玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

竜頭蛇尾に終わった“STOP THE KOIZUMI”

2006年09月29日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
人様のことをとやかく言う前に、thessalonike4氏はSTOP THE KOIZUMIの総括をなさってはいかが。

世に倦む日日 : 細野豪志は役職辞任せよ - 民主党は綱紀粛正して選挙に全力を
細野豪志は民主党に迷惑をかけた責任をとって、政治家として自ら出所進退を明らかにすべきだ。見苦しかった永田寿康の二の舞はするな。

約一年前はあんなに気合を入れて憂国の志をアピールしていたのに、今年になってからは6月に「きくちゆみ氏の応援メッセージ」を掲載したきり記事の更新なし。自民党総裁選が行われるというのに「小泉後」に向けて何のアピールもせず、なす術もなく小泉が後継者として意図した安倍晋三の当選を許してしまう。まさに竜頭蛇尾もいいところである。“STOP THE KOIZUMI”の旗印の下に集結した174人のブロガー諸氏もさぞ呆れていることだろう。
発起人であるthessalonike4のサイトには「『細野豪志』のキーワード検索での来訪者が急増し、昨夜から現在まで約六百件に達している。」そうだが、多くのブロガーの希望と信頼を集めたはずのSTOP THE KOIZUMIサイトの昨日のアクセスはわずか150でしかない。

最近はネットの一部で「死ぬ死ぬ詐欺」なるものが話題になっているが、それならSTOP THE KOIZUMIの体たらくはいったい何と呼べばいいのだろう。
コメント (9)   トラックバック (1)

法律以前の問題

2006年09月26日 | 日々思うことなど
右も左も大騒ぎしているけれど、なぜなのかよくわからない。

国旗国歌:全面勝訴に決意新た「教育現場に自由を」-教育:MSN毎日インタラクティブ
 「国歌斉唱義務なし」。弁護士が垂れ幕を掲げると、原告や支持者から歓声が上がった。入学式や卒業式での君が代斉唱などを強制する東京都教委の通達を違憲違法と断じた21日の東京地裁判決。原告の教職員らは、「判決を基に通達を撤回させ、教育現場に自由を取り戻す闘いを続ける」と決意を新たにした。

件の判決について特に感想はない。想定される範囲で最大限に左寄りと思うけれど、地裁ならそういうこともある。
たぶん高裁や最高裁ではこういう判決は出ないだろうが、私は法律について無知なので間違ってるかもしれない。
判決は都教委の処分通達を違憲としたものであり、卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の意義は認めている。処分しようとする側(教育委員会)と処分されそうな側(原告団・教師)以外の一般人には直接の関係はないだろう。

もし原告の教師に会うことがあれば社会的儀礼として「よかったですね」と言うけれど、彼らを応援する気にはなれない。「自由を取り戻す闘いを続ける」といった勇ましい言葉を使う人は苦手だ。「がんばります」でいいじゃないか。私が「平和を愛する」左翼の人たちを信用できないのは彼らの言葉がやけに攻撃的で「ますらおぶり」過ぎるからだ。新聞記者が言葉を作った可能性もあるが、原告団のウェブサイト(カウンターの数字が侘しい)を見ると「闘い」という言葉が使われていてなんとも戦闘的だ。

私は日の丸も君が代も好きだ。日の丸のデザインは鮮烈で美しい。君が代のメロディーは個性的で幽玄の趣がある。歌詞の源流が平安時代の和歌というのも雅でよい。「君」の意味が天皇であろうと「あなた」であろうとどちらにしても平和的で素敵だ。だから学習指導要領で「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗と国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮すること。」(小学校・社会)と規定されているのはごく当然のことと思う。

だが、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」(特別活動)という規定はちょっと納得しにくい。どこが「その意義を踏まえ」なのかよくわからない。学校の卒業式でなぜ国旗や国歌が必要なのだろう。国立の学校であれば「スポンサー」への敬意を示す意味があるが、県(都・府・道)立や町(区・市・村)立の学校であれば自治体の旗を掲げ歌(あれば)を歌うほうが理にかなっている。
自分が学生だったころの入学式や卒業式を思い出してみる。日の丸が掲げられ君が代を歌ったかどうか。どうもはっきりした記憶がない。日の丸はあったような気がするけれど君が代を歌った覚えがない(実際は歌ったのかもしれない)。そのときの自分にとってはどうでもよかったのだろう。
(たぶん)多くの国民が「入学式や卒業式には国旗・国歌があったほうがいい」と思っているのだろうから(推測であり特に根拠はない)学習指導要領を批判するつもりはない。ただ、「処罰してまで強制する必要があるのだろうか」という疑問は残る。国旗・国歌法が国会に提出されたとき政府は「強制しない」と約束したはずだ。教育の場で教師に完全な思想の自由が認められるかといえばそうは思えないが、学校式典での国旗・国歌への態度についてはどうなのだろう。今のところ私にははっきりした意見がない。新聞の社説やあちこちのブログを見ると大きく意見が割れている。たぶん決着は最高裁まで持ち越されるだろう。

法律のことはわからないが、ただの観客として裁判劇の登場人物を見ると「原告(教師)も被告(都教委・石原都知事)も野暮だなあ」と思う。どちらも硬直的でイデオロギー過剰だ。小泉総理もそういう感想を抱いたようだ。

asahi.com:国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相
 小泉首相は21日夜、入学式や卒業式で国歌斉唱などを強要した東京都教委通達を違法とした東京地裁判決について「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」と語り、強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。

はてなブックマークリベラル系ブログでは「法律以前の問題」という言葉が顰蹙を買っているけれど、私は国民感情の芯はこのあたりにあるような気がする。「法律を振りかざす前に礼儀を守れ」ということだ。法律論としては非論理的だが礼儀を重んじて「裁判沙汰」を嫌う多くの日本人は自然なものと受け止めるだろう。

裁判の結果がどうなるかわからないが、仮に最高裁で原告が勝訴したとしても、彼らの主張が広く共感を集めるとは思えない。1999年のテレビ朝日の世論調査によれば、多くの国民に日の丸・君が代は国旗・国歌として認められ愛されている。
  日の丸を日本の国旗だと思う=95% 日の丸が好きだ=78%
  君が代を日本の国歌だと思う=76% 君が代が好きだ=53%

一部の教師が国旗・国歌へ敬意を示すのを拒否する権利を主張をするのは自由だが、日の丸・君が代に愛着を持つ人々は彼らの「無礼」を不快に思うだろう。多くの人が愛するものにケチを付けたとき強い感情的反発が生まれることは花岡信昭氏や乙武洋匡氏のブログ炎上を見ればわかる。

大石英司氏が書いているように、原告の勝利は「この人たちは、そうやって裁判を起こすことで、実は自分のたちの首を絞めている」「この判決で喜んでいる勢力は、藪を突いて蛇を出して喜んでいる子供と何ら変わりない」という結果に終わりそうだ。
そう思うと、左翼がなぜ大喜びしているのか、右翼がなぜ憤っているのかますますわからなくなる。
コメント (10)   トラックバック (2)

思わせぶりは良くない

2006年09月19日 | ネット・ブログ論
10日もたてばいいかげん鎮火しているだろうと思ったら、まだ燃え続けていた。

乙武洋匡公式サイト: 紀子さま出産
乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします

乙武氏はたぶん「いい人」なのでコメント削除をためらっているのだろうが、荒れ放題のコメント欄を放置するのは良くない。管理を放置しているようでかえって無責任に見える。「テーマと関係のないコメントは削除させていただきます。」と宣言しているのだから、重複コメントや「■ 広末涼子 裏口入学顛末記 ■」なんかは速やかに削除したほうがいい。

それにしても、素朴で正義感の強い人たちのやることは100年前と変ってない。

与謝野晶子 - Wikipedia
1904年9月、半年前に召集され旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表。とくにその三連目で「すめらみことは戦いに/おおみずからは出でまさね(天皇は戦争に自ら出かけられない)」と唱い、文芸批評家の大町桂月は、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と激しく非難したが、これに対して晶子は『明星』11月号に「ひらきぶみ」を発表「歌はまことの心を歌うもの」と一蹴した。

「ひとつの命が誕生したことがめでたいの?(改行略)それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの? 」という乙武氏の言葉も、「君死にたまふことなかれ」という与謝野晶子の言葉も、どちらも単純素朴な人道思想の表れであって「正義派」が糾弾しなければならない邪悪なものではないはずだ。乙武ブログは「皇室批判」(?)への反発と現代の日本では公然と口にできない「障害者嫌い」感情が燃料と酸素の働きをして大炎上した。無茶な想像だが、与謝野晶子がもしブログをやっていたらきっと大町桂月のような人たちが「乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫」し、女性の官能をおおらかに詠う歌風を「淫乱、ふしだら」と罵倒するコメントであふれたことだろう。乙武氏も与謝野晶子のように「ブログは本心を書くもの」と批判を一蹴したほうがよかったかもしれない。

乙武氏の価値観や考え方についてとやかく言うつもりはないが、炎上の発端となった彼の文章はお世辞にも上出来とはいえない。
特に「どちらにしても。(改行略)これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。」という思わせぶりがよくない。乙武批判でこの部分を「乙武氏の真意」と見る人が多いけれど、私は単なる蛇足だと思う。乙武氏が本気で「大事な議論」だと考えているのであればもっと具体的に書いたはずだ。そうしないところを見るとたぶん乙武氏は「先送りにされ」た問題を重要と思ってないのだろう。大して関心のないことについて偉そうで思わせぶりな態度をとり、自分の考えをはっきりさせない稚拙な文章が多くの読者の怒りをかき立てた。
もし乙武氏が「大事な問題」について自分の考えを明確に語っていれば、それがどんな意見であろうとも読者をいらだたせてブログが炎上する事態にはならなかったんじゃないかとさえ思う。

中日ドラゴンズの山本昌広投手が16日の中日‐阪神戦でノーヒットノーランを記録したそうである(おめでとうございます)。
私は野球にほとんど興味がないので自分のブログに書こうとは思わないが、もし乙武氏のようなかたちで言及していればどうなったろう。

「山本選手ノーヒットノーラン達成」
世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……
ノーヒットノーランを達成したことがめでたいの?
それとも山本選手が「41歳だったから」めでたいの?
どちらにしても。
これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。

これはまずい。自分がドラゴンズファンなら怒る。「言いたいことがあればはっきり言え!」という感じだ。
真面目なことを書くのに「思わせぶり」はよくない。褒めるにしろ貶すにしろ、自分の考えをはっきりさせたほうがいい。ブログ読者は生煮え料理を文句も言わず食べてくれるほど寛容ではない。
コメント (10)   トラックバック (2)

政治は楽な仕事ではない

2006年09月11日 | 政治・外交
私はどうやらモヒカン族の端くれらしいので倫理よりもシステムが気になる。

大石英司の代替空港: 911で続くヨタ話
* 昨日のテロ朝サンプロで、テッシーが出てきて、盛んに、アメリカはイラク侵攻の根拠が出鱈目だったと認めたのだから、日本政府も、それを認めるべきだ、みたいな話をしていたけれど、私は全く無意味だと思う。そもそも日本は戦争に加担していないわけだし。

日本も誤り認めよ―加藤氏 イラク戦争の米報告書で [CHUNICHI WEB PRESS]
 自民党の加藤紘一元幹事長は10日のテレビ朝日の番組で、米上院の報告書がイラクの旧フセイン政権と国際テロ組織アルカイダの結び付きを否定したことに関し「米上院がイラク戦争を始めたときの情報は間違いだと認めたのだから、日本の政治家も政府も認めて楽になった方がいい」と指摘した。


「アメリカが行ったイラク戦争の当否」と「日本がアメリカを支持した決定の当否」は別問題だと思う。
無関係とまではいわないが、両者をひとつの問題として考えるのはおかしい。極端なことを言えば「イラク戦争が100%間違っていたとしても、支持することで日本が国益を得たなら何の問題もない」という考え方もできる。ここまで露骨なマキャベリズムは多くの善良な日本人から反発されるだろうけれど。
手嶋氏や加藤氏の真意は知らないが、伝えられるところからすると「アメリカが間違いを認めたのだから日本も間違いを認めるべきだ」ということらしい。私には奇妙な意見に聞こえる。まるで「日本は独自の判断を捨てアメリカに判断を委ねよ」と主張しているかのようだ。日本政府がイラク戦争を支持したのが仮に間違いだったとして(私はそうは思っていないが)、反対者たちはそれを「アメリカ追随」と批判していたのではなかったか。イラク戦争支持でアメリカに追随したのは間違いだが、米上院の報告書の内容は独自の検討もせず受け入れるのが正しいのか。

本当に批判すべきなのは「アメリカに判断を依存すること」のはずだ。「アメリカが大量破壊兵器の存在に確信を持っているから」イラク戦争を支持したことと、「米上院の報告書が過ちを認めたから」日本もその通り反省せよと主張するのとは判断の依存という意味で同じだ。日本人自身で情報を集めて判断する労力を惜しみ、結果だけ頂戴する安易なやりかただ。

加藤氏は間違いを認めて「楽になった方がいい」というけれど、「間違いを認める」理由が「楽になる」ためであるのならそんなことは全く必要ない。私は政治家に楽をしてほしいとは思わない。時に自分でも信じていないようなことを言い、痛烈な、あるいは理不尽な批判を浴び、自分の決断の責任を一身に背負って苦しみながら国益を守るのが政治家の仕事のはずだ。簡単に「過ちを認めて楽に」なりたがるような政治家を信頼することはできない。近衛文麿や細川護熙のようなタイプは政治家に向いていない。

「イラク戦争支持が過ちだったと認めること」が日本の国益になるのであれば私はそれに反対しないけれど、どうも「過ちを認めよ」論者の主張からは具体的利益が読み取れない。むしろ「過ちを認めるのは正しいことなので当然だ」という道徳臭を感じてしまう。私は政治の営みが結果として道徳に沿っていることを望むけれど、「正義」が直接に政治の目的になることは望まない。
コメント (4)   トラックバック (1)

総裁候補月旦

2006年09月09日 | 政治・外交
いよいよ自民党総裁選が告示された。
各テレビ局に出演した三人の候補者の話を聞いているうちに、以前から抱いていた疑問がますます膨らんでくる。
なぜ世論調査では「安倍氏絶対的有利」の状況が続いているのだろう?

私は自民党員ではないので総裁選の投票権を持っていない。
確固とした自民党支持者でも自民党ファンでもない(小泉純一郎ファンではある)から、何を言ってもしょせんは外野からの野次にしかならない。とはいえ、新しい自民党総裁は(数ヶ月か、数年か)日本の総理大臣になるのだから、一国民として総裁選に注文をつける資格はあるだろう。

私の頭はあまり論理的にできていないので(「馬鹿」の婉曲表現)、各候補の掲げる政策について具体的にどうこう言う能力はない。どなたも大変立派なことを語っているように見える。政策論については各マスコミ、識者、そして賢明なるブロガー諸氏が分析してくださるだろうから、何も私が無理して語る必要はないだろう。

政策論を放擲すると残るのは人物月旦だ。
小泉純一郎という不思議な男が総理大臣になってからというもの、日本の政治家は小泉との「距離」と「方向性」によって明確な立場とキャラクターを与えられ、結果として「政治ドラマ」がたいへん面白くなった。「TVタックル」の政治番組化と高視聴率が政治のエンターテインメント化を象徴している。
これについて毀誉褒貶いろいろあるが、私は単純に「よくわからない人たちがよくわからない言葉でよくわからない何かを目指し暗闘していた」頃よりずっとわかりやすくなったと喜んでいる。
「小泉の時代」の政治ドラマがあまりにも面白すぎたから、私には政治家をキャラクターで評価する癖が付いてしまった。われながら不真面目とは思うが、政治とはまさに人間同士の利害を調節する働きなのだから、ペーパープランの優劣よりも「人間としての魅力と説得力」で選んでもいいだろう。

そういう視点で見ると、どうも私には安倍晋三という人が物足りないのだ。
なにも悪口を言うつもりはないけれど、彼の言葉は優等生的な「正論」かもしれないが心に響かない。なんだか借り物の意見を語っているように聞こえる。これまでの政治家人生が順調すぎて「正論」の発酵と練りこみが足りないのかもしれない。酒で例えるならボージョレヌーボー、あるいは発泡酒。多くの人に愛飲されているが「本当にその味が好きなのですか?」と訊ねても力強い返事が返ってこない気がする。
ぐっちーさんが指摘しているように、早口すぎてモゴモゴしてしまう話し方も気になる。何だか余裕がなさそうで「こういう人をリーダーにして大丈夫なのか」とそこはかとなく不安になる。圧倒的有利を伝えられているのに笑顔が少ないのもよくない。むしろ沈鬱にさえ見える。
長州出身の英傑にたとえるなら、安倍氏の性格は高杉晋作(稀代の革命家)や伊藤博文(優秀な実務家)より木戸孝允(理想家で憂鬱性)に近いのかもしれない。

谷垣禎一氏は本当に善良で真面目そうだ。彼の話は聞いていて気分がいい。声と話し方の快活さはアナウンサーとしても通用する。笑顔の明るさは三人の中で一番だろう。話し方もいかにも頭脳明晰で「東大卒・弁護士資格あり」という経歴が素直に納得できる(社民党の党首と同じ経歴だがあちらはまったく納得できない)。
言ってみれば「成績も性格もいい学級委員長」というキャラクターである(残念ながらこの手のキャラは漫画やドラマでは主人公の引き立て役で終わることが多い)。
だが、「善良で頭のいい」人が、きつい言い方をすればそれだけの政治家が現在の日本国総理として本当にふさわしいのかどうか。どうも違う気がする。善良なのも頭がいいのも総理大臣候補ならば当然で、その上にさらに人格的迫力や「人の悪さ」がほしい。あからさまな「いい人」では国内の諸勢力やアメリカや中国、ロシアといった海千山千の諸外国にいいようにあしらわれるのではないかと危ぶまれる。

ここまで書いてきたことですでに明らかだが、私の好みの総裁候補は麻生太郎である。
なんといっても彼の話は面白い。いや面白すぎる。声も顔も態度もガラッパチで「下品さ」を嫌う人がいてもおかしくないが、彼の話の内容はいつも自然な格調の高さと明るさがある。吉田茂の孫という血筋をつい思い出してしまう。
地方在住の私は「潰れた石炭鉱山をセメント会社に立て直した」麻生氏の経歴は特に魅力的に感じる。三人の候補者のなかで「経営者」としての自信を一番強く感じさせるのは麻生太郎だ。
なぜかネットでは麻生人気が突出しており、応援したり萌えたりしているブロガーも多い。

さくらの永田町通信: 九州ブロック大会①~財政編
さくらの永田町通信: 九州ブロック大会②~アジア外交編
ノムさんの時事短評:麻生さん発言解説
大石英司の代替空港: 海保戦死者合祀問題
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳:小泉メルマガレビュー
もじもじスケッチ: 自民党総裁選告示されました
シッタカブリ~ゼの私何様?!(麻生太郎応援ブログ):ネット上の麻生人気がすごい!!

私の好みはともかく、政治家の評価にうるさそうなブロガーの多くが麻生太郎を支持しているのは彼の魅力の高さを示している。
世論調査で麻生太郎の人気が安倍晋三の数分の一でしかない現状がどうにも不思議でならない。ネット世論の動向はマスコミの世論調査に先行していることが多いから、「総裁選挙が数ヶ月先なら麻生人気が盛り上がり安倍氏と肩を並べたはず」と詮無いことを想像してしまう。
とはいえ、選挙の結果は開票するまでわからない。

副会長だより:総裁選、やっと告示
 麻生氏はネットで支持されているし、案外人気がある。総裁選で注目されればある程度の「ブーム」をおこせる人間性がある。ただ、それだけでは足りない。唯一あるとすれば、安倍氏がハワード・ディーン並の失態を犯すこと以外考えられない。もしも、安倍氏がテレビ討論などで思わぬ未熟さを露呈すれば、党員投票は経験豊富な麻生氏に一気に流れを変える可能性がある。

私には票も影響力もお金もなにもないけれど、投票日まであきらめず麻生太郎を応援するつもりだ。


以下は蛇足として。
民主党の政治家たちは本当に「小沢代表の無投票当選」でいいと思っているのだろうか?
選挙をやる活力も人材もない政党が有権者から政権を任せるに足る信頼を得られるとは思えない。
有力者が誰も出ないのであれば、せめて「総理を狙う男」を自称しつつ実は「民主党代表を目指すために推薦人20人を必死にかき集める(でも集まらない)男」河村たかし大先生を立候補させてくれ。
コメント (7)   トラックバック (2)

秋はイナゴの季節

2006年09月08日 | 日々思うことなど
8月下旬からの(google検索ヒット数における)ネットイナゴの増殖に実感を与える出来事だ。

乙武洋匡公式サイト : 紀子さま出産
    はてなブックマーク - 乙武洋匡公式サイト : 紀子さま出産

乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします
    はてなブックマーク - 乙武洋匡公式サイト: 深くお詫びします

rocketdolphinの日記 - チャネラー火病で乙武洋匡さんのブログが炎上
    はてなブックマーク - rocketdolphinの日記 - チャネラー火病で乙武洋匡さんのブログが炎上

「炎上」のきっかけになった乙武氏の文章「紀子さま出産」はたしかに言葉が足りなかった。
世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……




ひとつの命が誕生したことがめでたいの?




それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?



どちらにしても。


これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。


これではまるで乙武氏が親王のご誕生を喜んでいないように読めてしまう。ブログ読者のすべてが彼の人となりを知っているわけではない。
だが、乙武氏が誕生したときのエピソードを知っていればそれが誤解なのは明らかだ。私は「それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの? 」の次の行に「それとも誕生した命が「五体満足だったから」めでたいの?」という文章を想像してしまった。
「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。「かわいい」母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杞憂に終わった。自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヶ月間も会えなかったのだ。手足がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。- 生後1ヶ月、ようやくボクは「誕生」した。


「紀子さま出産」の真意を誤解して怒る読者はまだ責められないとしても、「深くお詫びします」が出た後に突撃して炎上させている手合いは愚かとしか言いようがない。
まず、今回、親王のご誕生を「めでたくない」と考えているように受け取られる文章を書いてしまったことを、深く、深く、反省しています。

むしろ、僕は親王のご誕生を「おめでたいこと」「よろこばしいこと」だと思っています。それは、性別の如何を問わず、ひとつの命が誕生したことを「よろこばしい」と思っているのです。


ところが、ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子でよかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしまったのです。

男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さは等しく、尊ばれるもの。そう思っていた僕には、内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感を覚えてしまったのです。


どんな命でも尊いはずだ。


その結論を急ぎすぎたあまり、ご誕生に対するよろこびの気持ちを欠いた表現となってしまいましたことを深くお詫びするとともに、みずからの文才のなさを恥ずかしく思うばかりです。


この文章を読んでそれでもまだ乙武氏に罵声を浴びせている連中はいったい何を考えているのだろう。絶望的に読解力が不足しているのか、それとも単に乙武氏が嫌いなのか、あるいは「皇嗣子誕生にイチャモンをつけたサヨク」を憎むネット右翼なのか。
私には彼らこそ「親王ご誕生の喜びに泥を塗る大馬鹿者ども」としか思えない。
コメント (15)   トラックバック (8)

私にとってSEOとは何か・その2

2006年09月07日 | ネタとか
私にとってSEOとは即ち「クソみたいな文章」を意味する。

shuiro note:: くだらないものでGoogle1位になったコンテスト
たまに、ログを見ていると、おかしな言葉でGoogle1位になってしまっていることってありませんか?そんな話をCHEEBOWさんとしてたら、どうせならくだらないSEOコンテストをやりたいということに。そんなわけで個人的にひっそり身近なところで募集してみたいと思います。あなたのブログでGoogle1位になったキーワードとそのエントリーをトラックバックで教えてください。


何を隠そう、「玄倉川の岸辺」はgoogle検索“クソみたいな文章”で並み居るブログを押さえ堂々一位(約 7,600 件中)の座を誇っている。「クソみたいな文章」日本一の面目をかけてこの企画に参加する。
(本当は“糞みたいな文章”のほうが約 14,700 件で倍も多かったりする)

それにしても、7月に検索したときは約95件だった「クソみたいな文章」が80倍に増加しているのは実に嘆かわしい。日本語の乱れを憂えるばかりだ。

関連記事 私にとってSEOとは何か
コメント (2)

秋篠宮親王ご誕生を祝う

2006年09月06日 | 皇位継承問題
秋篠宮殿下、紀子妃殿下、おめでとうございます。
お子様の健やかなご成長を心より願い、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。
コメント (2)   トラックバック (2)

「渥美清の肖像~知られざる役者人生~」

2006年09月05日 | 日々思うことなど
NHKでやっていた渥美清の一生を描いたドキュメント番組を見た。

渥美清の肖像~知られざる役者人生~

8月はじめのBS番組を地上波で放送したようだ。
特に渥美清のファンではないし「寅さん」シリーズの愛好者でもないけれど、なかなか面白かった。
いや、面白いと言ってしまうとちょっと違う。
少なくとも笑って気持ちよくなることはなかった。むしろ「人気喜劇俳優の悲劇」を見たようで粛然としてしまった。

はっきりとは覚えていないが、私が「寅さん」シリーズの映画を最初から終わりまで見たのは数回だけである。
劇場に行ったこともビデオを借りて見たこともない。テレビで何度となく放送されていても(現在NHK-BSで全48作放送中)特に見たいと意識することはない。冒頭の夢落ちコントはナンセンスで面白いが、ストーリーは毎回同じようなので(ファンにはそこがいいのだろうけれど)見る前から食傷してしまう。

NHKの番組では全体を三部に分けて「生い立ち~浅草時代」「『寅さん』以前の時代」「『寅さん』時代」としていた。
私には「『寅さん』以前」の渥美清がいちばん輝いて見えた。
たしか半年ほど前、BS2で「拝啓天皇陛下様」を見て感動した。映画の中で渥美清の演じる山田正助は愛すべき(そしてうんざりさせられる)日本の庶民そのものだった。彼の中で日本人の魂が息づいていた。その影響で「『寅さん』以前」の彼が特に素晴らしく見えたのかもしれない。
だが、これまで見たことがない昔のドラマ「泣いてたまるか」の渥美清の姿はとても生き生きとしていて「寅さん」の演技とは違う魅力にあふれていたのも確かだ。「寅さん」は特に見たいと思わないが、もし「泣いてたまるか」が放送されることがあればぜひ見てみたい。

「『寅さん』時代」の渥美清は「寅さん」以外の役を何度か演じたけれど、結局は自分のすべてを「寅さん」に集中させてゆく。彼がどういう思いでその道を選んだのかはわからない。若いころ「役名で呼ばれるようになりたい」と願っていた彼にとって本望だったのかもしれない。
「寅さん」最終作でNHKがロケに同行した取材映像が印象的だ。ガンを宣告され、死期を悟りつつ病を隠して撮影に臨む渥美清の姿は痛々しい。頬はこけ、取り囲むファンに応える気力も体力も失われているが、カチンコが鳴ればいつもの「寅さん」が笑顔を見せる。
こういう言い方をすると渥美清にも「寅さん」ファンにも失礼なことは承知しているが、私は「『寅さん』に取り憑かれ生命力を奪われた渥美清」の悲劇を見た思いがする。
「寅さん」シリーズに思い入れのない私は「『寅さん』がなければ渥美清はもっと様々な役を楽しく演じて森繁久彌のように長生きしていたかも」「いや、『寅さん』は間違いなく多くの観客に喜びを与えたのだからこれ以上の俳優人生はない」という気持のあいだで逡巡する。

渥美清よ、どうか安らかに。
「寅さん」はたぶんどこかで(ファンの心の中で)生き続けているのだから追悼の必要はないだろう。
コメント   トラックバック (2)

誰が殺したクック・ロビン

2006年09月02日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
ようやく“STOP THE KOIZUMI”が(自民党総裁の任期満了により)実現しそうなのに、なぜか「小泉辞めろ!」と叫んでいた人たちの間ではいろいろあるようだ。


カナダde日本語 ついにトラックバックピープルから記事の削除依頼が来た!
別に特定の政治家を誹謗中傷しているわけじゃなくて、ただ批判しているだけだよね。辞書で調べてみると、誹謗は「悪口を言うこと」で中傷は「根も葉もないことを他人に告げて、その人の名誉をそこなうこと。」とあるけど、みんなが書いているのは、根も葉もあることであって、中傷なんかじゃないぞ!なぜか安倍晋三に関する記事のTBを集めたら、たまたま批判ばかり集まってきちゃったんだけど、それだけ安倍晋三が、国民から批判をあびるような発言や言動を行っているということだ。決して根も葉もないことを言って名誉を傷つけているわけじゃない。


世に倦む日日 : ネット市民社会と正常な言論環境 - 一般ブロガーへの誹謗中傷
私は、今度の(三度目の)ブログのチャンスだけは同じ失敗を繰り返してはならないと考え、今度こそはマスコミに並ぶ質の高い言論機関をネット上に構築する覚悟と決意でいた。だからSTKは政治運動であると同時に文化運動でもあった。その意義は何度も強調したし、二度の失敗の経験を積んだ人間であれば、その意義は十分に理解できているものと考えていた。が、昨年からの結果は同じで、二度あったことが三度繰り返された感がする。
(中略)
ブログピープルを運営する事業者はファンコミュニケーションズだが、今回の記事削除の一件は、単に担当者が思いつきでtbp主宰者に勧告したものとは考えにくい。社内法務で事前に検討した上での処置だろうし、訴訟になった場合を想定して弁護士と対応を協議した上での通告と思われる。仮に事業者とブロガーとの間で訴訟に発展した場合だが、提訴があって世間の話題になった瞬間、間髪を置かず、安倍事務所が動いて主宰者と当該ブロガーを名誉毀損で刑事告訴する方向に進むだろう。今回はtbp主宰者が削除を受け入れ、当該ブロガーが記事の表現を書き換えて落着したようだが、表現を修正したということは、事業者側が指摘した「誹謗中傷」の事実を認めたことになる。もし仮に、次に安倍事務所が告訴して、名誉毀損の刑事裁判になった場合、検察は起訴状で訴因を補完する重要要件として、被疑者が政治家だけでなく一般ブロガーを執拗に誹謗中傷していた事実を問題視して争点にするだろう。ブログで政治家を批判して、批判者の感情が激高するあまり誹謗中傷に及んでしまったということは屡々ある。これを名誉毀損で有罪にするのは憲法の言論の自由に鑑みて問題がある。

だが、告訴された当該ブロガーが札付きの誹謗中傷常習者で、政治家以上に一般ブロガーに対して侮辱と嫌がらせを繰り返していた事実が明らかとなれば、状況は変わり、裁判官の心証や判断も違ってくる。仮に検察が問題を争点化して、「一般ブロガー」の代表者として私を証人申請し、裁判所から出廷要請を受けたなら、私は法廷で事実をありのまま証言しなければならない。

世に倦む日日 : 侵略戦争と誹謗中傷 - 助言、啓発、激励、 敵意、悪意、不信感
それが善意の批判か悪意の誹謗中傷かどうかを判断するのは、まずは誹謗中傷(批判)を受けた側であって、誹謗中傷(批判)を発した側ではない。今回の場合、最初にそれが誹謗中傷かどうかを判断するのは(受け手の)安倍晋三であり、そして最終的には第三者である裁判所が審決する。裁判所の判断によって誹謗中傷かどうかが決まる。多数決で決まるものではない。司法は政治とは違う。誹謗中傷を正当な批判であるとして正当化する論法は、侵略戦争を防衛戦争だとして正当化する右翼の詭弁とよく似ている。それが侵略戦争であったかどうかは、まずは侵略を受けた側の中国の人々が判断する問題なのであって、戦争を仕掛けた日本の判断や定義が普遍的に妥当し通用するものではない。たとえ日本の政府や国会が、日本国民の大多数が、あの戦争を正当な防衛戦争であると公認し宣言しても、中国や韓国の人々はその判断や定義を絶対に認めようとはしないだろう。実際に被害を受け、苦痛を受けた者が、それを侵略戦争だと言い、誹謗中傷だと言っているのである。

誹謗中傷の幇助者たちが懸命に誹謗中傷実行者を擁護して正当化する論陣を張っている姿は、靖国を正当化する右翼がA級戦犯を擁護している姿と二重映しに見える。


反戦な家づくり 批判と誹謗中傷 安倍Endをめぐって
長らく見ていなかったあるブログを見ると,画面中に安倍晋三の顔写真がちりばめられているので,まるで安倍の公式ブログかと見間違うばかり。(根拠があるから中傷ではない)

そして,その筆者は,「安倍晋三を誹謗中傷したと安倍晋三が思った」ブロガーに対し安倍が裁判を起こしたら,「私もこいつに誹謗中傷されました」と裁判で証言すると言っているようだ。表現は違うが,どう読んでもそうとれる。(悪口ではないので誹謗ではない)

この筆者は,コイズミ政治に反対と大きく声を上げた人物だ。それが,いったいどう転んだら安倍晋三のために証人になりますなどと,わざわざブログで表明するのだろう。強権的に証言させられて,それを拒否できなかったことを恥じるのならば話はわかる。しかし,ここに書かれていることは,正反対ではないのか??(これは,私の素朴な疑問であって,誹謗中傷ではない)

BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」 安倍は許せてもテサロニケだけは許せない!
誹謗中傷だと主張するならそうでないという理由を明示しなければなりません。あまり好きな言葉ではありませんが1960年代後半の政治闘争が華やかな頃であればあの偽善的なSTOP THE KOIZUMIに対してはそれなりの「総括」が要求されたでしょう。なんの運動もできなかった(もっともそれが目的だったのでしょうが)ことに対して「自己批判」も要求されたでしょう。溢れかえる批判に対してなんら反論することもなく「誹謗中傷だ!」と主張したところでまったく説得力はありません。

独裁制をぶっこわそう!戦争・軍国ヒステリーを人類の叡智と良識で克服しよう! - アルファブロガーが一般ブロガーを○○?
 いやしくも反・小泉の代表格と目されているアルファブロガーが、言論の自由を萎縮させるような恫喝を行ってどうするねん!
 ネット右翼系や愛国ぶりっ子系ブログが書いているのなら分かります。いつも同じようなこと書いていますから。
 しかし、反・小泉の代表格であるアルファブロガーが言うのはどうでしょうか。 

 もしこのようなことが現実になれば、我々「一般ブロガー」は、うかつに政治を批判することはできません。
 言論の自由が奪われた独裁制となってしまいます。
 次期総理確実と言われている某有力政治家筋の味方をすることを宣言し、「一般ブロガー」を恫喝し、萎縮させているのは誰なのか?

らんきーブログ 個人ブログは喧嘩せず^^
これはどういう行為かというとブログの表現の自由を自分中心に(ABEも含む)制限をかけているという事である。
一体何をどう考えたらこうなるのか?これは個人ではないな?国家側の論理だと思います。
今後政治家や権力側に対する表現の自由を自分の意のままにしようとするかのような論理のすりかえだとも思う。
ある意味、加藤ちゃん家に放火した暴力による言論への圧力にも似ている。
ブログ言論への警告とでも言おうか・・・要注意なことだ。
だいたい個人のブログで政治家を批判してもそれに対してその政治家本人から文句があれば別だが、ただの無関係の個人から文句を言われる筋合いは無いはずだ。
誰が誰を応援しようが、批判しようが自由じゃないか。
ネット上の住人も国家側のすべてイエスマンにでもなれというのでしょうか?

カナダde日本語 Thessalonikeちゃん、笑わせないでね♪
私はこの記事を書くためにThessalonike氏がブログピープルにSobaさんの記事の削除依頼をしたのではないかと見ている。ブログピープルが削除依頼するのはほとんどが誰かからのリクエストがあるときで、それ以外は担当者が突然削除依頼をしてくるとは思えない。いったい誰が、それもSobaさんだけの記事を削除依頼したのだろうか?


thessalonike4氏の「誹謗中傷」論の独善についてはともかく(元々ああいう人なのだ)、「誰が削除依頼したのか?」という疑問は興味をそそる。
左翼マスコミから批判されまくっている安倍氏(安倍事務所)がわざわざ一ブロガーの記事に目くじらを立て削除を要求するとは思えない。そんなことをやっていたら人手がいくらあっても足りないだろう。
それよりは「熱烈な安倍支持者」が愚かしいファン心理で削除依頼した可能性のほうが高い。それとも私怨による嫌がらせか。
悪名高い2ちゃんねるでは「どのような形の削除依頼であれ公開させていただきます。」と明記してあり疑心暗鬼を防いでいる。もし「玄倉川の岸辺」の記事がgooブログに削除されたとしたら、私も「誰がどういう理由で削除を要求したのか」知りたいと思うだろう。
コメント (6)   トラックバック (3)