牛コラム

肥育牛と美味しい牛肉のはなし

牛の鼻紋と指紋は同じ役割

2008-03-31 19:34:11 | 牛の鼻と口
健康のバロメーターにもなる牛の鼻鏡には、複雑な斑紋がある。この斑紋は類似していても同じ斑紋はないとされている。人の指紋と同じである。鼻紋は子牛から大人の牛になっても斑紋が変わることはない。
黒毛和種は、生まれると同時に人同様に血統や生時のデーターなどを記録し、鼻紋の写しを付けて全国和牛登録協会に登記申請する。これらにより、牛を間違えたり、誤魔化したり出来なくなっている。
鼻紋を紙に写すのを鼻紋採取と言うが、鼻紋のある鼻鏡は、昨日述べたように健康であれば、水滴が絶え間なくしみ出してくるため、採取がなかなか難しい。
水滴の出る鼻鏡を吸い込みやすい紙などで、数回拭き取り、専用の黒い墨を即座に斑紋のある部分に塗り、さらに即座に紙をセットしたロール状の鼻紋採取器で回転するように写し取るのである。慣れないとなかなかうまくいかない。
この様に、牛の鼻にも重要な特徴が存在している。

牛の鼻紋の型である。大まかにいってA~Dの4つのタイプがある。

牛の鼻鏡は健康のバロメーター

2008-03-30 15:55:43 | 牛の鼻と口
牛の両方の鼻孔の間を鼻鏡という。
鼻鏡は、牛の健康判断上、重要な部位である。鼻鏡は、通常汗が噴き出た状態であれば正常である。鼻鏡が乾いた状態であれば、発熱など体調異常を疑う目安になる。乾いた状態が即異常だとばかりは判断できない場合もある。肥育牛の場合、真夏の昼寝中などでは、よく乾いているが、人の存在に気づけば、にわかに湿り始めることもある。
写真上は正常な鼻鏡。

写真は発熱した牛の鼻鏡。

牛の鼻の役割

2008-03-29 16:35:19 | 牛の鼻と口
牛の鼻は角ほどインパクトはないが、顔の中では存在感がある。
鼻は呼吸器官の最前線である。人と同じように、息をし、いびきをかき、鼻水やハナを垂らす。牛によっては、人同様大いびきをかくのもいる。
ただ人は夜に寝る習慣があるが、肥育牛は朝餌を食べて、水を飲み、反芻が終わると11時過ぎから16時頃までうつらうつらと寝起きを繰り返す。夕方の餌が終わるとまた同様に反芻などをし、朝まで寝起きを繰り返す。
よく寝る子はよく育つの諺通り、元気でよく食べる牛ほどよく寝て大きく育つ。
こんな訳で、牛は昼間から大いびきをかき、時には隣の畜舎からでも聞こえるくらい派手な奴もいる。こんな牛は、鼻に何らかの疾患があるためだ。
人では呼吸時の空気の出入りで軟口蓋を振動させるため、鼻の孔や唇まで振動していびきとなるらしいが、牛の場合も同様で、鼻とその孔のでかさから想像すれば、当然肥満牛であるから、いびきとてスケールが大きくて当たり前かもしれない。

牛の顔の変化

2008-03-28 20:24:15 | 牛の顔
写真の去勢牛は、その名を「美男」(子牛登記に記載されている)と言います。05.8.22生まれで、06.5.16にセンターへやってきた。父は勝忠平、母の父は北国7の8、母の父の父は安福165の9と立派な血筋である。兄は父が平茂勝だが、BMS NO.11。そろそろ仕上がった。勿論BMS NO.12を期待している。現在の予想体重は830kg。
本題は、顔の話である。顔は角や耳、目鼻全てにおいて実にバランスの取れた、まさに美男牛である。一度の疾病も経験しなく順調に育った。
美男の導入時の写真が下の写真である。子牛の頃から、文字どおり美男であった。
全ての牛がこの様なびけいであればと願っている。

因みに美男は291kgで、競り値は60万円きっかり。

子牛を顔で選べば

2008-03-27 19:22:59 | 牛の顔
家畜市場から導入した生後9ヵ月の去勢(睾丸機能を停止させた雄)子牛達である。
昨日の話内容から、肥育した場合、どちらが体重が大きくなるかは、どなたが見ても一目瞭然であろう。
左の牛は面長で、右は顔幅がある。然したる病気もせずに順調に発育して肥育されれば、生後30ヵ月になれば右は凡そ850kg以上、左は750kg前後が予測できる。
ただし、肉質の善し悪しまでは予測不能であるが、血統書により両親の肉質に関する遺伝情報などを勘案して凡そ50%程度は予測できる。
残りの50%は、肥育の手法にかかっている。
肉質が同等と予測して、枝肉重量を予測すると、導入価格は右を55万円とするならば、左は42~43万円でないと経営的にはあわない算段となる。



去勢牛のいい顔

2008-03-26 20:36:41 | 牛の顔
肥育牛は、一般的に3歳未満で仕上げて出荷する。その期間内で可能な限り体重を大きくして、最大限の枝肉量を期待する。そのため増体能力の高い系統や個々の牛では体型や増体に関係する部位などの優れた牛を導入する。
その幾つかの部位の内、顔とその周囲の形についても増体能力が高いか低い牛かを判定できる。
顔全体は面長でなく、顔幅が広いほどいい。顔幅は体幅を表すと言われ、育成時から仕上げ時の体幅が豊になり、増体が期待できる。
顔幅が広いと言うことは、口が大きいことに繋がり、口が大きいほど餌の食い込みが旺盛となる。肥育牛は、餌の摂取(食い込み)量次第で増体する。
顔が面長で細ければ、口も細く食い込みが悪い。口が小さければ、往々にして神経質なため増体能力に影響する。
写真の牛は、生後25ヵ月で体重が既に凡そ800kgに達している。顔の幅と長さのバランス、大きい口、鼻鏡も廣い。目も穏和である。理想的な顔と言える。





牛の目にも善し悪しがある

2008-03-25 18:42:23 | 牛の目
牛はどれも優しい目をしている。そんなイメージがある。
ところが、繁殖用の雌牛には、怖そうな目をしているものもある。肥育牛は一般的に穏和な目をしている。
ところで目の善し悪しとはどんなモンなんだろうか。写真上の牛は、実に優しく穏和な目をしている。写真下の牛は、瞼がはれぼったい。はれぼったいのを瞼が重いと言い、牛では性格が穏和でなく、神経質な目をしていると判断する。
繁殖雌牛の中には、神経質で、常に子牛を捕られるのではと警戒するものがいて、その様な牛は、瞼が重く、怖そうな顔をしている。
また、瞼が重い牛は、内臓等に疾患があることもある。
子牛の頃から、畜主が優しく信頼関係を築くようなコミュニケーションが取れていたら、牛は穏やかで、優しい目をしているはずである。
肥育牛の場合、体重が800kgにも達すれば、顔の大きさの割合から目は小さく感じられ、象のように目は無表情なイメージを感じさせる。




牛の耳の役割

2008-03-24 23:10:26 | 牛の耳
牛の耳は、実に敏感に反応する。熟睡していると足音を立てずに、そーっと近づくと、必ず頭をもたげる。
大きな耳ほどよく聞こえるそうだ。うさぎがその例によく挙げられる。うさぎは聞き耳を立てる。牛は聞き耳は立てないが、聴力は確かなようだ。
帰宅する畜主が200~300mに迫り、人影は一切見あたらない内から、牛はその帰宅を察して鳴くほどである。
人は自らの耳を動かすことは出来ないが、牛はよく揺り動かせて、ハエやアブを追い散らす。
これらは牛自身が耳を重宝している例である。
1940年代頃から耳標が普及し、個々の牛を判別できる手段とされるようになった。
とくに、9年前日本でもBSEが発症したため、日本で飼われている全ての牛に個体識別番号を耳標に記し装着することが義務づけられるようになり、生まれて間もない子牛の左右の耳に装着しなければならない。
これにより牛の耳は、本来にない重要な役目を担うことになった。
写真にあるように、耳標には肥育センター独自の管理用耳標も装着され、耳は賑やかになった。それまでのように耳を軽々と動かせなくなった。
私は、「牛耳る」という言葉のいわれは、牛の耳本来の持ち味や形などから生まれたものだろうと思っていた。しかし、この言葉が生まれたのも、人類の傲慢さであった。中国の故事によるもので、武族の長らが盟約を温め、牛の耳を切り血液を飲み回ししながら、集団の長をきめて忠誠を表した。この長を決めることを「牛耳を執る」といい、これが「牛耳る」の語源になったそうである。
上司や家族やお金にも牛耳られ、親にあわせる顔がなーい。

個体識別番号(10桁番号)



牛の角 全共から いぶし銀の角

2008-03-23 19:36:39 | 牛の角
07年10月鳥取県で開催の全国和牛能力共進会に、岡山県から出品された11歳の雌牛である。実に美しい角の持ち主である。
優れた雌牛を育成する段階では、角についても形を整える。その技術が矯角である。
しかしながらこの雌牛の矯角は、絶品とは言い難いが、この美しい角には、畜主には日頃、掛け替えのない飼い牛であろうことが一目瞭然として伝わってくる。
全身磨き抜かれた老齢の雌牛であるが、日本有数の傑出した体型と優れた繁殖成果を記録してきた。
角の形は今一でも、角の質を表す透明感や緻密感、黒色と光沢など、牛の資質の良さが判断できる。
育成時に除角していたらこの様に角の評価や当牛の様々な能力は感じ得なかったはずである。
この角を見る限り、矯角の善し悪しは大きな問題ではなさそうである。
私は同共進会場で、飼う人の牛への愛着と日頃の優れた管理技術の成果であろう「いぶし銀の角」に巡り会えた。そして感動した。

牛の除角を考える

2008-03-23 02:41:03 | 牛の角
人類は、自らの文化を高めるために、様々な試行錯誤を繰り返しながら、家畜を衣食、役用、闘鶏や競馬などの競技用として改良してきた。
とくに牛は、牛乳や乳製品、牛肉生産を目的とした改良と利用が進められ、人類の食生活に不可欠な存在となっている。この他、我が国の農耕には役畜として重要視されたり、娯楽などの目的で闘牛なども行われている。
また肉用牛では、1970年より除角が試みられるようになり、現在では大多数の生産地で除角が重要な飼養技術として取り上げられている。
牛の除角の善し悪しについては、牛本来の品種的要素である身体的部位を人の飼養環境に不適として実施されている。
除角は、人への危害防止や群飼い時における牛同志の危害や給餌の競合防止のために、行われている。
先ず、人への危害については、本来人と牛の信頼関係が欠如している場合に起こるのである。国内で過去に起きている事故は、種雄牛に突かれたり、分娩直後の母牛に突かれるなどが一般的である。これらは、その場その場で牛が何を嫌がり、恐れているかを理解することで回避できることである。また肥育牛については、子牛育成時に人が極端な危害を加えない限り、凶暴になることは稀である。
意外に多いのが、酒気帯び状態で牛と接した時に、これらの事故に遭遇する例が多いと聞く。起こるべくして当然な事故である。
次に牛同志の競合については、とくに群飼いにおける雌牛については、かなりの競合が見られる。とくに繁殖雌牛の育成時には、濃厚飼料の給与を制限するため、強弱関係により餌の摂取量に偏りが生じて、均等に育ち難い。一方肥育用の去勢牛や雌牛については、使用目的が肥育のため、繁殖牛のように餌の制限がないため、競合はあっても、差ほどの影響は見られない。
この他、授乳育成中の母親が他の子牛を敵視することはある。
これらを鑑みることにより、高い飼養管理技術を有することで、除角は不要と思われる。或いは、可能な限り不要志向を念頭に、回避する技術を構築して頂きたいものである。
千頭規模の肥育センターであっても20数年間、角の存在が不利益を被るという事実はなく、むしろ西部劇のカウボーイの投げ縄同様、捕獲するには角の存在が有効に利用できているようである。
この様な飼養管理上の除角は、人の都合によるもので、家畜には不本意な危害であろうとも思える。極論かも知れないが、各畜産施設等における除角技術の徹底などは、隣の芝生如き発想としか思えない。
牛の歩行など体型や体調維持のために削蹄するは不可欠である。また経済動物である牛の肉質向上や群飼いを事故なく管理する上で、雄のままではなく、去勢も不可欠である。除角はこれらの行為と同等に考慮すべき内容ではないと考えられる。
人類のために改良され、利用される家畜のために、せめてもの無茶なき飼養に心がけて欲しいものである。
牛に角あるは、極当たり前であり、品種の特徴を備え、牛が牛らしい本来の姿なのである。