玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

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自衛隊は「暴力装置」だから役に立つ

2010年11月19日 | 政治・外交
あまりにもひどい。ひどすぎる。
仙石官房長官の「暴力装置」発言に関する騒ぎのことだ。
いや、誤解なさらぬように。私が怒り、呆れているのは、「暴力装置」という言葉にショックを受けて(あるいはそのふりをして)自衛隊への侮辱だの左翼思想のあらわれだの幼稚な批判を叫ぶ「保守派」のほうだ。
まずはニュースの概要から。

仙谷官房長官:「自衛隊は暴力装置」 すぐに訂正「実力組織」 - 毎日jp(毎日新聞)
 仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と発言、質問者の自民党の世耕弘成氏から抗議を受け撤回した。そのうえで「不適当だったので、自衛隊の皆さん方には謝罪する」と述べた。

 仙谷氏は自衛隊と他の公務員との政治的中立性の違いについて「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロール(文民統制)も利かないとならない」と発言。委員会室が騒然となったため答弁中に「実力組織と訂正させていただく」と言い換えた。【高山祐】

毎日の記事タイトルもそうだが、どうも今回の騒動を伝える報道のほとんどが勘違いしているようだ。仙谷氏が「実力組織」に言い換えたのは「暴力装置」ではなく、自衛隊を「ある種の軍事組織」と表現した部分だと思われる(参考 Togetter - 「自衛隊は暴力装置に決まってるだろ…」)。「暴力装置」にカッカする「保守派」議員たちも、仙谷氏が何を訂正したのかわからないマスコミも、どちらも基本的な常識・能力に欠けているのではないか。
あまりのバカ騒ぎに呆れたおおや先生(大屋雄裕・名大法学部准教授)が政治学・法哲学の基本を解説している。

暴力装置 - おおやにき
いやいや何を言っているんだ自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう(参照:「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回」(asahi.com))。国家が(ほぼ)独占的に保有する暴力こそがその強制力の保証だというのは政治学にせよ法哲学にせよ基本中の基本であり、その中心をなすのが「外向きの暴力」としての軍隊と「内向きの暴力」としての警察である。

おおや先生の解説はざっくりしていて私のような素人にもわかりやすい。ネット上の「暴力装置」議論を見るとやれ原典はウェーバーだ、いやマルクスだと甲論乙駁しているが、どうも騒ぎの本質とは関係ないトリビアリズムのように見える。自慢じゃないが、というか恥ずかしながら、私などウェーバーもマルクスも本人の著作は一冊も読んだことがない。そんな私ですら高校の倫社の教科書や一般的な解説書(「図解雑学シリーズ」あたり)で国家の成立と治安維持に「暴力装置」が必要なことを理解しているのに、去年まで日本の政治を担い続けてきた自民党議員の多くがぜんぜんわかっていない(あるいは知らないふりをして世論を煽る)のは信じられないほどひどい話だ。以下も「おおやにき」からの引用。
結果的には、むしろこの発言を問題視するほうが、近代国家理論の原則も・自衛隊の持つ実力についても・シビリアンコントロールの理念についても正確に理解していないのだと、そういうことになろう。仙石氏自身が批判を受けてこの発言を撤回したことについては、まあ聞いたふうなことを言ったものの根拠とか理論的背景まできちんと理解していないのでろくでもない結果になるというのは菅直人総理大臣にも共通する性癖なので不思議でも何でもないが(氏の官僚内閣制や三権分立に関する発言を参照すること)、これらの問題に関する正確な認識を欠いた政治を担う資格のない人間(いや私のごく個人的な基準ですが)がこのあいだまで政権与党であった自民党内にすら多数いたこと、さらに自衛隊の中にいた人までそこに含まれていたということであって(参照:「暴力装置についてあれこれ」togetter)、なんかもう平和ボケとかなんだとか言うのも愚かな事態であるなと、そう思ったことであった。自民党が政権を失ったのにも相応の理由があったのだなあと、まあ最近しみじみと感じるところではあるのですがね。


「暴力装置」批判の筆頭は例によって産経新聞だ。どちらの記事も党派的・情緒的でくだらないから引用はしない。

仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…社会主義夢見た過去、本質あらわに (1/2ページ) - MSN産経ニュース
「非常に残念」「いい気持ちしない」「むなしい」 仙谷氏「暴力装置」発言で自衛官から失望の声 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

いやはや、なんともかんとも。こんな駄文を載せるスペースがあるなら、ちゃんとした(「産経御用達」ではない)政治学者に「暴力装置」の意味を解説してもらえばいいのに。社会の公器を自称する新聞は情緒を扇るのではなく読者を啓蒙する義務があるはずだ。右も左も関係ない。
2ちゃんねるを見ると「『暴力装置』なんて一般人は知らない」「ことさらに『暴力装置』という言葉を使うのは左翼的だ」「国会で使う言葉じゃない」「自衛隊員に失礼だ」みたいな批判が多い。バカも休み休み言え、と思う。国会で自衛隊のシビリアンコントロールを論じるとき「暴力装置」という言葉が使われるのはむしろ当たり前で、何の不思議もない。どこに不都合があるのか、何が不適切なのかまったく理解できない。実にくだらないイチャモンだ。

あまりいい例えではないけれど、とりあえず書いてみる。国会で自動車事故問題について論じているとしよう。
国土交通大臣が「自動車はたいへん便利な乗り物ですが、運転を誤ると『走る凶器』にもなります」と答弁する。それに対して野党議員が「自動車はわが国の基幹産業だ、『凶器』呼ばわりなどとんでもない!」だの「善良なドライバーを殺人者呼ばわりするのか!」だのいきり立ったら、一般国民はどう思うだろうか。「アホらしい、怒ってる議員は免許持ってないんじゃないか」と呆れるだろう。
自動車を自動車らしく使うには、一般道路を時速数十キロで走らせる必要がある。他の車や歩行者の近くを通過するのは避けられないし、ドライバーは人間だから時にはミスもする。責任感あるドライバーは誰でも「いい加減な運転をしたら『走る凶器』になってしまう(そうなってはいけない)」と肝に銘じているはずだ。逆に言えば、「自分が事故を起こすはずない」と高をくくって適当に車を走らせるドライバーは免許を持つ資格がない。
物理的な、そして社会的な存在としての自動車と「走る凶器」としての一面は決して切り離せない。クラシックカーのようにガレージにしまいこんで動かさなければ事故を起こす心配はないが、それでは自動車として役に立たない。

自衛隊が「暴力装置」というのも同じである。
普天間基地移設問題で在日米軍(海兵隊)の抑止力が話題になったが、自衛隊も他国の侵略の意図を挫く抑止力として機能している。抑止力とは何か。はっきり言えば、強力な兵器と行き届いた訓練が作り出す武力による脅しだ。武力とは何かといえば、必要に応じて(侵略者の兵器を)破壊し(敵兵を)殺害する暴力に他ならない。大前提としての暴力の存在を抜きにした自衛力も抑止力も存在しない。
そういう「リアリズム」こそ保守勢力(自民党)が自衛隊を強化し、憲法改正して軍隊の存在を認めよと主張する基盤だったはずだ。非暴力・非武装中立を主張する社会党は空想的平和主義と呼ばれて保守勢力の嘲笑の的だった。
それなのに今や「左翼的」な民主党を批判する自民党議員が「自衛隊を暴力装置呼ばわりするなんてとんでもない」と激怒している。世の中変われば変わるものだ。私には「きれいごと(自衛隊は軍隊ではない)で上辺をとりつくろっているうちに本質を忘れた愚かな姿」にしか見えないけれど。
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「こんにゃくゼリーを政治主導」デマに踊らされる情報強者を哂う

2010年10月09日 | 政治・外交
週刊ポストがまたこんにゃくゼリー「政治主導」問題についてデマを書いている。
マッチポンプ大勝利宣言みたいで胸糞が悪い。
前の記事でも批判したけれどもう一度叩くことにする。

NEWSポストセブン|仙谷氏のこんにゃくゼリーの形と硬さ決定に若手議員舌打ち
 週刊ポストが「仙谷官房長官が“政治主導”でこんにゃくゼリーの形と硬さを決定した」と先週報じたが、この件が永田町で大きな話題となっている。

 同盟国アメリカから見捨てられていた「仙谷官邸」の無様を報じた記事……なのだが、記事の本論とは少し違って、注目を集めたのは、仙谷氏が「政治主導」で「こんにゃくゼリーの形と硬さ」を決めようとしているというくだり。
 
 結局、政権を担った経験もない人が最高権力を握ると、政治主導もこの程度、という皮肉がいたく民主党議員たちの心に響いたようなのだ。若手議員の弁。

「仙谷さんの“オレ様”ぶりと、政権運営能力の隔たりに、日に日に党内の目が厳しくなっています。議員会館の食堂で、ある議員が“こんにゃくゼリーに全力で取り組んでる場合かよ”と舌打ちしていました」

※週刊ポスト2010年10月22日号

ああくだらない、くだらなすぎる。
そもそも「こんにゃくゼリー規制問題」自体が大騒ぎするような話じゃないのに、三流週刊誌が政治的意図(菅政権・仙谷官房長官叩き)からデマを流し、それを多くの人が鵜呑みにして空騒ぎする姿は愚かとも醜悪とも言いようがない。お前らみんなバカか?と言いたくなる。もういいかげんにしてくれ。
改めて言っておくと、「仙谷官房長官が“政治主導”でこんにゃくゼリーの形と硬さを決定した」という週刊ポストの記事は信用に値しない。まさに週刊誌ネタ、真偽の怪しいゴシップに過ぎない。
なぜそう言いきれるのかというと、消費者庁の正式発表と矛盾しているからだ。

こんにゃくゼリーの安全性、指標作成へ研究会  :日本経済新聞
 ミニカップ入りこんにゃくゼリーによる窒息事故対策を検討している消費者庁は27日、ゼリーの形状や大きさなど、具体的な安全基準となる指標を作成するため、専門家らによる研究会を立ち上げた。指標は年内めどに作成する方針だが、法的拘束力がない上にメーカー側の反発も予想され、実効性のある指標になるか疑問視する声もある。

 研究会は医学や食品安全などの専門家7人で構成。この日の初会合にはマンナンライフ(群馬県)、UHA味覚糖(大阪市)などメーカー側の担当者も参加した。10~11月にゼリーの形状や大きさ、硬さなどを分析、実験し、窒息事故の危険性を改めて検証。12月にもガイドラインのような安全指標を具体的な数値を示した上で作成する。


要するに、「こんにゃくゼリーの基準は専門家を集めて科学的に検討してもらいます」「メーカーの人も呼んで意見を聞きます」「法的に規制することは考えてません」ということだ。文句のつけようがない、まことに理にかなったやりかたである。仙谷官房長官の「政治主導」とやらの陰も形も(今のところは)存在しない。「今のところ」と保留したのは、もしかしたら仙谷氏が研究会に横から圧力をかけたり、あるいは研究会の報告を世論を扇動する道具として使い「こんにゃくゼリー問題を政治主導」する姿を演出する可能性はゼロではないからだ。

考えてみると、「政治主導」という言葉の使われ方はずいぶんいい加減である。政治家がどれくらい影響力を行使すれば「政治主導」なのか、客観的な基準は何もない。政治家自身の評判があがる話なら、実態は官僚任せでも「私が政治指導した」と威張り、逆に評判を下げる問題は自分が深く関わっていても「官僚が勝手にやったことだ、けしからん」「政治主導で正していく必要がある」と都合よく使い分けたりする。今回の騒ぎのようにバッシングに使われる場合もまた然り。

過去に問題になった例として、鉄道の路線決定や駅の設置について見てみよう。
「我田引水」ならぬ「我田引鉄」という言葉がある。それこそ大物政治家が「政治主導」で自分の地元に鉄道を通させ駅を置かせることを言う。

鉄道と政治 - Wikipedia
我田引鉄
「我田引鉄」と呼ばれる行為は戦前からしばしば問題視され、現在でも新線計画や新駅設置を巡ってその様な事が話題に上る事がある。

特に戦前はまだ自動車が世間一般に広まっていた訳ではなく、専ら鉄道が陸上交通の要であったため、その経路に選ばれるかどうか、駅が設置されるか否かが地域の盛衰を直接左右する生命線になった。このため、衆議院選挙の度に政党(特に立憲政友会)によって地域への鉄道敷設と引換にその地域の票を獲得しようとする工作が行われ、この集票手法は戦後まで継承される事になる。現在の高速道路・整備新幹線建設に関わる政治問題の根本と言われることもある。また、大都市周辺の地下鉄の郊外延伸線構想などを巡っては、現在でも政治家が選挙などの際に持ち出す事が少なくない。

現在大きな問題となっているのは中央リニア新幹線のルート選定だ。JR東海は距離が短く経済合理性が高いCルート(南アルプス貫通ルート)を望んでいるが、長野県は北に大きく迂回して諏訪に駅を置くことを強く求めている。仮に政治家の圧力によりCルート以外が選ばれることになれば、それこそ誰の目にもわかりやすい「政治主導」の成果といえる。この場合、成果といっても喜ぶのは長野県民(の一部)と撮影スポットが増える「撮り鉄」くらいだろうが。

こんにゃくゼリー規制問題の場合は、「リニアをCルートから外せと圧力をかける」ような理不尽な政治主導は実態として存在しない。小沢応援団の週刊ポストが仙谷氏批判のレッテルとして「政治主導」という言葉を利用しただけだ。仮に仙谷氏が「専門家がなんと言おうとこんにゃくゼリーの大きさは直径5cm以上、硬さは500g /cm2以上とする」(数字は適当です)と決め込んでゴリ押しすればまさに「こんにゃくゼリーの形と硬さを政治主導」したことになるが、そんな話はどこにも書かれていない。
どうやらポストの記事とそれに踊らされている人たちは「政治主導」という言葉をごくいい加減に使っているようだ。極端な話、「こんにゃくゼリー規制について専門家に検討してもらいます」と言っただけで「政治主導宣言だな!」と叫ぶようなヒステリーに陥っている。「政治主導」の言葉だけがあって実態が何もないのに「こんにゃくゼリーを政治指導かよ、バカじゃないか」と嘲笑するのに夢中だ。三流週刊誌の扇動に踊らされ、「こんにゃくゼリー」でニュース検索することなど考えもしない。「一犬虚に吠え万犬これに和す」ということわざを絵に描いたようなみっともない姿である。アホらしくてとてもつきあいきれない。
コメント

「こんにゃくゼリーの形と硬さを政治主導で決定」の怪

2010年10月06日 | 政治・外交
ネットの一部でおかしなニュースが話題になっている。
だが、このニュースはそのまま鵜呑みにできるものだろうか?

NEWSポストセブン|仙谷氏「こんにゃくゼリーの形と硬さ」を政治主導で決定へ
 尖閣諸島問題で境地に立たされている仙谷由人官房長官だが、失地回復のつもりなのか、この重大局面に奇妙な“政治主導”を見せている。9月27日、政府は「こんにゃくゼリーの形と硬さ」の基準を政治主導で決める方針を打ち出したのである。

 こんにゃくゼリー問題は、仙谷氏の数少ない政治実績である。自民党政権時代に野党としてこの問題を取り上げ、販売禁止を申し入れるなど、“戦う政治家”ぶりを見せた。

 官房長官になると、社会党出身の福嶋浩彦氏を消費者庁長官を抜擢し、こんにゃくゼリー規制を検討させた。もっとも、すでに業界の自主規制により、一昨年から事故は起きていないため、庁内では規制に慎重論も多かった。それを押し切ってやろうというのだから、なるほど政治主導である。

 菅政権の実態は、「外交は検察が決める。尻ぬぐいは小沢にやらせる。こんにゃくゼリーは俺たちが決める」という体たらくなのだ。

まるで冗談のようなニュースだ。失笑する人が多いのも無理はない。2ちゃんねるはてなブックマークでも「学級委員かよ」とか「三谷幸喜のドラマネタかと思った」とか笑いものにされている。ほかにも多くのブログやmixiやtwitter記事で叩かれている。確かにおかしなニュースで、仙谷氏が嘲笑されるのは当然かもしれない。
…だが何か変だ。どうもひっかかる。
いや、おかしいことはおかしいのだが、笑えるというより全体の構図が怪しくて気持が悪い。これが事実なのか、本当のニュースなのかどうか確信が持てないのだ。とりあえずGoogleのニュース検索で「こんにゃくゼリー」を調べると9月27日の消費者庁発表による記事が2件見つかった。

こんにゃくゼリーなどによる窒息事故防止の指標作成へ - Ameba News [アメーバニュース]
 消費者庁は9月27日、幼児やお年寄りの窒息事故が数件発生した、こんにゃく入りゼリーを含む食品等に関して、具体的な知見・データを得るための調査研究を開始したことを発表した。研究会のメンバーは口腔衛生学や安全工学などの大学教授ら専門家7名によって構成されるが、初会合にはマンナンライフ(群馬県)や、UHA味覚糖(大阪市)などのメーカー側の担当者も参加した。

 消費者庁はすでに「食品SOS対応プロジェクト報告」を発表しているが、今回はこの報告を踏まえたうえで、食品の形状、硬さなどの食品側のリスク要因を詳細に分析し、年内には形状などの一定の「指標」を定めることを目標としている。

 これらの発表に対してネット上では、「こんにゃくよりお餅やご飯で窒息する人のほうが多いのに、それらに対して規制はないのかな?」「誤飲で窒息の原因になってる食品のリストと件数をあげるべきだね。これ」「いっそこんにゃく売り場で売ったらいい」「指標て本当に作れるもんなのか?」などのコメントが寄せられている。

こんにゃくゼリーの安全性、指標作成へ研究会  :日本経済新聞
 ミニカップ入りこんにゃくゼリーによる窒息事故対策を検討している消費者庁は27日、ゼリーの形状や大きさなど、具体的な安全基準となる指標を作成するため、専門家らによる研究会を立ち上げた。指標は年内めどに作成する方針だが、法的拘束力がない上にメーカー側の反発も予想され、実効性のある指標になるか疑問視する声もある。

 研究会は医学や食品安全などの専門家7人で構成。この日の初会合にはマンナンライフ(群馬県)、UHA味覚糖(大阪市)などメーカー側の担当者も参加した。10~11月にゼリーの形状や大きさ、硬さなどを分析、実験し、窒息事故の危険性を改めて検証。12月にもガイドラインのような安全指標を具体的な数値を示した上で作成する。

 消費者庁は今年3月から「食品SOSプロジェクト」を立ち上げ、こんにゃくゼリーの法規制も含めた対策を検討していたが、7月に「科学的データが十分でない」として結論を先送りしていた。

 福嶋浩彦消費者庁長官は研究会の冒頭、「今こんにゃくゼリーの事故が起こってしまい、後追いで消費者庁が対策を取ることになれば最も不幸だ」として、対策を急ぐ考えを示した。

アメーバニュースと日経の二つの記事が「消費者庁がこんにゃくゼリーの安全基準の指標を作成するため専門家による研究会を作った」ことを伝えている。消費者庁のウェブサイトには「こんにゃく入りゼリー等の物性・形状等改善に関する研究会メンバーの委嘱について」というニュースリリース(PDF)が載っているから事実に間違いない。
だが、「仙谷官房長官がこんにゃくゼリーの基準を『政治主導』で決める方針を打ち出した」という情報は冒頭に引用した週刊ポストのネット版しか見つからないのだ。ニュース自体も多くの人が失笑したようにおかしい、というよりおかしすぎる。なんだか怪しい。信憑性が疑われる。
矛盾する情報を説明する方法は二つある。
ひとつは、消費者庁は「専門家による調査」を決めたのに仙谷官房長官が勝手に「政治主導」を宣言した場合。だが、それなら恥をかかされた福嶋消費者庁長官が異議を唱え、ないがしろにされた専門家が怒り、仙谷氏の理不尽な口出しがもっと大きく報道されそうなものだ。
もうひとつは、「こんにゃくゼリーの形と硬さを政治主導で決める」というニュース自体が捏造の場合。
仙谷氏を引きずりおろしたい週刊ポストが与太話を流しているのではないか。
最近の週刊ポストの見出しをチェックしてみた。小沢氏を応援し菅総理・仙谷官房長官を批判する記事がずらりと並んでいる。

週刊ポストの見出し一覧 - エキサイトニュース

 「小沢嫌い」ここに極まれり!-大新聞も官邸も常軌を逸している (2010年9月13日発売)
 小沢VS菅「街頭演説」を誌上再録-政策論争をといいながらメディアが割愛 (2010年9月13日発売)
 「ネットという鏡に暴かれたマスコミ偏向報道」 (2010年9月13日発売)
 ひきこもり仙ちゃんが愛でるiPadと幹事長-今週の官房長官 (2010年9月13日発売)
 大メディアが黙殺した9月5日の「オザワ・コール」 (2010年9月13日発売)
 負けて始まる「小沢支配」、「菅報復合体」の誕生 (2010年9月18日発売)
 「小沢を殺せ」大謀略で総理の椅子は泥にまみれた (2010年9月18日発売)
 実は市川房枝に見限られていた菅直人 (2010年9月18日発売)
 望まなくても「闇将軍」になる小沢一郎と日本の<悲劇> (2010年9月18日発売)
 菅首相の呼称が「弁理士総理」に格下げされた!-今週の仙谷長官 (2010年9月18日発売)
 アメリカに叩き潰された小沢一郎-代表選敗北は2月2日に決まっていた (2010年9月18日発売)
 役人いいなり菅政権、これじゃ「無差別連続<増税>」だ(1) (2010年9月27日発売)
 役人いいなり菅政権、これじゃ「無差別連続<増税>」だ(2) (2010年9月27日発売)
 役人いいなり菅政権、これじゃ「無差別連続<増税>」だ(3) (2010年9月27日発売)
 大新聞「世論調査」の支離滅裂-内閣支持率60%超って・・・? (2010年9月27日発売)
 「仙谷内閣」と左翼な仲間たちの「すき焼きパーティ」の一夜 (2010年9月27日発売)
 アメリカに見捨てられた仙谷・前原のポチ外交-平和ボケ国家の現実だ (2010年10月4日発売)
 民主党代表選で露呈した、この国を担う政治家&マスコミの貧弱すぎる知性 (2010年10月4日発売)


今回の「仙谷官房長官が『こんにゃくゼリーの基準を政治主導で決める』方針を決定した」という記事も、小沢氏を熱烈に応援する週刊ポストによる菅政権バッシングの一環であることは間違いなさそうだ。私自身も菅内閣・民主党政権を支持していないし、はっきり言って仙谷氏は嫌いなタイプの政治家だが、だからといって真偽不明の週刊誌ネタではしゃぐような真似はしたくない。それこそいい笑いものである。
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やっぱり気になる「有言実行内閣」

2010年09月19日 | 政治・外交
「有言実行内閣」を宣言した菅総理の新内閣は高い支持率の追い風を受けて無事に船出した。
まずはご同慶の至り。

菅内閣支持率上昇、66%に…「脱小沢」を評価 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 読売新聞社は菅改造内閣が発足した17日から18日にかけて、緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。

 内閣支持率は66%で、民主党代表選期間中の3~5日に行った前回調査の59%から、さらに上昇した。菅内閣としては、発足直後調査(6月8~9日実施)の64%を上回り、最高を記録した。不支持率は25%(前回28%)だった。内閣と党役員人事で小沢一郎元代表を起用しないなど、「脱小沢」路線を評価すると答えた人は70%に達し、内閣支持率を押し上げたとみられる。


私自身は菅内閣も民主党政権も支持しないけれど、菅総理がせっかく手に入れた高い支持率を世のため人のためうまく使ってくれれば文句はない。支持率は政治家にとって資産であり、かつ公共財である。まちがってもケチ臭く支持を失うことばかりを惧れ、必要な政策実行をサボるようなことがあってはならない。がんばれ菅総理。
…と書くとまるで熱心な支持者のようだが、半分以上は「(支持率)下り最速の伝説」の再現を見たいだけだったりする。今の高支持率はまさに「小沢外し」だけが評価されたもので、実際に政治を動かし始めれば菅氏自身の無能さと小沢派の逆襲でたちまちボロが出る。かといって小沢派に媚びればそれこそ国民の支持を失う。まさに前門の世論、後門の小沢。菅内閣は前途多難だ。

さて、前の記事でケチをつけた「有言実行内閣」なるキャッチフレーズ自体は世間に受け入れられたようだ。
菅氏の実行力に疑問をもち「どうせ有言不実行内閣になるだろう」と叩く人は多いが、「有言実行」という言葉自体が変だ、そんな日本語はない、と批判する人はほとんど見かけない。これはいったいどうしたことか。
麻生政権のときにささいな読み違いを槍玉にあげてさんざん笑ったり馬鹿にしたのとはずいぶん違う。「高支持率は七難隠す」というか、日本語ブームとやらの底の浅さを示すものと笑うべきか。私にとって「総理が自ら『有言実行内閣』と命名」というのは「総理が就任演説で『ら抜き言葉を多用』」と同じくらい、というと大げさだが半分くらいの違和感があるのに、どうやらほとんどの人は気にしないらしい。
別にワイドショーで笑いものにしろとは言わないが、「天声人語」などのコラム欄でちくりと釘を刺す、くらいのことはあっていいと思う。菅総理によって「有言実行」というパロディ四字熟語が公認され権威付けられたようでモヤモヤする。


「有言実行」の使われ方が気になってネットで調べてみた。

「有言実行」ってまともな四字熟語ですか?確かに定着した感があるんですが、もともと不言実行のもじりと思います。みなさんの感...(回答が古い順)|質問・相談が会員登録不要のQ&AサイトSooda!(ソーダ)
有言実行と同じ意味の言葉 | OKWave
《有言実行》という言葉はまちがいですか? - Yahoo!知恵袋
Q 《有言実行》という言葉はまちがいですか?
A だんだん使われるようになっていますが、本来は「不言実行」のパロディです。
  現在は大辞林にも載っているので間違いとまでは言わないでしょう。


相談サイトではどこでも「本来は『不言実行』のパロディ」という答が返ってくる。確認してはいないが、「広辞苑」に「不言実行」はあっても「有言実行」は載っていないそうだ。
私が「有言実行」という言葉を使うとしたらやはり「元はパロディだった」という意識を持つだろう。雑談で笑いながら「あの人は有言実行だから」と言うのはかまわないが、改まった場で使うのは憚られる。「有言実行」の「ちゃんとやるぞ、頼りにしてくれ」という主張と「元はパロディだった」というだらしなさのギャップがどうしても気になる。まがいものの言葉で人を褒めるのは失礼だし、パロディ四字熟語をそれと気付かず自分のキャッチフレーズにするのは恥ずかしいことだと思う。


菅氏は2003年9月にも「有言実行」という言葉を使っていた。

【政治】小泉首相との違いは「有言実行」女性支持率の低さは「世界の七不思議の1つだ」民主党・菅氏★2
「日本には『有言実行』という言葉がある」。民主党の菅直人代表は30日、党本部で行われた外国報道機関との記者会見で、こう語り、自らの実行力をアピールした。

どうやら菅氏お気に入りの言葉らしい。
ついでに見つけたのだが、安倍元総理が2006年の年末に「来年の抱負」として「有言実行」と色紙に書いている。

【政治】安倍首相、来年の抱負は「有言実行」 通常国会で教育再生関連法案の成立を目指す考えを強調
安倍晋三首相は25日午前、首相官邸で地元の山口放送などのインタビューに応じ、来年の抱負として色紙に「有言実行」と書いた。「何をやるかを国民に分かりやすく説明し、やると約束したことは必ず実行する」と説明した。

リンク先はどちらも当時の2ちゃんねるスレッド。菅氏にも安倍氏にも「『有言実行』ってのは『不言実行』のパロディなんだが」「『有言実行』という言葉は本来存在しない」と突っ込みが入れられている。

2003年9月に「小泉首相との違いは『有言実行』だ」と語った菅代表は翌年5月に年金未納騒ぎを煽った末に自爆した。
2007年の抱負として「有言実行」と色紙に書いた安倍総理は参院選で惨敗して9月に退陣した。
二例しかないけれど、どうやら「有言実行」と宣言した政治家は一年持たずに沈没するらしい。不言実行という「正しい日本語」をバカにした報い …ではなく、パロディ四字熟語を自らのキャッチフレーズとして使うような迂闊さが彼らの地位を奪ったのだろう。
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「有言実行内閣」

2010年09月18日 | 政治・外交
菅総理が「有言実行内閣」を宣言したとか。

「有言実行内閣を目指す」菅首相が会見 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 菅首相は17日夜、首相官邸で記者会見し、改造内閣を「有言実行内閣」と命名した。

 首相は民主党政権の1年を「試行錯誤を繰り返した内閣だった」と述べ、「具体的なことを実行する有言実行内閣を目指す」と表明した。そのうえで、重点課題として〈1〉金融・財政対策〈2〉国際社会での活動〈3〉地域主権改革――の3点を挙げた。

最初に聞いたとき「あれあれ」というか「おいおい、やっちまったな」と感じた。
そもそも有言実行という四字熟語はない。
ない、といっても実際にはかなり使われている言葉ではある。使われてはいるのだが、それは元々あった「不言実行」をもじった表現なのだ。

ゆうげんじっこう【有言実行】の意味とは - Yahoo!辞書
〔補説〕 「不言実行」をもじって作られた語
言ったことは必ず実行すること。

菅総理の「言ったことはちゃんと実現してみせる」という決意はたいへん結構だが、「有言実行」というもじり表現(パロディ四字熟語)を使われると決意の中身まで軽く感じてしまう。「最近の政治家は漢学の教養がなくてけしからん」などと大時代なことは言わないが(漢詩が作れそうなのは麻生元総理くらいか)、私のように無教養な人間にも突っ込まれるようではちと情けない。どうせなら四字熟語(もどき)で気取らず素直に「実行力内閣」とか「決定力内閣」とか言えばよかったのに。


…などと菅改造内閣の門出に付いた瑕(?)を惜しんでいたら、菅総理の実際の言葉はちょっと違っていた。

【首相会見】詳報(1)「有言実行内閣と呼んで」(17日夜) (1/4ページ) - MSN産経ニュース
「これからはその試行錯誤を踏まえて、一つの具体的な事柄を実行していく有言実行内閣、こう皆さんが呼んでいただけるような、そういう内閣を目指す。有言実行内閣をまさに実現をしたい。このように考えております」

「菅総理が自ら『有言実行内閣』を宣言」というより「まず実績を挙げる、それによって『有言実行内閣と皆さんが呼んでいただける』ことを目指す」という感じである。大した違いはないようだが、映画監督が「観客を感動させる」と宣言するのと「観客に『感動した』と言ってもらえる作品を目指す」というのくらい違う(いや、やっぱり大して違わないかな?)。
なにはともあれ、60%だか70%だかの高い支持率を得た菅内閣にはそれにふさわしい立派な仕事ぶりを期待したいところであります(大いに期待します、とは言うまい)。

(追記)「不言実行」の由来について調べたら漢文とは無関係らしいので訂正しました。
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カルト化した小沢信者と冷静な予測

2010年09月14日 | 政治・外交
民主党代表選挙が無事に終わり、新代表に菅直人総理が再選された。
私は菅氏には何も期待しないが、人の世の礼儀としてお祝い申し上げる。当選おめでとうございます、日本を良くするためにがんばってください。

asahi.com(朝日新聞社):民主代表に菅氏再選 党員・サポーター票で小沢氏に大差 - 政治
■民主党代表選の結果(敬称略。単位はポイント)

菅 直人721(国会議員票412、地方議員票60、党員・サポーター票249)

小沢一郎491(国会議員票400、地方議員票40、党員・サポーター票 51)


さて、意外なほどの大差が付いたわけだが、これまで小沢絶対有利だの圧勝だのと煽ったり脅したりしていた小沢信者さんたちはどうするのだろうか。自分がどこで希望的観測の罠に落ちたのか、現実と願望を取り違え精神主義に走ったのか、きちんと振り返り反省する   …なんてことはほとんど期待できない。いやありえないってマジで。
冷静に「小沢氏の実行力に期待します」と語る一般の小沢支持者はまともだが(私の意見とは違うけれど)、「小沢を勝たせないと日本が終わる」だの「『本当の世論』は小沢支持だ、小沢が圧勝する」だの目を釣りあがらせた小沢信者はほとんどカルトだ。まともな常識や反省は期待できない。かの”ミラーマン”植草一秀氏のように陰謀論を叫ぶのは目に見えている。

代表選菅氏辛勝を圧勝に粉飾して流布するマスゴミ: 植草一秀の『知られざる真実』

私は小沢一郎という政治家自身も好まないけれど、小沢氏を崇拝し陰謀論に染まった「小沢信者」のほうがもっと嫌いだ。今回の民主党代表選の結果でいいことがあったとすれば、小沢信者が勝ち誇る醜い姿を見なくて済んだことくらいだろう。


「現実と願望を取り違え精神主義に走った」小沢信者を罵倒した私自身の予測はどうだったかといえば、見事に当てたとは言わないけれどだいたい合っていた、少なくとも大外しはしなかったといえる。

世論の7割は菅総理の続投を支持(無能なのに) - 玄倉川の岸辺
小沢支持に数えられた議員の中で日和見したり寝返りをたくらむものが出てくるのは間違いない。

小沢氏の代表選出馬が明らかとなり、マスコミの票読みで小沢優勢が伝えられても菅総理の表情はなぜか明るかった。たぶん小沢氏の極端な不人気ぶりを知っていたのだろう。調子に乗るとたちまちコケるのが菅氏の芸風(年金未納追求→自身の未納が明らかに→お遍路、高支持率→消費税引き上げ宣言→参院選大敗)だから何が起こるかわからないが、小沢氏の「豪腕」にむざむざとしてやられることはなさそうだ。

今になってみれば当たり前すぎて自慢するような予測じゃないと言われそうだが、小沢氏の出馬が伝えられたときマスコミや政治通の多くが「豪腕」小沢の勝利や菅氏の大敗を予想していたのである。予想が外れるのは良くあることだが、外した人はちゃんと原因を見極めて反省しないとまた間違えることになる(偉そうなこと言ってごめんなさい)。
私のことはどうでもいいが、二週間前に小沢氏の惨敗を予想して見事に的中させた人もいる。

選挙プランナー 三浦博史の選挙戦最新事情 - 民主党代表選で小沢氏は惨敗する
多くのマスコミ報道によると、国会議員のマジョリティを押さえ、連合、党員・サポーター、さらには地方議員のマジョリティをも押さえつつある小沢氏が圧勝し、小沢総理誕生かの如く喧伝されています。

しかし、小沢氏は惨敗すると私は思います。

お見事でした。小沢信者のような熱狂とは距離を置き、三浦氏の冷静さを見習いたいと思う。
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世論の7割は菅総理の続投を支持(無能なのに)

2010年08月29日 | 政治・外交
民主党代表選挙ははたしてどうなるのか。
無能な菅氏と真っ黒な小沢氏のどちらが選ばれてもまともに政権運営できないだろう。期待度ゼロだから、どちらがマシか考えるだけ空しい。とはいえ、実質的に日本の総理を決めることになる代表選挙だから勝敗の行方には興味がある。

小沢氏が出馬するからには当然勝つつもりだろう。それも辛勝ではなく大差で勝つ自信があるはずだ。民主党国会議員の過半数はすでに抑えた、と計算しているのではなかろうか。だが世論は小沢氏に厳しい。いや、ほとんど「論外」「言語道断」扱いとさえいえる。

菅氏69%、小沢氏15% 民主代表選で緊急世論調査 - 47NEWS(よんななニュース)
 共同通信社が27、28両日実施した9月1日告示の民主党代表選に関する全国緊急電話世論調査で、代表になってほしい候補者に菅直人首相(党代表)を挙げたのは69・9%で、15・6%の小沢一郎前幹事長を大きく上回った。民主支持層では菅氏支持は82・0%に上った。首相続投支持が世論、支持層の大勢であることが鮮明になり、党所属の国会議員や地方議員、党員・サポーター票の動向に影響を与えそうだ。

 菅内閣の支持率は48・1%で、7、8両日調査の前回から9・4ポイント増。不支持率は8・6ポイント減の36・2%で、7月の参院選後、初めて支持が上回った。代表選の結果、首相が交代した場合、「衆院解散・総選挙を行うべきだ」とする回答は56・1%。「行わなくてもよい」は39・1%だった。「小沢首相」は世論の解散圧力にさらされることになりそうだ。


ダブルスコアは当然でトリプルも予想していたけれど、まさか菅氏と小沢氏の人気が4.5倍も違うとは思わなかった。しかも民主党支持者ではさらに菅氏の支持率が高い。常識的に考えればとても勝負にならない状況だ。だが常識や良識などカケラも期待できないのが小沢氏だから、このままゴリ押しで代表選を戦うのだろう。
小沢氏と側近は戦闘意欲旺盛でも、小沢支持に数えられた民主党議員はどうか。とてもついていけないと浮き足立ちそうだ。国会議員、特に衆院議員にとって一番重要なのは次の選挙で自分が生き残れるかどうかである。このまま小沢氏を支持して大丈夫なのかと考え直さざるを得ない。

仮に小沢氏が代表選に勝って総理に就任しても、国会のねじれ状態は変わらない。支持率が極端に低いから野党に連立を呼びかけてもうまくいかない。たちまち行き詰って衆院解散、総選挙となる可能性が高い。となると小沢氏を支持した民主党衆院議員は一蓮托生だ。船長を変えたとたんに「民主丸」が猛烈な逆風を食らって転覆、荒れ狂う海に投げ出される、というのは民主党衆院議員にとって最悪のシナリオだ。

菅総理が続投した場合はどうなるか。ひどい経済無策なのに「アンチ小沢ブーム」のおかげで支持率が上がったから、もうしばらくは政権が持ちそうだ。小沢派が離党したら逆にそれを利用して公明党か自民党に連立を持ちかける。かつて小沢主導の大連立構想に反対した菅氏がどの面下げて、と批判されても背に腹は変えられない。オポチュニストの菅氏なら土下座でも何でもして政権を維持するだろう。
しばらく解散を先送りできれば神風が吹いて経済が上向くかもしれない。馬鹿げた政争が呆れられて円が下がれば好都合。あとは野となれ山となれ。
…というわけで、小沢支持に数えられた議員の中で日和見したり寝返りをたくらむものが出てくるのは間違いない。

小沢氏の代表選出馬が明らかとなり、マスコミの票読みで小沢優勢が伝えられても菅総理の表情はなぜか明るかった。たぶん小沢氏の極端な不人気ぶりを知っていたのだろう。調子に乗るとたちまちコケるのが菅氏の芸風(年金未納追求→自身の未納が明らかに→お遍路、高支持率→消費税引き上げ宣言→参院選大敗)だから何が起こるかわからないが、小沢氏の「豪腕」にむざむざとしてやられることはなさそうだ。
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「宮崎の顔」が都知事を目指す(?)

2010年08月27日 | 政治・外交
東国原宮崎県知事が東京都知事への鞍替えを目指すとか。
ご本人は都民が喜んで自分を迎えてくれると自信を持っているのだろうが、私は2009年に「私を自民党総裁候補として迎えるつもりがあるのか」とふっかけて顰蹙を買った二の舞になるような気がしてならない。

東国原宮崎県知事、都知事選出馬へ:社会:スポーツ報知
 宮崎県の東国原英夫知事(52)が、来年4月に予定されている東京都知事選への出馬を検討していることが26日、複数の関係者への取材で分かった。次期県知事選(12月予定)には出馬せず、1期限りで知事を引退する意向をすでに固めている。引退表明は、9月定例県議会の閉会日となる10月12日になる見通し。宮崎県で手腕を振るい、高い支持率を得てきた同知事だが、さらなる「地方分権」を実現させるべく、都知事の座を目指すとみられる。


改めて言うまでもないが、東京は日本の首都である。
もちろん都民のプライドは高い。大阪府民や名古屋市民がいくら東京にライバル意識を持とうが、都民はまったく気にしない。そもそも同格の都市とは思っていないのである。都民がまぎれもなく対等のライバルと認めるのはニューヨークだけだろう。パリやロンドンは文化的にはともかく経済的には格下、北京や上海の経済力は認めざるを得ないが、近代都市としての積み重ねがない。東京の都市としてのGDPは世界一であり、ミシュランガイドで三ツ星を最も多く持つ街でもある。アキハバラやツキジはいまや世界的なブランドとなった。経済力と文化的魅力で世界に冠たる日本の首都、それが東京だ。
その東京を率いる都知事にどのような人が選ばれてきたか。ここ半世紀ほどは見事に「東京の人」ばかりである。

美濃部亮吉 - Wikipedia
鈴木俊一 (東京都知事) - Wikipedia
青島幸男 - Wikipedia
石原慎太郎 - Wikipedia

美濃部氏と青島氏は東京出身の東京育ち。チャキチャキの東京っ子だ。
鈴木氏は山形県出身だが学業は東京で修め高級官僚となった。石原氏は兵庫出身の北海道(小樽)・神奈川(湘南)育ちだが、作家・政治家としての活動はずっと東京で行っている。どちらも都民から「東京の人」と認められるのに充分なキャリアだ。
だが東国原氏はどうか。最近はすっかり「宮崎の顔」であり、芸能人として活躍していたころの「東京の人」イメージは消えている。プライドの高い都民が素直に自分たちの知事として認めるとは思えない。「田舎者が勘違いしやがって」と軽侮されるのではないか。
前回の都知事選挙には元宮城県知事の浅野史郎氏が立候補したが、石原氏に大差を付けられて落選した。
その原因について私は二回記事を書いている。

誰が勝つのか都知事選 - 玄倉川の岸辺
仮に浅野氏が「どうか私に都知事をやらせてください」という謙虚な姿勢であれば都民のプライドを傷つけることはないが、「市民団体」から懇願されて「仕方ないから出てやる」という形では「イナカモノが、何を偉そうに」と反感を呼ぶばかりだ。

「酢豆腐」を食った浅野氏 - 玄倉川の岸辺
政策論はさておき、候補者のイメージ論だけで言えば浅野氏はとにかく田舎臭かった。
田舎っぽさを自覚してそれを実直さに見せかけるような工夫があればよかったけれど、妙に気取っていてそのくせセンスが悪い。やることなすこと東京っ子(と、上京した元・田舎人)の顰蹙を買うばかり。
ただの野暮天なら愛嬌もあるが、「酢豆腐」の若旦那と同じくらい変てこな通人気取りだ。


小利口な東国原氏のことだから浅野氏の轍を踏むことはないだろうが、それでも「宮崎県知事としての実績」を訴えることが必ずしも都民にアピールしないというジレンマからは逃れられない。はてさてどうなることやら。
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「君が代合唱演出」の怪

2010年08月05日 | 政治・外交
無能とは辛いものである。
国会予算委員会での菅総理を見てつい同情してしまった。
自民党の谷垣総裁には叱咤激励され、石破政調会長には安全保障問題を講義され、「イラ菅」もまざまざと能力不足を思い知らされて涙目という感じだ。「日本の総理があんな無様な有様でいいのか」とたいへん情けない。
とはいえ、菅氏が総理の座についたのは彼の権力欲のためだけではない。昨年の衆院選で民意を得た鳩山総理が一足先に無能をさらけ出して辞任したのが直接の要因だし、つい二ヶ月前には国民の60%が菅新政権を支持していたのだ。政治情勢と「民意」が菅氏を総理に押し上げた。無能な菅氏が総理を務めることになった責任の半ば以上は民主党と「世論」にある。

お恥ずかしい話だが、私自身も「俺って無能だなあ」とよく思い知らされている。もちろん菅総理のように重い地位にあるわけじゃないけれど、能力のなさゆえに失敗したり人から蔑みの目で見られるのは悲しいものだ。菅総理を支持しているわけではないけれど、つい同情してしまうのはダメなやつ同士(?)の連帯感だ。菅氏には麻雀計算機とかブーメラン伝説とかお遍路とか面白エピソードが多く、人間味があってなんだか憎めない。

菅総理につい同情してしまう私だが、もちろん野党に対して「手心を加えてやれ」などとは言わない。総理大臣の無能は国民の不幸である。批判すべきは手厳しく批判してもらう。谷垣氏と石破氏の質問は厳しいなかにも礼儀を忘れず立派なものであった。
だが揚げ足取りのような質問で時間を無駄にする自民党議員もいてがっかりする。麻生総理がバー通いだの漢字の読みちがいだのくだらないことで責められた意趣返しのつもりかもしれないが、まことにつまらない話だ。

FNNニュース: 「ラジオで君が代斉唱拒否」に菅首相が強く反論 放送したラジオ日本「歌わなかった」
自民党の平沢衆院議員の「総理は日の丸、君が代、賛成ですか、反対ですか?」の質問に、菅首相が強く反論した。
平沢議員は、2002年に、故・ミッキー安川さんが司会を務めたラジオ番組に菅首相が出演した際の話を持ち出し、「この番組の冒頭、みんなが立って、君が代を歌って、それから番組に入るんです。総理はその時に、『わたしは君が代を歌いたくない』と言われました」と述べた。
菅首相は、この質問を遮り、「そんなこと言わない、うそだ! うそです、それは!」などと反論した。
また、菅首相は「私だけ座って、あるいは斉唱しない。そういう行動を取るはずがない、自分の中で。そこまで言うのであれば、きちんと証拠を上げていただきたい」と述べた。
この放送をしたラジオ日本は、スーパーニュースの取材に「この時、総理は、ミッキー氏に促され、起立はしたものの、君が代は歌わず、ミッキー氏の『君が代は嫌いか?』との問いかけに、『そうだ』と言った」と回答した。


本当にバカじゃなかろうか。もちろん、こんなくだらない質問をする平沢氏のことだ。
「菅総理が8年前にラジオ番組で君が代を歌ったかどうか」を国会で問題にする必要性がまったく理解できない。番組中で歌うことに特別な意味があるならともかく、テーマソング(?)のような形で利用しているだけじゃないか。だいたい、どんな番組か知らないが「冒頭、みんなが立って、君が代を歌って、それから番組に入る」という演出が謎だ。「愛国者」専用の番組だから左翼は聞くな、というマーキングか。だとしてもインストゥルメンタルで済むことで、素人がヘタクソな君が代を合唱する必要はない。アメリカのトークラジオのような「愛国放談」をする前の景気付けか。国歌が「駆けつけ三杯」代わりに使われるとは情けないことだ。

「君が代合唱演出」を行った出演者とスタッフ、それに疑問を感じない人たちはたぶん自分たちを愛国者だと思っているのだろう。それは結構だが、はっきり言って私には君が代をもてあそんでいるようにしか見えない。どこかのお店が「われわれは皇室を尊敬しています」と称して天皇皇后両陛下の写真を包装紙の図柄として利用したら、多くの人が不快に思うだろう。私が「君が代合唱演出」に抱く嫌悪感はそれに似ている。
意味不明な「君が代合唱演出」に素直に従うほうが変だと思う。もし私がその番組に出るとしたら、「君が代を歌う意味がわかりません」と拒否するだろう。

菅総理が8年前のラジオ番組で「君が代」を歌ったのかどうか私は知らない。知りたくもない。まったくもってどうでもいいことである。
だが、もしも「歌っていなかった」ことが明らかになり(あるいはそういうことにされて)菅氏が批判を受けるとしたら、私は断然「くだらないラジオの演出のために君が代を合唱する必要などない、菅氏が拒否したのは正しい」と擁護するつもりだ。

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死刑をパフォーマンスにする人たち(その2)

2010年07月30日 | 政治・外交
ひとつ前の記事で千葉法相に対する死刑存置派の言いがかりがひどいと書いた。
別に千葉氏が正しいとか批判するなとか言うつもりはない。
裏切られた死刑反対派が怒るのは当然だし、存置派が「なぜこれまでサボタージュしていたのか」と批判するのも理解できる。だが、「落選議員が閣僚を続けるのはけしからん」(憲法68条を無視)だの、「本人が責任逃れするために利用した」(かえって批判が燃え上がり責任逃れどころではない)だの、こじつけとしか思えないようなくだらない批判を聞かされるとうんざりする。死刑存置派の多くは保守派だと思うが、それこそ品格が下がるというものだ。
安倍元総理や読売新聞・産経新聞のくだらない千葉法相批判に呆れていたら、ようやく「強硬な死刑存置論者」が千葉法相を評価する意見を見つけた。それも一般人ではなく、オウムと命がけで戦った滝本太郎弁護士である。


千葉法務大臣の死刑執行-批判に関して | 『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記
なんともまあ。下記のような批判。
それも、死刑維持派、廃止派の両方の一部から。

いわく
1-落選し民間からの法務大臣なのに。
2-法務大臣でいることへの批判を避けるために、死刑囚とはいえ命を利用した。

何を言っているのか、と。

1-法務大臣は、なっていることそれ自体で、もう「民間」ではありません。
国家として刑の執行を代表する立場です。

そもそも、「民間人」だとしても、なんら死刑執行を命令することに矛盾はないです。国家の刑罰権の独占は、国民から刑罰権を奪った代償であり、もともとは国民の権利に由来するのだから。

2-これが、落選したのに法務大臣でいることの批判を避ける材料になるはずがないではないですか。

実際、そんな材料になどなっていないのだし、なるはずがない。
そんな1―2か月法務大臣でいることの批判なぞより、死刑を自ら執行することの重さの方がはるかに重いのが当り前ではないか。

死刑維持派からそんな批判もありえることも覚悟で、執行したのでしょう。まして、親しかった死刑廃止論の方々から「裏切り者」にされることも覚悟で執行したのでしょう。文字どおり身を切られる想いだった筈です。
いわば、自ら泥水を飲んで、死刑制度を国民に問うた、のです。凄い覚悟だな、と私は敬服するのです。


まことにごもっとも。
いや、私自身は死刑を執行停止・廃止すべきだと思っているから滝本氏の意見にそのまま同意することはできないが、死刑存置派の意見としては筋が通っている。安部元総理や読売・産経のように難癖をつけて無理やり千葉法相を批判するよりはよほどすがすがしい。

私は死刑についての議論をよく知らないが(なにしろ読んで楽しくなる話題ではない)、千葉法相を批判する死刑存置派の態度が矛盾しているように思えてならない。たしか、多くの存置派は「法相の個人的信条はどうでもいい、法相の職務として死刑執行命令を出す責任がある」と主張していたのではなかったか。おそらく「死刑反対派が法相になること自体許せない」と思う人も多いのだろうが、憲法で思想信条の自由が認められているからおおっぴらには言いにくい。だから「思想は横に置いて形だけでも義務を果たせ」ということになる。これを「形式論」と呼ぶことにしよう。

さて、千葉法相はこれまでいかなる理由によるものか死刑執行命令を出さずにいた。死刑存置論者には腹立たしいことだ。そこで「形式論」を用いて「死刑執行は思想の問題ではない、法相の義務だ」と批判する。ここまでは筋が通っており問題ない。
ところが、千葉氏は急に心変わりして(本人にそのつもりは無いようだが)、二件の死刑を執行した。これまで形式論で批判してきた存置派は「千葉氏が何を考えているか知らないが、ともかく義務を果たしたのは正しい」と認めるべきだろう。
だがそうはならなかった。「急に死刑を執行したのは『落選したのに大臣の座に居座っている』ことへの批判をかわすためだろう」と決め付け、そんな不純な動機のために死刑執行するのはけしからん、と怒ってみせたのである。ちょっと待ってくれ、いつから動機が問題になったんだ?これまで「思想は二の次、死刑を執行することが大事」と言ってきたのは嘘なのか?千葉氏や死刑反対派批判のためにはダブルスタンダードも許されるのか?

これが逆だったらどうだろう。
鳩山元法相がかつて提案したように「ベルトコンベア式」に死刑を執行していた法務大臣が何らかの理由で「今後、私の任期中は死刑執行命令に慎重の上にも慎重を期します」と実質的な執行停止宣言をしたとする。仮にその動機が法相の個人的な利害であったとしても、死刑反対派が「そのように不純な理由で執行停止するのはけしからん」と怒るとは思えない。むしろ「理由はどうあれ、執行停止を歓迎する。次の法相も引き継いでほしい」と歓迎するはずだ。

私自身は死刑を執行停止・廃止すべきだと考えているが、死刑制度を続けるべきだと考える人たちを軽蔑したり非難するつもりはない。死刑についての議論は感情的になりがちだが、あくまでも行刑制度の一部として冷静に(感情よりも「勘定」で、合理的に)論じられるべきだと思う。
だが、千葉法相への言いがかりのような批判、ひどいダブルスタンダードを見せられると、そりゃちょっと卑怯だと思ってしまう。安倍元総理や読売・産経のような無理筋の批判が大きな顔をしていると、死刑存置論者全体の信用にも傷が付く。私が心配する筋合いではないが、これまで「形式論」で千葉法相の「サボタージュ」を批判してきた死刑存置論者は滝本弁護士を見習って「義務を果たした」千葉法相をフェアに評価すべきだろう。
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