黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

批評家としての仕事――『立松和平の文学』(仮題)を書き終えて

2015-11-28 10:17:21 | 仕事
 2009年のはじめに企画が実現することになり、著者の立松和平と協同で全巻の構成を考え、そして翌年の初めに刊行が始まった『立松和平全小説』(全31巻+別巻1 勉誠出版刊)、刊行が終わったのが今年の1月、当初は2年半で完結する予定だったのだが、刊行が始まった年の2月8日に立松が急逝した(享年62歳)ことや編集の手違いなどがあって、完結するのに丸々5年の歳月を要してしまった。その間、僕は中国(武漢)の大学で教えるということもあったが、担当した全巻の「解説・解題」は遅れることなく編集者に渡すことができた。
 各巻平均して1300枚前後を収録した『全小説』、ほとんど「手弁当」で毎回25枚以上の「解説・解題」を書いた僕にとって、この仕事はかなりハードな仕事だったが、担当編集者は仕事とはいえ僕よりさらに大変だったろうと推測する。また、立松が急逝したということもあり、また最近の出版不況ということもあって、『全小説』は「思いの外」売り上げがのびなかった。そんな『全小説』31巻を5年という長い歳月、1巻も欠けることなく刊行し続けた出版社(勉誠出版)には、感謝してもしきれない気持である。
 そんな『立松和平全小説』全31巻に付した「解説」は、事柄の性質上重複する部分もあり、全部で「1000枚」を越える分量になっていた。それを完結直後から『立松和平の文学』として編集し直す(書き直す)作業に入って、ようやく昨日「814枚」(「序」や「後書き」を除いて)にまとめ終わった。今年は中国へ行かなくても済むということもあり、筑波大学を定年退職後では珍しく、連載を2本抱え(時事通信配信の週1回で全18回の「戦争文学は語る」と、現在も続いている「解放」誌における月1回の「情況への異論・反論・抗論」)結構忙しい思いをしながらの「解説」の書き直し(編集のし直し)、時間が結構掛かってしまった。
 立松の文学について、僕はこれまで『立松和平―疾走する境界』(91年 六興出版刊、増補版は副題を「疾走する文学精神」として97年に随想舎から刊行)と、『立松和平伝説』(2002年 河出書房新社刊)の2冊を出しているが、いずれも立松が健在で、現代文学の最前線を走っているときの「中間報告」的な作家論であった。しかし、今回の『全小説』の「解説」を書き直したものは、立松が亡くなったということもあって、立松の全ての著作に目を通した(何度も読み返した作品もある)後の作家論であり、僕の中では「決定版」と言えるような内容に仕上げたつもりである。
 今度の『立松和平の文学』(仮題)の内容については、いずれ刊行が決まった時点でまた紹介することになると思うが、1970年に『途方にくれて』で文題デビューしてから2010年遺作になった『白い河―風聞・田中正造』(東京書籍刊)と『良寛』(大法輪閣刊)まで、遺作の2冊が象徴するように、立松は生涯、「人間いかに生きるべきか」の問いを底意に潜ませながら、「正義」と「救済」を求めて続けてきた、と「決定版」を書き上げた今、そのように思っている。
 そして、また今思うのは、立松の何百編にも及ぶ長短の小説作品、いずれも「手を抜かず」「全力疾走」した結果である。読み応えのある作品が多い。是非、もう一度関心を持って読み直して欲しい、と今は思うばかりである。