黒古一夫BLOG

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「朗報」2つ

2008-05-31 14:20:23 | 近況
 各種の報道が伝えるように、会議の最終局面において日本も「クラスター爆弾即時全面禁止条約」に参加することが決まった。この条約については、当初、常にアメリカの顔色を窺ってからでなければ何事も結論が出せない外務省や防衛省が「即時全面」という言葉に拘って、「条件付き(不発弾が少ないものは認める、というような条件)」ならば、と世界の趨勢に逆らって反対していたようだが、はじめは日本と共同歩調を取るように見えていた英独仏が「全面禁止」に踏み切ったので、孤立無援を恐れた日本も「しぶしぶ」賛成した、というのが実情らしい。
 マスコミは「福田首相の決断で」などと言っているが、元々「非人道」の極致を行くクラスター爆弾に反対するのは当たり前のことで、(アメリカに買わされたとは言え)日本の自衛隊が90何基も、この「悪魔の爆弾」発射装置を持っていて、そのために多くの税金を使っていること自体がおかしかったのである。さすが、世界第6位(第7位?)の兵力を保持している自衛隊だけあって、「核兵器」以外は何でも持っているんだな、と感心してしまうが、このクラスター爆弾の廃棄に約2000億円もの税金が必要と聞くと、以下にこれまでの日本が「日本国憲法第9条」に背いてきたかがわかるというもので、このような事態を放置してきた僕ら国民にも大きな責任がある、と思わざるを得ない。
 また、今朝の朝日新聞「Be」面に、日本の技術屋さんが地雷除去の機械を製作し、カンボジアやアフガニスタンなど5カ国ほどで使用し、地雷の被害に怯えるそれらの国々の人々に大変喜ばれている、ということが写真入りで報じられていた。
 戦争に勝つためには、それが非人道的なものでも(戦争自体が非人間的な仕業なのだから、「非人道的武器」という言い方は語彙矛盾を起こしているのだが、僕が何を言いたいか、ニュアンスを汲み取って欲しい)、平気でどんな武器でも使用する。そのことの極致が「核兵器」だと思うが、「ヒロシマ・ナガサキ」を経験した日本も、政府(国家)として積極的に核軍縮を主張するということがない(ないどころか、石原慎太郎東京都知事のように「核武装論」を唱える輩を放置する政治風土さえある)。僕としては全く不可解なのだが、彼ら(核保有国の指導者も含めて)は、核兵器が使用されても自分たちだけは「安全」だと思っているのだろうか。敵国も、自国も「焦土」と化し、この地上が放射能に汚染されて人間の住む場所でなくなることは、「渚にて」という60年代に話題となった映画で、先刻承知だと思うのだが……。
 ともあれ、クラスター爆弾の全面禁止条約に日本が参加したこと、これは「朗報」である。

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