新型コロナウィルスでさまざまな活動が抑制されているために、例えば卒業式や入学式などの式典が行われないので、お花屋さんやスーツ屋さんが困っているとか、給食の食材が余ってしまって、玉ねぎを安売りするとか、一方でレトルト食品が売れるとか、世の中というのはちょっとしたことでバランスが崩れてしまうものだなと感じさせられます。就職の内定まで取り消されてしまうとは、東京では桜の開花宣言が出たというのに、なんともやるせない春です。
3学期の日本史の授業では、世界恐慌から昭和恐慌という流れもやりました。昭和の初めは、金融恐慌に始まり、恐慌が相次ぐわけですが、毎年この授業のときに、「歴史は繰り返すか、一回限りか?」ということを生徒の皆さんに問いかけています。「繰り返す!」という答えの方が多いでしょうか。織田信長が明智光秀に本能寺の変で殺されるということは一回きりしか起こりませんが、「恐慌」という現象は繰り返し起こります。繰り返すのか一回限りかということについては、どちらもそうだといえばそうです。
アメリカの株価暴落と上昇というニュースが大きく取り上げられています。日本も株価が下がっています。時は令和の初め。これからどうなっていくのでしょうか。
さて、なんとなく、糸川英夫さんの『逆転の発想』(新装版 プレジデント社 2011年7月)という本を手に取りました。書名はぼんやりと知っていたのですが、読んだことがありませんでした。
糸川英夫さんは、ロケットの開発者ですが、多彩な才能を発揮された方です。最初に出版されたのは40年以上前の1974年、幅広い分野について現代を予言していて、それが今でも色あせていないというのです。私がこの本を読もうと思ったのは、経済とか科学とかの分野の勉強のためではないのですが、それは置いておいて、読んで印象に残った所を記しておこうと思いました。
「エネルギー問題の未来」という章があります。そこに、原子力発電についての記述がありました。
「核分裂による原子力発電は根本的にムリがあり、技術は放射性廃棄物の問題を解決し得ないだろう。ウラン235とウラン235をぶつけてエネルギーを得る方法は縫い目のほころびているお手玉を作るようなもので、縫い目から放射性廃棄物がぽろぽろとこぼれてしまう。これを完全に縫い合わせることはむずかしい。核分裂は爆弾としてはすばらしいが、平和利用には不向きであり、平和利用は核融合が完成するまでおあずけ。それは2000年以後となろう。」(p.223)
私は詳しいことはわからないのですが、放射性廃棄物の問題を解決し得ないので、核分裂による原子力発電は根本的にムリ、と1970年代に糸川さんが言っていて、今でもその指摘が当たっていて、それが克服されていないことが、東日本大震災での原発事故でも大きな問題として露呈しているわけです。
糸川さんは、続けてニューエネルギーについても言及しています。
「発想の転換」というタイトルのとおり、多方面にわたって面白い発想がたくさんつまっています。かなりのスピードでさらっと読めてしまいました。博物館学芸員資格の本はさらっと読めないんですけど・・・
この本を読んでいたのは、ちょうど東日本大震災から9年になる3月11日頃でした。この本が新装版として出たのが震災のあった2011年の7月です。こういう、原発の問題を予見する内容を含んでいるので、震災の直後に復刊されたのではないかなと思ったりしました。
茂木健一郎さんが「復刊によせて」として巻頭に文章を書いているのですが、そこには原子力発電にからむ記述は全くありません。「組織の『へそ』をつかむ」と題した文章になっています。専門外であるからということもあるかもしれませんが、著名人が原発問題に触れるといろいろと支障があるので、触れることはしなかったのかな、などと妙な憶測をしてしまいました。
「本書が、糸川英夫という類希なる天才の思想、感性、その人柄に触れる資料として、現代によみがえることは、深い意味があると思う。日本が直面しているさまざまな困難。その解決に向けての智恵と勇気を得るためにも、多くの読者が、糸川英夫さんの『逆転の発想』に触れることを願ってやまない。」
と、茂木さんは2011年5月に記しています。2カ月前の3.11も意識されていないわけはないと思います。
そんな、今年の3.11でした。
さて、何か写真を・・・と考えたのですが、1月に杉並の大宮八幡宮で見た、新春除魔神事「小笠原流 蟇目の儀・大的式」の写真でも。
この儀式の詳しいことはこちらをご覧ください。
https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/596
蟇目(ひきめ)は鏑矢(かぶらや)で、放つとヒューンと音がするものです。魔障を払うといわれ、その音を聴くと幸せな1年になる?というような解説がありました。
その音はなんともいえない、意外と野太い音で、ひょーん、という感じ、コーラなどの瓶を口で吹いて鳴らした時のような音にもやや似ていました。
せっかく動画で撮ったのに、後で再生したらなんと音が入っていませんでした。
大ショック。音が大事なのに。生徒にも見せ、聴かせようと思っていたのですが。
魔障を払うというその音が聴こえないとは、なんだか不吉な気持ちになったのです。今年1年大丈夫かな?と。
ちょうど、コロナ問題もあって、今こそ、弓によって病魔を退散させたい、またその音を聴きたいけどなあ、というところです。
明けない夜はない、という気持ちでもう少し、時を待ちましょう。
3学期の日本史の授業では、世界恐慌から昭和恐慌という流れもやりました。昭和の初めは、金融恐慌に始まり、恐慌が相次ぐわけですが、毎年この授業のときに、「歴史は繰り返すか、一回限りか?」ということを生徒の皆さんに問いかけています。「繰り返す!」という答えの方が多いでしょうか。織田信長が明智光秀に本能寺の変で殺されるということは一回きりしか起こりませんが、「恐慌」という現象は繰り返し起こります。繰り返すのか一回限りかということについては、どちらもそうだといえばそうです。
アメリカの株価暴落と上昇というニュースが大きく取り上げられています。日本も株価が下がっています。時は令和の初め。これからどうなっていくのでしょうか。
さて、なんとなく、糸川英夫さんの『逆転の発想』(新装版 プレジデント社 2011年7月)という本を手に取りました。書名はぼんやりと知っていたのですが、読んだことがありませんでした。
糸川英夫さんは、ロケットの開発者ですが、多彩な才能を発揮された方です。最初に出版されたのは40年以上前の1974年、幅広い分野について現代を予言していて、それが今でも色あせていないというのです。私がこの本を読もうと思ったのは、経済とか科学とかの分野の勉強のためではないのですが、それは置いておいて、読んで印象に残った所を記しておこうと思いました。
「エネルギー問題の未来」という章があります。そこに、原子力発電についての記述がありました。
「核分裂による原子力発電は根本的にムリがあり、技術は放射性廃棄物の問題を解決し得ないだろう。ウラン235とウラン235をぶつけてエネルギーを得る方法は縫い目のほころびているお手玉を作るようなもので、縫い目から放射性廃棄物がぽろぽろとこぼれてしまう。これを完全に縫い合わせることはむずかしい。核分裂は爆弾としてはすばらしいが、平和利用には不向きであり、平和利用は核融合が完成するまでおあずけ。それは2000年以後となろう。」(p.223)
私は詳しいことはわからないのですが、放射性廃棄物の問題を解決し得ないので、核分裂による原子力発電は根本的にムリ、と1970年代に糸川さんが言っていて、今でもその指摘が当たっていて、それが克服されていないことが、東日本大震災での原発事故でも大きな問題として露呈しているわけです。
糸川さんは、続けてニューエネルギーについても言及しています。
「発想の転換」というタイトルのとおり、多方面にわたって面白い発想がたくさんつまっています。かなりのスピードでさらっと読めてしまいました。博物館学芸員資格の本はさらっと読めないんですけど・・・
この本を読んでいたのは、ちょうど東日本大震災から9年になる3月11日頃でした。この本が新装版として出たのが震災のあった2011年の7月です。こういう、原発の問題を予見する内容を含んでいるので、震災の直後に復刊されたのではないかなと思ったりしました。
茂木健一郎さんが「復刊によせて」として巻頭に文章を書いているのですが、そこには原子力発電にからむ記述は全くありません。「組織の『へそ』をつかむ」と題した文章になっています。専門外であるからということもあるかもしれませんが、著名人が原発問題に触れるといろいろと支障があるので、触れることはしなかったのかな、などと妙な憶測をしてしまいました。
「本書が、糸川英夫という類希なる天才の思想、感性、その人柄に触れる資料として、現代によみがえることは、深い意味があると思う。日本が直面しているさまざまな困難。その解決に向けての智恵と勇気を得るためにも、多くの読者が、糸川英夫さんの『逆転の発想』に触れることを願ってやまない。」
と、茂木さんは2011年5月に記しています。2カ月前の3.11も意識されていないわけはないと思います。
そんな、今年の3.11でした。
さて、何か写真を・・・と考えたのですが、1月に杉並の大宮八幡宮で見た、新春除魔神事「小笠原流 蟇目の儀・大的式」の写真でも。
この儀式の詳しいことはこちらをご覧ください。
https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/596
蟇目(ひきめ)は鏑矢(かぶらや)で、放つとヒューンと音がするものです。魔障を払うといわれ、その音を聴くと幸せな1年になる?というような解説がありました。
その音はなんともいえない、意外と野太い音で、ひょーん、という感じ、コーラなどの瓶を口で吹いて鳴らした時のような音にもやや似ていました。
せっかく動画で撮ったのに、後で再生したらなんと音が入っていませんでした。
大ショック。音が大事なのに。生徒にも見せ、聴かせようと思っていたのですが。
魔障を払うというその音が聴こえないとは、なんだか不吉な気持ちになったのです。今年1年大丈夫かな?と。
ちょうど、コロナ問題もあって、今こそ、弓によって病魔を退散させたい、またその音を聴きたいけどなあ、というところです。
明けない夜はない、という気持ちでもう少し、時を待ちましょう。