「弁護団が被告人の主張として虚偽内容を創作している」「その内容は荒唐無稽(むけい)であり、許されない」ということであるが、創作と認める根拠はなく、被告の憶測にすぎない。また荒唐無稽だったとしても刑事被告人の意向に沿った主張をする以上、弁護士の品位を損なう非行とは到底言えない。

 被告は、原告らが差し戻し前に主張しなかったことを主張するようになった経緯や理由を、一般市民や被害者遺族に説明すべきだったと非難するが、訴訟手続きの場以外で事件について発言した結果を予測することは困難であり、説明しなかったことも最善の弁護活動の使命を果たすため必要だったといえ、懲戒に当たらない。

 【発言と損害の因果関係】

 発言は多数の懲戒請求を呼び掛けて全国放送され、前日までなかった請求の件数は、放送後から2008年1月21日ごろまでに原告1人当たり600件以上になった。

 またインターネットで紹介され、氏名や請求方法を教えるよう求める書き込みがあり、ネット上に請求書式が掲載され、請求の多くはこれを利用していた。掲載したホームページには発言を引用したり番組動画を閲覧できるサイトへのリンクを付けて発言を紹介、請求を勧めるものがあった。

 多数の請求がされたのは、発言で被告が視聴者に請求を勧めたことによると認定できる。被告は請求は一般市民の自由意思で発言と請求に因果関係はないと主張するが、因果関係は明らかだ。

 【損害の程度】

 原告らは請求に対応するため答弁書作成など事務負担を必要とし、相当な精神的損害を受けた。

 もっとも呼び掛けに応じたとみられる請求の多くは内容が大同小異で、広島弁護士会綱紀委員会である程度併合処理され、弁護士会は懲戒しないと決定した。経済的負担について原告の主張そのままは採用しがたい。

 弁護士として知識、経験を有すべき被告の行為でもたらされたことに照らすと、精神的、経済的損害を慰謝するには原告らそれぞれに対し200万円の支払いが相当だ。


まともで立派な判決だと思う。常識と筋道に沿っている。文句をつける所が見あたらない。その点において「判決が不当とは思わない」橋下氏と私の意見は一致する。
まったく一致しないのは橋下氏が控訴を望み、そしてその理由をまともに説明できないことだ。

控訴を望むのが問題ではなく、まともな理由がないことが問題なのである。
日本の裁判制度は多審制であり、下級裁の判決に不満があれば控訴・上告すること自体は正当だ(ちなみにWikipediaによれば、日本の裁判制度は「少なくとも2階層の審級制」であり「三審制」と呼ぶのは通称らしい)。
ところが、橋下氏の場合は「判決に不満があるから控訴」という正当な理由を示していない。「判決が不当とは思わないが、三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい」とはどういうことか。これでは裁判すること自体を目的とした裁判を望んでいるとしか思えない。
仮に控訴が認められたとして、高裁も被告が「不当と思わない」地裁判決をそのまま踏襲するか、あるいは目的のない控訴を行って司法制度を愚弄した被告に厳しい判決が下されるか、そのどちらかになるだろう。

「判決が不当とは思わないけれど控訴」という発言自体が愚かしいのだが、橋下氏が弁護士であり、また大阪府知事でもあることを思うとますます呆れる。開いた口がふさがらないとはこのことだ。
私のような素人でも「目的のない訴訟を起こしてはいけない」とか「裁判所は『訴えの利益がない』訴訟を棄却する」ことくらいは知っている。裁判所は税金で運営される社会的インフラであり、無意味な訴訟で裁判官に無駄な仕事をさせるのは社会(納税者)からの窃盗に等しい。いたずらに訴訟を長引かせるのは相手側(この場合は今枝弁護士などの原告)への迷惑でもある。

仮に橋下氏が一般人で、「一般人は好き勝手に社会的財産を浪費していいんだ」とか「裁判を長引かせて原告に嫌がらせをしたい」と主張するのであれば、愚かで身勝手だと批判するけれどあきれ果てるところまでいかない。人間なんておよそ身勝手なものだ。私だってたいていの人に引けはとらない(自慢することじゃない)。
だが橋下氏は大阪府知事である。高い支持率を誇り、府政の建て直しを期待されている。財政破綻が危惧されている大阪のために、ときには熟慮し、ときには蛮勇を奮って(後者のほうが多いように見えるのが気になるが)「無駄な」事業の停止・予算カットに励んでいる。

その橋下知事が、「不当とは思わない」まともな判決を出してもらってなお控訴するとはどういうことか。
知事として大阪府の関わる訴訟について判断することもあるはずだ。担当者が「まともな(不当とは思わない)判決をもらいましたが、『三審制ということもあり、一度、高裁にご意見をうかがいたい』のです」という説明で予算(事務費・弁護費用等)を計上したら納得するのだろうか。「無意味な裁判を続けて無駄な仕事を増やし、予算を浪費するのはやめなさい」と叱るはずだ。「裁判は『お試し』や嫌がらせのためにやるものじゃない」と諭すはずだ。

橋下氏の「懲戒請求煽り」自体については、私はまったく同意も共感もしないけれど多少の同情はしていた。サービス精神の旺盛な人らしいし、「たかじんのなんでも言って委員会」という特殊な空気の流れる場所でつい「カッコいい」ことを言いたくなる気持ちはわかる。私もお調子者なので失言やカッコ付けには甘いのだ。後でちゃんと反省できればそれでいい。
その点、橋下氏が「原告の皆さん、光市母子殺害事件の弁護団の皆さん、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げたのは立派である。「私の法令解釈、表現の自由に対する考え方が間違っていたとの判断を重く受け止めます」という反省もすがすがしい。橋下氏がそのまま会見を終えていれば私も気持ちよく拍手できた。
残念ながら、意味不明な「高裁にご意見をうかがいたい」発言で台無しである。謝罪も反省もポーズだけかと思ってしまう。橋下氏が自分の正しさを信じていれば戦い続ければいい。不当な判決を認めず控訴するのは当然の権利だ。しかし、謝罪し反省し「判決が不当とは思わない」のに控訴するのはまったく筋が通らない。
このままでは「自己満足と嫌がらせのために裁判を長引かせる卑怯者」ということになってしまう。橋下氏は本当にそれでいいのか。いったい何を考えているのだろう。またしても「カッコいい」ことを言っただけなのか。府民の負託を受けた知事なのだから、お調子者もいい加減にしてほしいものだ。

橋下氏個人の名誉については正直言ってどうでもいいが、彼の支持者と大阪府のために惜しむ。
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