黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

こんなはずではなかった!?

2012-06-21 05:12:11 | 近況
 こんなはずではなかった、と思うのは、現実を蔑ろ(無視)にして「期待」ばかりを肥大化させてしまった結果でもあるのだろうが、それにしても「3党合意」という形の「大連立」によって消費税増税を強行しようとしている野田民主党政権には、よそしていたとは言え、これほどひどい結果になるのか、と「あきれる」よりも「奈落の底」に突き落とされたような気持にさせられた。元々「ドジョウ内閣」にはそれほど期待していたわけではないが、「政権交代」が実現したとき国民が期待したのは、「2大政党制」による政策チェックによって、自分たちの生活が「よりましなもの」になるかも知れない(なるはずだ)、ということだったと思うのだが、野田首相はそのような国民の「期待」を裏切って――未だに野田首相という人の政治理念が分からない。自ら「保守だ」といっているから政治思想としては「保守」なのかも知れないが、ならば何故民主党にいるのか、保守本流を自認している「官僚」と「利権」によってその存在が保たれてきた自民党に所属すればいいのに。「私はドジョウだ」などといかにも「庶民派」を気取ってきたが、彼の登場はいかにも「理念なき現代」に相応しい首相なのかも知れない――「身を切る」努力もせず、「社会保障との一体改革」もかなぐり捨てて、「大連立」による消費税増税、ここまでやるか、という思いでいっぱいである。
 もちろん、だからといって、党内反対派を作ることに喜びを見いだしているような小沢一郎グループに「正義」があるとも思えない。かなり昔のことになるが、小沢一郎が書いたとされる「日本改造計画」を読む限り、また現実政治の中で常に「主流=中心」を求めてきたような彼の言動からは、どう見ても(考えても)「権力亡者」という印象しかない。もっと言えば、「政治」を「政治ゲーム」という「遊び」の一種と考えているのではないか、とさえ思えてくる。さらに、4億円というお金を事務所の金庫に入れていたり、選挙になるとどこから集めてきたお金だかわからないが、子分たちに配る、その「金銭感覚」も理解しがたい。つまり、小沢一宇楼という政治家からは、どんな日本にしたいのという「理念」が、野田首相と同じように見えてこないのである。
 いずれにしろ、「政治の貧困」を物語っている事実と言っていいと思うのだが、消費税増税に反対している小沢グループや「中間派」と言われる人たちから「脱原発・反原発」、あるいは「大飯原発再稼働反対」の声が聞こえてこないのは、どういうことなのだろうか。確か、「半月・脱原発」に賛成している民主党議員は120人ぐらいいたはずである。まさか、消費税増税と「脱原発・反原発」は別なものだ、と思っているわけではないだろうが、消費税増税も、また原発再稼働も、野田政権、そして自公の両党もが推し進めている政策だということを考えれば、消費税増税反対は直ちに「脱原発・反原発」に繋がっていくと思うのだが、「金権主義=金儲け主義」から脱皮できない小沢派を含めた民主党には、期待できないのかも知れない。
 かと言って、大飯原発の再稼働を「暫定的だから」などと言って認める一方で、市職員や下層労働者を「敵視」するような政策を推し進め、いよいよファッシズムの傾向を強めているような橋下徹大阪市長(大阪維新の会)に、何かを「期待」するのも危険きわまりないことだと思われる。ではどうしたらいいのか。地道に「反」を言い続けるしかないのかも知れないが、英雄待望論とは逆の意味で、真の意味で「民主主義」を実現する指導者は出てこないのかな、と思う、今日この頃である。