牛コラム

肥育牛と美味しい牛肉のはなし

牛の角 全共から いぶし銀の角

2008-03-23 19:36:39 | 牛の角
07年10月鳥取県で開催の全国和牛能力共進会に、岡山県から出品された11歳の雌牛である。実に美しい角の持ち主である。
優れた雌牛を育成する段階では、角についても形を整える。その技術が矯角である。
しかしながらこの雌牛の矯角は、絶品とは言い難いが、この美しい角には、畜主には日頃、掛け替えのない飼い牛であろうことが一目瞭然として伝わってくる。
全身磨き抜かれた老齢の雌牛であるが、日本有数の傑出した体型と優れた繁殖成果を記録してきた。
角の形は今一でも、角の質を表す透明感や緻密感、黒色と光沢など、牛の資質の良さが判断できる。
育成時に除角していたらこの様に角の評価や当牛の様々な能力は感じ得なかったはずである。
この角を見る限り、矯角の善し悪しは大きな問題ではなさそうである。
私は同共進会場で、飼う人の牛への愛着と日頃の優れた管理技術の成果であろう「いぶし銀の角」に巡り会えた。そして感動した。

牛の除角を考える

2008-03-23 02:41:03 | 牛の角
人類は、自らの文化を高めるために、様々な試行錯誤を繰り返しながら、家畜を衣食、役用、闘鶏や競馬などの競技用として改良してきた。
とくに牛は、牛乳や乳製品、牛肉生産を目的とした改良と利用が進められ、人類の食生活に不可欠な存在となっている。この他、我が国の農耕には役畜として重要視されたり、娯楽などの目的で闘牛なども行われている。
また肉用牛では、1970年より除角が試みられるようになり、現在では大多数の生産地で除角が重要な飼養技術として取り上げられている。
牛の除角の善し悪しについては、牛本来の品種的要素である身体的部位を人の飼養環境に不適として実施されている。
除角は、人への危害防止や群飼い時における牛同志の危害や給餌の競合防止のために、行われている。
先ず、人への危害については、本来人と牛の信頼関係が欠如している場合に起こるのである。国内で過去に起きている事故は、種雄牛に突かれたり、分娩直後の母牛に突かれるなどが一般的である。これらは、その場その場で牛が何を嫌がり、恐れているかを理解することで回避できることである。また肥育牛については、子牛育成時に人が極端な危害を加えない限り、凶暴になることは稀である。
意外に多いのが、酒気帯び状態で牛と接した時に、これらの事故に遭遇する例が多いと聞く。起こるべくして当然な事故である。
次に牛同志の競合については、とくに群飼いにおける雌牛については、かなりの競合が見られる。とくに繁殖雌牛の育成時には、濃厚飼料の給与を制限するため、強弱関係により餌の摂取量に偏りが生じて、均等に育ち難い。一方肥育用の去勢牛や雌牛については、使用目的が肥育のため、繁殖牛のように餌の制限がないため、競合はあっても、差ほどの影響は見られない。
この他、授乳育成中の母親が他の子牛を敵視することはある。
これらを鑑みることにより、高い飼養管理技術を有することで、除角は不要と思われる。或いは、可能な限り不要志向を念頭に、回避する技術を構築して頂きたいものである。
千頭規模の肥育センターであっても20数年間、角の存在が不利益を被るという事実はなく、むしろ西部劇のカウボーイの投げ縄同様、捕獲するには角の存在が有効に利用できているようである。
この様な飼養管理上の除角は、人の都合によるもので、家畜には不本意な危害であろうとも思える。極論かも知れないが、各畜産施設等における除角技術の徹底などは、隣の芝生如き発想としか思えない。
牛の歩行など体型や体調維持のために削蹄するは不可欠である。また経済動物である牛の肉質向上や群飼いを事故なく管理する上で、雄のままではなく、去勢も不可欠である。除角はこれらの行為と同等に考慮すべき内容ではないと考えられる。
人類のために改良され、利用される家畜のために、せめてもの無茶なき飼養に心がけて欲しいものである。
牛に角あるは、極当たり前であり、品種の特徴を備え、牛が牛らしい本来の姿なのである。