黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

未曾有の大災害に直面して(2)

2011-03-20 17:24:09 | 近況
 今日(20日)の午後のニュースで、福島原発の事故処理が一応(報道を信じる限りにおいて)「良い」方向に向かっているのではないか、ということで、ちょっとだけ安心感を得た。しかし、一方で、福島産の牛乳(原乳)や茨城産のほうれん草が基準値の数倍の放射能に汚染されていることが発表され、あまつさえ僕が暮らしている前橋市の水道水からもセシウムなどの放射能が感知されたという報道に接すると、長いスパンで考えて、本当に東北や関東の放射能汚染は、TVのコメンテーター(急遽呼び出された原子力科学者や放射能研究者、等)が言うように「人体に影響がない程度」なのか、気になって仕方がない。
 ヒロシマ・ナガサキの「被爆者」の中に、「入市被爆者」というのが存在する。原爆によって直接放射能を浴びた人たちではなく、「救援隊」や「関係者捜し」などによって、被爆後の広島市や長崎市に入っていった人たちのことで、当時は厳密な意味での放射能測定が行われていなかったから、どの程度の放射能が広島市や長崎市に残っていたのか不明だが、後に「被爆者」として「原爆病」(別名「ぶらぶら病」:体がだるく、何をするにも気力が沸かず、体力もなくなって、ただぶらぶらしているしかできなくなってしまう病気)に患ったり、年をとって白血病や癌死する割合が高い状態になる「入市被爆者」たちの存在を考えると、今度の福島原発の事故によって、どのような「被曝者」が出てくるのか、全く予断を許さないのではないか、と思う。
 僕は、この種の「危険」に関して過剰に反応し過ぎではないか、とも思うが、もう一方で将来に禍根を残さないためにも「過剰反応」は必要なのではないか、と思っている。僕のように「過剰反応」する人間が多くなればなるほど、原発推進派の跳梁を牽制し、将来の「危険」に対してそれだけ減少化への力になるのではないか、とも思っている。
 それとは別に、今度の福島原発の事故に際して思ったのは、資本制社会の中においては、どのような「公共性」を備えた企業(東電のような)でも、当たり前のことかも知れないが、「利潤=儲け」を最優先するものだ、と思い知らされたということがある。原発の事故が報道され始めた頃、あれほど「何重もの安全装置」を備えて、絶対に「暴走しない=大事故にならない」と言っていた東電が、東北・関東大地震に伴う大津波によって「緊急冷却装置」を稼働させるはずのディーゼル・エンジン(ポンプ)」が流され、使い物にならなくなっていたことを、何故公表しなかったのか。また、何故原子炉や使用済み核燃料保管プールの発熱(結果的に「水素爆発」を誘発した)について、最初から「海水」を使おうとしなかったのか(「真水」を使用する前提のポンプが壊れていたのも関わらず、である)。「海水」を使えば、二度と福島第一原発は二度と使えず、「廃炉」にするしかなくなるからなのだろうが、それではあまりに「人間」(周辺住民を中心に)の存在を軽視することになりはしないか。
 生まれなかった子供の年を数えても仕方がないのかも知れないが、一企業(東電)の「営利」を最優先させる初期意識(行動)が、今度の原発事故の原因・遠因になっているとしたら、それは人間存在に対する「裏切り」であり、二度と起こってはならないことなのではないか、インモラルとは、このようなことを言うのだ、ときちんと言っていっておいた方がいいのではないか、と思う。
というのも、「東北・関東大震災」や福島原発のレベル5」という大事故という未曾有の大災害の被害の最中であるが故に、「こんな時に……」という批判があるのを承知で、和知れないためにも「利潤追求」一辺倒の「企業論理・倫理」について批判しておかなければならないのではないか、と思うからである。
 それは、資本制社会に生きる僕らは、何らかの形でその「資本制」の在り方に荷担していて、その現実から逃げる訳にはいかないからでもある。国立大学の教師としても、また批評家として(相当少ない原稿量や印税)としても、この資本制社会の元で「お金」をもらって生活している現実から免れるわけにはいかず、そうであるが故にまたそのような社会の在り方に対して「批判」をしていかなければならないのである。

 しかし、このような「危機的状況」を淡々と受け入れるのは、相当難しいことも今日感じた。「ジャガイモの種植えはお彼岸前後」というこの地の言い伝え通り、ガソリン不足のため外出のままならないので恒例のジャガイモの種植えを、「土作り」が住んでいた家庭菜園で(放射能のことを気にしながら)行ったのだが、終わった後、やはり放射能のことが気になって仕方がなかった。そして、正直に言って、官房長官や原子力学者たちの「人体に影響がない」という言葉をその時ばかりは信じたい、という気持ちになった。これが、一庶民の偽らざる感情なのかも知れないが、悲しい現実でもあることも思い知った。そのようにアンビバレンスな(引き裂かれた)状態を生きるのが僕らだとしたら、それはあまりにも悲しいが、……。

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1 コメント

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東京電力は (河本洋一)
2011-03-20 23:32:49
一企業ではない、やはり独占企業ですね。
私は埼玉県在住なので、もしも、利根川、荒川などで水力発電する「さいたま電力」(ちょっと高い、渇水時には他から買うのでもっと高い)と契約することができれば、そうしたかも知れません。
今はとにかく冷却してもらいたい。ただ、政府と東電で、別チームでもう夏の対策も立てはじめてほしいです。寒い日に暖房で停電では、冷房時にどうなるか。(まあ大体冷房しすぎですが)
学校の夏休みを早める。企業の順番に土日稼働。
冷房温度の制限などで相当軽減できるのでは。
さらに、今まったく報道されていない火力発電所がそれぞれどんな予定でどれだけの出力があるのか。「オール電化」にまどわされて、困っている人、これから困る人がでてきそうです。
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