まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

石巻を歩く②

2014年05月30日 | 日記

石巻市門脇地区を歩く。
海に近く津波の被害が最も大きかった場所である。

見渡す限りの更地が広がり
その彼方に復興工事の大型車両が列をなす。
被災地の現状を象徴するような光景ではないだろうか。

シロツメクサが一面に生い茂る。
かつては住宅や商店が密集する地区だったが見る影もない。

震災後の火災で全焼し廃墟となった門脇小学校。
でも、どこからか子供たちの元気な声が風に乗って聞こえて来た。

門脇地区には墓地が多い。
ようやく暮石の修復も進み、この日は法要が行われていた。

広大な更地の真ん中に
「がんばろう!石巻」の看板が建つ。
現在は、津波の犠牲者を弔う「献花台」になっている。

この看板が建てられたのは震災の一カ月後。
あたりは瓦礫の山で遺体の捜索・収容作業が続いていた。
3年の歳月は流れたものの、まだ500人以上の行方不明者が残る。

この「献火」のタネ火は震災直後
周囲の瓦礫の木片などを集めて灯されたものだと言う。

2011.3.11は単なる数字の羅列だが
その数字を見ているだけで、さまざまな記憶や想念が頭をめぐり
粛然とした思いになって来る。

時折、観光バスがやって来る。
被災地は今や「観光地」でもあるらしい。
眉をひそめるムキもあろうが、別に構わないのではないか。
被災地に金を落とすのは大切な支援である。
ただ、せめてバスから降りろ!地面に立って被災地を体感しろよ!(怒)

海からの風が強い。

もう五月も終わりだ。
いろいろ思うことも書きたいこともあったけれど
被災地に立ったら言葉の無力を感じる。
ここで見た「事実」の重さだけを忘れずに東京に帰ろうと思う。

突然、海から霧が忍び寄って来た。
被災地の殺伐とした風景が見る見る乳白色のベールをまとう。

音のない静寂の世界だった。
でも、耳を澄ますと、東北有数の港町だった頃の活気と喧噪が
どこか遠くから聴こえて来そうだった。

石巻から仙台を経て東京へ。
まだまだ寸断されている区間も多く
「被災地は遠いなあ・・・」というのが実感だった。