日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

一枚のハガキ

2013-06-02 21:38:49 | 日記
またごぶさたしてしまいました。

3月に卒業した生徒のうちの一人が、私が異動したのを知らずに、私あてに前任校にハガキを送ってくれたようで、それが、2週間以上経過してから私の手元に転送されてきました。才能豊かで、お習字も上手、すばらしい達筆で、近況が細々と記されていました。

彼女は、日本史や国語は学年でもトップクラスで、私も大学受験では期待していた生徒だったのですが、思いがけなく、専門学校への進学を決めた生徒でした。自分で選んだ道ならば、がんばれるだろうと期待しています。

その卒業生のハガキによると、私の日本史の授業の、プリントの余白の小話を読むのが好きだったとのこと。私も、そういう所を読んでほしくて、+αの話題を所々に挿入していたわけですが、どれだけの生徒が読み、楽しんでもらえていたのかなと思っていました。その生徒は、授業もよく理解している様子で、試験でも好成績をおさめる生徒でしたが、やはりそういう所も楽しんでくれていたのだな、とうれしく思いました。

さらに、メールでハガキの返事を書いたら、その返事が返ってきました。それの中に書いてあったこと・・・2年次に、プリントをノートに再整理する(最低限写す)という作業を全員にさせて提出してもらい、それを評価して成績に入れていたのですが、そのノートのまとめの続きを、なんと、今でもやっているとのこと!!
私は感動して胸をつかれました。

思いつき、とはいわないまでも、成績評価の手段として提出させていたものなのに・・・もちろん、受験でノートのような自分で整理したダイジェストが必要になるだろうから、そのためにも、という意味合いで作ってもらっていたのですが・・・彼女は、結局大学受験しませんでしたし。

彼女が提出していたノートは、私がちょっと話した+αの話も、上手に盛り込んであって、本当に充実した、美しいノートでした。今回のメールにも、歴史が好きなので、これからも勉強したいと書いてありました。
大学受験のためだけに勉強するのではなく、純粋に、自分で自主的に学びたいために、そういった整理を行っている人もいるのだ、ということを改めて認識し、自分自身も教える立場として襟を正しました。
私が担任した学年の生徒は、他の学年よりも、このノートを丁寧に、見て楽しく、美しく作っていた生徒がたくさんいました。かなり時間がかかっているんだろうな、と感心というかある種恐縮しました。本当に、マンガなんかも上手に描いている生徒もいたり、わざわざスキャナで読み取った図や写真を貼りつけたりしている生徒もいたり、すばらしかったです。

たくさんの生徒が日本史を受験のために選択し、夏休みの補習も、これまでにない人数の生徒が出席してくれました。ノートも熱心に作ってくれた生徒もたくさんいましたが、そういった生徒の多くは、推薦などで進路が早く決まったり、一般受験でも英語と国語の2科目受験で、日本史までは受験科目にできなかったりして、本当に最終的に一般受験で日本史を使った生徒は、かなり減ってしまいました。
しかし、最後までがんばり続け、見事に大学合格を果たした生徒の、そのがんばりを、私も最後の方まで見届けることができました。日本史のノートも活用してくれたようです。

在職した5年間の最後に送り出した、自分が担任した生徒の日本史に対する取り組み姿勢は、やはり一番よかった。これを私の誇りにしたいと思います。
卒業した後も、旅行などで史跡を観光した時には、高校の日本史で勉強したことも、ちょっとでも思い出してくれたらと思います。

さて、5月18,19日に、復興支援の気持ちを込めて、仙台方面を旅行してきました。
仙台は、元気になっていました。街はたくさんの人々でにぎわっていました。
今日はその時の写真を1枚だけ。



仙台城から眼下に広がる仙台の街を見守っている伊達政宗の像です。別の像が震災で倒れたり、石垣の一部が崩壊したりという被害があった中、この像は無事だったようで、よかったです。
ではまた。