黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「崩壊」していく日本(7)――改憲派(右派)が目指すものは?

2015-11-13 08:45:56 | 仕事
 <昨日の続き>
 今、必要があって今年の8月に刊行された「文春ムック・戦後70年企画」の『奇聞・太平洋戦争―肉声でみる怪談・気談・美談・珍談』(文藝春秋発行)を読んでいるのだが、そこに収録されている「A級戦犯たちの妄想―日本が大東亜戦争に勝っていたら」(原題「太平洋戦争に勝ってたら」「文藝春秋」1961年2月号)と、昨日の記事で触れた右派(右翼)団体の中心「日本会議」の目指すものが、奇妙に「一致」していることに気付いた。
 具体的には、この44年前に「文藝春秋」編集部が記事にした「日本が大東亜戦争に勝っていたら」に記載されている、1943(昭和18)年11月5・6日に東南アジア各地の指導者(傀儡)――中華民国・王兆明、タイ・ビー・ピブン・ソン・クラム大統領(名代が参加)、満州国・張景恵総理大臣、フィリピン・ホセ・ベー・ラウル大統領、ビルマ・バー・モウ大統領、スバス・チャンドラ・ボース自由インド仮政府首班――を集めて開かれた「大東亜会議」における「大東亜共同宣言」なるものを貫く思想(論理と倫理)が、いかにもインドやベトナムの学者(?)まで動員して3日前の10日に開かれた「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の目指すものと酷似している、と思ったということである。
 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に参加した共同代表の桜井よしこをはじめとする発言者のここの言葉については、新聞やネットで調べてもらうとして、「大東亜共同宣言」である。以下に全文を掲げるので、赤字の部分を「中国」あるいはアメリカに置き換えて読んでもらいたい。これを読めば、「日本会議」やその最高顧問になっている安倍晋三首相らが何を考えているかが、よく理解できるだろう。安倍首相の唱える「積極的平和主義」なる「戦争のできる国」構想の根っこがどこにあるかがよく分かる。常に権力は内外に「敵」をつくり、その「敵」から自国(国民)を守るためと称して「戦争」を引き起こしす(戦争に加担する)のである
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 大東亜共同宣言

  抑々世界各国が各其の所を得相寄り相扶けて万邦共栄の楽を偕にするは世界平和確立 の根本要義なり
  然るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大 東亜隷属化の野望を逞うし遂には東亜の安定を根本より覆さんとせり大東亜戦争の根本は茲に存す
  大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を完うし左の 綱領に基き大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す
 一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す
 一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
 一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亜の文化を昂揚す
 一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携しその経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
 一、大東亜各国は万邦との交誼を厚うし人種差別を撤廃し文化を交流し進んで資源を解放し以て世界の進運   に貢献す
 (原文は、平仮名ではなく片仮名を使用している)

 日本の「侵略=加害者性」などあたかもなかったかのように、「友好」や「協同」「互恵」などを語る。このような「厚顔無恥」ぶりが現在まで続いていると思うとなとも気恥ずかしい気がするが、僕らはアジア各地を侵略=植民地化した日本帝国主義(軍国主義)がこのような「美辞麗句」を並べて、日本の帝国主義的野望を「正当化」使用としたことを、まさに自分たちの「歴史認識」として持ち続けなければならないのではないか、と改めて思う。
 安倍首相が唱える「美しい日本」や「日本を取り戻す」の「日本」が、この「大東亜会議」などに現れた思想を体現するものだとすれば、僕らは安倍首相らを断固拒否しなければならない