コロナのために不安な年末年始です。そのような中で、学校は、1月3日までの9日ほどしか冬休みがありません。
今日は、日本史で受験する生徒が勉強したいというので学校で補習をしていました。
さて、このブログで毎年恒例の「今年は漢字一文字で?」ですが、日本漢字能力検定協会が選んだ今年の漢字は「密」でした。
このブログでの私自身の漢字一文字ですが、2016 年は「博」、2017年は「始」、2018年は「朗」、2019年は「改」でした。
今年の私自身の漢字一文字は、「短」にしたいと思います。
とにかく、2月の下旬から学校が休校になり、6月までおよそ5ヵ月、生徒が学校に来ることがありませんでした。
今年度は体育祭、文化祭などの行事もほとんど中止になりました。授業がつぶれた分を取り返すために、夏休みは2週間しかありませんでした。この夏休みの短さも「短」につながります。夏期講習や部活を詰め込んだために、夏休みはほとんど休んだ感じはしませんでした。
授業も、朝夕のラッシュを避けるために、始業時間が遅く、授業は短縮授業、部活動も通常なら延長で18時過ぎくらいまでやっていたのにそれも無しで、毎日とんでもなく短い時間で、十分な練習もできず、生徒は追い立てられるように片付け・着替えをして帰宅する日々。
生徒と接する時間が短く、最低限度のことしかできない、というか、最低限度のこともできたのかどうか。
3年生の担任ですので、クラスの生徒の進路指導も、限られた時間の中で最善を尽くすことに努め、生徒のがんばりもあって、ここまで無敗で、よい感じで進路が決まってきたかなというところは救いです。推薦などで進路が決まった生徒も崩れることなく2学期の終わりまでしっかり勉強して立派な学校生活を送ったこともうれしいことです。
今年の1年生も、入学式も完全な形で行うことができず、部活動への入部も7月の末になってやっとでした。そういう中でも、私が顧問をしている部活動は、活動時間が短くても、生徒は熱心に練習に取り組み、ここまでとてもよい成果を上げることができています。日本中の高校3年生にとっては、インターハイや甲子園などの目標がなくなり、本当に気の毒な、心の痛む年となりました。そのような中でも、顧問をしている部活の3年生は、インターハイ予選をはじめとして試合がいくつかなくなってしまっても、最後は納得のいく引退試合ができたかなと、少しほっとしています。
教員として在宅勤務の期間もありましたが、あれこれやっていると、意外と一日は短く、あっという間に過ぎていきました。
ブログの更新もそれほど多くできず、私自身の仕事の処理能力などが落ちているのかもしれませんが。
そのようなわけで、今年は自分の持ち場でそれなりにめいっぱいやったつもりですが、学校生活においては、いろいろなことが短縮されたりして不完全燃焼の1年でした。自分のクラスの生徒は、学校に来てみんなに会えるのがうれしいのか、元気に、楽しそうに過ごしていたのは救いでした。3年間の付き合いのなかで、心身ともに少しずつ成長してきたなあと実感することもできました。行事もなくて、勉強だけして、それでもう少しで卒業、とうのは寂しいし、かわいそうですが、こういった日々も、いつかは乗り越えて、思い出話として「アベノマスクがねえ・・・」とか、語れる日が来るのでしょう。
このようなコロナ禍においても平和な学校生活を送り、自分の進路をしっかり決めた・決めつつある生徒たちと共に歩んできた、ということが、今年の一番の収穫であり、うれしいことかなと思います。
日本史のブログなのに今回は関係ない話が多くて恐縮です。
100年前のスペイン風邪流行の時は、アメリカのウィルソン大統領も、日本の原敬首相も、スペイン風邪にかかったらしいですね(天声人語2020.10.4で読みました)。今回のコロナも、重症者をなんとか増やさず、集団免疫を早く獲得してしまったほうがいいのでしょうか。
コロナのために、献血をする人が少なく、輸血用の血液がピンチだとニュースで見ました。私は、2年ほど前に、教員研修の一環として、民間企業などで研修・職場体験的なものをしたのですが、私はその時に、日本赤十字社を選び、駅頭で献血を呼びかける仕事をちょっとだけ体験しました。献血ルームでの仕事も少ししました。思ったより献血に来てくれる人はいるものなのだな、とその時感じました。すばらしい人助けの行為ですね。私はそんなに健康な血ではなく自分ではできないので、こうした行動ができる人に敬意を払いたいと思います。今、輸血用の血液が少ないのは、大学などでの献血が行われていないことも大きな要因であるとのことです。確かに大学は今、オンライン授業ですから学生がいませんしね。
私もその職場体験直後に、少し授業で生徒に献血を呼びかけたことがありました。献血は、16歳からできる・つまり高校生でもできるのです(そして69歳までできるようです)。東京なら新宿や池袋、秋葉原など、大きなターミナル駅には献血ルームがあります。いろいろなグッズがもらえたり、お菓子や飲み物なども好きなだけ食べられたりします。ちょっと勇気を出して、高校生以上の皆さん、献血ルームに足を運んでみませんか?すばらしい、価値ある人助けになると思います。
そんなこんなで、今年も押し詰まってきました。ブログ更新も、あまりできませんでした。3年生の担任であったというのがちょっと大きかったかなと思います。GoToトラベルがなくなっても、関西方面に行っちゃだめということでもなさそうですし、こっそり行くこともできそうですが、とりあえず、今の担任生徒を無事卒業させてから、自分の私的な旅行などは考えようかなと思っています。
東京の人出は、年末ですがさすがに少なめです。学校や会社がお休みになって、コロナが少し落ち着いてくれたらいいのですが、というか、そうでないと年末年始の病院が大変なことになってしまいますので、みんなで予防をしっかりして、乗り切りたいものです。
私も家の片付けなどをしながら、静かに新年を迎えたいと思います。明日も日本史の補習やりますけどね。意欲のある生徒を相手にするのはやりがいがあります。
今年、ブログを通じて交流できた皆様、ありがとうございました。今年もまた少し新しい出会いがあり、うれしかったです。また来年もよろしくお願いいたします。
来年は、今年より明るいよい年になりますように。
写真は、教室の窓から見えた柿の実です。
今日は、日本史で受験する生徒が勉強したいというので学校で補習をしていました。
さて、このブログで毎年恒例の「今年は漢字一文字で?」ですが、日本漢字能力検定協会が選んだ今年の漢字は「密」でした。
このブログでの私自身の漢字一文字ですが、2016 年は「博」、2017年は「始」、2018年は「朗」、2019年は「改」でした。
今年の私自身の漢字一文字は、「短」にしたいと思います。
とにかく、2月の下旬から学校が休校になり、6月までおよそ5ヵ月、生徒が学校に来ることがありませんでした。
今年度は体育祭、文化祭などの行事もほとんど中止になりました。授業がつぶれた分を取り返すために、夏休みは2週間しかありませんでした。この夏休みの短さも「短」につながります。夏期講習や部活を詰め込んだために、夏休みはほとんど休んだ感じはしませんでした。
授業も、朝夕のラッシュを避けるために、始業時間が遅く、授業は短縮授業、部活動も通常なら延長で18時過ぎくらいまでやっていたのにそれも無しで、毎日とんでもなく短い時間で、十分な練習もできず、生徒は追い立てられるように片付け・着替えをして帰宅する日々。
生徒と接する時間が短く、最低限度のことしかできない、というか、最低限度のこともできたのかどうか。
3年生の担任ですので、クラスの生徒の進路指導も、限られた時間の中で最善を尽くすことに努め、生徒のがんばりもあって、ここまで無敗で、よい感じで進路が決まってきたかなというところは救いです。推薦などで進路が決まった生徒も崩れることなく2学期の終わりまでしっかり勉強して立派な学校生活を送ったこともうれしいことです。
今年の1年生も、入学式も完全な形で行うことができず、部活動への入部も7月の末になってやっとでした。そういう中でも、私が顧問をしている部活動は、活動時間が短くても、生徒は熱心に練習に取り組み、ここまでとてもよい成果を上げることができています。日本中の高校3年生にとっては、インターハイや甲子園などの目標がなくなり、本当に気の毒な、心の痛む年となりました。そのような中でも、顧問をしている部活の3年生は、インターハイ予選をはじめとして試合がいくつかなくなってしまっても、最後は納得のいく引退試合ができたかなと、少しほっとしています。
教員として在宅勤務の期間もありましたが、あれこれやっていると、意外と一日は短く、あっという間に過ぎていきました。
ブログの更新もそれほど多くできず、私自身の仕事の処理能力などが落ちているのかもしれませんが。
そのようなわけで、今年は自分の持ち場でそれなりにめいっぱいやったつもりですが、学校生活においては、いろいろなことが短縮されたりして不完全燃焼の1年でした。自分のクラスの生徒は、学校に来てみんなに会えるのがうれしいのか、元気に、楽しそうに過ごしていたのは救いでした。3年間の付き合いのなかで、心身ともに少しずつ成長してきたなあと実感することもできました。行事もなくて、勉強だけして、それでもう少しで卒業、とうのは寂しいし、かわいそうですが、こういった日々も、いつかは乗り越えて、思い出話として「アベノマスクがねえ・・・」とか、語れる日が来るのでしょう。
このようなコロナ禍においても平和な学校生活を送り、自分の進路をしっかり決めた・決めつつある生徒たちと共に歩んできた、ということが、今年の一番の収穫であり、うれしいことかなと思います。
日本史のブログなのに今回は関係ない話が多くて恐縮です。
100年前のスペイン風邪流行の時は、アメリカのウィルソン大統領も、日本の原敬首相も、スペイン風邪にかかったらしいですね(天声人語2020.10.4で読みました)。今回のコロナも、重症者をなんとか増やさず、集団免疫を早く獲得してしまったほうがいいのでしょうか。
コロナのために、献血をする人が少なく、輸血用の血液がピンチだとニュースで見ました。私は、2年ほど前に、教員研修の一環として、民間企業などで研修・職場体験的なものをしたのですが、私はその時に、日本赤十字社を選び、駅頭で献血を呼びかける仕事をちょっとだけ体験しました。献血ルームでの仕事も少ししました。思ったより献血に来てくれる人はいるものなのだな、とその時感じました。すばらしい人助けの行為ですね。私はそんなに健康な血ではなく自分ではできないので、こうした行動ができる人に敬意を払いたいと思います。今、輸血用の血液が少ないのは、大学などでの献血が行われていないことも大きな要因であるとのことです。確かに大学は今、オンライン授業ですから学生がいませんしね。
私もその職場体験直後に、少し授業で生徒に献血を呼びかけたことがありました。献血は、16歳からできる・つまり高校生でもできるのです(そして69歳までできるようです)。東京なら新宿や池袋、秋葉原など、大きなターミナル駅には献血ルームがあります。いろいろなグッズがもらえたり、お菓子や飲み物なども好きなだけ食べられたりします。ちょっと勇気を出して、高校生以上の皆さん、献血ルームに足を運んでみませんか?すばらしい、価値ある人助けになると思います。
そんなこんなで、今年も押し詰まってきました。ブログ更新も、あまりできませんでした。3年生の担任であったというのがちょっと大きかったかなと思います。GoToトラベルがなくなっても、関西方面に行っちゃだめということでもなさそうですし、こっそり行くこともできそうですが、とりあえず、今の担任生徒を無事卒業させてから、自分の私的な旅行などは考えようかなと思っています。
東京の人出は、年末ですがさすがに少なめです。学校や会社がお休みになって、コロナが少し落ち着いてくれたらいいのですが、というか、そうでないと年末年始の病院が大変なことになってしまいますので、みんなで予防をしっかりして、乗り切りたいものです。
私も家の片付けなどをしながら、静かに新年を迎えたいと思います。明日も日本史の補習やりますけどね。意欲のある生徒を相手にするのはやりがいがあります。
今年、ブログを通じて交流できた皆様、ありがとうございました。今年もまた少し新しい出会いがあり、うれしかったです。また来年もよろしくお願いいたします。
来年は、今年より明るいよい年になりますように。
写真は、教室の窓から見えた柿の実です。