黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

武漢・南京(3)

2012-06-06 14:56:43 | 仕事
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(1)武漢-南京間の新幹線の車窓から見た田園風景
(2)大学から見た武漢市内のビル群

 5年前にオリンピック直前の北京・山東省(済南)を訪れた時も同じように感じたのだが、今回の武漢・南京訪問でも痛感したのは、中国の「高度成長」のすさまじさと、それとは無関係に取り残されている農村地区との「旧態依然」たる姿との「落差=格差」であった。
 市の中心部から車で1時間半近く掛かる武漢空港から市内に向かってまず驚かされたのは、高層ビルの建設ラッシュで、その多くはオフィスビルとマンションだということであるが、動き回るクレーンを事情にしたビルが何棟も何棟も目に付いた。マンションは造っても造っても、できあがるとすぐに完売するということで、都市部の「発展」には目を見張るものがあった。なるほど高度経済成長とはこのようなことを言うのか、と東京オリンピック直前の東京の光景を思い出しながら、変に納得させられた(田舎の中学生の目に映った当時の東京の姿と、現在の中国の大都市におけるその姿には自ずと違いがあるとは思うが、地下鉄工事中だということで混雑を極めている大学正門前の大通りを見ていると、オリンピック開催のために突貫工事を繰り広げていた1964年の東京もこのようであったのだろう、と想像が付く)。
 武漢の人口は、公称800万人ということだが、誰もが聞くと「1000万人を超えているでしょう」と答える。出稼ぎが常時「200万人以上」いて、正確な人口は分からないのだという。南京も事情は同じで、日本の高度経済成長期と同じである。都会の発展を支える「出稼ぎ」という構図は、国が違っても同じなのだな、と思った。
 そんな発展し続ける都会に比べて、新幹線の車窓から見える武漢-南京間の「農村」は、ちょうど「アブラナ(菜種油の原料)」の借り入れ時であり「田植え」の季節だったのだが、アブラナの刈り取りも田植えもみな「手作業」で、かろうじて機械を使っていたのは「代掻き」だけで、僕らが子供だった頃、部落総出で田植えをしていたのを思い出した。そんなに大きくない(土地改良する前の)様々な形の田んぼに10人とか20人とかが並んで田植えをしている風景は、ビルが林立する武漢や南京と余りにも違い、この「落差=格差」が将来の中国に何をもたらすか(世界最大の人口を抱える中国の「食料」事情=自給率の低下は、世界に大きな影響をもたらすだろう)。日本のバブル崩壊とは比べものにならない「混乱」と「崩壊」が出現するのではないか。
 もちろん、1960年代後半から70年代にかけての「文化大革命」の混乱と混迷を見事に乗り切った中国だから、現在の高度成長期が終焉した後に訪れるであろう「混乱」や「崩壊」を処理するノウハウは用意してあるのかも知れないが、共産党一党と中国人民軍が支配する中国という国は、二度にわたる「天安門事件」が物語るように、本当にどうなるのか分からない。
 僕が9月から武漢の華中師範大学で大学院生相手に「日本近代文学」に関する講座を担当することを引き受けたのも、現在の中国がどのような時たちにあるのか、「大学」という場から見てみたい(見られるかどうか分からないが)、と思ったからである。その意味では、今は胸がわくわくしている、と言っても過言ではない。