黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

これが「私の1週間」

2010-02-08 09:58:55 | 仕事
 前にも書いたことだが、大学教師にとっての「師走」は、1月末から2月にかけての、中国文化圏で言えば「春節=正月」である。卒業論文・修士論文の締め切りから発表会、大学入試(センター試験から前期試験・後期試験)、大学院入試、期末試験(3学期制を取っている筑波大学の場合、4年生は1月末から2月始めに、それ以下は3月の初めに)、等々、気ぜわしい日々が続くのがこの時期である。
 そんな「行事」が目白押しの日々に、批評家としての仕事が重なり、通常とは異なった忙しい日々を送ったのが、先週であった。月曜日(2月1日)大学院入試、修士課程の面接官(主査)として、朝の9時半から午後の3時頃まで。火曜日(2日)、明日の「卒論発表会」に備えてレジュメ造り、教師によっては学生の自主性に任せる場合もあるようだが、僕の場合は、一応「点検」してから、ゼミ単位のレジュメを作るのを習わしにしているので、それに付き合う(結果的に翌日の発表会で、ある学生の自主性に任せたゼミは、両面印刷の裏面が印刷されないレジュメを作ってしまい、大慌てをするということがあった)。
 水曜日(3日)、朝10時から卒論発表会、僕のゼミは午後の最後なのだが、副査を頼まれていることなどもあり、10時から発表会にでる。「正規」の発表会は、4時頃に終わったのだが、その日他大学の大学院試験日だった僕の学生のために、彼女が帰ってくるまでゼミ員全員で待機し、発表会が終わった後、いつもは打ち上げをするのだが、明日も試験がある学生のために、「恵方巻き」を買ってきて食し(もちろん、費用は僕持ち)、「来福」を祈る。夜は、論文の「講評」を7人分書く。
 木曜日(4日)、1限から授業、午後には大学院生(博士課程)の論文指導、と修士のゼミ、と並行して学部ゼミの「論文集」(ゼミ員全員の論文を1冊のファイルにまとめる)作成の指導を行う。昨夜書いておいた「講評」もついでに印刷して学生に渡す。それが終わった後、昨日行うはずだった「打ち上げ」を大学内で行う(例年だと、近くの居酒屋などで行うのだが、今年は学生の要望で、ゼミ室で行った)。今年のゼミ生は酒豪が多いので、研究室に溜まっていた(もらい物の)アルコール類を供出し、飲み食いし大いに盛り上がる。後半おなかが空いたというので、ピザーラからL判を二つ配達してもらう(この費用は、僕が出した。コンパのつまみなどは一人800円ほどは学生たちが割り勘にしていた)。大学から宿舎に帰ったのは、10時半、学生たちは終電が亡くなって帰宅できない学生のためにカラオケ屋に行くと言い、誘われたのだが、明日の授業ことも考えて遠慮する。
 金曜日(5日)午前に会議が一つ、午後1番で授業を行い、2時から3月14日(日)午前12時15分から14時まで放送のNHK/FM「トーキング ウイズ松尾堂」のプロデューサーと放送作家との「打ち合わせ」(4時半まで)。この「トーキング……」は、タレントの松尾貴史が各界の人々を招いて「本」と「音楽」について話を聞くというものだそうで、今回は大江健三郎さんの新作「水死」を中心に、大江さんと僕が松尾氏及びアシスタントの佐藤寛子さんを交えて話をするというもので、1時間45分に何を話すか、僕と大江文学との出会いや今までどんな仕事をし、これからどのような仕事をしていくか、等も話してもらう予定とのことで、今から楽しみにしている(詳しいことは、「台本」が届いた時点でまた書きたいと思う。
 土曜日(6日)、忘れていた「立松和平全小説」の解説・解題(4,4,5巻分)の校正を急いで行い、月曜日に版元に届くように郵送する。
 といった「私の1週間」でした(以上のような忙しい日々であったが、「立松和平全小説」第6巻の解説・解題を執筆するために、収録作品の読み直しも行っていました)。

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1 コメント

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大江といえば (知奈良万平)
2010-03-04 02:27:58
ノーベル賞をとった頃大江光を特集した番組をやっていた。その中で光が卒倒するシーンがあったのだけれども、どっかの評論家が「自分だったらあんなシーンは映させない」とか言っていた。それに対して大江が朝日新聞で「私はあのシーンを美しいと思った」とか書いていたけれどもなんでノーベル賞までとったのに文壇ごろみたいな評論家に反応するのか。スルーしておけばいいのに、と思いました。
大江健三郎って言われたら言い返す、やられたらやりかえす人なのか。9条とは対極的な性格だね。
香山リカも言われたら言い返すよね。
9条の精神にあるまじき
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