「ダ・ヴィンチ・コード」がベストセラーになったのは2004年だからもう4年前になる。
なんだかダメな臭いがしたのでずっと食指が伸び動かなかったのだけれど、このあいだ図書館で見かけて借りてみた。
ルーブル美術館のソニエール館長(実は秘密結社「シオン修道会」最高幹部)が閉館後の館内で射殺されるのが小説の発端となる。この殺人事件とダイイング・メッセージからしてコケおどしだ。
対立するカルト教団の暗殺者がとどめを刺そうとしないのが間抜けだし、撃たれた老人があんなに回りくどくて滑稽なダイイング・メッセージ(ウィトルウィウス的人体図の実演)をとっさの機転で残すなんてバカらしいにもほどがある。あまりにもアホ臭いので暗殺者と撃たれた側がグルなのかと思ったらそうじゃなかった。
警察の捜査が始まり、主人公のラングトン教授が現れるがこいつが作者の操り人形、個性も魅力もありゃしない。お話が面白ければ主人公がデクノボウでも気にならないが、残念なことにそうではない。「ハーヴァード大学宗教象徴学教授」という肩書きだがその地位に見合う知性は見せてくれない。雑多な知識の断片を小出しにするだけだ。
主人公の仲間は二人、フランス警察の女性捜査官(暗号の専門家)ソフィーとイギリスの宗教学教授ティービング。
ソフィーも個性が薄いが、美人という設定なのでまあいいや。エンターテインメントには色気が必要だ、特につまらない小説には彩りがあったほうがいい。といっても、エロチックなシーンはない。
ティービングはいちばん個性がある。十字軍の昔から続く秘密結社「シオン修道会」の研究者(というよりマニア)であり、爵位を持つ大金持ち。この爺さんが実質的な主人公といっていい。
敵はカトリックの伝統主義的な一派「オプス・デイ」の指導者と修道僧。小説中でオプス・デイは狂信的カルトとして描かれており、これはてっきり作者の創作なのだろうと思ったら実在する教団だった。こんな書き方をして作者は名誉毀損で訴えられなかったのだろうか。
オプス・デイ代表アリンガローサは例のごとく個性が薄いが、冒頭の事件で暗殺者となる修道僧シラスは特異な性格と容姿だ。カルト教団の狂信者であり、先天性色素欠乏症で白い髪と赤い瞳を持つ。内側に棘の付いた皮ベルトを身に付け、痛みをこらえ血を流して神の救いを求める。
シラスの設定はこのように魅力的なのだが、どうも期待したほどに活躍してくれない。アルビノであることも狂信者であることもストーリー中で生かされない。スター・ウォーズのエピソード1で魅力あるダース・モールがいまひとつ活躍せず、騒がしいだけのジャー・ジャー・ビンクスがヒーロー扱いなのを思い出してしまった。EP1を見た観客の9割は「ダース・モールは生きろ、ジャー・ジャーは死ね」と思ったはずだ。
ルーブル美術館館長暗殺事件はラングトンに濡れ衣が着せられそうになる。そこにソフィーが現れて半ば無理やり逃亡させる。実はソフィーは館長の孫娘であり、祖父からシオン修道会の運命を託されていたのだ。彼女にはラングトンの助けが必要だ。
…このあたり(全体の5分の1くらい)からいよいよダメ臭が強くなってくる。なんだか行き当たりばったりで、太古から続く秘密結社の凄みが感じられない。こんな間抜けなシオン修道会ならとっくの昔に滅び去っていただろう。
ルーブルを脱出したラングトンとソフィーはソニエールの隠した「聖杯」へと導く鍵を手に入れ、ティーピングに頼る。その後は要するにマクガフィンをめぐる追いかけっこ。
驚いたのは追いかけっこばかりの一日でストーリーが決着すること。「ダ・ヴィンチ・コード」という題名から重厚な作品なのかと思ってたのでがっかりした。これは私が勝手に期待したのが悪いので、単なるオカルト風味の「24」だと思えば腹も立たない。
そう、まさに「24」風味なのである。壮大なお話のように見せかけて実はハリボテ、「ガジェットを撒き散らしてにぎやかにすればお客は喜ぶだろう」という作り手の割り切りが見える。「よくできたエンターテインメント」と言うこともできるし「所詮エンターテインメント」とけなすこともできる。私の場合「24」は最初からエンターテインメントと思ってみたからそれなりに楽しめたが(パート2でうんざりして見るのをやめた)、「ダ・ヴィンチ・コード」には「薔薇の名前」のような重厚さを期待したので肩透かしを食った。
そういえばテサロニケ大先生が「ダ・ヴィンチ・コード」について書いていた。
世に倦む日日 : 『ダ・ヴィンチ・コード』 (1) - 方法としてのインディジョーンズ
まさに大先生のおっしゃるとおり。
先に大先生の批評を読んでおけば過剰に期待して失望することもなかったのに。「世に倦む日日」ファン(複雑な意味で)を自認する私としては言い訳のできない過ちでありました。
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いまさら「ダ・ヴィンチ・コード」(2)
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なんだかダメな臭いがしたのでずっと食指が
ルーブル美術館のソニエール館長(実は秘密結社「シオン修道会」最高幹部)が閉館後の館内で射殺されるのが小説の発端となる。この殺人事件とダイイング・メッセージからしてコケおどしだ。
対立するカルト教団の暗殺者がとどめを刺そうとしないのが間抜けだし、撃たれた老人があんなに回りくどくて滑稽なダイイング・メッセージ(ウィトルウィウス的人体図の実演)をとっさの機転で残すなんてバカらしいにもほどがある。あまりにもアホ臭いので暗殺者と撃たれた側がグルなのかと思ったらそうじゃなかった。
警察の捜査が始まり、主人公のラングトン教授が現れるがこいつが作者の操り人形、個性も魅力もありゃしない。お話が面白ければ主人公がデクノボウでも気にならないが、残念なことにそうではない。「ハーヴァード大学宗教象徴学教授」という肩書きだがその地位に見合う知性は見せてくれない。雑多な知識の断片を小出しにするだけだ。
主人公の仲間は二人、フランス警察の女性捜査官(暗号の専門家)ソフィーとイギリスの宗教学教授ティービング。
ソフィーも個性が薄いが、美人という設定なのでまあいいや。エンターテインメントには色気が必要だ、特につまらない小説には彩りがあったほうがいい。といっても、エロチックなシーンはない。
ティービングはいちばん個性がある。十字軍の昔から続く秘密結社「シオン修道会」の研究者(というよりマニア)であり、爵位を持つ大金持ち。この爺さんが実質的な主人公といっていい。
敵はカトリックの伝統主義的な一派「オプス・デイ」の指導者と修道僧。小説中でオプス・デイは狂信的カルトとして描かれており、これはてっきり作者の創作なのだろうと思ったら実在する教団だった。こんな書き方をして作者は名誉毀損で訴えられなかったのだろうか。
オプス・デイ代表アリンガローサは例のごとく個性が薄いが、冒頭の事件で暗殺者となる修道僧シラスは特異な性格と容姿だ。カルト教団の狂信者であり、先天性色素欠乏症で白い髪と赤い瞳を持つ。内側に棘の付いた皮ベルトを身に付け、痛みをこらえ血を流して神の救いを求める。
シラスの設定はこのように魅力的なのだが、どうも期待したほどに活躍してくれない。アルビノであることも狂信者であることもストーリー中で生かされない。スター・ウォーズのエピソード1で魅力あるダース・モールがいまひとつ活躍せず、騒がしいだけのジャー・ジャー・ビンクスがヒーロー扱いなのを思い出してしまった。EP1を見た観客の9割は「ダース・モールは生きろ、ジャー・ジャーは死ね」と思ったはずだ。
ルーブル美術館館長暗殺事件はラングトンに濡れ衣が着せられそうになる。そこにソフィーが現れて半ば無理やり逃亡させる。実はソフィーは館長の孫娘であり、祖父からシオン修道会の運命を託されていたのだ。彼女にはラングトンの助けが必要だ。
…このあたり(全体の5分の1くらい)からいよいよダメ臭が強くなってくる。なんだか行き当たりばったりで、太古から続く秘密結社の凄みが感じられない。こんな間抜けなシオン修道会ならとっくの昔に滅び去っていただろう。
ルーブルを脱出したラングトンとソフィーはソニエールの隠した「聖杯」へと導く鍵を手に入れ、ティーピングに頼る。その後は要するにマクガフィンをめぐる追いかけっこ。
驚いたのは追いかけっこばかりの一日でストーリーが決着すること。「ダ・ヴィンチ・コード」という題名から重厚な作品なのかと思ってたのでがっかりした。これは私が勝手に期待したのが悪いので、単なるオカルト風味の「24」だと思えば腹も立たない。
そう、まさに「24」風味なのである。壮大なお話のように見せかけて実はハリボテ、「ガジェットを撒き散らしてにぎやかにすればお客は喜ぶだろう」という作り手の割り切りが見える。「よくできたエンターテインメント」と言うこともできるし「所詮エンターテインメント」とけなすこともできる。私の場合「24」は最初からエンターテインメントと思ってみたからそれなりに楽しめたが(パート2でうんざりして見るのをやめた)、「ダ・ヴィンチ・コード」には「薔薇の名前」のような重厚さを期待したので肩透かしを食った。
そういえばテサロニケ大先生が「ダ・ヴィンチ・コード」について書いていた。
世に倦む日日 : 『ダ・ヴィンチ・コード』 (1) - 方法としてのインディジョーンズ
ところが実際に読んでいると、叙述と描写がプリミティブと言うか、表現や筆致に何となく成熟した印象を受けないのである。文章に奥行きと味わいがない。小説と言うよりも映画の原作のドラフトが一本書き上がった感じ。ひょっとしてこの作家はかなり年齢が若いのではないかと疑っていたら、案の定、64年生まれの40歳だった。具体的に感じたところを言えば、登場人物の言葉に重さや深みがないのだ。例えば、作品の中で重要な位置を占める英国人宗教学者のティービング、それからフランス司法警察警部のファーシュ、悪役で重要な配置を受け持つアリンガローサ司教。この辺の人物描写がどうにも浅くて物足りなく感じる。いかにも「米国人から見た欧州(各国)人」の典型的なキャラクターであり、ハリウッド的演出で軽いのだ。
小説の内容そのものがそうだが、あのスピルバーグの冒険娯楽映画『レイダース-失われた聖櫃』を見ている気分になる。
まさに大先生のおっしゃるとおり。
先に大先生の批評を読んでおけば過剰に期待して失望することもなかったのに。「世に倦む日日」ファン(複雑な意味で)を自認する私としては言い訳のできない過ちでありました。
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