玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「刑事弁護というのは辛いもの」

2007年11月16日 | 光市母子殺害事件
「光市事件の弁護団けしからん!」派の総本山、「たかじん委員会」大会議室(掲示板)で刑事弁護人への誤解と敵意を解くため孤軍奮闘している女性弁護士「すちゅわーです」さんのことは以前にも書いた。

  煽る弁護士、勇気ある弁護士

一ヶ月以上たっても議論は続き、継続スレッドが立てられた。そこから「すちゅわーです」さんの最近の発言を引用する。

 橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2

Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2 2007/11/13 (Tue) 01:26
  名前:すちゅわーです

  この会議室で議論を重ねてきましたが、理屈ではわかるけど、完全な納得が得られないという人も多いのではないかと思います。だから、誰かが責任を取るべきだ、となりがちで、1審、2審の弁護人が悪いのではないか、とか、弁護士会が悪いのではないか、というふうな議論になってしまうのだと思います。

しかし、発想を変えてみられてはどうでしょうか。刑事弁護というものは、どこまで行っても納得が得られるものではないと。納得が得られないことが本質である、ということで納得していただくしかないのではないかと感じるようになりました。それが刑事弁護というものであり、そういうものとして捉えるしかないのではないかと思います。普段の日常ではありえない、異常な世界のことなのです。

なぜ、裁判の結果を待つしかないとしても、罪を犯したことがほぼ確実な被告人(日本の刑事裁判での有罪率は99%以上です)が守られなければならないのか。近代国家の基本原則であり、歴史から人類が学んだこととは言え、自然な人間の感情からすれば、完全な納得を得ることは簡単なことではないでしょう。

私たち弁護士だって、刑事被疑者、被告人のことは信用できないことの方が多いです。嘘をつかれた、裏切られた、という経験は枚挙に暇がありません。犯行に争いがない場合、目を覆いたくなるような悲惨なことをやった被告人をどうやって弁護したらいいのか、よい情状をどう引き出したらいいのか、正直、頭を悩ますことも多いです。自分の生理的な感情が嫌悪感を持つこともしばしばです。それでも、それを抑えて、被告人のために活動してあげないといけない。

誰かが、被告人の利益を最大限確保するよう弁護してあげないといけない。それをやると、世間からは嫌われ、被害者を前にして何を言っていいのかわからず、悪の味方のように思われて罵られる。金銭面で正当な対価が得られるのならまだしも、凶悪事件になればなるほど持ち出しを強いられる。それなのに利権を確保しようとしているなどと言われる。

弁護士でなくても、刑事司法の精神をきちんと理解した人が、きちんとした弁護ができるのなら、喜んでそのような人に刑事弁護の職をお譲りしたいですよ。難しい試験を通って、何年もの実務経験を経て、一人前の刑事弁護人になっても、こんな処遇しか受けないのでは、やりきれなく思います。この会議室にいる一般人の方で、どなたが、進んでこのような仕事を引き受けるというのでしょう。

私たち普通の弁護士が、橋下弁護士に腹を立てるのは、このような刑事弁護人の辛さがわかるからです。本当に崇高な自己犠牲の精神がなければ、あのような事件を担当することはできないのです。

国連の「弁護士の役割に関する基本原則」は、第1条において、人権と基本的自由を連切に保障するため、「すべて人は、自己の権利を保護、確立し、刑事手続のあらゆる段階で自己を防御するために、自ら選任した弁護士の援助を受ける権利を有する」と定め、第16条において「政府は、弁護士が脅迫、妨害、困惑、あるいは不当な干渉を受けることなく、その専門的職務をすべて果たし得ること、自国内及び国外において、自由に移動し、依頼者と相談し得ること、確立された職務上の義務、基準、倫理に則った行為について、弁護士が、起訴、あるいは行政的、経済的その他の制裁を受けたり、そのような脅威にさらされないことを保障するものとする」と定めています。

刑事弁護人が迫害に遭いやすいのは、世界各国共通です。でも、日本よりは歴史の長い欧米の方がずっとましでしょう。

一般市民の方にお願いしたいのは、完全な納得は得られなくても、せめて、刑事弁護というのは辛いものだ、ということは理解していただいた上で、その活動を見守っていただくことです。

「刑事弁護というものは、どこまで行っても納得が得られるものではない」
「被告人のことは信用できないことの方が多いです」
「自分の生理的な感情が嫌悪感を持つこともしばしばです。それでも、それを抑えて、被告人のために活動してあげないといけない」
「金銭面で正当な対価が得られるのならまだしも、凶悪事件になればなるほど持ち出しを強いられる」
「刑事弁護というのは辛いものだ」

「すちゅわーです」さんの言葉は率直だ。理想主義的だけど「きれいごと」じゃない。
多数派の感情に迎合せず理性を信頼する。完全に納得を得ることは難しいと知りつつ、それでも自分たちの仕事の必要性を訴える。自分のいらだちとやりきれなさに向き合って流されない。
「すちゅわーです」さんこそ本当に誠実な、信頼に値する弁護士だと思う。いや、弁護士としてのみならずひとりの人間として尊敬できる。原理原則があり、覚悟があり、ガッツがある。おためごかしの優しい言葉は使わないが思いやりがある。

紹介したスレッドでは「すちゅわーです」さんの努力のおかげで最初の頃のような誤解やあからさまな敵意は減っているが、それでもまだがんばっている人たちがいる。名前を挙げると「プログラマー」「右大臣」「DareDaro」の三氏である。
彼らにも彼らなりの原理原則がありそれを守っているのだろうが、残念ながら一般的な法理・常識と異なった「オレ理論」に凝り固まっている。論理の穴を見つけるパズルとして以外、彼らの主張を読む価値はない。時間と労力の無駄であり、奇妙な思い込みに付き合わされて頭が悪くなる。

三氏とは違った意味で問題なのは「ファブヨン」氏で、凝り固まっているわけではないが何だかズレている。私には典型的な半可通に見える。分かったつもりなのだろうが全然分かってない。そのくせプロの横から「通」気取りで口を出す。たしなめられても蛙の面に小便だ。

橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴
Re:橋下弁護士が光市母子殺害事件弁護士から提訴 2007/10/15 (Mon) 17:29
  名前:すちゅわーです
  「ファブヨン」さん

>横レスですが、・・・裁判員制度とは・・・自然な感情の赴くままに受け答えすることが望まれてます。

本当に横レスですね。
被害者が気の毒だからとして、どれだけ無罪を示す証拠があっても、自然な感情の赴くまま死刑相当の意見を言う裁判員・・。
私は、自分が被告人だったら、こんな裁判員のいる裁判だけは受けたくないですね。少なくとも事実認定と量刑の区別くらいはできる裁判員、そして事実認定については感情を入れない裁判員、量刑については他の同種事件との均衡を重視する裁判員を望みます。「ファブヨン」さんはそうでなくても良いみたいですけど。ご自身の命はあまり重要ではないらしい。殆どの人はそうは思わないのじゃないですか。

これまで積み重ねてきた議論も、少なくとも「ファブヨン」さんに対しては全く意味がなかったようです。徒労感が募ります。

「すちゅわーです」さんを呆れさせ、その後も反省の色が見えない「ファブヨン」氏のような人が一番の難物かもしれない。


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4 コメント

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納得できません (wada)
2007-12-07 16:21:05
殺害された赤ちゃんと同じ年の娘を持つ母親です。

この文章を読んでとても違和感を持ちました。


私たち普通の弁護士が、橋下弁護士に腹を立てるのは、このような刑事弁護人の辛さがわかるからです。本当に崇高な自己犠牲の精神がなければ、あのような事件を担当することはできないのです。

とありますが、どちらかと言うと自己陶酔のように思います。

もし娘を殺されたとして、目の前であなたが私に

「弁護士でなくても、刑事司法の精神をきちんと理解した人が、きちんとした弁護ができるのなら、喜んでそのような人に刑事弁護の職をお譲りしたいですよ。難しい試験を通って、何年もの実務経験を経て、一人前の刑事弁護人になっても、こんな処遇しか受けないのでは、やりきれなく思います。この会議室にいる一般人の方で、どなたが、進んでこのような仕事を引き受けるというのでしょう。」

と言ったとしましょう。

私は勝手に自分で引き受けて、そんな泣き言聞きたくも無い。娘を返して!!犯人をせめて死刑にして!!

と叫ぶでしょう。

被害者の人権はどこにあるのですか?

家で日常生活をおくっていた何の落ち度の無い非力な二人を殺されて、裁判を長引かされて、布団かぶって泣いて居ればいいのですか?

もう帰ってこない人のことはどうもよいのですか?

裁判官の言葉に切れて「なめないでいただきたい。」と自分の立場もわきまえず言うような人間が社会に戻って再犯をを犯したときに責任を取ってくれるのですか?

亡くなった赤ちゃんと同じとしに生まれた娘はそのうち弥生さんと同じとしになるでしょう。

何の落ち度も無く暮らす親子が、ただ平凡に当たり前に暮らしていくことを望み、それを欲望のため無残に壊したものの弁護をすることが本当に崇高な自己犠牲の精神・・・と言われても困惑するばかりです。


例のスレッドは全部目を通しましたが、理論の暴力で一般の意見を押さえつけるやり方に吐き気を覚えました。
あんな主張がまかり通っているのはあそこと弁護士が立てたブログぐらいですよ。

嘘だと思ったら普通の人が書いたブログや知恵袋を見てみるといいですよ。

裁判の結果、どちらの主張が通り、どちらに正義があると判断されるのか、首を長くして待っています。


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Unknown (トニオ)
2007-12-08 16:17:11
貴方が別に殺人じゃなくても、何か刑事事件の当事者になっても同じことを言えるかも考えてみたらどうなんでしょうか。
そういうことは考えなくてもいいんですか?自分は絶対刑事裁判の当事者にはならないから?そんなことはありえないでしょう。絶対に事故とを起こさないなんてことはありえないんだから。
被害者の人権だからと言われて、量刑をはるかに超えた求刑通りの判決を受け入れるんですか?ぼくは嫌ですけどね。
やたら赤ちゃんだのなんだの言いますけれども、罪の重さっていうのは年とかそういうのは関係ないですよ。今にも死にそうだった爺さんの浮浪者を殺しても人殺しっていうのは悪いことですよ。赤ちゃんだったとかそんなの関係ないですよ。
返信する
「理論の暴力」?? (暗闇の虎)
2007-12-10 15:40:08
「人は自分の信じたいことだけを信じ、信じたくないものは他人がなんと言おうと信じない」

>理論の暴力で一般の意見を押さえつけるやり方に吐き気を覚えました。

現行の刑事裁判システムに則って活動する弁護士たちを感情論という暴力で口汚く罵るだけで、刑事裁判システムや刑事弁護人の職責に関しての客観的な説明に耳を傾ける姿勢を全く持たず、果てには、自分の感情が納得できないからと人格攻撃も辞さない自称一般人たちの正義感には、いい加減辟易しています。

>あんな主張がまかり通っているのはあそこと弁護士が立てたブログぐらいですよ。

「普通の人が書いたブログ」でも、刑事裁判システムを理解している人のブログ(例えば、この玄倉川さんのブログ)では、被告人を弁護する刑事弁護人の立場に関して一定の理解を示したものばかりです。
刑事弁護人の職責を知りながら、感情論だけでバッシングするおバカさんは一人もおりません。

逆に言えば、それだけ、刑事裁判システム・刑事弁護人の職責というものを理解していない、理解しようともしていない人が多いというだけ。

まぁ、そういう方々は、夫婦喧嘩の末にたまたま手が出てしまって相手が偶然に頭を何かに激しくぶつけてお亡くなりになったにも関わらず検察が殺人罪を適用しようとしたときでも、「結果が全てだから、殺人であっても冤罪ではない」と黙って受け入れてくれるのでしょう。

そして、「相手方の遺族の心情を害してはならないから」と、弁護士には、「あなたのやったことは、殺人ではない。せいぜい傷害致死だ」と助けてもらうのではなく、「相手のご遺族はあなたを死刑にして欲しいと望んでいるから、正義のため、被告人のやらかしたことは責任重大で、死刑にすべきです、って法廷で主張する」という弁護活動を望むのでしょう。

それはそれでその人たちの自由なので、好きにして頂ければよいと思います。その方が一貫しているので、「ダブルスタンダードだ」という誹りを受けることもありませんし。

最後に、

>裁判官の言葉に切れて

「検察官」です。また、私は、検察官が挑発したと受け止めました。
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逆の立場 (てんてけ)
2007-12-29 07:30:50
気が付いたんですけど、
検察官の仕事って許容範囲はどこまでなんでしょうね?
起訴事実をでっち上げて、あるいは警察の取調べから嘘や不正が持ち込まれてその線で起訴状を構築して、嘘や不正が発覚しても公には処分されません。
検察内部での処罰も聞こえてきませんし。
つまり、一般人が検察の行動を見て眉をひそめる自体が発覚しても、法的には合法なのか、許容範囲内のことなのか区別することが出来ませんが、
一般人だって文句を言いつつ指くわえて見逃してるんですよね。
被害者の権利を守るためだと言われたら、なおさら見逃すしかないのでしょうか?

トニオさま。
>>やたら赤ちゃんだのなんだの言いますけれども、罪の重さっていうのは年とかそういうのは関係ないですよ。
よく「何の罪も無い子供たちまで」ってフレーズを耳にしますよね。
罪があったらいいんかい!と突っ込みを入れたくなりますが、最近考えて見ますに、
社会ってのは大人は、本当に罪が無くたって
「世の中ってのは不条理なものなんだ、カフカ的要素が存在するんだ、誰にもどうしようもなくて受け入れるしかないときがあるんだよ、でも子供なら解らないだろうから仕方が無いな」
というイデオロギーがあるのかなぁと考えております。
なんか自分の想像であっても否定したいですが。(^^;)
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