黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

傲りと「差別」――歪んだ「経済」優先主義の末路

2014-10-21 04:34:02 | 仕事
 前回から10日余り、この間、何をやっていたか。「忙しい」が口癖のようになっているので、その言葉は使わないが、この間にやっていたことを言えば、まずいよいよ完結を迎えつつある『立松和平全小説』(全30巻+別巻1)の、立松の没後刊行された『白い河―風聞・田中正造』と『良寛』および単行本未収録の「三田文学」に連載されていた「晩年まで」(11作)を中心に編まれた『別巻』の解説・解題を書き(25枚)、それが終わった後に、次の自著『葦の隋から中国を覗く――「反日感情」見ると聞くとは大違い』(アーツアンドクラフツ社 11月初旬刊行予定)のゲラ校正(今までの作家論や作品論とは違って、「事実=見聞」を基にしたリポートというか体験記なので、言葉の使い方や文体の直しがたくさんあり、時間が掛かってしまった)を行い、そして昨日までは、先の『別巻」に付けることになった「立松和平著書目録」(不完全版)を作成していたのである。
 「立松和平著書目録」は、1978年に刊行された『途方にくれて』(小説)以降、80冊の小説、57冊のエッセイ、34冊の紀行文集を初め、対談や童話(ヤング・アダルト)、仏教関係所など、僕の手元にある「269冊」(他に、存在は知っていても、紛失しててもと担いもの、また全く未見のものなど「45冊」)、それを刊行日、出版社名、ページ数、など必要最小限の書誌情報を記載したのだが、「書誌」に関しては「全集」を編むときに心がけてきた「現物主義」(コピーでもいいから、ともかく「現物」で確認するやり方)をここでも実践してきたので、主張してきたので、時間がずいぶんと掛かってしまった。
 それにしても、62歳で亡くなるまで「300冊」余りの本を書いた立松和平という作家、改めてその「すごさ」に感心すると共に、そのような作家と30年以上にわたって「同伴」できたことを、今は一人の批評家として嬉しく思っている。

 そんなわけで、この「ブログ」も落ち着いて書けなかったのだが、この間、仕事は仕事と割り切りながら、そうであったが故に、「数」を頼りに強引に「極右」的な政治を進めていく安倍政権に対する「怒り」と「先行きの不安」がとどまるところを知らなかった。
 何よりも、今でも反対が根強い戦前の「治安維持法」の復活を思わせる「特定秘密保護法」の12月からの施行を、またもや「閣議決定」したことに、この政権の「危険性」を感じざるを得なかった。これは、もう30年以上前になる「西山事件」(「沖縄返還」に伴う「日米の密約」問題)を想起すればすぐ分かるように、先の「集団的自衛権行使容認」と同じように、「対米従属」を推し進めるもので、安倍晋三という人の「無定見」の政治思想を良く表すものに他ならない。つまり、「内」に向かっては、「ナショナリズム(愛国主義)」を振りまき、「外」に向かってはアメリカの言いなりになる「対米従属」を深める、という何ともアクロバティックな思想、これを「無定見」と言わずして何と言うか。
 この安倍首相のアクロバティックな「無定見」思想は、その「経済優先」主義にも表れていて、例えば今や破綻が明らかになりつつあると言われる「アベノミクス」が、非正規労働が「40%」を超している現実が象徴しているように、アメリカのように拡大する「格差社会」を放置し、「景気は良くなった。これからは地方への波及だ」などと呼号する姿勢に、それは良く現れている。また、その「日本経済」が今や「中国」抜きで考えられないことを承知で、「憂国の士」(ナショナリスト)を気取りたいのか、中国との関係を一向に改善しようとしないその頑なな「反共主義」にも、そのことは現れている。
 どうやら、安倍晋三の思想は、福沢諭吉以来の「アジア蔑視・欧米崇拝」(=アジア差別)に凝り固まっているようだが、それはまた、彼の「女性観」にも現れているようにも思える。
 つまり、先週から問題になっていた小渕優子経産省の「不正経理」問題や松島みどり法務大臣の「うちわ」(公選法違反)問題は、昨日になって二人の「辞任」ということになり、安倍首相はこれで決着をつけたかのように思いたがっているように見えたが、問題は、「女性閣僚が5人」などと鳴り物入りで行った「内閣改造」が、現在の臨時国会で「集団的自衛権行使容認」問題や原発の再稼働、先に書いた「特定秘密保護法」などの国民生活の根本に関わる問題について全く議論せず、すべて「既定事実」であるかの如く政治を進めていくその手法、それはまさに国民の「現実」を蔑ろにした「傲慢」そのものとしか言えないのだが、本当にこの政権は「非道い」としか言いようがない。
 そのれは、「5人の女性閣僚」の登用に象徴されている。「女性の活躍の場を増やす。職場における女性の役職者を増やす」政策=政府の方針を象徴する「女性閣僚5人」の登用であったが、内実は、原発の再稼働を「経験不足」の若い=未熟(これは、政治資金の使い方を知らなかったことで、判明している)な小渕優子を経産大臣にしたことや、ナチを尊敬する極右の幹部と写真に収まった高市早苗総務大臣、及びヘイトスピーチを繰り広げる在特会のかの存在を容認している国家公安委員長山谷ゆり子、それにもう一人(失念した)の女性閣僚が挙って「靖国参拝」したことからも知れるように、彼女らは「自立した女性」の政治家ではなく、いずれも「夫婦別姓」に反対な、「靖国参拝」をしたくて仕方がない「歴史」に無知な内閣総理大臣安倍晋三の「傀儡」に過ぎない そこで、">何度でも言うが、「騙される側の罪」である。
 安倍政権の「暴走」ぶりを許しているのは、紛れもなく彼を総裁とする自民党に大量の票を投じた僕ら国民であること、このことを忘れずに、「アベノミクス=経済優先主義」のまやかしを見抜き、反撃を開始しなければならない。それが、子や孫、そしてそれ以後の子孫に対する「責任」の散り方だからである。

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