久しぶりに「世に倦む日日」を見たら、テサロニケ大先生が小沢一郎を熱烈に応援していてびっくりした。
世に倦む日日 みんなの党と組む連立組み替え - 小沢派に対する掃討戦が始まる
2年半前には「小沢一郎には政治理念がない。」と切り捨ててたのに。
世に倦む日日 : 小沢一郎の欺瞞と裏切り - オポチュニズムの政治と大連立協議
こんな記事もあった。
世に倦む日日 : 民主党代表選はなぜ無風なのか - 脅しと締めつけ、カネとポスト
最近の「世に倦む日日」の狂信的な小沢崇拝は異常であり、明らかな個人崇拝の様相を呈している。
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マスコミと菅政権の狙いは、小沢一郎個人を悪魔に仕立てて攻撃し、小沢一郎の政治生命を抹殺することだが、それ以上に、小沢一郎が掲げてきた政策全般に対して悪性のレッテルを貼って否定することであり、反新自由主義の政策をも悪だと決めつけることである。反新自由主義の政策を小沢一郎のパッケージで包装して廃棄処分にし、小沢一郎への不支持と菅政権への支持を丸ごと新自由主義政策への支持だとする世論を醸成して既成事実化することである。参院選は小沢一郎を否定するかどうかを問う選挙となる。民主党が勝ち、菅政権が信任された場合は、民意が小沢一郎が掲げてきた政策を否定したという結果だと定義されるだろう。
2年半前には「小沢一郎には政治理念がない。」と切り捨ててたのに。
世に倦む日日 : 小沢一郎の欺瞞と裏切り - オポチュニズムの政治と大連立協議
小沢一郎の問題は、政治を単なる権力争奪のゲームだと考えているところであり、命を賭けて実現しようとする理念がないことである。小沢一郎には政治理念がない。昔は「普通の国」を理念として掲げていて、それは具体的には9条を改正して戦争ができる国にすることだったが、最近はそれを言わなくなり、「政権交代」だけが看板となり、総選挙で自民党に勝利して過半数を取ると言い続けていた。が、小沢一郎にとっては「政権交代」も唯一絶対の目標ではないのだ。
こんな記事もあった。
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最近のブログ左翼の狂信的な小沢崇拝は異常であり、明らかな個人崇拝の様相を呈している。
最近の「世に倦む日日」の狂信的な小沢崇拝は異常であり、明らかな個人崇拝の様相を呈している。
つまり、なぜこれほど嫌われるのか と調べはじめて、西松建設の真相、世田谷の土地の帳簿上の意味、そして、なぜ検察が不公平な捜査をするのかと。
事実が分かり出し、その背景を更に探すと、結局小沢氏が、現実に日本を支配している人たちから
標的にされている状態が浮かび上がってくるのです。
「世に棲む日々」さんが危機を抱いておられるように、小沢氏を見つめると、彼が何に戦いを挑み、
ここまで貶められるのかがわかりますね。
異物として存在すること自体が、閉塞打破の願望の表象として機能してしまっている、ということでしょう。
事実、これ程国家権力も社会的権力も人権を無視した小沢叩きの内容をみれば、その異常性に良識があれば小沢擁護をするでしょう。
もちろん個々の政治過程では、小沢手法なんかいくらでもケチはつれることができます。
しかしそれらを超えて、いつの間にか一回りして真正保守が左派に重なる位置に立ってしまっている、本人も自覚なしに、というところではないのですか?
わたしはテサロニケ氏の文脈ではそういう風に読めます。