玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

レーシングライダーは特攻隊じゃない

2007年02月28日 | 政治・外交
私は石原慎太郎が嫌いだ。
どれくらい嫌いかというと田中康夫やフナムシと同じくらい嫌いである。
もし自分が都民だったら石原には投票しない。対立候補に入れるか棄権する。

とはいえ、石原都知事の言うことやることすべて反対するアンチのつもりはない。
TBSによる発言改竄問題では石原氏を応援した。先日の東京マラソンも批判されたけれどなかなかいい企画だった。東京オリンピックはちょっとどうかと思うが。

だがこればかりは認められない。いや許せない。

ZAKZAK 慎太郎にダメ出し…三宅島公道でオートバイレース構想
 東京都の石原慎太郎知事(74)=写真=が三宅島の復興策として発案した一般道路(公道)でのオートバイレース構想に対し、日本を代表するプロライダーたちが「危険すぎる。絶対に開催すべきではない」と、安全面から「NO」を突きつけていることが21日、明らかになった。石原知事が打ち上げた東京マラソンは大成功だったが、こちらは…。

 「公道レースは不可能。事故が起きれば死者が出る可能性がある。昨年7月の視察以来、何度も提言してきたが、まったく聞き入れられない。初めから結論ありき、という印象です」

 こう話すのは元Hondaワークス所属で、元全日本GP・全米選手権チャンピオンといった経歴を持つ“天才ライダー”の宮城光氏(44)。

 三宅島レースは、噴火による全島避難が解除されて1年後の2005年1月末、石原知事が「英国のマン島のようにオートバイレースを誘致すれば若いライダーに人気になる」と発案し、検討され始めた。今年11月の開催予定で、インフラ整備費として4億円も計上されている。

 モデルとなったマン島TTレースは1907年に始まった世界最古の公道オートバイレース。死者も出る危険なレースとして知られる。

 宮城氏は、都とともに大会を主催する日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)から「どうすれば公道レースができるか?」という依頼を受け、昨年7月から三宅島を4回訪問、予定コースの外周道路(30キロ)などを視察・試走した。

 その結果、(1)幅員が6-7メートルと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。クラッシュパッド(緩衝材)などで対策しても安全性は不十分(2)都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分(3)車両の安全地帯がなく、事故の場合は2次災害が懸念される-などと判断。

 「絶対に公道レースはやってはいけない」と結論づけ、「小さくてもいいからサーキットを作るべきだ」と提案した。

 しかし、都が昨年12月26日に発表した「第1回三宅島オートバイレース大会(仮称)の概要」では、コースは当初予定の外周道路のまま。

 このため、宮城氏は今月5日、前述の理由などを添えて「公道レースは絶対的に開催すべきではない」という報告書を都やMFJに提出したが反応はないという。

 世界選手権参加経験のある難波恭司氏(43)も昨年8月に同様のリポートを提出したが、一切無視されたままだ。

 「現状では選手に『死ね』というようなもの。レースに危険はつきものだが、選手は安全性が確保されて初めて危険に挑める。命知らずとは違うということを石原知事に理解してもらいたい」

 これに対し、都は「公道を使い、安全性を確保できるレースを検討中」といい、MFJの神谷忠ロードレース副委員長も「スピードを競うのでなく、安全に配慮したレースにすれば問題ない」と語り、オートバイメーカーに協力を要請したが、反応は厳しい。

 業界をリードする本田技研工業は「二輪車レースはサーキットがふさわしいと考える。安全の確保が極めて難しい公道レースは賛同しかねる」(広報部)と反対する。

 極限の戦いをしてきた元プロやトップメーカーから“殺人レース”とまで言われる三宅島レース。石原知事はどうするのか。

ZAKZAK 慎太郎キレた…三宅島レース批判に「コース見てこい」
 東京都の石原慎太郎知事(74)が三宅島の復興策として進めている一般道路(公道)でのオートバイレースに、専門家から「殺人レースだ。絶対にやめるべき」と批判が噴出している問題で、石原氏は23日、「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」と語った。

 この問題は同日の東京都議会の予算特別委員会でも取り上げられたが、途中、石原氏が「見てこい、おまえも。反対ばっかしないで」とヤジをとばす場面も。議会後には報道陣に「(マン島レースに比べたら三宅島の道は)余裕がある。一度やってみないと分からない」と述べ、三宅島レースを開催する方針を明言した。

公道を使用したバイクレースはライダーと観客の人命に関わる問題だ。
そして、専門家が危険性を指摘して強く反対している。
それなのに都知事の職にある石原慎太郎という男は「一度やってみないと分からない」と言い放つ。
ふざけてる。無責任だ。浅ましい。下劣だ。寝言は寝てから言え。

「レースは危険があるからエキサイトする」という言葉からして馬鹿げている。
モータースポーツの興奮は選手たちが自らの才能を限界まで搾り出して競り合うところにある。「危険があるからエキサイトする」などというのはモータースポーツの見方を知らない素人のたわごとに過ぎない。ただの観客が言うのなら「バカだな」で済むが、運営責任者がここまで無恥を晒すのは本当に恐ろしい。

2ちゃんねるから三宅島バイクレースの問題点のまとめを引用する(改行・誤字を修正)。

三宅島レースの問題点(改訂版)

1:病院施設
一番近くの病院までヘリで40分、事故現場からヘリの待機所までの距離は不明だが決して短くはなさそう。しかも、その病院には救急救命施設がない
2:道路
ブラインドカーブとガードレールと電柱と標識と段差舗装とマンホールのオンパレード。4億円かけて改修予定だが、2月現在、その改修工事をやる入札すらしてない段階。そもそも4億で足りるのか?
3:レギュレーション
現在検討中
4:参加資格
同上
5:それでも開催日時はすでに決定!11月9-11日
6:800とリッターのエキシビションもあるぜよ!

賛成は全てこれを「嫌なら、出なきゃ良い」の一言ですまそうとしてるわけだ

まるで柔道の試合をコンクリート打ち放しの床でやるようなものだ。一本背負いで叩きつけられたら大怪我するか死んでしまう。柔道は畳敷きの道場でやるものだ、どうしてもコンクリートの会場でやりたければマットを敷いてくれ、と言っているのに、「柔道は危険があるからエキサイトする」などと言い放つ主催者がいたら間違いなく頭がどうかしている。

日本のイナゴは優しいイナゴ

2007年02月23日 | ネット・ブログ論
「ネットイナゴ」という文字が新聞に載ったのはこれが初めてかもしれない。

「ネット右翼」というより「ネットイナゴ」か|IT|経済|Sankei WEB
 ネットにはマスメディアに対する不信が充満している。小紙をはじめこのところメディア各社で相次いだ不祥事は、その傾向にますます拍車をかけた格好だ。

 その一方で、メディア側からの反撃と言うべきか、ネットの「闇」に焦点を当てた記事の増加も目立つ。いくつかの「炎上」や「祭り」は事件として取り上げられ、「匿名 群がる悪意」「ネット右翼」といった見出しが紙面に躍った。

 ただこれらの批判は、ネットでは今ひとつピントの外れたものとしてとらえられているようだ。取材の一面性、結論先にありき臭…反論はさまざまだが、要は悪でも善でもない事件の扱い方が不得手という、メディアの切り口への不満があるのは間違いない。

 硬直した構図に当てはめて描かれる分析は、取り上げた現象が悪意か善意か、右か左かという表層に気を取られ、「祭り」は「集団リンチ」あるいは「美談」に単純化される。原因の分析としては、上滑りしている感は否めない。

 昨年あたりから、「祭り」に群れ集う人々に対して「ネットイナゴ」なる言葉が用いられるようになったが、「ネット右翼」として若者の右傾化に関連付ける議論よりは、よほど適当な表現に思える。イナゴには悪意も善意もない。あるのはただ食欲のみだ。ネット界のイナゴも、「祭り」を消費せんとする貪欲(どんよく)な食欲こそ本質だろう。「事件」の枠を超え、こういうある種自然現象的に考える視点があれば、批判もより的を射たものになったかもしれない。

 もっとも、個人的にこうしたイナゴが好きかどうかは、また別の問題だ。かつて食料の強制徴発という悪癖を持った中国大陸の日本軍をくさすのに、「皇軍」をもじった「蝗軍」という言葉があったが、たとえば右方面の祭りで騒ぐイナゴ諸氏には、この称号を進呈してみたい誘惑に駆られるけれど。(磨)

ネットイナゴという言葉はこれまでマスコミで多く使われてきた「ネット右翼」という政治的立ち位置による分類よりも「付和雷同性・群集心理」に注目したものだ。こちらのほうがネット上の「祭り」「ブログ炎上」のメカニズムを分析する上でより適切に思える。 元アナウンサーのブログ炎上のときは「性犯罪における女性被害者の自己責任を問う」保守的な意見が批判された。この場合「右翼・左翼」でいえば元アナウンサーが「右翼」側で批判側は「左翼」に近い。
さらに元・産経新聞政治部長のブログが炎上したときはモーニング娘。の「。」の是非や彼女たちの歌や踊りがうまいか下手かといったことが問題にされた。まったく政治とは関係ない。もし「産経新聞の政治部長だった花岡氏を攻撃するのは左翼に決まってる、花岡ブログを荒らしたのはネット左翼だ」などというものがいるとしたら(いないけど)馬鹿である。

ところで、Wikipediaによれば日本の田畑に住み地域によって佃煮にされたりするイナゴは、中国やアフリカで大規模な蝗害を起こすイナゴとは別の虫なのだそうだ。

イナゴ - Wikipedia
漢語の「蝗」は、日本で呼ばれるイナゴを指すのではなく、トノサマバッタやサバクトビバッタなど限られた種のバッタが大量発生などにより相変異を起こして群生相となったものを指し、これが大群をなして集団移動する現象を飛蝗、これによる害を蝗害と呼ぶ。日本ではトノサマバッタが蝗、即ち群生相となる能力を持つが、日本列島の地理的条件や自然環境では殆どこの現象を見ることはない。わずかに明治時代、北海道開拓に伴う資源環境の破壊により起きたもの、1986年に鹿児島県の馬毛島で起きたものなどが知られるくらいである。

日本人にとって殆ど実体験のない「蝗」が漢籍により日本に紹介されたときに、誤解により「いなご」の和訓が与えられ、またウンカやいもち病による稲の大害に対して「蝗害」の語が当てられた。

蝗害 - Wikipedia
蝗害(こうがい)とは、トノサマバッタなど、相変異 (動物)を起こす一部のバッタ類の大量発生による災害のこと。日本での発生は稀なため、漢語の「蝗」に誤って「いなご」の訓があてられたが、日本で水田に生息し、食用になる分類学上のイナゴ類がこの現象を起こすことはない。

ちょっとびっくり。日本のイナゴは優しいイナゴなのか。
虫のイナゴと「ネットイナゴ」はもちろん別物だけれど、そこを無理やり当てはめて見立てると

「日本の自然環境では殆どこの現象を見ることはない」はずの蝗害がネットでしょっちゅう起きるのはマスコミによる情報操作(情報環境破壊)への反発が原因の一つである

ということになるのかも知れない。

「押し付け」はどこにある

2007年02月11日 | 日々思うことなど
私は全然知らなかったが、朝日の記事によるとこれまで政府は「押し付け型」少子化対策をしていたのだそうだ。

asahi.com:少子化戦略 脱「押しつけ型」に変化 出生率より支援策
 少子化問題に取り組む「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議(議長・塩崎官房長官)が9日、首相官邸で初会合を開いた。政府が目指してきた「出生率向上」を前面に打ち出すことは控え、結婚や出産に対する「国民の希望」を支援する姿勢を強調。女性を「子どもを産む機械」と例えた柳沢厚生労働相の発言の影響も手伝って、「押しつけ型」対策からの転換を図った形だ。

 安倍首相は会議冒頭で「結婚や出産に関する国民の希望が実現するには何が必要であるかに焦点を当て、効果的な対策の再構築を図らなければならない」と述べた。会議のメンバーからも「決して目標ではないという考え方が非常に大事だ」との意見が出た。集中砲火を浴びている柳沢氏も、国会審議で国民の「希望」をかなえる政策の必要性を強調していた。

 首相が官房長官時代の昨年6月にまとめた「新しい少子化対策」では、学生ベビーシッター育成や児童手当の乳幼児加算など40項目の対策を列挙。「思いつく施策は何でも盛り込んだ」(内閣府幹部)結果、新年度の少子化関連予算案は前年度比12%増の1兆7000億円に膨らんだ。

 ところが、「総花的でメリハリがない」との批判に加え、財政的な裏付けや企業や労働界との連携も不十分だった。これまでの対策でも、必要な人に行き届かない「押しつけ」政策が見られたという指摘もある。

 その反省から、今回は結婚の有無や子どもの数など段階に応じて政策に優先度をつける「傾向と対策」を進める。9日の会議では「これまでの対策は効果が十分に出ていない。原因の分析が必要だ」との意見が相次ぎ、首相自ら「結婚や第1子出産には経済的基盤、第2子は家事・育児の分担、第3子以降は教育費負担の軽減が重要」と説明。また、尾身財務相は「これまでの少子化対策は予算が少なかった」と述べ、予算拡大に含みを持たせた。

 会議は今後、経済支援や働き方の改革、地域・家族の再生などについて四つの分科会で議論を深める。6月中には「骨太の方針2007」に反映する基本的な考え方をまとめ、年内にも全体像を示す予定だ。

それにしても妙な記事である。
「少子化戦略 脱『押し付け型』に変化」というタイトルでありながら、記事中にはこれまで政府がどんなふうに国民に少子化戦略を押し付けてきたのか書かれていない。そんなこと説明する必要はない、ということなのか。私は「押し付け型」少子化対策について一度も聞いたことがないのだが。
というわけでちょっと調べてみた。

少子化社会対策大綱 平成16年6月

1 大綱策定の目的
 我が国は、世界で最も少子化の進んだ国の一つとなった。合計特殊出生率は過去30年間、人口を維持するのに必要な水準を下回ったまま、ほぼ一貫して下がり続け、この流れが変わる気配は見えていない。日本が「子どもを生み、育てにくい社会」となっている現実を、我々は直視すべき時にきている。
 (中略)
 次代を託す新たな生命が育ちにくくなっており、虐待なども起きている現状を社会全体の問題として真摯に受け止め、子どもが健康に育つ社会、子どもを生み、育てることに喜びを感じることができる社会へ転換することが緊喫の課題になっている。
 このため、子どもや子育て家庭を、世代を越え、行政や企業、地域社会も含め、国民すべてが支援する新たな支え合いと連帯を作り上げることが求められている。また、子どもたちの健やかな育ちや自立を促し、さらには親自身の育ちを支援し、子育て・親育て支援社会をつくることを国の最優先課題とすることが求められている。

冒頭で「日本が『子どもを生み、育てにくい社会』となっている現実を、我々は直視すべき時にきている。」と宣言しており、少子化を社会全体の問題としてとらえている。「子どもたちの健やかな育ちや自立を促し、さらには親自身の育ちを支援し、子育て・親育て支援社会をつくることを国の最優先課題とすることが求められている。」と政府の責務は書かれているけれど、誰か(特に女性)に責任を押し付けるような文言は見当たらない。
以下は見出しだけ引用する。

2 少子化の流れを変えるための3つの視点

 (1)自立への希望と力
   『若者の自立が難しくなっている状況を変えていく。』
 (2)不安と障壁の除去
   『子育ての不安や負担を軽減し、職場優先の風土を変えていく。』
 (3)子育ての新たな支え合いと連帯 -家族のきずなと地域のきずな-
   『生命を次代に伝えはぐくんでいくことや家庭を築くことの大切さの理解を深めていく。』
   『子育て・親育て支援社会をつくり、地域や社会全体で変えていく。』

3 少子化の流れを変えるための4つの重点課題
 (1)若者の自立とたくましい子どもの育ち
 (2)仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し
 (3)生命の大切さ、家庭の役割等についての理解
 (4)子育ての新たな支え合いと連帯

4 推進体制等
 (1)内閣を挙げた取組の体制整備
 (2)重点施策についての具体的実施計画
 (3)構造改革特別区域制度の活用
 (4)国民的な理解と広がりをもった取組の促進
 (5)大綱のフォローアップ等

(別紙)重点課題に取り組むための28の行動
 〔若者の自立とたくましい子どもの育ち〕
(1)若者の就労支援に取り組む
(2)奨学金の充実を図る
(3)体験を通じ豊かな人間性を育成する
(4)子どもの学びを支援する

 〔仕事と家庭の両立支援と働き方の見直し〕
(5)企業等におけるもう一段の取組を推進する
(6)育児休業制度等についての取組を推進する
(7)男性の子育て参加促進のための父親プログラム等を普及する
(8)労働時間の短縮等仕事と生活の調和のとれた働き方の実現に向けた環境整備を図る
(9)妊娠・出産しても安心して働き続けられる職場環境の整備を進める
(10)再就職等を促進する

 〔生命の大切さ、家庭の役割等についての理解〕
(11)乳幼児とふれあう機会の充実等を図る
(12)生命の大切さ、家庭の役割等についての理解を進める
(13)安心して子どもを生み、育てることができる社会の形成についての理解を進める

 〔子育ての新たな支え合いと連帯〕
(地域における子育て支援)
(14)就学前の児童の教育・保育を充実する
(15)放課後対策を充実する
(16)地域における子育て支援の拠点等の整備及び機能の充実を図る
(17)家庭教育の支援に取り組む
(18)地域住民の力の活用、民間団体の支援、世代間交流を促進する
(19)児童虐待防止対策を推進する
(20)特に支援を必要とする家庭の子育て支援を推進する
(21)行政サービスの一元化を推進する

(子どもの健康の支援)
(22)小児医療体制を充実する
(23)子どもの健康を支援する

(妊娠・出産の支援)
(24)妊娠・出産の支援体制、周産期医療体制を充実する
(25)不妊治療への支援等に取り組む

(子育てのための安心、安全な環境)
(26)良質な住宅・居住環境の確保を図る
(27)子育てバリアフリーなどを推進する

(経済的負担の軽減)
(28)児童手当の充実を図り、税制の在り方の検討を深める

以上をご覧になってどのように思われただろう。
私には朝日が言うような「押し付け型」少子化対策なるものの陰さえ認めることができなかった。「支援」「理解」「支え合い」「安心」「充実」等々まことにご立派な言葉ばかりが並び、「押し付け型」という言葉から連想される「命令」「義務」「規制」といった強圧的な文言は一つも見当たらない。これは押し付け型どころか支援・理解促進型の少子化対策である。
「言葉ばかりが立派で中身が伴っていないんじゃないか」という危惧はあるけれど、押し付けがましさよりむしろおっかなびっくりな印象さえ受けた。

そもそも「押し付け型」少子化対策とはどういう意味なのだろう。私と朝日新聞とではよほどイメージが違うようだ。
私は現代日本で少子化対策を国が「押し付ける」ことなど不可能だと思う。
政府が独身者に無理やり結婚させることなどできはしないし、夫婦に子供を持つことを義務付けることだって無理だ。東京大学助教授・赤川 学氏の研究によると第二次大戦中の戦時期人口政策(いわゆる「産めよ増やせよ」)はたいへん徹底しておりまさに「押し付け」だが、こんなやりかたが現代において受け入れられるとはとても考えられない。
「独身税」「子なし税」といった制度を提唱する意見もあるが実現は困難だろう。ちなみに独身税の問題点についてはこちらのブログで詳しく取り上げられている。

たぶん朝日新聞の考える少子化対策の「押し付け」とは、政府が「『出生率向上』を前面に打ち出」したり厚生労働相が「若い人たちは、結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる。若者の健全な希望にフィットした政策を出していくことが大事」と発言したりすることなのだろう。私にはそのどちらも押し付けとは感じられないのだけれど。

記事中に「これまでの対策でも、必要な人に行き届かない「押しつけ」政策が見られたという指摘もある。」という部分があるけれど意味がよくわからない。支援型少子化対策をしていくうちに不備があって「必要な人に行き届かない」部分が生じることもあるだろうが、それがなぜ「押し付け」になるのか。冷静に「ここに支援が足りません」と指摘すれば済むことである。もし政府が「支援はできないが何とかしろ」と逆切れしたら押し付けと呼ばれても仕方ないが、そういう実例があるのか。低姿勢な「少子化社会対策大綱」を見るかぎり想像しにくい。
それとも、この記事を書いた朝日記者は「そもそも少子化対策など必要ない」という考えなのか。だとしたらどんな形の少子化対策であっても「押し付け」と感じてしまうことだろう。

林先生ではないけれど、この記事を読んで
「まさかとは思いますが、この「押し付け」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身がフェミニズム過剰であることにほぼ間違いないと思います。」と言いたくなってしまった。

道は開ける

2007年02月09日 | 日々思うことなど
デール・カーネギーって最近はあまり読まれていないのだろうか。
私が中高生のころはどの学校の図書館にもあって先生や司書に「いい本だから読みなさい」と勧められたものだが。

活字中毒R。 - 「悩むこと」と「考えること」の違い
はてなブックマーク - 活字中毒R。 - 「悩むこと」と「考えること」の違い
不安とトラブルは違うと書きました。
 そもそも、「考えること」と「悩むこと」は違うのです。
 僕は22歳で劇団を旗揚げしました。今と違って、学生劇団からプロを目指すなんて、誰もやっていませんでした。当然、旗揚げの時は、不安でした。
 早稲田大学演劇研究会という所にいたのですが、先輩が、僕に、「鴻上、劇団、どうするの?」と聞いてきました。
「今、どうしようか考えているんですよ。旗揚げしたほうがいいのか、やっていけるのか……」
 と答えると、その先輩は、
「考えてないじゃん、悩んでるんだろう」
 と言いました。えっ? という顔をすると、先輩は、
「考えることと悩むことは違うよ。考えるっていうのは、劇団を旗揚げして、やっていけるのかどうか――じゃあ、まず、今の日本の演劇状況を調べてみよう。自分がやりたい芝居と似たような劇団はあるのか、似たような劇団があれば、どれぐらいのお客さんが入っているのか、自分の書く台本は演劇界の中でどれぐらいの水準なのか――そういうことをあれこれ思うのを考えるって言うんだよ。当然、調べたり、人に聞いたりもするよね。悩むってのは、『劇団の旗揚げ、うまくいくかなあ……どうかなあ……どうだろうなあ……』ってウダウダすることだよ。長い間悩んでも、なんの結論も出ないし、アイデアも進んでないだろ。考える場合は違うよ。長時間考えれば、いろんなアイデアも出るし、意見もたまる。な、悩むことと考えることは違うんだよ」
 これもまた、目からウロコのアドバイスでした。
 トラブルは考えることができますが、不安は、ただ悩むだけです。悩めば悩むだけ、不安は大きくなります。

これはカーネギー「道は開ける」の中にある「シンプルな考え方の習慣」そのものだ。

『道は開ける』D・カーネギー
3 シンプルな考え方の習慣

  次の四つの段階を踏めば、悩みの九割を追い払うことができる。
   一、悩んでいる事柄を詳しく書き記す。
   二、それについて自分にできることを書き記す。
   三、どうするかを決断する。
   四、その決断をただちに実行する。
             (ガレン・リッチフィールド)

カーネギーもリッチフィールドという人から引用しているように、人生で直面するほとんどの問題は先人によって考えつくされ解決法が見出されているものらしい。それなのになぜ世の中から悩み苦しみが減らないのかというと、人間とはそういうものだからとしか言いようがない。自分自身も高校生のときカーネギーを読んで「なるほどこれは大したものだ」と感心したけれど、実際に知恵を役立てられたことはあまりない。正しい考え方の習慣を身につけるにはもっと幼いうちから自分を訓練しておく必要があるのだろうか。いや、それは怠け者の言い訳か。

それはともかく、この「道は開ける」という本、あまたある大衆向け自己啓発本の嚆矢にして定番であり、多くの類書のネタ元でもある。出版されたのは1936年と古いが内容は今でも充分に通用する。決して読んで損のない本だ。鉄人・村田兆冶氏も「何回も表紙がボロボロになるまで読んだ」そうである。
難点は、さすがに昔の本なので事例や文章に古臭さを感じること、アメリカ人がアメリカ人のために書いた本だから当然アメリカ臭いこと。
良いところは、説教臭いところが少なく実用的な「悩み解決の HOW TO本」に徹していること。

「道は開ける」という本、自分も大昔に買って持っていたはずなのに探してみたらどうしても見つからない。こんなことだから「正しい考え方の習慣」を身につけることができないのだと納得してしまった。どんなことで先送りにしたがり、部屋の片付けが大の苦手な自分にとってカーネギーの教えは宝の持ち腐れかもしれない。

統計と人権と政治

2007年02月03日 | 日々思うことなど
自民党の中川秀直幹事長という人、過去にいろいろと芳しくない噂がありどうも人間的に好きにはなれないタイプだが、こういう文章を読むと「やっぱり頭がいいんだな、だからスキャンダルがあっても生き延びて顕職に付けるのか」と納得せざるを得ない。

中川秀直公式Webサイト - トゥデイズアイ : (厚労相辞任論)不義の野党には絶対に譲歩しない
柳沢大臣の発言問題について、冷静に、事実に即して問題点を整理しよう。

まず、1月27日松江市の講演で、柳沢大臣はどんなふうにおっしゃったのか。正確に再現しよう。

「特に、今度我々が考えている2030年ということになりますと、2030年に例えばまあ20歳になる人を考えると、今いくつ、もう7、8歳になってなくてはいけないんですよ。もう生まれちゃってるんですよ。(20)30年のときに20歳で頑張っている人とか、やってくれる人はですね。

そういうようなことで、後は、産む機械って言ってはなんだけども、装置の数がもう決っちゃったということになると、機械って言っちゃ何だけど、機械って言ってごめんなさいね。その産む役目の人が1人あたまで頑張ってもらうしかないんですよ。みなさん、もうね、役人の人からいわれるんですが、2030年には大臣、勝負は決っているんです。こう言われちゃうんです」

「で、今どれくらい1人あたまで産んでくれるかというと、それが合計特殊出生率というこむずかしい名前で呼ばれる事実なんですね。今は日本は1.26、去年は1.29だったんです」

朝日社説冒頭の引用をはじめ、柳沢大臣の言葉の引用に「女性は」をつける報道が多いが、大臣はそうはいっていない。

柳沢大臣は人口統計と合計特殊出生率の説明をしようとしていた。合計特殊出産率は、15歳から49歳までの女子の年齢別出生率を合計したもので、1人の女子が仮にその年次の年齢別出生率で一生の間に産むとしたときの子どもの数に相当する。柳沢大臣は、この合計特殊出生率を分かりやすく言おうとして、そして、2030年までの20歳人口はもう決っていること、だから、子供をつくりたいと希望するならばその希望をかなえられるようにしなければならないということを、言いたかったのだと思う。


大変わかりやすい説明だ。
柳沢大臣は「人口統計と合計特殊出生率の説明」をしようとしていたのであって、言うまでもなく統計には「人格」「人権」の概念は含まれず一人一人の存在と行動は単なるデータとして扱われる。データ処理や統計学とはそういうものだろう。
柳沢大臣の失言が多くの国民の不興をかったという意味で政治家として不適切なのは間違いない。だが、民主党・小沢代表のように「政治家である以前に、人間として許されない」とまで言うのはおかしい。
人権や人格の尊重は大変結構なことだ。しかし、統計や科学は人権論とは別の次元で考える必要がある。
私とて柳沢失言に怒り「人として許せない」と言いたくなる人たちの気持がわからなくはない。だが、そういう考え方が絶対の正義となり常識になることを恐れる。政治家が統計や科学の考え方を口にするのも許されないようなら、それは現代のラッダイト運動ではないか。

眞鍋かをりは「気にならない」と言った

2007年02月02日 | 政治・外交
「あるある大辞典」の実験結果捏造が明らかになったとき、全国で納豆の売り上げがガックリ減った。
そのとき「あのね、今こそ納豆ですよ。」とブログに書いた眞鍋かをり。優しくて賢い女性である。

眞鍋かをりのココだけの話 powered by ココログ: 言いまつがい
今日、納豆2パック食べたよ!

しかも、朝と夜にちゃんと分けてね。


…なぜ、今!?


って思った方、

あのね、今こそ納豆ですよ。


だいぶ業者さんも増産しちゃってるみたいだし、これだけ社会現象になったんだから

国民みんなで「納豆食べる月間」にしましょうよ。

これをきっかけに関西人の皆さんもデビューしましょうよ。


そもそも、納豆って健康にいいものだし、

それだけでダイエットは難しいかもしれないけど

私が去年の春にダイエットしたときは間食を納豆にしたり、おかずを1品減らして代わりに納豆を入れたりして頑張った結果、4キロ痩せましたよ!

納豆はダイエット生活には、かなり強力な味方だと思うのです。

今回のことを逆手に、また納豆ブームが来たらいいなと思う、今日この頃。

以前の「(選挙に)行ってないですよ。(笑)」という発言で「あまり利口じゃないな、この人」と思っていたけれど、「今こそ納豆ですよ」で簡単に眞鍋かをりファンになった私もよほど単純である。もしかして騙されてるのか。深読みすれば納豆食べましょう発言だってCMに起用されることを狙ったものかもしれない。そこまで考えるのは妄想に近いけど。

その眞鍋かをりが柳沢厚生労働大臣の「産む機械」失言は気にならないと言った。

YouTube - 「とくダネ!」2月1日

小倉智昭
安倍さんの支持率が落ちていても 女性の支持率は結構まだあると思うんですよね
それか(らす)ると女性を敵にまわすっていうことにもなってしまうよね


眞鍋かをり
でも私から聞いてて全然気にならなかったですけども

小倉智昭
あー、ほんと

眞鍋かをり
はい、ここまで大きな問題になるのかな、ということもびっくりしていて
今の時代このご時世に、問題発言ではありますけど
ま、でもそんなこと本気で思っている人いないですし
まったくそんな、気にならないというか、相手にしなくていいんじゃないかと
言葉尻の差だけ、まあ理解していただければ
別にそんなにヒステリックにならなくてもいいんじゃないかと


私も柳沢氏の失言がそれほど気にならず、閣僚辞任に値する大罪とは到底思えないので「眞鍋かをりよく言ってくれた」と快哉を叫んだ。ついでに「こういう女性と仲良くなりたいものだ」「でも冷静な女性は付き合っていてもある日いきなり『別れましょう』と言い出すんだよな」とか余計なことも思った。
私は彼女の言葉は本心だと思うけれど、「人として許せない」「女性として怒りを感じる」派の人たちに「どうせ誰かに言わされてるんだろう」「男に媚びてるのか」「意識の低い二流タレント」とか攻撃されそうな気がする。がんばれ眞鍋かをり。


さらに「戦国武将」小泉前首相もこんなことを言ったそうだ。

厚労相辞任論くすぶる 愛知知事選で再燃も : 中国新聞
柳沢伯夫厚生労働相が女性を「産む機械」と発言した問題をめぐり、与党内では一日、辞任を求める声がくすぶった。安倍晋三首相は事態の沈静化を図っているが、与党幹部らからは四日の愛知県知事選、北九州市長選の結果次第では、辞任論が勢いを増すとの指摘が相次いだ。
 (中略)
小泉純一郎前首相は中川氏に電話し「民主党が追及しているのは、小沢一郎代表の多額の事務所費や角田義一前参院副議長の朝鮮総連系団体からの献金の問題を隠したいからだ。審議拒否に決して屈してはいけない」と伝えた。

小泉ファンの私は「さすが小泉、世論の変わり目と敵の弱点をよく知っている」「相手が油断して大上段に振りかぶったときガラ空きの胴を撃つ、まさに居合い斬りの達人だ」と手放しで感心してしまった。
もちろん今の時点で安倍総理が柳沢大臣を守りきれるという確証はないけれど、私は小沢一郎や福島瑞穂より小泉純一郎と眞鍋かをりを信じる。この騒ぎの結末が「柳沢大臣辞職」となるより「攻勢限界点を超えた野党がボロボロになる」ほうに賭ける。