一昨日、昨日と2000,1000を超えるアクセス(IP)数を見て、「盗作」問題に対して世間の関心が異様に高いことを知り、本心からびっくりしている。「コメント」も、僕の「盗作」に関する考え方を批判するものから内容に疑義を呈するもの、あるいは賛意を表してくれるものまで、大変多岐にわたっており、その意味でも大変興味深かったのだが、ここで少し「整理」しておく必要があるのではないか、と今は思っている。
まず、前提に関して、僕が栗原裕一郎氏の「<盗作>の文学史」について感想を書いたのは、公開されているとは言え「黒古一夫のブログ(日記)」においてです。ですから、結果的に栗原氏の「盗作」問題に対して批判する形になりましたが、あくまでも僕が言及したのは栗原氏の本の一部、つまり僕も「関係者」の一人としてその盗作問題に関わった経験に基づき、栗原氏の方法に僕の立場から疑義を挟み批判したのであって、僕の関与しない、例えば山崎豊子のことなどには「噂・伝聞」としていろいろ聞いていましたが、そのことについてはあえて触れませんでした。これが、まず確認していただきたい前提です。
つまり、僕はどこかのメディアに頼まれて「書評」とか「エッセイ」、あるいは「評論」という形で栗原氏の著作を批判したのではなく、あくまでも「心覚え」のようなつもりで「ブログ=日記」に書いたのです。僕がこの僕のブログで時々新刊本や僕が気になっていた本について「感想」の類を書いていたことは、このブログにずっと付き合ってきてくれた人は知っているのではないかと思います。ですから、今回も僕が関係していた部分について栗原氏に「疑義」を呈し、「批判」したのです。
そしたら、栗原氏の友人で栗原氏の今度の著作を出版社(新曜社)に紹介したという小谷野敦氏から、様々な角度からの僕に対する「疑義」が提出され、「批判」もされました。その中には、僕が言葉足らずだったために意が通じなかったことや、「文学」に対する基本的な考え方の違いが明らかになるというようなこともありました――僕は小谷野氏の「文学」は「科学」であるという考え方に、そう簡単に組みすることはできないと考えています。小谷野氏の言う「文学」は、学問としての「文学」という意味に限定されるべきもので、僕らが普通に「文学」と言っているのは、この社会にあって日々生み出される創作(小説や詩、短歌、俳句など)をはじめとして批評、エッセイ、評論、戯曲など、所謂「言葉の芸術」といわれるもの全てを指すのではないか、という立場に僕は立ちたいと考えています――。このようなことを書くと、また小谷野氏から僕の「文学観」について何か言われそうですが、昔から「文学観」に関する論議は水掛け論に終わってしまうので、今から「予防」的に言っておけば、この種の論議をこの欄でするつもりはありません。
なお、小谷野氏の僕への批判に関して、1,2お答えしておきます。
まず、小谷野氏は僕が栗原氏は「盗作」疑惑を掛けられた人に「直接取材」すべきだったのではないかと言ったことに対して、そのように言う黒古は何故「栗原氏に取材しなかったのか」と批判しているが、「前提」のところでも書いたように、僕の疑問は、公開されているとは言え、「ブログ=日記」に書いた「心覚え」のようなものです。そのような文章まで「取材してから書け」というのは、酷というものです。
また、小谷野氏は栗原氏が「黒い雨」問題に対して、発端となった豊田清史の言説について批判していると言っていて、もちろんそのことは僕も承知していたが、その上で僕は「『重松日記』の刊行を境に論争は尻すぼみに終息へと向かった」(要約 P305)などと、その後の方が広島を中心に「論争」は激化し、また豊田の言説に対する検証も進んだことについて全く等閑視する栗原氏の態度に「疑問」を呈したのである。なお、猪瀬直樹、谷沢永一の井伏鱒二批判が基本的には豊田清史の「デタラメ」かつ「捏造した」資料に基づいていること、そのことに栗原氏は気が付かなかったのか、という根本的な疑問が僕にはあったのです。なお、盗作疑惑に関する「論争」において、豊田清史が「所持している」と長い間主張してきた「重松日記」なるものが、「黒い雨」を基にして豊田が「捏造=創作」したもので、そうであるが故に(豊田が所持していると称していた)「重松日記」(つまり、偽物)と「黒い雨」は酷似していたのである。その点について、果たして栗原氏は「検証」した上で、猪瀬や谷沢の言説(=豊田の言説)を取り上げたのか、ということがある。
ついでに、誤解を恐れずに言っておけば、僕は埴谷雄高が一貫して主張していた「文学の党派性」という考え方に組みしたいと考え、これまで(「学問=科学」賭しての文学ではなく)批評活動をしてきた。これからも、その信念は曲がること無いだろうと思う。
なお、最後に小檜山博に「盗作」問題について、僕は問題が発覚したとき「自殺」を考えたから、彼は「盗作・盗用」していないなどと一言も言っていません。ただ、彼も「弁明」しているように、メモ書きに基づいて作品を書いたら、主婦のエッセイと酷似したものになってしまったという「事実」にかんして、そのようなうかつさについては十分に批判されなければなりませんが、彼が「自殺」を考えたというのは、それまでずっと小説家として生きてきた自分が「盗作・盗用」の一言でガラガラと崩れる感覚を味わい、自分が全く「無意識」で行ってしまったことに対して「自責の念」を強くし、その結果の思いだった、と僕が考えたということです。言葉足らずだったかも知れませんが、「自殺」を考えたから全てが許されるなどと僕は考えていません。現に札幌で小檜山氏にあったとき、「苦言」を呈しましたが、そのようなものとして僕らの「党派性」はある、と考えてくださっても結構です。
最後に、僕を擁護してくれた人、ありがとうございました(もうこの件については少々「うんざり」しています)。また、今「国文学 解釈と鑑賞」(12月用原稿)に「光の雨」事件と立松和平との関係に触れた「立松和平と仏教」(仮題)という原稿を書いています。興味のある人は、あと3ヶ月後になりますが、お読み下さい。そこで僕の考えを明らかにしています。
長くなりましたが……。
まず、前提に関して、僕が栗原裕一郎氏の「<盗作>の文学史」について感想を書いたのは、公開されているとは言え「黒古一夫のブログ(日記)」においてです。ですから、結果的に栗原氏の「盗作」問題に対して批判する形になりましたが、あくまでも僕が言及したのは栗原氏の本の一部、つまり僕も「関係者」の一人としてその盗作問題に関わった経験に基づき、栗原氏の方法に僕の立場から疑義を挟み批判したのであって、僕の関与しない、例えば山崎豊子のことなどには「噂・伝聞」としていろいろ聞いていましたが、そのことについてはあえて触れませんでした。これが、まず確認していただきたい前提です。
つまり、僕はどこかのメディアに頼まれて「書評」とか「エッセイ」、あるいは「評論」という形で栗原氏の著作を批判したのではなく、あくまでも「心覚え」のようなつもりで「ブログ=日記」に書いたのです。僕がこの僕のブログで時々新刊本や僕が気になっていた本について「感想」の類を書いていたことは、このブログにずっと付き合ってきてくれた人は知っているのではないかと思います。ですから、今回も僕が関係していた部分について栗原氏に「疑義」を呈し、「批判」したのです。
そしたら、栗原氏の友人で栗原氏の今度の著作を出版社(新曜社)に紹介したという小谷野敦氏から、様々な角度からの僕に対する「疑義」が提出され、「批判」もされました。その中には、僕が言葉足らずだったために意が通じなかったことや、「文学」に対する基本的な考え方の違いが明らかになるというようなこともありました――僕は小谷野氏の「文学」は「科学」であるという考え方に、そう簡単に組みすることはできないと考えています。小谷野氏の言う「文学」は、学問としての「文学」という意味に限定されるべきもので、僕らが普通に「文学」と言っているのは、この社会にあって日々生み出される創作(小説や詩、短歌、俳句など)をはじめとして批評、エッセイ、評論、戯曲など、所謂「言葉の芸術」といわれるもの全てを指すのではないか、という立場に僕は立ちたいと考えています――。このようなことを書くと、また小谷野氏から僕の「文学観」について何か言われそうですが、昔から「文学観」に関する論議は水掛け論に終わってしまうので、今から「予防」的に言っておけば、この種の論議をこの欄でするつもりはありません。
なお、小谷野氏の僕への批判に関して、1,2お答えしておきます。
まず、小谷野氏は僕が栗原氏は「盗作」疑惑を掛けられた人に「直接取材」すべきだったのではないかと言ったことに対して、そのように言う黒古は何故「栗原氏に取材しなかったのか」と批判しているが、「前提」のところでも書いたように、僕の疑問は、公開されているとは言え、「ブログ=日記」に書いた「心覚え」のようなものです。そのような文章まで「取材してから書け」というのは、酷というものです。
また、小谷野氏は栗原氏が「黒い雨」問題に対して、発端となった豊田清史の言説について批判していると言っていて、もちろんそのことは僕も承知していたが、その上で僕は「『重松日記』の刊行を境に論争は尻すぼみに終息へと向かった」(要約 P305)などと、その後の方が広島を中心に「論争」は激化し、また豊田の言説に対する検証も進んだことについて全く等閑視する栗原氏の態度に「疑問」を呈したのである。なお、猪瀬直樹、谷沢永一の井伏鱒二批判が基本的には豊田清史の「デタラメ」かつ「捏造した」資料に基づいていること、そのことに栗原氏は気が付かなかったのか、という根本的な疑問が僕にはあったのです。なお、盗作疑惑に関する「論争」において、豊田清史が「所持している」と長い間主張してきた「重松日記」なるものが、「黒い雨」を基にして豊田が「捏造=創作」したもので、そうであるが故に(豊田が所持していると称していた)「重松日記」(つまり、偽物)と「黒い雨」は酷似していたのである。その点について、果たして栗原氏は「検証」した上で、猪瀬や谷沢の言説(=豊田の言説)を取り上げたのか、ということがある。
ついでに、誤解を恐れずに言っておけば、僕は埴谷雄高が一貫して主張していた「文学の党派性」という考え方に組みしたいと考え、これまで(「学問=科学」賭しての文学ではなく)批評活動をしてきた。これからも、その信念は曲がること無いだろうと思う。
なお、最後に小檜山博に「盗作」問題について、僕は問題が発覚したとき「自殺」を考えたから、彼は「盗作・盗用」していないなどと一言も言っていません。ただ、彼も「弁明」しているように、メモ書きに基づいて作品を書いたら、主婦のエッセイと酷似したものになってしまったという「事実」にかんして、そのようなうかつさについては十分に批判されなければなりませんが、彼が「自殺」を考えたというのは、それまでずっと小説家として生きてきた自分が「盗作・盗用」の一言でガラガラと崩れる感覚を味わい、自分が全く「無意識」で行ってしまったことに対して「自責の念」を強くし、その結果の思いだった、と僕が考えたということです。言葉足らずだったかも知れませんが、「自殺」を考えたから全てが許されるなどと僕は考えていません。現に札幌で小檜山氏にあったとき、「苦言」を呈しましたが、そのようなものとして僕らの「党派性」はある、と考えてくださっても結構です。
最後に、僕を擁護してくれた人、ありがとうございました(もうこの件については少々「うんざり」しています)。また、今「国文学 解釈と鑑賞」(12月用原稿)に「光の雨」事件と立松和平との関係に触れた「立松和平と仏教」(仮題)という原稿を書いています。興味のある人は、あと3ヶ月後になりますが、お読み下さい。そこで僕の考えを明らかにしています。
長くなりましたが……。
先生の「感想」に対して、著者の栗原氏がご自身のブログで大変に丁寧かつ誠実な応答をされているのはお読みになりましたでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20080907#1220766533
先生の今日の日記では全くそのことに触れられておりませんが、そもそもは先生の方から「疑義を呈し」、「批判した」のに、相手がきちんとそれに応えたら、今度はそれを無視するというのは、あまりに不誠実ではありませんか?
栗原氏は先生の「疑義」に逐一回答されています。それに対して、先生はどのようにお考えになるのでしょうか。
『〈盗作〉の文学史』は読んでおりましたが、先生が批判していらっしゃった点にはことごとく正反対の印象を受けていたこともあり、先生の「感想」には驚きました。
栗原氏の著書は、まさに「事件としてでっち上げられる過程を冷静に考察した」ものとしか読めませんでしたので。立松氏の件も、井伏の件も。
先生は、作家にとっての盗作疑惑の重大さを述べられており、それはその通りだと思いますが、「文筆業者」である栗原氏にとっても、執筆、取材態度をあのように一方的に批判されるというのは、先生が「文芸評論家」を名乗られていることを考えれば、重大なことではないでしょうか。
だから批判するなというのではなく、その批判に相手が誠実に応えていることに対して、先生の方でも応えるべきではないのかと思った次第です。
長文、失礼いたしました。
随分と上から物を言うなあ。
先生は、栗原氏をいつ無視したのかな?
先生は、単に読んだ本の批評しただけで、
それが、文芸評論家のお仕事でしょ。
作家は、書いたものをそうやってみんなに
良くも悪くも評価を受けるもの。
今日の日記は、先生の誠実な気持ちを書いたもの
だと思うよ。
「先生の方でも応えるべき」って、言うよね~。
ここへ来る人たちだって、みんな考え方なんて違うでしょ。
みんな同じだったら逆にこわい。
黒子先生、これからもいろいろ問題提起お願いします。
世の中をよく知らない私のようなものには、
いろんなことを考えるきっかけになり、
良くも悪くも、大変勉強になります。
自分の考えをしっかり持たないとね。
もしあなたが言う「応答」が栗原氏のブログへの僕の「反論」を意味するのであれば、それはやりません。例え「逃げ」と言われても、です。
>創作家=作家の思想や方法から「盗作」問題を兼ねたい
なんじゃそりゃ(笑)
栗原氏の著作は、先生が最初にご自身でそのように「期待」されて読まれたと言うとおり、徹頭徹尾「盗作事件」をメディアによって「作られた」=「事件化された」ものとして冷静に、客観的に、一次資料に当たったうえで分析しており、それは、主観的な読みに依拠しつつ、ナイーブに「盗作」を擁護したり、糾弾したりする、「グダグダ」なスキャンダリズムとは対極にある姿勢ではないでしょうか。
ところが、先生が「内実はそうではなかった」と書いていらっしゃるのを見て、一体どこをどう読むとそうなるのか、とても不思議に思いました。
あの本から、栗原氏が豊田氏を支持しているなどとはどうやっても読み取ることができませんでしたし、立松氏の件にしても、メディアによって植えつけられた「盗作イメージ」とでもいうような偏見が払拭される思いでした。
栗原氏も書いておられますが、あの本が、表に出ていない=事件化していない、隠れた(文壇内で囁かれているだけ、というような)「盗作」を暴き出し、糾弾する、といった、それこそスキャンダリズムに基づいた趣旨の本でないことは明らかです。
「盗作」が「事件」となるのは、まさにメディアが取り上げるからです。そして、そのメディアの恣意的な報道を含めた「事件」全体を、あの本は分析しているわけですから、盗作を「事件」として云々、というのは、あまりに当然といいますか、逆にそれ以外にどういった有意義な可能性があるのか、正直、分かりません。
またしても長文になってしまい、申し訳ありませんでした。
以上、一読者として感じたことを書かせていただきました。失礼いたします。
違います。
ブログでの反論はトラックバック機能などを使って、他人の記事を引用したりしながら自分のブログで意見を展開するのが普通なんですよ。
「自分のブログのコメント欄に反論してこないから」というのではなく、そもそもコメント欄は文字通りコメントでしかないので、議論の場ではないのです。
もちろんコメントをする人がブログを書いていないのなら多少は構いませんが、お互いがブログを書いているのなら、お互いの記事の引用を繰り返しながら、それぞれが自分のブログで意見を言い合うのが一般的なマナーです。
栗原氏はご自分でもブログを持っているので、そこで黒古先生に対する反論を展開するのは普通のことで、それは「黒古先生からの再反論を期待していない」という意味ではありません。
まずはそのあたりのネット上の言論のマナーをご理解願います。
栗原氏が黒古先生に対し、
>ご教示いただきたく存じます。
と書いていたり、
>私からは以上です。よろしくお願い申し上げます。
と自分のブログに書いているのは、黒古先生に「さらなる回答をお願いします」という意味ですよ。
なので、
>もしあなたが言う「応答」が栗原氏のブログへの僕の「反論」を意味するのであれば、それはやりません。例え「逃げ」と言われても、です。
というのは、まさしく「逃げ」でしかありません。
先生は常々、「匿名での批判は許せない」「批判するなら実名でやれ」「思想というのはお互いが意見をぶつけ合って発展していくものだ」とおっしゃっているのに、栗原氏からの実名批判に対して誠実に対応できないのはどういうことでしょう?
そもそも今回の騒ぎの火を付けた発端はご自分なのですから、栗原氏の意見には最後まで誠実に回答するべきです。
ここで栗原氏への回答をしない選択をすることは、「他人は批判するけど自分への批判は無視する」という自分に都合の良い最悪の対応を見せてしまうだけです。
それで、栗原裕一郎氏への「反論」は、長くなりそうなので、今日(9月9日)の記事に書きます。