黒古一夫BLOG

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「虚しさ」との戦い(15)――あの安倍首相の空々しい「ヒロシマ・デー」での式辞

2015-08-06 09:23:14 | 仕事
 今日は8月6日、70年前の朝8時15分、広島上空500メートルの高さで原爆が爆発した。
 それ以前、7月16日、アメリカはニューメキシコ州の砂漠地帯の「トリニティ・サイト」(アラモゴード市から約300キロ、ニューメキシコ州の州都アルバカーキーから約500キロ)で、世界初の原爆実験を成功させていた。アメリカの原爆開発計画(いわゆる「マンハッタン計画」)は、当初ナチ・ドイツに対して使用することを目的に開発が急がれたものだが、原爆開発に成功する以前にナチ・ドイツが降伏したために、それは第二次世界大戦後の「冷戦」を見越して、日本が降伏しないうちに「実験的」に使用することが急がれたものであった。
 雨の降りしきるトリニティ・サイトでの核爆発実験の成功によって、それ以前から計画されていた日本での使用――紆余曲折があったが、市亜種雨滴に攻撃目標として、広島、小倉(現北九州市)、長崎、新潟、横浜の5都市が決まっていた。京都や函館などが候補地として検討されたこともあった――が急がれ、結果として広島、長崎へ投下された。
 結果として広島で14万人、長崎で7万人(いずれも、原爆投下後1ヶ月の統計)が犠牲となり、それ以上の被爆者が生まれた
 今日8月6日に執り行われた「平和式典」は、その破壊の限りを尽くされた広島の被害者(死者・被爆者)悼んでのものであったが、「安保法制=戦争法案」が参議院で審議されている今年であるにもかかわらず、式典での安倍首相のスピーチは昨年までと変わることなく(昨年、一昨年のコピーかとも思われるほどに)、ただ空念仏のように(本気ではないことが明々白々の)「核廃絶に向けて努力していく」というもので、「空々しさ」の極致を行くものと僕は受け取った。
 何故安倍首相の「核廃絶に向けて努力する」というスピーチが空々しいか、言い方を換えれば「心がこもっていないか」と言えば、昨日の参議院における「安保法制=戦争法案」の審議において、中谷防衛大臣はおよそ被爆国の政治家とは思えない「(安保法制)の法文上は、核ミサイルを自衛隊が運搬することも認められる」「劣化ウラン弾、クラスター爆弾、毒ガスも<弾薬>だから、法文上自衛隊が(米軍のために)運搬することは認められている」といった、驚くべきと言うか、ついに安倍自公内閣が進めてきた「安保法制=戦争法案」制定への「本音」が出たと言うか、とんでもない答弁を展開したのである。
 この中谷防衛大臣の「答弁」は、もちろん安倍首相の考えを代弁したものと考えてよく、「自衛隊が米軍の核ミサイルを運ぶことができる」というのは、国是としてきた「非核三原則」に違反するものであると同時に、安倍自公内閣が原発再稼働に固執することと考え合わせ、権力者たちは中国や北朝鮮の「核の脅威」を前面に押し出すことで、いよいよ「日本の核武装化」を日程に上らせたのではないか、と思わないわけにはいかない。
 先日、必要があって前に購入しておいた帯に「機密文書が明かす日本核武装計画」と刷り込んだ『原発と原爆―「日・米・英」核武装の暗闘』(有馬哲夫著 12年8月 文春新書)なる本を読んだ。これによると、地味党の歴代首相、岸信介(安倍首相の祖父)、佐藤栄作(安倍首相の大叔父)、田中角栄、中曽根康弘らが、読売新聞社主の正力松太郎(初代原子力委員会委員長)らと組んで、いかに「被爆国」日本を核武装化するか、に腐心してきたか、そしてその意思は現代の国粋主義(ナショナリスト)的政治家や経済人に引き継がれているということであった。
 以前から、「日本の核武装化」が一部の政治家によって画策されてきたと言うことは知っていたが、この本を読むまで、「日本の核武装化」は「憲法改正」と共に保守党(自民党)の悲願だということを知らなかった。ここが文学者の「弱い」ところだが、昨日の中谷防衛大臣の「(自衛隊の艦船で)米軍の核ミサイルを運搬することができる」という「安保法制=戦争法案」に対する野党の質問に対する答弁は、やはり「憲法違反」を承知で強引に「安保法制=戦争法案」(日本の核武装化)の成立を目指す安倍政権の「本音」が出た、と考えるべきで、そのことを知れば、今日の安倍首相の「核廃絶を目指す」という言葉が白々しく聞こえるのも、無理ではないだろう。 なお、勘違いしている人がいるかも知れないので、もう一度言うが、「安保法制=戦争法案」は、仮に日本が外国から攻撃されたときアメリカ軍が助けに来てくれるものではなく(例えば、中国の日本が戦端を開いたとき、僕は現在の米中関係を考えると、100%アメリカ軍は「中立」を決め込むと思う。もちろん、日本に存在する米軍基地が攻撃された場合は、その限りではないが)アメリカが始めた戦争を自衛隊が助けに行く法律だ、ということである
 誰が、こんな法律を認めるというのか。「反対」の意志を固めよう

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2 コメント

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安倍晋三 (伊藤芳朗)
2015-08-22 16:25:28
こんにちは
私は、国会を見ていてもチンプンカンプンですが、現職の大臣はもう戦後生まれで、戦自体に対する認識がないのではないですか。今現在タンカーが海賊に襲われるとか、そんな程度で、戦などつゆほども考えてはいないのでは。私としては戦に巻き込まれるのは嫌ですが、今まで歴史を顧みても怖い話、戦のない時代はないと言えるでしょう。今後世界大戦が起きるようになった場合、あらゆる武器による殺傷が行われるでしょう。私は警察官が持っている武器さえやめてもらいたいです。
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その通りだと思います。 (黒古一夫)
2015-08-23 10:59:33
 僕も伊藤さんのおっしゃるとおりだと思っています。
 安倍さんや菅官房長官はじめ「安保法制=戦争法案」を強引に推し進めようとする自公の政治家や、「法的安定性など関係ない」などと嘯いた政務官、学生のデモについて「利己的だ」と言った若手政治家、彼らは皆「戦争」を「ウオー(戦争)・ゲーム」かSF的世界のものと思っているのではないか、と思います。
 総じて言えば、彼らは「戦場(戦争)に行かない」特権を有する者で、戦場(戦争)に狩り出され、犠牲になる(死傷する)のは、いつも「一般市民(庶民・民衆)」であること、これを僕らは決して忘れてはならないだろうと思います。
 僕も戦後生まれですが、再三書いてきたように、僕の父は2度戦争に行き、無事家族の基に帰還してきましたが、彼は「戦争体験」の後遺症で「勤労意欲」を失い、そのために家族は大変な思いをしました。僕の「反戦・反核」の原点はここにあります。
 大袈裟に言うわけではありませんが、安倍首相らに総じて欠けているのは、「犠牲者」への想像力です。そのような想像力がないから、集団的自衛権を行使して自衛隊が戦場に派遣されても「リスクは高まらない」などと平気で言えるのです。誰がどう考えたって、自衛隊員が「戦死するリスク」は高まるのに決まっています。それを、そんなことはない、と言いきる安倍首相以下自公の政治家たち、彼らは皆「人(にんぴにん)」です。国民の生命をどう思っているのでしょうか。許せません。
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