玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「サプライズ」のない内閣改造

2005年10月31日 | 政治・外交
小泉政権のおそらく最後になるだろう内閣改造が行われた。
テレビのコメンテーターの多くが口にするように、「サプライズ」のない実務者型内閣である。
初当選組ではただ一人猪口氏が少子化・男女共同参画担当大臣として入閣したが、猪口氏は長く軍縮会議日本代表部全権大使を勤め実力を認められた人なので「サプライズ」とは言い難い。一部には外相就任という噂もあったが、個人的には実現しなくてほっとした。
その外相には麻生太郎氏が選ばれた。私は町村氏の留任を予想し期待していたが、交代するのが麻生氏であれば文句ない。特定アジアのご機嫌取りをしない外交姿勢をそのまま維持してくれるだろう。
ポスト小泉の最有力候補とされる四人のうち、安倍晋三氏は官房長官、谷垣禎一氏は財務大臣(留任)に選ばれた。どちらも大方の予想通りで驚きはないが、福田康夫氏が入閣せず党の要職にもつかなかったのは意外だ。どうやら本人にポスト小泉を狙うつもりがないようだが、小泉総理としてはスーパーサブとして温存するつもりもあるのだろうか。
どうやらポスト小泉レースは麻生氏が頭一つ先行し谷垣氏と安倍氏がそれを追う展開のようだ。農水相の中川昭一氏、環境相の小池百合子氏が後半になって追い上げる展開があるのかどうか、個人的にはレースを盛り上げる意味でぜひそうなってほしいと願っているのだが。
「世に倦む日々」thessalonike2氏が一点買いしていた野田聖子氏は残念ながらゲートインすらできなかったようだが、熱心なファンがいるのだから次のレースに備えてしばらくの間ゆっくり休養していただきたい。間違っても乱入してレースをぶち壊そうなどという見苦しいまねはしないでほしい。
いや、私としてはむしろこれを機会に引退して繁殖に回ることをお勧めする。

「玄倉川の岸辺」では「次の内閣改造では、後継者候補をもれなく党と内閣の要職に就け、その働きぶりを見せて国民の判断を仰がなければならないのだから、サプライズ人事をする余地はそもそも少ない。小泉内閣有終の美を飾るためにはサプライズは必要なく、むしろこれまでの仕事をまとめられる人材をそろえた重厚であまり面白みのない顔ぶれになるだろう」と10月18日のエントリで予測しており、内閣改造の結果を見て「大体当たったな」とほっとしたのだが、「つれづれのままに・・・WebLog」のりゅうりゅうさんは厳しいことを書いておられる。

つれづれのままに・・・WebLog:時節・政局を読む能力
時節・政局を読めない人と言うのは、情報が乏しい人や情報分析を誤る人なのでしょう。
情報が乏しい人は分析に必要な情報を得られない人・情報源を持たない人であり、情報が乏しければ不正確な情報に触れた時にそれを検証する事も出来ません。
また、いくら正しい情報を得ていてもその分析を誤れば、正しい読みは出来ません。
いずれにしても、「時節・政局を読む能力」が無い人の予想はアテにならないものです。

本音を言えば、「時節・政局を読む能力」が無い人はその事を自覚して、予想を自粛して頂きたいものです。

たしかにマスコミで「識者」として発言していながら予測を外しまくる人(森田実氏とか福岡政行氏とか)は腹立たしい。お前らそれで出演料貰って恥ずかしくないのか、と怒りを覚える。
だがそれはあくまでプロに対してのもの、一般ブロガーはアマチュアなので予測を外すのもご愛嬌である。
恐らく小泉首相は、この二週間ほど中韓からのリアクションを報道させ、国内の政治関心を靖国問題に集中させ、国内での世論対立状況を高め、結果的に小泉内閣の支持率を落とすことを企んでいるのだろう。右翼のフジは別にして、NHKも含めて報道側の大勢は、近隣諸国との友好関係を破壊する小泉外交に批判的である。昨夜のNHKの7時のニュースの世論調査数字がそれをよく示していて、靖国参拝反対が賛成をポイントで上回っていた。このバランスは基本的に変わらない。だからこの二週間のあいだ、政治報道が靖国問題に関わる中韓の対日批判で埋められれば、小泉内閣の支持率は自然に下落する。政権への支持率というのは、実は下げておかないと上げる意味がないのだ。株価の操作と同じで、上げる前には一度下げておくのである。低かった支持率がハネ上がるから意味がある。効果が出る。小泉首相は二週間後の内閣人事でサプライズを用意していて、その発表と同時に支持率を一気にハネ上げる。ハネ上がる前の数字は低い方が効果的だ。靖国参拝とその後の不興不評は、内閣人事のサプライズを演出するための仕込みなのだ。
予測した「世に倦む日々」thessalonike2氏のような類まれなるエンターティナーには、これからも大いに健筆を振るっていただきたいものである。

新しい顔

2005年10月30日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
日本を憂える良識的ブログ人士の多くからカリスマ的支持を受ける人気ブログ「世に倦む日々」。その左上で微笑み続けてきたのはthessalonike2の名が付けられたグレアム・ナッシュの写真だった。彼の温かい笑顔は常に読者をやさしく癒し続けてきた。
だが、なんと驚いたことに、今日になって「世に倦む日々」を見てみると写真が別人に代えられているではないか!

暗闇の中に浮かび上がった髭面の外国人男性の写真である。もしかしたら写実的タッチの絵かもしれない。その顔立ちには威厳があり、目には知性の輝きと世の中に不幸が絶えないことへの悲しみが見て取れる。カリスマ的かつ予言者風の顔立ちであり、独創的な現状分析と予言で世人を感嘆させ続けるthessalonike2氏が自らのアイデンティティとして掲げるにふさわしい顔と言える。

ところでこの写真(絵?)はいったい誰なのだろう。

(追記) Unknownさんとdziさんから教えていただきました。 エリック・クラプトン"Journeyman"のジャケット写真だそうです。

頬骨の高い顔立ち、奥二重の目や浅黒い肌色からするとラテン系のように見える。
ミュージシャンか、スポーツ選手か、それとも政治家、もしかしたら学者なのか。
外国人の見分けが苦手で無知な私には誰なのかまったく見当がつかない。グレアム・ナッシュのように名前を教えてもらうまで聞いたことのない人物である可能性は高い。
読者の皆様にお願いします、「世に倦む日々」の新・プロフィル写真の真実をどなたかご存知でしたらお教えください。

さて、これまでの「微笑んだグレアム・ナッシュ」から「厳しい顔の予言者」への変更はいったい何を意味するのだろうか。
小泉総理の進める「改革ファシズム」への怒りか。
いや、そうであるなら選挙直後かSTOP THE KOIZUMI運動を宣言したときに変えているはずである。多分そうではない。
私は野田聖子氏に離党勧告が出されたことへの怒りの反応だろうと思う。
選挙の前から何度となくエールを送っていたことからも明らかだが、野田聖子氏はthessalonike2氏のお気に入り政治家だ。私には彼女のどこに魅力があるのか見当もつかないが、見る人が見れば傑物なのだろう、たぶん。

野田聖子の一言 - 国民と政治家と利害代表についての雑感
野田聖子の言葉にはハッとさせられた。そして昔の自民党政治家を彷彿させる言葉を堂々と言った野田聖子に好感を持った。(略)野田聖子のような政治家がもっと多くいてよいと思う。

法案否決時のシミュレーション - 野田聖子が総理になっていた
清和会の親米新自由主義路線が挫折したのだから、当然、政策転換の意味で次は宏池会か橋本派の出番となる。が、そこに適当な人材がいない。そこで浮上するのが野田聖子だろう。国民の間で人気が沸騰している野田聖子を立てれば、党員選挙で間違いなく福田康夫の票を凌ぐことができる。四年前の小泉純一郎と同じようなモメンタムを創出することが可能である。

ポスト小泉の政治 - 総裁選は安倍晋三と野田聖子の一騎打ち
党首に立てるとすれば安倍晋三か野田聖子の二人しかいないのだ。この二人ならば総選挙を戦える。野田聖子は必ず総裁選に出馬する。そして党員選挙で旋風を巻き起こすだろう。野田聖子に勝てる候補は安倍晋三しかいない。残りの面々は泡沫候補である。森派が福田康夫を立てれば野田聖子が新総裁になる。幹事長は藤井孝男か平沼赳夫だ。三役は郵政民営化反対派の同志で固める。

組閣人事のサプライズとポスト小泉 - 野田聖子の復党と入閣
郵政民営化法案成立後の閣僚人事は誰もがあっと驚くサプライズ人事になる。目玉は野田聖子の赦免と入閣だ。小泉首相は郵政法案への支持と「小泉改革」への忠誠を条件に野田聖子の復党を許し、許すどころか新内閣の総務大臣に抜擢するだろう。郵政民営化の騒動で軋んだ党内の歪みを寛容の大団円で修復演出して、文字どおり自民党を小泉党にするのである。そして反対派の象徴的存在だった野田聖子に所管大臣として郵政民営化を執行させるのだ。


野田氏の「初の女性総理」への道が妨害されたことが腹立たしく、また大嫌いな小泉総理に「安倍を潰したければ野田聖子を使え」と忠告してやったにもかかわらず無視され、thessalonike2氏の怒りはついに限界を超え熱いマグマとなって噴き出そうとしている。

恐ろしいことである。

小泉首相は来年8月15日に靖国神社に参拝しない

2005年10月29日 | 政治・外交
私の愛読する人気ブログ「世に倦む日々」の10月24日のエントリの最後にこんな文章があった。

世に倦む日々:大阪高裁の靖国違憲判決 (2) - 国交省宗教化のシミュレーション
最後に奮発して「世に倦む」政治予想を一つ。小泉首相は来年8月15日に靖国神社に参拝する。私の政治予想をチェックする趣味のネット右翼がいるらしいので、この予想をネット右翼に覚えてもらって、予想を外したときの揶揄ネタに使ってもらうこととしよう。

サービス精神旺盛なthessalonike2氏に敬意を表する。
サービス精神だけでなく「8月15日に靖国神社に参拝する」と断言しつつ「予想を外したときの揶揄ネタに使ってもらうこととしよう」と書く用心深さが見事だ。もし外れても「そんなことはとっくにお見通し、ネット右翼をからかってやっただけさ」とthessalonike2氏が嘯く姿が目に見える。さすがである。

それはさておき、私は来年小泉総理の靖国神社参拝は8月15日を避けるだろうと思っている。
何も「thessalonike2氏の逆の予測をすれば間違いない」と考えたためではない(そういう要素もなくはないが)。
理由を箇条書きにすると以下のようになる。

● 首相就任以来、次第に「8月15日」へのこだわりが薄れた
小泉総理にとって「年に一度靖国に参拝する」ことこそ重要であり、特定の日や参拝の形式に固執するつもりは少ないように見受けられる。

● 9月に行われる総裁選への悪影響を避ける
8月15日に参拝すると中韓や国内参拝反対派の反発はこれまでより強いものになる。
その影響で世論が「次の総理も中韓に屈せず靖国参拝する人がいい」となればいいが、「もう靖国参拝で外交摩擦を起こす総理はたくさん」となると望ましくない。何もしなくとも小泉総理は総裁選に強い影響力を与えられるのだから、わざわざ不確定要素を増やす必要はない。

● あくまで「慰霊のための参拝」であり「靖国史観の肯定」「中韓への挑発」と誤解されることを避ける
保守・右翼の人たちは小泉総理がはっきりとした「東京裁判史観否定」「中韓への対決姿勢」を打ち出さないことに不満を持っているようだ。だが私は小泉総理が靖国に参拝し続けるのは何よりも慰霊のためであり、靖国神社の歴史観を賞賛したり意図的に中韓を挑発するつもりはないのだろうと考えている。ただでさえ誤解されがちなのに、インパクトの強い8月15日の参拝はさらに(参拝賛成派・反対派両方の)誤解を広げてしまう。

● 8月15日の靖国神社は混雑し今年のように参道を歩いて参拝するのは危険
大阪高裁の判決に配慮して参拝の形式を変えたのに、また元のように直接車で乗り付けて昇殿すれば左右両方から「去年の参拝は何だったのか」と批判される。といって、参拝者の溢れる8月15日に小泉総理が参道を歩いて往復すれば、総理自身はもとより参拝者にも将棋倒しなどの危険性が高い。

小泉総理の胸の内に8月15日に行きたい気持ちはあるだろうけれど、諸条件を総合的に判断すれば「残念だがやめておこう」となるのではないか。今の時点では小泉総理自身いつ行くか決めていないだろうが、私は梅雨明けまでに参拝してその後は小泉政権有終の美を飾ることに集中することになるだろうと予測する。

偏見と予測

2005年10月28日 | 政治・外交
正直言ってがっかりした。

野呂田芳成氏を除名、野田聖子氏らに離党勧告 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
自民党党紀委員会(委員長=森山真弓・元法相)は28日、先の通常国会で郵政民営化関連法案に反対した50人の処分を審査し、野呂田芳成氏を除名処分、野田聖子氏、平沼赳夫氏ら26人を離党勧告とすることを全会一致で決めた。

私は以前から野田聖子が嫌いである。特にはっきりとした理由があるわけではない。
小渕内閣で史上最年少大臣として入閣したときから、インタビューの受け答えの凡庸さ、そのわりにナルシシズムや自己顕示欲が強そうなところが気に入らず「女であることを売りにした二流の政治家」「二流のくせに一流気取りの俗物」としか思っていない。
要するに虫が好かないということなのだろう。私の偏見である。
偏見を明らかにした上で言うが、他の議員はともかく野田氏だけは除名になることを願っていたからこの処分にはちょっと失望した。深読みすれば除名されることによって「悲劇のヒロイン」になることを避けたのかもしれないけれど。
そういえば自分は造反議員の処分問題をどう予測してたかな、と確認してみると10月11日の「わかりやすい事と不思議な事」で「近日中に離党勧告が出されそれに従わなければ除名だ」と書いていた。自分の偏見や願望をもとに「除名に決まってる」とか書かなくてよかった。

ところで何度も「野田聖子入閣説」を唱えておられた「世に倦む日々」thessalonike2氏はこの事態をどのように受け取っておられるだろうか。お気に入りの野田聖子への非道な処分に悲憤慷慨しているのだろうか。
いや、私の期待するthessalonike2氏なら「野田聖子はこの処分によってさらに強くなり初の女性総理の座を確実にした」とか景気のいいご託宣を下してくれるはずだ。常に前向きで(反省しない、とも言える)強気なのが「世に倦む日々」の魅力である。

破調の美

2005年10月27日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
順番が逆になってしまったが、10月24日の「世に倦む日々」にとても独創的でステキな文章があったので遅ればせながら取り上げる。

世に倦む日々:大阪高裁の靖国違憲判決 (2) - 国交省宗教化のシミュレーション
右翼というのは現日本国憲法体制下においてはアウトローなのだ。アウトローが自分の政治行動を日本国憲法で合憲化してもらおうなどと本末転倒した考え方であろう。憲法を否定している右翼の主張は全て違憲でよいのである。

さすがである。
この見事なまでの断言に私の頭はクラクラし異次元空間へのトリップを誘われる。
誘われた先は矢作俊彦「あ・じゃ・ぱん」の世界だろうか。東日本人民共和国でエリートの道を歩み党の要職を歴任するthessalonike2氏の姿が目に浮かぶようだ。グレアム・ナッシュの顔をしたthessalonike2氏であれば旧ソ連式の垢抜けないスーツをさぞ格好よく着こなすことだろう。

異次元への空想はこれまでにして(本当はもっと続けたいのだが)、多少は現実的な批判を。
これまで私は世界中の民主主義国家において中道を中心に右翼と左翼の政治勢力がバランスをとって存在しているものだと思ってきたのだが、そうでない「右翼がアウトローとされる国」というのがあるのだろうか。
私の貧困な想像力ではありえないことのように思える。
もし右翼をアウトローとして政治的枠組みから切り捨てると、これまで「中道右派」だった部分が「右翼」と呼ばれるようになり、そこを切り捨てると次はかつての「中道左派」が…といった具合にどんどん政治的中心が極左の一点に向かって移動していくはずである。
行き着く先は、「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」と呼号したポル・ポト政権か。
いやまさか、心優しいthessalonike2氏がそんな無茶を考えておられるはずがないので、私の思い過ごしだろう。
そうであることを祈る。

関係ない話だが、ある飛行機のことを思い出した。
かつて世界一の航空技術を誇ったドイツにおいて「右翼」を極端に縮小した偵察機が作られたことがある。
試作偵察機 ブローム・ウント・フォスBv141
エンジンのある部分を胴体とみなせば「右翼が大きく左翼が小さい」が、乗員の座るカプセルを胴体とすれば「最小限の右翼と巨大な左翼&エンジンポッド」を持つ機体といえる。
もしかしたらthessalonike2氏はこのような破調の美を日本の政治に求めているのかもしれない。
ちなみに、Bv141は「その形態から来る操縦性能の不安定さが問題となり量産されることはありませんでした」
飛行機ファンとしては残念だが、当然の結果だろう。

thessalonike2氏は詩人である

2005年10月27日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
今日の「世に倦む日々」は日本シリーズの話題だった。

世に倦む日々:バレンタインは詩人である - 胸いっぱいの感動をありがとう

残念なことに私はプロ野球にほとんど関心がなく知識も乏しいので、thessalonike2氏の歓喜にあふれた文章を完全に理解し楽しむことができない。千葉ロッテファンであれば大いになるシンパシーをエンドースしただろうし、もし私がさくらさんのような阪神ファンであれば大いにエモーションを掻き立てられてパッショネイトなカウンター・アーギュメントをクリエイトできただろうに。

しかしながら、無知な門外漢の私にもthessalonike2氏の喜びはある程度伝わってくる。
それはまさに文章の力であり、スポーツ新聞の記事やプロのスポーツライターの文章よりはるかに生き生きとしている。これだけ熱意にあふれしかも「読ませる」文章を書ける人は日本に数百万人いるブロガーの中でも数少ないだろう。学研「最新人気ブログランキング200」に選ばれるのも当然だ。
最近、一部では「世に倦む日々」とthessalonike2氏を厳しく批判し存在価値まで否定する向きがあるようだが、私はそのような動きに与しないことを明言しておく。独創的な意見を力強く巧みな文章で書けるブロガーは貴重だ。私にとって「世に倦む日々」の主張がたとえ非現実的で間違いだらけに感じられても、平凡な正論をつまらない文章で書いたブログより読む価値があり私を楽しませてくれる。

thessalonike2氏は詩人である。心からありがとう。

カテゴリー新設のお知らせ

2005年10月26日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
学研「最新人気ブログランキング200」に選ばれた人気ブログである「世に倦む日々」を読んだ感想を書くようになってから当「玄倉川の岸辺」のアクセス数は以前の2倍(一時的には3倍)に上昇した。
これはIrregular Expressionからリンクされた効果も大きいが、最大の原因はなんといっても「世に倦む日々」thessalonike2氏の独創的で切れ味鋭い論考に魅せられた読者が多いからだろう。
愚かな一読者に過ぎない私が書いた感想文がthessalonike2氏の時としてユニークすぎる論考を読み解こうとする読者の役に立てるとしたら、これに勝る喜びはない。

というわけで、読者の便宜のためブログに新しいカテゴリーを作り、「世に倦む日々」関連の記事はそこにまとめて置くことにした。
あくまでも一時的なカテゴリーのつもりであり、アクセス数が元に戻ればしかるべき他のカテゴリーに移動する。
移動先が「政治・外交」になるかそれとも「ネタとか」になるかは今のところ未定である。

千数百年の伝統を守れ

2005年10月26日 | 皇位継承問題
皇位継承問題のニュースを見聞きするたびに憂鬱になる。

■ asahi.com: 女性・女系天皇論議に学者らがコメント
女性・女系天皇に反対する学者らによる「皇室典範問題研究会」(代表・小堀桂一郎東大名誉教授)は25日夜、「民間の学識者の意見を顧みる余裕もなく、現皇族のご意見を聴こうともせず、しかるべき政治家の意見にもあえて耳をかそうともしない、そのかたくなな姿勢を見ては、この会議にはかかる重大問題を議する資格は無いと断ぜざるを得ない」などとするコメントを発表した。
(中略)
「皇室典範を考える会」の会員で、ノンフィクション作家工藤美代子さんの話「議論の進め方があまりにも性急すぎる。「女系」を認めるか、認めないかの問題と思われがちだが、もっと幅広く議論すべきだ。儀式一つとっても、女系天皇を認めてしまうと立ちゆかなくなる可能性さえある。将来、女性天皇の結婚や結婚相手の問題など、想定される課題も多い。皇室の方々や旧皇族の人たち、様々な歴史観を持つ方など幅広く各界、各層の意見を聞いて最終報告を作るべきだ」


左側の人たちから「ネット右翼」などとレッテル貼りされているブロガーの中でも、この問題に関心を持つ人は少ないようだ。
私に言わせてもらえば、どんなにタカ派的・愛国的な主張を並べていても、皇室を尊崇し純正なる皇統を護持することに至高の価値を見出さなければ、それは和気清麻呂や北畠親房の魂を受け継ぐ「正しい日本の右翼」ではない。
別に「愛国者=右翼」である必要はないのだけれど。
そういえば、私自身の政治的スタンスは自称「リベラルの現実派」ではなかったか。
こと皇位継承問題になると私は頑固な右翼、神話を現代に生かし続けたいと願うロマンチストになる。
たぶん中学生のころから「日本の歴史」全24巻(だったかな?)の飛鳥時代から平安時代ばかり繰り返し読んできたせいだろう。皇位をめぐる争いの数々、有間皇子や大友皇子の悲劇に胸を痛めたものだった。だが、今にしてみると皇位争いするほど皇統男子が多いことをむしろ羨やましく思う。

小泉総理の靖国参拝問題については「信教の自由、基本的人権を守れ」という主張をした私だが、こと皇位継承については「男女平等などしゃらくさい、断固として男系を維持すべき」という考えである。読者には大いに矛盾しているように思われるかもしれないが、私にとって総理大臣は一般国民と同列の「一時的に権力を預けられたタダの人」なのに対し天皇は「古代より連綿と続く歴史と文化を体現する日本の象徴」であってまったく別次元の存在なのだ。
車に例えると総理大臣は実用車であって、数年ごとに好みと予算に合わせ気軽に乗り換えればよく、家族構成が変わればスポーツカーからミニバンに乗り換えるのも自由である。だが、天皇(皇室・皇統)は世界でただ一台の貴重なクラシックカーである。世界に数台しかないブガッティ・ロワイヤルよりもはるかに古く比べ物にならないほど貴重な存在だ。部品供給に不安があるからといって現代の車のエンジンに乗せかえるなどということが許されていいはずがない。
どうしても現代の路上を走らせるのが困難であれば、文化財を破壊する蛮行を犯すよりもいっそのことナンバーを外して静かに博物館で眠らせるべきである。それが文明人のやり方だ。

関連記事
■ 皇位継承問題と「不滅の法灯」

楽しい地図・実用的な地図

2005年10月25日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
二つの人気ブログ「世に倦む日々」「Irregular Expression」のあいだで大阪高裁の靖国判決について論争が起きている。時系列の順にリンクを並べる。

■ 世に倦む日日:憲法に無知な前原誠司 - 靖国問題で小泉首相を追及できず

● Irregular Expression: 暴論「小泉は上告しないから違憲判決を認めたことになる」

● Irregular Expression: "世に倦む日日"のthessalonikeはやっぱり無知蒙昧でしょう

■ 世に倦む日日:大阪高裁の靖国違憲判決に関して - 法曹界の人間は口を開け

● Irregular Expression:「世に倦む日日」の詭弁・デタラメ観察

■ 世に倦む日日:大阪高裁の靖国違憲判決 (2) - 国交省宗教化のシミュレーション

● Irregular Expression: "世に倦む日日"が弁護士からダメ出し

法律や裁判のことはまったくわからないので私にはどちらが正しいとか間違っているとか言えないが、お二人とも罵倒を控えてフェアな議論で戦っていただくようお願い申し上げる。
ちょっと気になるのは、「Irregular Expression」gori氏が「世に倦む日々」thessalonike2氏を名指ししてリンクを貼っているのに対しthessalonike2氏は「ネット右翼」というあいまいな呼び方をし論敵(必ずしもgori氏でなくてもいいが)へのリンクをしていないことだ。読者が自分の主張と論敵の主張を読み比べることについてthessalonike2氏は消極的なようである。私の目にそれは反論を認められない偏狭さ、あるいは自信のなさの表れに見える。残念なことだ。

もう一つ「世に倦む日々」について気になることがある。
10月18日の記事「小泉靖国参拝の裏にある三つの政治目的 - 中韓は全力で阻止を」でthessalonike2氏は
恐らく小泉首相は、この二週間ほど中韓からのリアクションを報道させ、国内の政治関心を靖国問題に集中させ、国内での世論対立状況を高め、結果的に小泉内閣の支持率を落とすことを企んでいるのだろう。右翼のフジは別にして、NHKも含めて報道側の大勢は、近隣諸国との友好関係を破壊する小泉外交に批判的である。昨夜のNHKの7時のニュースの世論調査数字がそれをよく示していて、靖国参拝反対が賛成をポイントで上回っていた。このバランスは基本的に変わらない。だからこの二週間のあいだ、政治報道が靖国問題に関わる中韓の対日批判で埋められれば、小泉内閣の支持率は自然に下落する。
と予測しておられたが、世論調査の結果は以下のようである。

■ 参拝支持、わずかに上回る 共同通信、緊急世論調査
小泉純一郎首相の靖国神社参拝について共同通信社が17、18両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、「参拝してよかった」が48・1%だったのに対し「参拝すべきではなかった」が45・8%と、参拝支持が不支持をわずかに上回った。前回9月調査では「今年は見送るべきだ」(53・0%)が「今年も参拝すべきだ」(37・7%)を上回っていたが、賛否が逆転した。

■ asahi.com: 首相靖国参拝、賛否は二分 中韓との関係「心配」65%
小泉首相が靖国神社を参拝した直後の17日夜から18日にかけて、朝日新聞社は緊急の全国世論調査(電話)を実施した。首相が参拝したことを「よかった」とする人は42%、「参拝するべきではなかった」は41%で、賛否が二分された。(略)内閣支持率は55%、不支持率は30%で、総選挙直後の9月調査(55%、30%)と変わらず、高い水準を維持。

共同通信の調査では参拝支持率が上昇し賛否が逆転、朝日の調査では支持と不支持が拮抗し内閣支持率変わらず。どちらにしても、thessalonike2氏の書いた「政治報道が靖国問題に関わる中韓の対日批判で埋められれば、小泉内閣の支持率は自然に下落する」という予測は外れたことになる。熱心な「世に倦む日々」読者の一人として、thessalonike2氏が予測を外した理由について明快な分析と反省を明らかにされることを期待してやまない。

それにしても、選挙で民主党大勝利の予測といい、(まだ可能性はゼロではないのかもしれないが)野田聖子入閣説といい、自信満々に予測しながらこれほどまで見事に外す人も珍しい。いや、予測を大外ししながらなお一部の人々から熱心に賞賛されているのが不思議だというべきか。世の中には案外ロマンチストが多いようである。

どれほど知性にあふれ正義感が強く文章力に優れていても、現実が認識できず未来を見通せない人の語る「正論」はフィクションとして鑑賞するしかない。それは力強く人の心を動かすが信頼するに足りないものだ。妖精が住む理想郷や恐ろしい怪物に満ちたファンタジーの地図を見るのは面白いが、それを頼りにドライブに出かけようとは思わない。私にはどこでも手に入る昭文社の地図で十分だ。

…と書いてはみたが、残念なことにマスコミやネットで昭文社の地図並みに客観的で信頼できる政治的言説を見つけるのは困難だ。決して「どこでも手に入る」ものではない。「スタージョンの法則」は憂鬱な真理である。

誤解が生まれるとき

2005年10月22日 | ネット・ブログ論
最近になって私がブックマークに入れているブログのいくつかで誤解・誤読もしくは思い込みが原因と思われる論争(あるいは不幸な行き違い)が同時発生的に起きた。相互に関係があるわけではないが、もしかするとこれがシンクロニシティというものなのかもしれない。

■ すちゃらかな日常 松岡美樹:2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?

■ ももしろうさぎのうさぎ日記:お気に入りブログが消滅してしまった件(ノ_・、) そして、不愉快さだけが残る( ̄- ̄)

■ uumin3の日記:そこに生れたこと

どれも記事自体は特に過激なわけでもなく、穏当で誰にでも理解しやすい文章だと思うのだが、何らかの思い込みを持った人が読むと「自分が嫌うものを賛美している」とか「自分の愛するものにケチをつけられた」という風に感じられてしまうようだ。

松岡美樹さんのブログを例にして、なぜ誤解が生まれたのか考えてみる。
「2ちゃんねるの『一部の人』論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?」というエントリで書かれていることは大雑把に言って「木走日記 - 人は誰しも伸び縮みする『心の垣根』を持っている」とほとんど同じであろうと思う。どちらも「人間の自意識の範囲は状況によって伸び縮みする」ことを「面白いなあ、不思議だなあ」と感じて書かれた文章であり、誰かを批判したり「自分はそうではない」と偉ぶって見せるような嫌らしい意図は見受けられない。
だが、木走さんのブログには共感と穏やかな対話のコメントが付いたのに対して松岡さんのブログには「2ちゃんねらー批判」と感じた読者による怒りのコメントが殺到(ちょっと大げさ)した。
この差がなぜ生まれたのか。

●1 題名の問題
「2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?」という題名がよろしくなかった。「2ちゃんねるの~」と始まる題名を見て気の早い2ちゃんねらーが「これは2ちゃんねる論だ」「2ちゃんねらー批判だ」と思い込んでしまうのも無理からぬことである。
もし「伸縮するアイデンティティー ── 2ちゃんねるの「一部の人」論争をヒントに」という題名(センス悪)であれば、「2ちゃんねらー批判」という誤解を受けることも少なかったろう。

●2 不幸なリンク
松岡さんの記事には「大西 宏のマーケティング・エッセンス:「のまネコ問題」は次のステップに」からリンクが張られており、そこから多くの読者が流入したようである。
だがこのリンクの張り方が実に奇妙なのだ。
10月12日にエイベックスから「『のまネコ』商品化に関する当社の方針」がだされ、エイベックスは、「マイアヒ・フラッシュ」を収録したCD等の商品の発売中止(廃盤)、有限会社ゼンに対する「のまネコ」の図形商標の登録出願の取り下げ要請に続いて、「のまネコ」グッズのロイヤリティを受け取らないことにしたと発表しました。 ネットコミュニティのみなさまには、いろいろ不快な思いをさせてごめなさい。エイベックスとしては、すべての権利放棄をしたので、のまネコグッズが販売されていてもエイベックスはもう関係ありませんという表明です。
ブログ「すちゃらかな日常 松岡美樹」さんが、 「2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか? 」に続いてこのことを取り上げていらっしゃいます。ちょうど選挙と重なったためか、単にあまり関心がなかったからか、ジャーナリズム系のブログでは「のまネコ」問題は取り上げられられてこなかったので、目にとまりました。松岡さんご自身はジャーナリズム系とは思っていらっしゃらないかもしれませんが・・・

松岡さんが「のまネコ」問題を取り上げているのは「エイベックスが公式謝罪(?)~「のまネコ」のロイヤリティはもう要りません」であるのに、大西氏はなぜかそのひとつ前の記事にリンクを張っている。こういうやりかたは珍しく、何らかの意図があってこういうことをしたのだろうかと勘ぐりたくなる。もし意図があったとしても私にはそれが何なのか想像もつかないけれど。
意図的なのかミスなのかはわからないが、このリンクによって松岡さんの記事に対し「のまネコ問題」「2ちゃんねる論」という先入観を持つ読者が多く発生したのは事実であろう。

●3 自意識過剰
「のまネコ」問題に強い関心を持ち、2ちゃんねるを愛している人たちが「2ちゃんねるの「一部の人」論争を考える──これは2ちゃんねるに限った話なのか?」という題名を目にして「これは2ちゃんねる論だ」「2ちゃんねらーを批判している」と思い込んでしまうのは、それなりに理解できる話ではある。だが、落ち着いて読み直せば
人間は希望がなければ生きられない。だからネガティブな要素はなるべく隅に追いやり、ポジティブなことがらを生きるためのエネルギーに変えようとする。これは人間の自己保存本能である。

 ゆえに良いことは自分もふくめた「みんながやったこと」になる。かたや悪いことは、自分を除く「一部の人」の責任だと認知する。

 もともと人間とは、そういうものなのである。

という結語の部分、つまり普遍的な人間性の不思議が主題であり、冒頭の「のまネコ」「2ちゃんねる」云々という部分は一例として挙げられているにすぎないことがわかるはずだ。一般論を特に自分たちに向けられたものだと思い込むのは自意識過剰でいささか格好悪い。
「受験生の心得」ではないけれど、「長文読解では落ち着いて最後まで問題文を読みましょう」というところか。


松岡さん、ももしろうさぎさん、uumin3さんのお三方ともコメントに丁寧に応対されているのに感心する。たいへん立派な対応であり、もし私が同じような状況になればなるべく真似したいものである。
とはいえ、いくら言ってもわからない人というのは(残念ながら)いるものだし、そういう人を説得しようと頑張っても時間とエネルギーの無駄だ。そんなときcapさんのように「文字は読めても文章を読めない人」と断じて容赦なく斬って捨てる痛快なやりかたに憧れを抱く。だがこれはよほどの腕の冴えがないと「逆切れ」のようでかえって見苦しくなる。
もちろん、誰にも誤解されない完成度の高い文章を書ければそれに越したことはないが、私にはとても無理だ。
さてどうしたものか。
完全な予防策はなさそうだが、せめて下書きを二度三度と読み返して誤解を与える余地の少なくなるよう努力するしかない。あまりにも平凡な結論でごめんなさい。