7月から「夏休み」になった(とは言え、7月中は事務処理や会議などで、授業があったときと同じように毎週2~3日大学に顔を出さなければならず、実質的には学生と違って「夏休み」とは言えない)。
しかし、今年もいつもと同じように長い休みを使わなければできない仕事を抱えているので、クーラー嫌いということもあって、汗を流しながらパソコンに向かう日々を送らなければならない状態にある。知人の大学教師は、避暑地の別荘(今時の大学教師が別荘を持っているのは当たり前のようで、別荘を持つなどという発想を全く持っていない僕など、「変わった人」の部類にはいるようだ。別荘を持つというのは「ステイタス」の一種なのかも知らないが、僕などは自宅が赤城山の中腹にあるのを良いことに、別荘を持たないのと聞かれると、「自宅が別荘と同じだから」と嘯くことにしている)で、大学からも学生からも離れてゆったりした時間を過ごすようであるが、そんな「余裕」はここ20年ほど僕には全く関係なく、ルーティンな日々を過ごしている。
とは言え、実は「夏休み」ずっと仕事をしているのは、もう一つ理由があって、それは8月6日から15日までの「暑い夏」は何故か落ち着くことができず――それは僕の批評や研究の対象の一つが「ヒロシマ・ナガサキ=核問題」であり、「戦争」であるということと関係があるのかも知れない――、じっとその推移を凝視目ながら過ごすというのが、恒例になっているからである。僕がこれまで「核問題=原爆文学」にどのように関わってきたか。僕の著作など「助成金」によってなったものなのではないか、と揶揄・妄想する輩もいるので、この際だから少し整理しておく。
*著作
①「原爆とことば―原民喜から林京子まで」(83年 三一書房)
②「原爆文学論―核時代と想像力」(93年 彩流社)
③「原爆は文学にどう描かれたか」(05年 八朔社)
④「林京子論―「ナガサキ」・上海・アメリカ」(06年 日本図書センター)
*編著
①「日本の原爆文学」(83年 全15巻 ほるぷ出版 編集委員の一人として参画)
②「日本の原爆記録」(91年 全20巻 日本図書センター 編集委員は他に小田切秀雄、家永三郎だったが、編集者の協力の下、ほぼ独力で編集した)
③「ヒロシマ・ナガサキ 写真・絵画集成」(93年 全6巻 日本図書センター 上記に同じ)
④「写真集 ノーモア・ヒロシマ」(05年 日本図書センター)
主要なものは以上。「日本の原爆文学」などは高額(54000円)にも関わらず1万セット以上売れたので、多分高校の図書館などで見たことのある人もいるのではないだろうか(「日本の原爆記録」も5000部以上売れたので、同じくどこかで目にした人もいるのではないか)。
大学院在籍中に「大田洋子論」(広島での被爆作家、代表作「屍の街」、「半人間」)を書いたのをきっかっけに、「原爆文学論」を書き始め、それが縁で上記のような仕事をするようになったのだが、振り返ってみれば「いい仕事だった」と言えるのではないか、と思っている。
なお、今期の夏休みにしなければならない大きな仕事は、秋に刊行される「書評集」(約350本の書評が収められる。詳細については、また刊行が近づいたらお知らせします)のゲラ校正である。細かい仕事なので、神経が疲れる。暑さに負けず、頑張ろうと思う。
しかし、今年もいつもと同じように長い休みを使わなければできない仕事を抱えているので、クーラー嫌いということもあって、汗を流しながらパソコンに向かう日々を送らなければならない状態にある。知人の大学教師は、避暑地の別荘(今時の大学教師が別荘を持っているのは当たり前のようで、別荘を持つなどという発想を全く持っていない僕など、「変わった人」の部類にはいるようだ。別荘を持つというのは「ステイタス」の一種なのかも知らないが、僕などは自宅が赤城山の中腹にあるのを良いことに、別荘を持たないのと聞かれると、「自宅が別荘と同じだから」と嘯くことにしている)で、大学からも学生からも離れてゆったりした時間を過ごすようであるが、そんな「余裕」はここ20年ほど僕には全く関係なく、ルーティンな日々を過ごしている。
とは言え、実は「夏休み」ずっと仕事をしているのは、もう一つ理由があって、それは8月6日から15日までの「暑い夏」は何故か落ち着くことができず――それは僕の批評や研究の対象の一つが「ヒロシマ・ナガサキ=核問題」であり、「戦争」であるということと関係があるのかも知れない――、じっとその推移を凝視目ながら過ごすというのが、恒例になっているからである。僕がこれまで「核問題=原爆文学」にどのように関わってきたか。僕の著作など「助成金」によってなったものなのではないか、と揶揄・妄想する輩もいるので、この際だから少し整理しておく。
*著作
①「原爆とことば―原民喜から林京子まで」(83年 三一書房)
②「原爆文学論―核時代と想像力」(93年 彩流社)
③「原爆は文学にどう描かれたか」(05年 八朔社)
④「林京子論―「ナガサキ」・上海・アメリカ」(06年 日本図書センター)
*編著
①「日本の原爆文学」(83年 全15巻 ほるぷ出版 編集委員の一人として参画)
②「日本の原爆記録」(91年 全20巻 日本図書センター 編集委員は他に小田切秀雄、家永三郎だったが、編集者の協力の下、ほぼ独力で編集した)
③「ヒロシマ・ナガサキ 写真・絵画集成」(93年 全6巻 日本図書センター 上記に同じ)
④「写真集 ノーモア・ヒロシマ」(05年 日本図書センター)
主要なものは以上。「日本の原爆文学」などは高額(54000円)にも関わらず1万セット以上売れたので、多分高校の図書館などで見たことのある人もいるのではないだろうか(「日本の原爆記録」も5000部以上売れたので、同じくどこかで目にした人もいるのではないか)。
大学院在籍中に「大田洋子論」(広島での被爆作家、代表作「屍の街」、「半人間」)を書いたのをきっかっけに、「原爆文学論」を書き始め、それが縁で上記のような仕事をするようになったのだが、振り返ってみれば「いい仕事だった」と言えるのではないか、と思っている。
なお、今期の夏休みにしなければならない大きな仕事は、秋に刊行される「書評集」(約350本の書評が収められる。詳細については、また刊行が近づいたらお知らせします)のゲラ校正である。細かい仕事なので、神経が疲れる。暑さに負けず、頑張ろうと思う。