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さよなら三角また来てへなちょこ

食い意地先行の放浪ブログ。たまにはHIVの事。

がちまや、沖縄を往く。その3

2011年07月27日 23時30分02秒 | 旅行

なわけで、7月上旬に、沖縄をぶらぶらしてきました。

ツイッターでつぶやいていたので、どんな感じの旅行をしてきたか、

ブログにいつも、いらっしゃってくれる方には、すでにご存じかとは思いますが、

ちょっとだけ、ブログで紹介させてください。

とはいえ、文章を長く書く気力がないので、写真ばかりで申し訳ないです。

その3は、与那国島で体験したあれこれ。

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実は、今年2度目の失態でした。

それは、海上保安庁の無料体験乗船で与那国島を一周したのち、バイクで日本最西端の西崎(いりざき)に向かった時のこと。

ポケットからバイクのキーをとりだし…ん。んっ。足りない。もうひとつ、キーがない。

パンツのポケットを探し、バッグの中を探しても、どこにもない。

無くしたのは部屋のかぎ。これは困った。1月にラオスのゲストハウスで懲りたはずなのに。

来た道を往復するも、まったく、見つからない。

諦めて帰ろうと思ったけれど、万が一と思い、先ほど寄った、カレー店へ。

くまぞー「申し訳ないです、もし見つかったら、電話いただけませんか~」

携帯電話の番号を伝えるつもりだったが、お店の方に泊まっている民宿を尋ねられた。

意気消沈して民宿に戻る。

おばちゃん「お客さんよく無くすのよ、合鍵ないかもしれないわよー、困ったわ~。」

島には合鍵を作ってくれるところなどない。ごそごそと奥から探してきてくれて鍵をいくつか差し込んで、

なんとか同じ鍵が見つかった。

おばちゃん「ほら、ズボンにチャック付いてるじゃない~ここに入れておきなさいっ!」

ほっとし、とりあえずリセットしようと、開いたドアの中から、タオルと着替えを取り出し、

シャワーを浴びて出てくると、おばちゃんが、僕に向かってほほ笑んだ。

おばちゃん「『ゆきさんち』から電話あったわよ。良かったわねー届けてくれるって!」

聞けば、近くの商店に届けられていて、偶然、その商店に行ったカレー店の店主が鍵の話を聞いてピンと来たのだとか。

民宿まで届けてくれたお店の方に、ラオスで買った、小さな木彫りの象のキーホルダーを渡した。

お土産として買っておいたものが余ったものだったが、もしかして役立つかもと思ってバックパックに詰め込んでおいた。

まさか、こんな風に役立つとは…

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おばちゃん「明日は朝日見に行くんでしょ。今夜はおしまい。」

民宿で夜遅くまで飲んでしまうと、朝起きられず、見逃してしまうことも多いけど、

沈む夕陽を見るのが楽しみならば、昇る朝日を眺めるのも、また楽しかったりします。

早朝、眠りから覚めて、時計を見る。

時刻は午前5時半前。心の中でニヤッとする。

迷惑がかからないように、音を立てずに、暗い部屋で、そろっと起きだして、部屋を出て行く緊張感。

空が白み始める前に、岬へ急ぎます。

バイクのエンジン音を静かに響かせ、人の気配がない集落を通り抜けて、

だんだんスピードを上げて、空間を切っていく。

夜明けというのは、夜の孤独でもなく、朝の希望でもなく、不思議と不安定な空気に包まれている気がします。

でも、一番不安定だったのは、岬で放牧されていた牛だったようで。

カメラで撮っていたら、よたよたと近寄ってきて、一気に牛の角で体を突かれました。ちょっぴり痛い。

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立神岩の展望台でのこと。

海からにょきっと突き出たこの岩は、島のシンボル的な岩。

男性器のようにも見え、やはり、そういう部分になにか、民俗学的な意味合いもあるかもしれない。

展望台でのんびりしていたら、自転車に乗って、男性の観光客が一人でやってきた。

僕より明らかに若かったが、同じ一人旅と察知したのか、気さくに話しかけて来てくれた。

与那国島は、起伏が多く、意外に距離がある。

与那国島でオールロケをし、2003年と2006年に放送されたテレビドラマ「Dr.コトー診療所」(フジテレビ)。

志木那島診療所のコトー先生は、白衣を着て自転車に乗って回診に向かう。

泊っていた民宿には、おそらく、当時、みんなコトー先生みたいに自転車で回ったと思われる、白衣が何着も置いてあった。

テレビドラマみたいに自転車を漕ぐには、なかなかハードかと。

くまぞー「自転車大変ですねー。俺はもうぜったい無理ですよ。」

男性は、僕と同じ日にフェリーでやってきて、今日石垣島へフェリーで帰るとのこと。

意外に面白かったお祭りの話にはじまり、お祭りの帰りに自転車乗って帰っていると、

軽トラックが停まってくれて、荷台に自転車と一緒に乗せてもらって帰れたこと。

島の観光スポットでどんなところを回ったとか、そんな話を一通りした、

そして最後に、ビックリするような偶然があった。

男性「ところで、石垣島はどこ泊るんですか?」

くまぞー「ヤンブジーナっていうドミトリーですよ。」

男性「あっ、俺も同じ所泊っているんですよ。今日与那国からお客さんくるって聞いてたから、もしかと思って聞いたんですよ。」

その男性は、次に泊まる石垣島のゲストハウスで同じ部屋で泊る相手だった。

同じ所で泊っていた宿泊者に別のところで出くわすことは会っても、

泊る前に出くわすのは初めて。

だから、一人旅は、なんだかんだと面白い。

 


がちまや、沖縄を往く。その2

2011年07月22日 21時52分48秒 | 旅行

なわけで、7月上旬に、沖縄をぶらぶらしてきました。

ツイッターでつぶやいていたので、どんな感じの旅行をしてきたか、

ブログにいつも、いらっしゃってくれる方には、すでにご存じかとは思いますが、

ちょっとだけ、ブログで紹介させてください。

とはいえ、文章を長く書く気力がないので、写真ばかりで申し訳ないです。

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僕は、端っこが好きだ。

ど真ん中もたまには良いが、ドキドキしてしまって、自分の居場所じゃない気がする。

沖縄旅行2日目。僕が目指したのは、日本の西の端っこ。

与那国島は、台湾からは約110kmしか離れていない。石垣島よりも近いとか。

八重山は4回訪れているが、同じエリアにある日本最南端の波照間島と最西端の与那国島は、

近くのようでいて、一緒に回るのは、難しい。

直接両島を結ぶ交通手段はない。観光の起点となる石垣島と両島を結ぶのは、フェリーや飛行機、高速船があるが、

曜日が限定されていたり、乗り継ぎにロスが出たりと。

先に最南端を制覇し、ニシ浜のハテルマブルーの虜になってしまった自分は、

与那国島は、いつかきっとと、後回しになっていたが、今回は思い切って、足を延ばしてみることにした。

 

空港で民宿のおばちゃんに出迎えられ、他の宿泊客と一緒に民宿まで送迎されると、

昨日から行われているお祭りの話を盛んに始める。

おばちゃん「今週はラッキーなのよ。海底遺跡も見れるし、乗馬も出来るし、保安庁の船で一周できるわよ。」

この週末は、久部良(くぶら)で、国際カジキ釣り大会が行われていた。

今夜泊まる祖内(そない)集落から約5km、島の西側にある久部良では、

カジキ釣りの大会と並行して、いろんなイベントが行われていた。

くまぞー 「(料金は)いくらくらいで乗れるのかな…」

おばちゃん「お祭りだからタダよ。夜はアトラクション(ステージで歌や踊りの出し物)もあるよ。」

アトラクションで酒を飲むなら、行き帰りは送迎するとのこと。

でもどうやら、一回で送迎できないから、2回往復するか、

誰かはバイクで行って、もし飲んで帰るなら、帰りのバスも出るとか。

 

僕は、空気を読む。たまに読み間違えるが。

くまぞー  「じゃ、バイクでも借りて行ってこようかな。お祭りもバイクで行ってきますよー」

 

人口約550人の波照間でしか運転したことがない50cc原付バイクを、人口約1600人の与那国で運転することは、

僕の中では、冒険の一つ。今回は、もっと交通量の多いはずの石垣島でも借りるつもりでいるので、

ここでの運転は、少し慣らしための練習になるはず…だった。

 

 

1年ぶりのバイク運転。速度の感覚や、バックミラーでの後方確認など、少しずつ慣れ、余裕が出てきた。

さてさて、そういえば、自分は何時までに帰ればいいんだろう。夕飯の時間は…よし、電話してみよう。

 

おばちゃん「今日は夕食ないですよ。お祭りで食べてください~。」

 

…えーそういうことだったのか!!

もしや、つーことは、お祭りで食べた後、夜中、まっ暗い道を原付で帰って来なくちゃならないのかー

どうやら、後から仲良くなった他の観光客に聞くところによると、この週末の民宿は、どこでも夕食はなかったらしい。

前夜祭から3日間続いたカジキ釣り大会。夜のアトラクションは、毎晩、盛り上がった。

 

 

沖縄民謡のステージに、航空自衛隊の演奏、マルモリダンスなどの学年対抗の小学生の出し物…

島の人たちは、歌に合わせて、楽しそうに、踊って、飲んで、食べて。

はしゃぐ子供たちの姿。僕の子供の頃、夏祭りって、こんな感じだったかな。

でも僕は、こんなにはしゃげなかったはずだ。

お祭り3日目の締めくくり。

ドゥンタという踊りで、民宿のおばちゃんが僕を見つけ、一緒に輪の中に入った。

唄を歌いながら、手を上下に動かし、輪を回転させていく。

二重の輪の中にいる島の男性は、踊る人に、島酒を飲ませているようだ。ドゥンタが終わり、会場から、拍手が沸く。

一斉に、人と車が動き出す。僕は、暗い夜道を車のライトに照らされて、バイクで民宿へ帰った。 

祖内へと、ぽつぽつと続いていく、車のテールライト。

お祭りが終わってしまった寂しさを、この島の人たちとっては、より強く感じているかもしれません。


がちまや、沖縄を往く。その1

2011年07月20日 22時21分05秒 | 旅行

なわけで、7月上旬に、沖縄をぶらぶらしてきました。

ツイッターでつぶやいていたので、どんな感じの旅行をしてきたか、

ブログにいつも、いらっしゃってくれる方には、すでにご存じかとは思いますが、

ちょっとだけ、ブログで紹介させてください。

とはいえ、文章を長く書く気力がないので、写真ばかりで申し訳ないです。

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旅行1日目。沖縄県那覇市。

その宿は、去年泊って、こりごりしたはずでした。

那覇の中心部、国際通りから5分ほど、大きい通りから路地を入ったところにある、1泊1500円のドミトリー。

夜になれば冷房こそスイッチが入るけど、体が沖縄の暑さについていけないのか、汗がまったく引かず、

寝苦しくて、一晩中、寝付けなかったのでした。

しかし、僕は結局、今年もこの宿に泊まることに。

不思議と惹かれるのは、古い民家を改装した、趣ある建物と、夜遅くまで繰り広げられるゆんたく。

何かありそうな雰囲気に、心惹かれるのかもしれません。

 

那覇に到着し、昼12時過ぎに宿に訪れると、ゆんたくルームには、多くの人達。

賑やか過ぎる、あの輪の中にはちょっと加わりにくい。

今夜は、ひとりくらい、外でぶらぶらしていても気がつかれないかも…

この一団は、後日、解ったのですが、どうやら、屋我地島で行われるビーチパーティに行く参加者だったとか。

気勢を上げていたので、出かける直前だったようです。

 

今日のベッドを案内され、そのほかの館内を一通り案内してもらう。

くまぞー「明日、出発が朝7時前で、早いのですが、多分、早すぎてスタッフの方、起きてなくても、静かに出て行けば、大丈夫ですよね」

スタッフ「チェックアウトとかないので、大丈夫ですよ。」

初めて泊った前回。スタッフの方が、朝8時になってようやく、雨戸をあけはじめたのですが、

明るくなって光が差したゆんたくルームには、冷房もないのに、酔っ払って寝ている男が。

こうゆう緩さが、好きなところです。

昼間、那覇の中心地を散歩し、ブログつながりの友人と会って帰ってくると、

ゆんたくルームには、数人のみ。

昼間見かけなかったスタッフとお客さんが一緒になり、

こじんまりと、ゆんたくしている中に、そろりと入っていく。

 

主役になりたいわけでもなく、突っ込みを入れたいわけでもなく、

その日、一晩限りの、その雰囲気を、共有したいというか。

深夜でも営業している食堂はどこが美味しいか…

何話していたかと言えば、今でも覚えているのは、そんな話題だったはずです。

時刻は午前0時。ゆんたくルームが閉り、有志は外の居酒屋へ。

僕は桜坂に行こうと思ったが、去年と違い、扉が重く感じ、再びドミトリーへ。

今年は、浅かったけれど、確かに眠りについた。

時刻は午前6時。そっと荷物を担ぎ、廊下へ出ると、子連れの母親が椅子に腰かけていた。

静かに身支度して、彼女に挨拶して、那覇空港へ向かった。

行ってきます。

 


どうしても、我慢できない男の話。

2011年07月01日 00時53分01秒 | 旅行

東京は急に蒸し暑い日が続いてますな。

会社では、いつもは、一人で飯を食いに行くのですが、

今日は珍しく、会社の人達と、昼飯を食べてきました。

夜は居酒屋で営業している店の、ランチ営業で、とてもお得でおいしいのですが、

お値段800円。もちろん、いつも昼飯の金額は、ワンコインと決めている自分にとっては、

とても贅沢な昼ごはんです。

ちなみにどこかの会社の調査結果のまとめでは、サラリーマンの平均の昼飯代は、

500円を切り、お弁当持参率も、最高を更新したとか。

自分も、36歳になって、やっと、切りつめられるところは、頑張って切りつめて、

使うときはちゃんと使い、収入と出費のコントロールが出来るようになった気がします。

 

家計って不思議なもので、いままで苦しい時は、どうしたって苦しいのですが、

うまく回り始めると、すごく楽になるみたい。気づくのが遅すぎですが。

いままでは、無駄に思えなかったものが無駄に見えたり、

我慢できないことが、我慢できるようになったり。

それでも、まだ、僕には、どうしても我慢できない出費があります。

 

女子A「(くまぞーさんは)来週の飲み会来ないんですかー」

くまぞー「えー全然聞いてないですよ」

女子B「(くまぞーさんは)だって、明日から沖縄なんですよねー」

女子A「彼女と行くんですか?」

くまぞー「ひとりひとり!一人旅大好きだもん。」

女子B「ラオスとかも一人で行っちゃうしね」

くまぞー「向こうの民宿行けば、夜宴会になったりして、なんだかんだと楽しいからね…」

 

でも、本当に一人が好きなわけじゃない。

かといって、大勢と吊るんで大騒ぎするのも柄じゃない。

好きな風景見て、会いたい人に会って、あとちょっと何かあれば、それで充分。

でも「あとちょっと何か」が、難しい。何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。

でも僕は、「あとちょっと、何か。」の為に、一人で旅行に行くのかもしれません。

 

なわけで、金曜日から、ちょっと沖縄に行ってきます。

石垣島、与那国島、本部半島、那覇あたりをぶらぶらしてますんで、

ツイッターでフォローしていていただいているかたは、つぶやきにお付き合いくださいまし。

お天気がいいといいな。でもいいや、悪くても。楽しんできます。では。


「はじめてのおつかい in Laosその7 最終話~ラオス大脱出の巻。」

2011年02月12日 10時02分56秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、旅行の話にお付き合いください。

今回は、9日目、最終回。

ビエンチャン~ノーンカイ~ウドンターニー~バンコク~東京までのお話。

画像が多いの重たいかもしれません。

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1月23日。午前5時半。ラオス・ビエンチャン。

旅行用の目覚まし時計が、突然なりだします。

くまぞー「あれっ!!」

iPhoneの示す時刻は午前3時半。その差、ちょうど、2時間。

あれ、どっちも現地時刻に合わせていたつもりだったのに。

自分には、その自覚があまりないのですが、他人からよく言われるのが、

旅行中に背負っているバックパックを見て、荷物が多すぎるということ。

目覚まし時計も、iPhoneの目覚まし時計だけでは不安で、

旅行に行く前に気になって準備したものの一つでしたが、

結局、9日間ラオスにいて、時差で時刻が違っていたのにも気づかなかったくらい、

不要なもののひとつだったのかもしれません。

 

普段なら、また寝ればいいのですが、今日は、飛行機で東京に帰る日。

しかも、時刻が読みづらい、バスを乗り継いでの国境越え。

寝坊では済まされないことになってしまいます。

慎重に判断すること1時間。一向に空が明るくならないことから、

やはり目覚まし時計の時刻の合わせ忘れということで、勝手に、一件落着です。

 

時刻は午前6時。ゲストハウスの玄関が開く時間です。

おもむろにバックパックを背負って、階段を下りていきます。

フロントには、日本語が少しだけわかるおっちゃんが起きたばかりで、

テレビにスイッチを入れたり、準備をしていました。

ルームキーを返して、ラオス語で「ありがとう」と言うと、

日本語で「さようなら」と返してくれました。

 

トゥクトゥクに乗って、向かった先は、町の中心にある、タラート・サオバスターミナル。

トゥクトゥクを降りた瞬間から、「フレンドリーブリッジ?」と聞いてくる客引きがいるのですが、

「失礼~」と声をかけて、ローカルバス乗り場へ。

朝6時から15分から20分おきに運行している路線バスが、

ラオスとタイの国境にかかる友好橋(フレンドリーブリッジ)のイミグレーションまで

連れて行ってくれます。

乗客は4~5人。夜明け前の薄暗い田園風景を突っ切って行きます。

朝6時45分くらいだったでしょうか。

ラオス側イミグレーション前に到着。

パスポートにスタンプを押してもらって、ここで、ラオスに別れを告げます。

続いてバス料金をチケットオフィスで払い、国境を渡るためのバスを待ちます。

マイクロバスがやってきてきました。

これで、タイ側へ渡ります。

ちょうど、橋を渡っている途中で太陽が出てきました。

橋の上には単線の線路もあり、一日一便の列車が通る際には、通行止めになるとか。

バスに乗って、5分から10分くらいでしょうか。タイ側イミグレーションに到着。

 

さてさて、出入国カードは…どうやら、もらえるブースが決まっているようで、

並んでいた列を外れ、カードをもらって、記入をし…ブースに再び行って並んで、

無事タイ側入国です…あれ、これから、俺、どーすればいいの???

いろんなガイドブックや情報に情報があまりなかったで、この部分は推測ですが、

ラオス側から国境を渡ったバスが、待っていてくれて、

ここからほど近い国境越えのためのバスステーションまで連れて行ってくれるつもりでいたのに。

バスで一緒だった外国人は、いつのまにか居なくなってしまっていました。

 

さて、みんなどうしたんだろう?いや、どうすればいいんだろう?

ここで待ってるトゥクトゥクに乗るしかないの??タイではサムローって言うんだった??

時間はかつかつですが、旅行初日に両替して、最終日のためにあまり使わずに、

とってあったタイバーツは、まだ1000バーツ以上余ってます。

しかたなくドライバーに声をかけると、ノーンカイの町の中心のバスターミナルまで60バーツとか。

でも、ガイドブックには町の中心から友好橋までサムローで30~40バーツとか。

値切って50バーツにしてもらって、ノーンカイのバスターミナルへGO!です。

 

15分くらい走ったでしょうか。バスターミナルで降ろされ、さあ、時刻やチケットを確認しなくては…と思っていたら、

右から左から、声をかけられます。

「ウドンターニー??」と聞かれると、「はい、ウドンターニー行きたいです」と答えたか答えないかのうちに、

さあさあと、バスのほうへ案内されます。

見れば、バスの車体に「ウドンターニー←→ノーンカイ」と書いてあるじゃないですか!

これは、間違えないはず。判断する必要がないと思って、即、バッグを積み込んで、

乗車すると、バスはすぐに動き出しました。

おそらく時刻は午前7時半ごろ。発車ぎりぎりだったのでしょう。

このバスに乗れれば、11時50分のウドンターニー発飛行機に、もうチェックインしたのも同然です。

バスの中で、朝からの緊張の糸がほぐれて、安堵に包まれます。

 

道沿いの建物が、あまりないラオス側と比べ、タイ側は近代的な商業施設や商店が多く、

日本で言えば、ちょっとした地方都市と変わらない風景です。

バスは途中で乗客を拾いながら、車掌は、乗客から料金をもらって回ります。

約1時間で、ウドンターニーの新バスターミナルに到着です。

時刻は約8時半すぎ。

当初、ビエンチャンから乗る予定だったウドンターニー行きの国際バスが現地を出発した時刻には、

もう目的地に到着できたことは、もう大万歳なのですが、ちょっと早すぎたくらいです。

でも、この国際バスは、当たり前ではありますが、

出入国で全員の手続きが終わらなければ出発できないので、

このあたりの時間の読めない部分でイライラするよりは、

結果的には、よほど、安心安全な選択だったかもしれません。

バスターミナルで朝ご飯を食べる余裕もあり、ここから、サムローに乗って、空港へ。

空港から市内までのリムジンバスがガイドブック情報で80バーツのところ、

サムローで100バーツと言われたので、値切るまでもなく、乗ったのですが、

サムロードライバー達にとっては上客だったようで、僕に声をかけておきながら、

乗せ損ねたドライバーと、自分が乗ったドライバーで、ちょっともめてしまったようです。

ウドンターニー市内を走り、しばらくすると、空港らしい敷地が見えてきました。

変な色した、ボーイング747が、横たわっています。

ウドンターニー国際空港へは午前9時すぎには到着していたでしょうか。

国際空港となっていますが、国際線は、ラオス航空が、ルアンプラバンから週3便のみ。

非常にこじんまりとしています。

東京までは、同じタイ国際航空だったのでスルーチェックインができるか聞いてみたのですが、

どうやら、バンコクで一度、荷物をピックしなければならないとか。でも荷物は預けたので、あとは出発時間まで、

約2時間半、のんびりです。

両替所があったので、130000キープほど余っていたラオスキープを両替しようと思ったら、

実は、ラオスキープは国外での両替ができなかったようで、

本当は駄目なのですが、両替所の方が、個人的にタイバーツに両替してくれました。

…そっかー、最後に、フレンドリーブリッジのラオス側イミグレーションで、両替するしかなかったようですが、

記憶では、両替所は朝早くて閉っていたような気がするし、レートはここでは、目をつぶるしかありません。

そして、さらに失敗をもう一つ。

コイン式のインターネットマシンがあったので、ここで、ビエンチャンでアドレス交換した日本人旅行客に

無事に空港へ着いたことをメールで連絡しようと思って、コインを入れたら、日本語の使えないマシン。

仕方なく、英語のニュースサイトを閲覧して終わりにしましたが、

交換したアドレスのメモを、テーブルに忘れてきてしまいました。

自分も旅先での楽しい思い出にお礼を言いたかったんだけど、

これは、ちょっと申し訳ないことをしてしまいました。

自分のアドレスは相手に書いて渡したので、もしきっと、縁があれば、いつかメールが届くでしょう。

 

ウドンターニー国際空港を出発して、約1時間ほどでバンコク・スワンナプーム国際空港に到着。

東京行き午後2時50分発まで、だいたい2時間。

まあ、大丈夫だろうと思っていたのですが、まずは、飛行機が駐機場止まりで、到着ゲートまでバス移動。

そして、バスもすごく長い距離を走り、故に、ターンテーブルが回りだし荷物をピックするのに時間がかり、

飛行機到着から、

ここまでで約40分。

すぐに出発ロビーでチェックインをしましたが、出国審査で長い行列。ここでも約20分くらいでしょうか。

搭乗券を見ると、搭乗時刻は2時10分…えー!もうあと15分くらいしかないじゃないか~。

余ったタイバーツで豪遊するつもりでしたが、ツイッターでちょこっとつぶやいて、急いで搭乗口へ。 

こうして、長かったラオス・タイの9日間に、余韻にひたることなく、別れを告げるのでした。

 

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最初から読んでいただいていた方、ありがとうござました。 

バックパッカーっぽい旅行がしたくて、そして一度ラオスに行ってみたくて、

今回の旅行を決めたのですが、周囲の国と少し違い、想像していた通りに、たのしい旅行でした。

ただ、9日間しかない旅行にしては、ちょっと移動が長すぎたかな。

でも、それは、それで、いい体験だと、思っています。

めんどくさい旅行がしたくない方には、飛行機で直接飛んで、

ルアンプラバン・ビエンチャンだけでも、充分楽しめると思いますよ。

もし気になった方は、次の旅行の予定に、ぜひ加えてみてください。


「はじめてのおつかい in Laosその6 ビエンチャンでチャリンコ大爆走の巻。」

2011年02月09日 01時04分34秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、8日目。ビエンチャンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

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1月22日。午前7時。ラオス・ビエンチャン。

くまぞー「あれ、喉が痛い…」

これまで泊った町、ゲストハウスと違い、昨晩は、初めて蒸し暑さを感じて、

扇風機を回したまま、初めて半袖Tシャツで寝たのですが、どうやら、夜はしっかり冷え込んでしまったようです。

もしくは、ちょっと空気がほこりっぽかったのかもしれません。

あわてて、かぜ薬を飲んで、なんとか、悪化しないように、予防をしっかりします。

支度して向かった先は、タラート・サオ・バスターミナル。

時間を見ながら、ちょっと早足で、向かいます。

お目当てのバスは、まだ出発していなかったようです。

くまぞー「あっ、いたいた」

観光客「見送りに来てくれたんですかー」

昨日、ご飯を一緒に食べた日本人観光客は、8時発のタイ・ウドンターニー行きの国際バスに乗る予定でした。

くまぞー「ひとつお願いがあって、もしバスが時間通りに到着するか、どんな感じか、メール貰ってよい?」

 

明日は、帰国日。タイ・ウドンターニー空港・午前11時50分発のタイ国際航空のバンコク行きに乗らないと、日本に帰れません。

ラオス・ヴィエンチャンからタイ・バンコクまでは、長距離ツアーバスもあるし、

ヴィエンチャンからバンコクまでの飛行機もあるし、

ラオスのタナレンという町から1日1便の寝台列車もあるし、いろんな方法がありますが、

ぎりぎりまでラオス滞在し、かつ安く仕上げたかったので、一旦タイへ陸路で出国してから飛行機でバンコクへ。

では、明日はどうやってラオスを脱出しようか…最終日ゆえに、最大の難関となって、僕の頭の上に横たわっていました。

この国際バスが、ちゃんと時間通りに到着すれば、飛行機の出発時間には、楽勝なのですが…

観光客「いいですよ。夜になってしまいますが…」

くまぞー「無理しなくていいからね。もしパソコンにアクセスできたらでさー」

そんなわけで、メールのお願いと、この先の無事を祈って、バスを見送ります。

 

見送った後に、向かった先は、バスターミナルのすぐ近くにある、タラート・クアディン。

近代的なショッピングセンターのタラート・サオを補完する形の、昔ながらの市場です。

生鮮三品はもちろん、グロサリーや日用品、家電から洋服まで、いろんな商品が所狭しと並んでます。

この日の朝の、もうひとつの目的は、お土産物探し。

サラリーマンなので、職場の土産物は必須。人によっては、ここでセンスを発揮する人もいるのでしょうが、

僕にとって土産物で一番大切なことは、解りやすいことと、めんどくさくないこと。

どこに行ってきたのかが明確だったり、分けやすかったり手を汚さずにすむことだったりです。

市場内で、グルグル探しましたが、実は、ラオスは、産業があまり育ってなく、

ハンドクラフトの織物や民芸品以外では、メイド・イン・ラーオは、

南部で生産されるラオスコーヒー、そしてビア・ラーオ(ビール)くらいでしょうか。

メイド・イン・ラーオは諦めて、会社で配りやすい、メイド・イン・タイランドの菓子を買い込みます。

タラート・サオの旧館でもちょっと買い物をして、この日のミッションは、終了。

ナンプ広場近くにある、ベーカリーカフェで、クロワッサンサンドをオーダーし、Wi-Fiつないで、ウェブを見ながら、朝食です。

 

一度、ゲストハウスに戻って、さあ、市内観光へ出発…の、前に、ゲストハウスで、自転車を借ります。

10000キープと言うので「1hour?  2hours?…」と聞くと、「1day!」との返事。

約95円ですよ、これは安い!ただ気になったのは、兵庫県警の防犯登録シールが貼られているじゃないですか~

盗まれてラオスにやってきたものでなければ、いいのですが、ちょっと気になってしまいました。

ちょっと乗ってみると、後輪のブレーキがまったく利かず、前輪のみ。

仕事でいじったことがあるので、道具さえあれば、ブレーキの調節をしてもよかったのですが、

まあ、とにかく、安全運転で、出発です。

まず向かったのは、ワット・シーサケート。

本堂の周りを取り囲む回廊に多くの仏像が並び、回廊を眺めていると、異空間に誘われるようです。

三十三間堂にもちょっと雰囲気が似ているような錯覚も。

すでに時刻は12時近く。拝観料が必要な寺院はお昼休憩があり、閉ってしまうので、

続いて向かった先は…パトゥーサイ。内戦で戦死した兵士の霊を慰霊するための塔で、

パリの凱旋門をモデルに建てたとか。ランドマーク的な建物で、沢山の観光客がやってきます。

でも、塔の内部は完成していないそうで、中には入場料を払うと入れるのですが、

今回は、門をくぐって、外から眺めるだけにしておきました。

門の下から内部を見上げると、こんな壁画が。

時間は午後1時前。昼休みで門を閉じていた寺院も、そろそろ、午後の拝観時間です。

次に向かったのは、タート・ルアン。仏陀の骨がおさめられているとかで、

16世紀から建設が始まり1930年代には現在の姿となった、ビエンチャンの象徴的な仏塔です。

付近には国会議事堂などもあるのですが、なんとものんびりした雰囲気です。

家族でやってきては、こうして、みんなで手をあわせて拝んでいます。

つづいて、中心部に戻ってきて、向かった、ワット・ホーパケオは、現在、博物館的な位置づけで、僧侶がいません。

もともとエメラルド仏という仏像を納めるために建てられた寺院でしたが、現在は、バンコクのワット・プラケーオに安置されているとか。

ビエンチャンの寺院では、よく見られた光景ですが、

どうやら僧侶の集団が地方からたくさんやってきて、説明を受けながら、見物しているようです。

 

こちらは、ワット・シームアン。これは、狛犬という理解でよいでしょうか。

タートダムは、ナンプ広場近くにある、仏塔。昔は黄金に輝いていたとか。

画像はありませんが、続いて向かったのは、ラオス国立博物館は、こじんまりとした、建物。

どちらかというと、近現代史の中で、ラオスのたどってきた歴史が、写真パネルで解説されています。

ベトナム戦争の影に隠れてしまっているのかもしれませんが、ラオスの内戦も相当の犠牲者があったようです。

この日は、この建物の向かい側で、トヨタによる子供向けのイベントが開催されていました。

タイではがっちりシェアがあるらしい日本車メーカーですが、ラオスでは、ヒュンダイや起亜などの

韓国車メーカーはもちろん、BYDなど、中国車のメーカーも走っている様子。

自動車世界生産トップのトヨタも、うかうかしてられないのでしょう。

 

そんなイベント会場の横の建物には、なんと、スウェンセンズが!吸い寄せられるように、まさかの、パフェ休憩です。

…ちょっと調べてみると、今では、アンコールワット観光の拠点・カンボジア・シェムリアップにもあるとか。

もしかしたら、ここ数年で、東南アジア全体が急速に変化しているかもしれません。

時刻は、午後4時半ちかく。今日は、最後のメコンの夕陽を見たいので、ビエンチャンの観光は、ここで終わりにして、

ゲストハウスに一度戻ります。

太陽が沈む時間を待って、ネットカフェで時間調整…つか、ネットサーフィンしてると、時間が過ぎるのが早く、

あれよあれよという間に、日没直前。慌てて、店を出て、メコン川の川岸へ向かいます。

向こう岸に見えるのは、タイ・シーチェンマイ。首都が国境付近にあるというのも不思議ですが、

これもインドシナ半島の歴史の変遷に大きく影響されているようです。

ビエンチャン中心部を流れるメコン川の護岸は、きれいに整備しすぎていて、

フエサイやパクベン、ルアンプラバンで見たそれとは、ちょっと雰囲気が欠けます。

それでも、旅人の旅情を誘うのか、あちこちで、沈む太陽を見つめています。

あっという間の、8日間。もっとのんびりしたかったけど、そろそろタイムアップです。

この日の夕食は、ゲストハウス街の中にある、日本食レストラン。

お好み焼が名物で、とんかつ定食や、ラーメンなど、定番の味が人気だとか。

お客さん「先ほど、博物館でお会いしましたね」

くまぞー「あっ、そうでしたね。やはり日本人の方でしたか」

お客さん「ビエンチャンはいつまで…」

くまぞー「明日、タイに渡ってから、ウドンターニーからバンコク経由で、東京へ帰るんですよ。」

聞けば、バンコク在住の方で、各国への出張で貯まったマイレージで、ビエンチャンにやってきたとか。

海外駐在が10年以上と長く、いろんな話を聞かせてもらったのですが、

嘆いていたのは、日本という国の元気のなさ。

特に中国の経済の勢いと比較し、内向きな日本人の思考や経済、そして少子化を、かなり悲観的に心配されてました。

…うーん。

複雑な思いでした。

なんだかんだと言って、自分も、もう30代後半。

世間から見れば、同性愛者というちょっとゆるい立ち位置にいて、

自分が日本社会に影響を与えるほどの能力があるわけじゃないし、そんな仕事を任されているわけじゃないけど、

その元気がない日本社会の一翼を担う世代に片足突っ込んで、仕事をさせてもらっているのも、事実。

政治が…とか、会社が…とか、言い訳が利かないんじゃないかなと、実は思っています。

じゃ、自分にできることは何だろう?。

こうして、世界へ出て見て、いろんな刺激を受けるのも、その一つかもしれません。

英語が出来なくたって、これだけあちこち回れるのだから。もっといろんな所へ…

…まあ、いいや、旅先で考えることじゃありませんな。

 

そんな話をしてたら、すでに夜8時過ぎ。挨拶をして店を出て、

少しだけ土産物見たくて、夜店が出ているメコン川沿いへ。

ちょっとだけお土産を買い足して、ゲストハウスに戻りました。

朝、日本人の方にお願いしたメールは、ちょっと無理なお願いだったかな。

でも、明日の予定は、決めました…朝6時にゲストハウスを出て、ローカルバスでフレンドリーブリッジに向かおう。

そして国境を越えて、ノーンカイへ。朝一でタイへ抜ければ、あとは、乗り継いで、なんとか間に合うだろう。

名残惜しさや余韻をかき消しながら、バックパックに片づけをして、明日の出発の準備をするのでした。


「はじめてのおつかい in Laosその5 エクスプレスバスでビエンチャンに向かうの巻」

2011年02月06日 11時58分01秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、6日目と7日目。ルアンプラバン~バンビエン~ビエンチャンでのお話。

画像が多いの重たいかもしれません。

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1月20日。朝8時。ラオス・ルアンプラバン。

今朝は托鉢の様子を早起きして見てきたあと、屋台で、朝食のサンドウィッチを食べていました。

美味しかったので、バンビエンへ向かうバスの中で食べる分で、もうひとつオーダーです。

お客さんが作るのを待っていると、立て続けに、お客さんがやってきて、

こちらのお父さんの屋台は、大忙しでした。

フランスが宗主国だった国には、フランスパンを使ったサンドイッチが広がっていますが、

ラオスでは、チキンもしくはツナなどメインの食材に野菜をはさんだ、シンプルなものが多かったです。

特に、チーズ(たぶんクリームチーズ)とチキンの組み合わせがおいしかったかな。

料理も鶏肉を使ったものが、一番おいしかったように思います。

ゲストハウスに戻って、荷物を背負って、フロントの男の子にお礼を言って、出発です。

さあ、バスターミナルへ。

ラオスのバスターミナルは、町の外れにあったり、また方向別に何か所かにあることが多く、

ルアンプラバンも、南方面行きのバスターミナルまでは、中心街から離れており、トゥクトゥクを使わないと、行くことができません。

バスは、こうした、バスターミナルから出るものもあれば、旅行会社が仕立ててホテルの前から出るツアーバスなどもあり、

また、バスの大きさや設備によって、値段が違ったりします。

バスの時刻表らしきもの。たぶん一部の路線だけだと思われます。

チケットを買って、バンビエン行きのバスに乗りこみます。良く見ると、チケットには座席番号が入っているのですが、

自分の座席のところには、大きな荷物を置いて寝ている女性が…

別の座席にとりあえず、陣取ります。バスの出発時間は9時半。まだ余裕があるので、ちょっと周辺をぶらぶらと。

画像のビエンチャン行きVIPバスは、9時出発ですが、ちょっと遅れて出発。10時間から11時間かかります。

軽食がついたり、中にはトイレの設備があり、ノンストップでビエンチャンに向かうようです。

バンビエン行きのエクスプレスバスも、大きな荷物を抱えて乗り込むお客さん多く、通路にもバックパックの山が。

出発時間を少し過ぎて、出発です。

 

ビエンチャン~バンビエン間は、約7時間。高速道路が整備されていれば、そんなに時間はかからないのでしょうが、

日本で言えば、山間部の国道の旧道のような道路をスピードを上げたりゆっくり走ったりします。

すれ違いには窮屈ではなさそうですが、かなり高いところを走るので、気をつけないと、谷底に落ちてしまいそうです。

それよりも、気になったのは、道路沿いにある、村。

どうやって生活の糧を得ているんだろうというような所にあったりします。

 

 

刈ったススキ(?)を乾していたり、これは何にするんだろう?というような光景もあって、

英語が話せれば、たとえば、バスの車掌さんなどに、もっといろいろ聞けるだろうなと思うこともありました。

さて、トイレのついてないバスは、トイレ休憩があるのですが、アナウンスがあるわけでなく、

突然、道路の脇に停車し、ドアが開きます。

えっ、ここで?というような場所で、女性のお客さんはちょっとかわいそうです。

バスが止めやすいからなのか、用が足しやすいからなのか、どっちなんだろう?…と思っていたら、

日本人っぽい乗客が一人、バスから降りてきました。

くまぞー「日本人の方ですか?」

乗客「はい。」

くまぞー「さっき、バスの屋根に積んだバックパックにこいのぼりのアクセサリがついていたんで…」

聞けば、上海に留学している男性で、中国・昆明まで列車で来て、

バスでラオスに入国して、ビエンチャンを経由してバンコクへ向かうのだとか。

自分も今回の旅行では昆明から景洪を経て、ラオスへ入るルートを一度検討しましたが、

9日間の休みでは、ほとんど移動になってしまうのと、飛行機のチケットが、ちょっと値段が高くなってしまい、断念しました。

旅行客「旅行会社でバスを手配したんですけど、トゥクトゥクのピックが遅れて、9時のバスに乗れなかったんですよ」

どうやら、交渉したら、このバスに乗ればよいと言われたとか。

ドライバーがクラクションを鳴らし、トイレ休憩が終わり、再びバスが出発です。

お昼12時過ぎの休憩は、ちょっとした売店のあるところで、先ほどの日本人観光客の方と、雑談タイムです。

バスは、午前中から、ずっと山間部を上って下っていましたが、午後のトイレ休憩をすぎたら、

だんだんと下って行っているよう。ダイナミックな山のシルエットが、はっきりと見えるということは、

かなり、山から下ってきたのでしょう。

午後4時半。バンビエンのバスターミナルに到着。全員降りるのかと思ったら、どうやら、

そのままビエンチャンに向かう様子。

日本人観光客「これで今日中にビエンチャンに着けますよ」

くまぞー「良かったですね。お気をつけて!」

ここから、ビエンチャンまでは、さらに4時間くらい。長旅を案じて別れを告げて、

僕は、トゥクトゥクの乗合で、町の中心へ向かいます。

バンビエンは、1970年代、王政側と共産勢力側との内戦で、

アメリカ軍が飛行場を作り、爆撃の為の基地があった町。

アメリカ軍の撤退の後は、なぜか、そのまま滑走路跡が残っているのですが、

今では、ナムソン川をゴムタイヤのチューブで下るアトラクションやバルーンで空を飛んだりと、

リゾート地的な場所となっているほか、バーやクラブ的な場所もあり、夜遅くまで観光客で盛り上がるようです。

到着したのが夕方で、すでにゲストハウスは、満室が多く、良い部屋を探すのに一苦労。

うろうろしていたら、ちょっとむっちりした太めの欧米系のおっちゃんに「どこ探してるんだい?」と

声をかけられました。

男「ほら、ここなら、50000キープだよ。」

と言って部屋を見せてくれたので、じゃ、ゲストハウスにしてみようかと、思ったのですが、ここも今日は満室。

くまぞー「ここのゲストハウスも満室なんですよ」

男「どこも空いてなかったらルームシェアしてあげるよ」

と会話しているそばから、実は、上半身裸でビールを飲んでるおっちゃんの胸毛が腕に触れ、

気持ちはグラグラしていました。

実はあとから、iPhoneのゲイアプリを立ち上げたら、このゲストハウスに、外国人が泊っている様子。

妙に親切だったし、もしかしたら…まあ、そんな淡い感じのまま、この日は、ちょっと高めの別のゲストハウスを確保しました。

夕方、飯を食うところを探していたら、スローボートで会った、日本人の男の子と再会。

どうやら、今日バスで一緒だった日本人と同じく、やはりトゥクトゥクのピックが遅れて、バスターミナルまで一緒だったようです。

みんな同じようなルートを移動するので、タイミングが良ければ、所々でこうして、顔を会わせることになります。

 

翌朝、町を一周し、メインストリートの食堂で、朝ご飯。

韓国か中国の団体旅行客が先ほどまで大勢で食事をしていたので、近づいてみたら、

おいしそうなお粥だったので、即、オーダー。

揚げたニンニクとねぎのトッピングがおいしくて、2杯食べてしまいました。

さてさて、ゲストハウスに戻って、荷物をまとめ、さて、今日も、出発です。

 

ラオスでは、ぼったくりをする人がいなかったのですが、バスターミナルに向かうトゥクトゥクの料金の支払いで、

初めて、ぼったくられそうになりました。昨晩泊ったゲストハウスでも、チェックインしただけで、チップを求めらたり、

当たり前かもしれませんが、町によって、少し気質が違うのかもしれません。

10時のバスだったので、9時には、昨日到着したバスターミナルに向かったのですが、10時を過ぎても一向にバスが来ません。

同じバスに乗る外国人も、ちょっと暇持て余し気味。

バスターミナルからは、五月雨に、いろんな乗物が出発していきます。

やってきたバスからお客さんが沢山降りて、ルアンプラバン行きのバスに、乗り込みました。

どうやら、その乗客たちが降りたバスに、乗り込むようです。さあ、出発…と思ったら、あれれ、町の中心で乗り換え??

しばらくしたら、空き地に停車し、降ろされ、違うバスに。

乗り換えたバスには、すでに乗客がたくさん待っていました。

 

…「地球の歩き方」のほうには、1か所しか載ってないバスターミナルでしたが、

英語のガイドブックには、もひとつ町の中心から歩ける場所にバスターミナルが載っていて、それを見落としていた!

これなら、わざわざ、あのトゥクトゥクに乗る必要もなかったなあと後悔。

ガイドブックを良く読むと、バスターミナルが、方面別でしっかり別れているようではなかったので、

どちらのバスターミナルからでも、乗れたのかもしれません。

 

そんなわけで、結局、午前10時半ごろ、バンビエンを出発。

最初は少し山間部を走りましたが、そのうち、両サイドには、民家があまり途切れず続くようになり、

そして、それまでは見ることができなかった水田も。

写真にはうまく撮れてないですが、一面に稲の鮮やかな緑色が広がる風景は、

田んぼの匂いが漂ってきそうなくらい、美しいです。

次第に、市街地に近づくと、外資系の飲料メーカーの看板や、ガソリンスタンド、

そして中国の車のメーカーのディーラーなど、首都に近づいている雰囲気が伝わってきます。

バンビエンを出て、約4時間。T2バスターミナルに到着。

町の中心のゲストハウス街まで、ローカルバスで向かいます。

 

さてさて、中心街で、最後の手持ちの現金100ドルをラオスキープに両替。

今日の宿泊先をさがしてうろうろしていると、昨日バスで会った、上海からやってきた日本人観光客と遭遇。

くまぞー「あー!こんにちは!」

観光客「今着いたところですか??」

まちかどで、バンビエンの雰囲気の話や、ゲストハウスの相場の話など情報交換をしたのですが、

もっとゆっくり話したくなって、夕飯を一緒に食いに行くことを約束。

夕方6時に、同じ場所で待ち合わせの約束をして、お別れです。

ゲストハウスも、お手頃なお値段の場所が見つかり、これで残り3日になったラオス滞在も、ゆっくり楽しめそうです。

 

ビエンチャンは、ラオスの首都ですが、人口は70万人ほどしかありません。

さすがに車やバイクは多いですが、タイやベトナムほどではなく、

ルアンプラバンでは見なかった信号機が、ビエンチャンで初めて見れました。

日本の交差点の信号機とはちょっと違い、交わる道路の上り下りごとに4回に分けた青信号で車が交差点に進入してきます。

また、ラオスに来て初めて高い建物を見ましたが、それほど高い建物はなく、多くが4階から5階建て。

自分が泊ったゲストハウスは4階建てですが、エレベータはありませんでした。

それでも町の中心にあるショッピングセンターは、エスカレータやエレベータがあり、少し都会の雰囲気。

ルアンプラバンにはリゾートホテルこそありましたが、ビエンチャンには国際会議で要人が宿泊できるようなシティホテルもあり、

もちろん首都の役割を果たす、官庁街や、各国大使館、迎賓館などもあり、

そんな街並みに、寺院が点在し、町の品格が漂ってきます。

コンビニエンスストアのような店も、何件かあり、もちろん飲食店も、格式ある日本料理店もあれば、

ベーカリーカフェに、インド料理店、また屋台でも食べれることができ、バラエティ豊かです。

 

ぐるっと一回りして、ゲストハウスに戻り、先ほどの日本人観光客と待ち合わせです。

くまぞー「夕陽の時間…間に合わなかったかな」

観光客「夕陽、沈んじゃいましたよ」

くまぞー「でも行ってみましょうかー」

久しぶりの東南アジアであること、ここ数年は、沖縄本島や重山の島々が好きで回っていること、

仕事の話など、いろんな話をして盛り上がりました。聞けば、彼が沖縄出身だとか。

メコン川沿いの屋外レストランでビアラーオ飲みながら食事して、夜は更けて行きます。

夜9時近くまで話したでしょうか。最後にメールアドレスを交換して、お別れです。

明日は、ラオス滞在最終日。

ビエンチャンの街歩きを楽しみに、ベッドで眠りにつくのでした。

 


「はじめてのおつかい in Laosその4 ルアンプラバン大捜索の巻 後編」

2011年02月03日 23時15分14秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、5日目。ルアンプラバンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

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1月19日。朝6時前。ラオス・ルアンプラバン。

ルアンプラバンの朝の名物、托鉢シーンを見物するために、少し早起き。

まだ町は薄暗いのですが、夜明け前に出発です。

ゲストハウスの玄関には、フロントの男の子が蚊帳の中で寝ています。

6時にはドアを開けると聞いていましたが、まだ施錠されていて、寝ているところを起こしてしまったようです。

ラオスのゲストハウスでは、用心の為なのか、こうして玄関先に寝ていることが多かったようです。

 

寺院が集まるエリアへ向かい、通りを歩いていると、托鉢セットの売り子さんが寄ってきます。

ごはんと、竹の皮に包まれたおかず(?)をセットで売っていて、

それを手元に置いて、歩いてくる僧侶の前で、正座しながら待ち、僧侶が持って歩く入れ物(?)の中に、手で渡し入れるのが、作法。

どこからやってくるのか、人が集まっている方向を、探しながら歩いていると、

あっ、托鉢の列がやってきたようです。

 

 ブレブレの画像ですが、ちょっと雰囲気ある感じ。

どういうルートで歩くのかわかりませんが、寺院によって、縄張りが決まっているようで、被っている部分もあるようです。

海外の宗教団体のツアーなのか、おそろいの服を着て托鉢を待っている集団もいました。

ただ、托鉢の様子を見ていると、ごはん以外のものでもいいみたいだし、

反対に、ごはんなどは、恵まれない子供たちに分けているようです。

ラオス全体を旅していて、不思議だったのは、たまたまだったかもしれませんが、

貧しい子供たちの物乞いや物売りがほとんどなかったこと。

子供たちに僧侶が恵んでいるように、寺院から、貧困層にたいしての、施しがあるのかもしれませんし、

それは別にして、国民の、仏教への敬虔な姿勢が、心の豊かさとなっているのかもしれません。

朝の托鉢の見学から一度ゲストハウスに戻って、向かったのは、ルアンプラバン国立博物館。

こちらは、ルアンプラバン王国の流れを汲み、1975年まで存在した王家の宮殿を利用した博物館です。

宮殿自体はラオスを植民地化していたフランスの支援によって1909年に作られたのですが、

ラオスを保護しているという印象を植え付けるための、方策だったようです。

居住していた部屋の様子や、各国からの貢物、祭事に使うアクセサリー、

またガレージには、王家が使っていたキャデラックなどの、超でかい車も展示してあったのですが、

なによりもビックリしたのは、敷地内を走ってきた、現役バリバリに動く、こちらのトヨタ車。

ツイッターでつぶやいたら、どうやら1970年代のコロナだとか。ビックリです。

寄り道して、寺院を見ながら、今日は、昨日のリベンジへ向かいました。

この日、僕は、昨日、道に迷った村に、もう一度行ってみたくて、再び、ナムカーン川にかかる、

バンブーブリッジを渡って、対岸へ。

昨日は意味なく道を曲がったのですが、実はまっすぐ行けば、ラオス織りを集めた土産物屋が、

ちょこちょこ並んでいます。トゥクトゥクに乗ってきている観光客もいるようなので、有名な場所だったのかもしれません。

 

土産物屋の他にも、簡単な食堂もちらほら。

写真のお父さんと子供がいた食堂で、簡単な食事を済ませます。昨日同様、再び、中心街へ。

今度は、トゥウトゥクを使って、市街地を横断して、西側へ。

↓ワット・マノーロム。壁画が、鮮やかです。

↓ワット・タートルアン。ランサーン王国の最後の国王が眠っているそうです。

↓名前はとにかくわかりませんが、とにかく寺院。

寺院から出てきたら、通りの向こう側に、観光客がぞくぞく入っていくベーカリーカフェがありました。

ガイドブックにも、載っているし、これは、もしかしたら、いいかもーと思って寄ってみました。

「ツナメルト」と書かれたメニューはチーズたっぷり、ツナたっぷり。でもって、サラダとセットで34000キープだったかな。

こんなメニューも食べれちゃう幸せ。乾季ということもあるけど、エアコンの効いたレストランは、ここがラオスで初めてでした。

また町中をぶらぶらして、一旦、ゲストハウスに戻ります。

そして、再び向かったのは、昨日の午前中に行った、プーシー。

ルアンプラバンの町中を見下ろせる、丘の上から、今度は、夕陽を眺めます。

山頂自体は、狭いところですが、やはり沈む夕日見たさに、観光客がぞくぞく登っていきます。

みんな、太陽が沈む方向を眺めています。写真を撮る人、音楽を聴く人、歓談している人達…

そして、すこしずつ、沈んでいく夕陽。

太陽の輪郭が欠け始め、放たれていた光の矢が、完全に山の向こう側に沈み勢いを失うと、自然と、拍手が沸き起こりました。

なんだろうな、ただ太陽が沈むだけなんだけど、ありがとう、という言葉がぴったりと気持ちに当てはまります。

ルアンプラバン最後の夜。夜市で、少しだけ自分の欲しかったものを買って、夕食は屋台で。

毎晩、同じ場所で飯食ったり串焼き食ったりしていたので、写真の男の子とは、顔なじみです。

 

明日は、またバスで長時間の移動。

心残りを感じながら、荷作りをするために、早めに部屋に、戻りました。

ルアンプラバン…いい街でした。いつかまた訪れることが、できるかな。


「はじめてのおつかい in Laosその3 ルアンプラバン大捜索の巻 前編」

2011年02月02日 22時20分27秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、4日目。ルアンプラバンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

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1月18日。朝7時。ラオス・ルアンプラバン。

朝の冷え込みに耐えかねず、目が覚めたルアンプラバンの朝。

昨晩は、部屋の窓には、内側に開く、網戸しかないと思いこんで、網戸のまま、カーテンを引いて寝ていましたが、

朝、窓辺から外の景色を見たら、外側に開く木製の雨戸に気付き、ほっとするのでした。

 

ルアンプラバンは、その街並みと、建物の歴史的価値や文化的価値が認められ、町全体が世界遺産となっています。

廊下のバルコニーからの、こんな眺めからだけでも、雰囲気をつかんで頂けるでしょうか?

この日はガイドブックを参考に、街歩き&お寺巡りです。

まずは、ゲストハウスから、歩いて1分ほどの通りで開催されている、朝市から。

このエリアには市場がないからか、魚から肉・野菜・惣菜・日用品と、さまざまな商品があり、

まだ日の出前の朝6時から、準備が始まっています。

続いて向かったのが、ラオス北部の伝統的な民族の風習や暮らしを展示しているTAECという博物館。

展示自体はこじんまりとしていますが、儀式の様子をVTRで流していたり、興味深い展示も。

この建物の場所から、丘の上にあるお寺を目指すのですが、鳥を狙っているのか、銃を持った、こんな住人たちと遭遇。

銃を目の前にして、ちとビビりました。

緩やかな坂道を登っていき、到着したのは、プーシー。

市内を一望できる山の頂点には、黄金に輝くタートチョムシーという仏塔があります。

ベンチで一休みしていれば、そこに日本人の人影が。

くまぞー「日本人の方ですか?」

観光客「そうですよ。昨日、夜市歩いていませんでした?そのTシャツ…」

くまぞー「『いちゃりばちょーでー』ですね。沖縄の言葉ですよ。」

観光客「昨日、冷えましたよねー」

今回の旅行では、意識して、日本語の書かれたTシャツを何枚か持って行きました。

聞けば、バンコク在住の会社員の方で、連休がもらえたので、ルアンプラバンへ遊びに来たのだとか。

ラオスの感想や、情報交換しながら、途中まで一緒に下ります。

くまぞー「それじゃ、お気をつけて!」

別方向に別れ、向かった、ルアンプラバン国立博物館は…休館日。でも、もう一日滞在するので、明日再チャレンジです。

では、ここで遅めの朝ご飯。昨日の夜から気になっていたベーカリーカフェで、ハンバーガーです。

多くのレストランでWi-Fiがつながるので、パスワード教えてもらって、日本のニュース読みながらの、朝食です。

町中をぶらぶらしながら続いて向かった先は、ワット・シェントーン。1560年建立の由緒あるお寺です。

なんつーかですね、佇まいを味わう感じです。

ガイドブックの地図に、「バンブーブリッジ(ドライシーズンオンリー)」と書いてあったので、渡ってみます。

ナムカーン川の川岸で、しばらく、のんびりと。僧侶の方々の姿は、絵になります。

さらに「ビレッジ→」などと、書いてあったので、ちょっと行ってみることに。

未舗装のデコボコ道路が続き、小学校があったり、民家で子供たちが遊んでいたりと、

戦場カメラマンばりのモチベーションで、写真をとっていていました。

さあ、帰ろうと思ったら、帰り道で、迷ってしまいました。行けども戻れども、見覚えのある場所にたどりつけません。

ガイドブックに地図があればまだいいのですが、そこは、もう地図にない場所。

これは、焦りに焦りましたが、最初に写真に撮った小学校になんとかたどり着いて、バンブーブリッジに無事、生還。

ただ、あとで冷静になって考えると、場所で言えば、空港に近いところなので、

少し大きな通りで、トゥクトゥクを捕まえて乗れば、そんなに焦ることはなかったはずですが、

とにかく、ビビりました。

ふたたび、中心街に戻ってきて、お寺巡りです。こちらは、ワット・セーン。

 

南側のほうへ回って、ワット・ビスンナラートの近くには、日本人に人気のゲストハウスもあるとか。

日本語の看板もちらほら見かけました。サブロー店とは???

ぐるっと町中を回ったら、さすがに疲れました。

一度ゲストハウスに戻ってベッドでぐてっとしていたら、あっという間に、夕暮れ時を迎えてしまってました。

やはり、メコン川に沈む夕日を撮りたくて、今日もスローボート乗り場へ。

ちょっと遅すぎてしまったようです。紫紺に染まった川辺は、いろんなことを忘れてしまいそうです。

この日の夕ご飯は、ピザレストランで、ピザとビール。

画像は、どれもブレブレで、ちょっと載せられないのですが、これも旨かったなあ。

もちろん、ラオス料理の店もあれば、こうした、欧米人向けのお店もあるし、食べ物には困りません。

屋台街では、総菜の屋台や、炭焼きで魚や鶏肉、豚肉を串焼きにして焼いたり、

ワンプレートで盛り放題のビュッフェも。外国人観光客で盛り上がってます。

山岳地帯ということだとか、乾季ということもあるのでしょうが、

町中の屋台でも、あまり虫がブンブン寄ってこないのがうれしいです。

楽しいルアンプラバンの街歩き。やはり到着初日に3泊にしておいてよかった!

ゲストハウスに戻って、そして今日は、雨戸を閉め、防寒対策もちゃんとして、眠りに就くのでした。


「はじめてのおつかい in Laosその2 スローボートでルアンプラバンへ向かうの巻。」

2011年01月29日 21時04分12秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、2日目と3日目。フエサイ~パクベン~ルアンプラバンまでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。

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1月16日。朝6時。ラオス・フエサイ。

前日は、移動で疲れてしまっていたので、夜9時には寝てしまっていたでしょうか。

外はまだ真っ暗。この時期は6時半を過ぎないと、外は明るくならないようです。

今日乗船予定のスローボートは、11時出発予定。

夜明けの町を、ちょっとぐるっとしてみます。

フエサイの市場は、メコン川からちょっと丘を登ったところ。

アップダウンを繰り返して、ようやく到着。

ぐるっと30分ほどしたでしょうか。鳥の串焼きなどをゲットして、ゲストハウスへ戻ります。

オーダーした朝食と船内で食べるサンドイッチを待つ間に、チェックアウトを済ませます。

このゲストハウスでカオ・ソーイが食べられるとことだったのですが、

どうも、カオ・ソーイを持ってきた方向は、道の向かいの食堂。でも、ピリッとしておいしかったです。

時刻はようやく9時。ちょっと早いですが、歩いてスローボート乗り場へ向かいます。

スローボート乗り場には、ちらほらと外国人旅行客の姿が。ボート番号がチケットに書いてあったので、

すぐにわかりましたが、現地の人が案内してくれまし、ボートには看板も。

座席は木製のこともあるのでクッションなどを用意するといいとガイドブックに書いてあったのですが、

今回乗った船は、2回とも、ちゃんとしたバスのシートのような布地が貼られている座席でした。

でも床に固定されていなくて、立ったり座ったりするタイミングでずれてしまうのが、らしいところです。

出発まではまだ1時間半ありましたが、徐々に集まってきます。やはり大きな座布団を買って乗り込んでくるお客さんが多い!

そして、ちらほら日本人っぽい人の姿も。

乗客「すいません、日本人の方ですか…地球の歩き方見せてください!」

聞けば、会社を辞めて、東南アジアを1年かけて旅行しているのだとか。

さてボートは出発の時間ですが一向に出発しません。

なにか確認に時間がかかっているよう。このあたりは語学力のなさが、

どうやら、定員オーバーで、2隻用意したようです。声をかけてくれた日本人の乗客も、

隣の船の乗船予定だったようで、あわてて移って行きました。

船は12時を過ぎてようやく出発。乗り場について約2時間ちょっと。

ゲストハウスをもうちょっとゆっくりでてもよかったかもしれません。

たまに乗員が何か説明しているようですが、ちっともわかりません。

どうやらルアンプラバンへ向かう客は明日は違う船だみたいなことを言っていたり、

フエサイでのゲストハウスの予約をとるだの、そんな内容のことを言っている気がしますが、

とにかく気がするだけです。そんな感じでも、なんとか旅行で来てしまうのですから、

余裕があれば、もっともっと日本を飛び出して行きたい気分です。

川面を渡る風がここちよく、なかなかです。長袖のラガーシャツ一枚で充分です。

外国人観光客は、老若男女いて、ドイツやフランス、あとはオーストラリアとかアメリカからも来ている感じでしょうか。

船内でもビールを買って良く飲んで騒いでいますが、大迷惑かけるような人はいなかったです。

自分と言えば、食っているか、寝ているか、写真撮ってるか、ガイドブック読んでるか…という感じでしょうか。

ボートはところどころで、村に立ち寄り、乗客が降りてゆきます。

村の中には、おそらく、水上からでしかアクセスできない村もあるかもしれません。

次第に日は傾き、出発から約6時間。

フエサイの町に到着です。大きなバックパックを背負っていると、ボートから降りるのも一苦労ですが、

整備されてない急な岸を、足を踏み外さないようにゆっくり登ります。

パクベンは、フエサイとルアンプラバンを結ぶスローボートの中継地点。

スピードボートの場合は、ここで、お昼休憩となるようです。

ちなみに、たぶん、スピードボートだと、こんな感じみたい。防水対策をしないと駄目ですな。

この町自体には、みどころは、特にないようですが、

それぞれの方向からやってきた乗客がこの町で必ず一泊します。

船着き場にはたくさんの人が集まっていて、ゲストハウスへの呼び込みをしています。

ただ、やはり自分は目で見て決めたかったので、ガイドブックで目ぼしいゲストハウスを目指します。

相場と値段と、自分の予算とにらめっこして、いい部屋が見つかった時はうれしいものです。

この日の宿代はタイバーツでお支払いです。

部屋に荷物をおろしてちょっとゆっくりしたら、飯を食いに、ゲストハウスのすぐ前の通りへ。

狭い通りなので、5分も歩いたら、中心街から外れます。

ちょっと良さげな店で食事です。

一人で食べていると、店員さんが相手しに来てくれました。

「何歳なの?」「どのくらい旅行しているの?」「体重は?」だの簡単な会話です。

思えば前回、東南アジアへ来た時は、体が大きな人なんて皆無だったような気がしましたが、

この店員さんもちょっと体重があったり、意外にパラパラといたのが印象的でした。

飯を終わってぶらぶらしていると、朝、ボートで会った日本人旅行客がいるじゃないですか…それも2人で。

どうやら、乗り移ったボートには、もう一人年配の日本人旅行客がいて、今日は一緒のゲストハウスにしたとのこと。

明日また会えることを楽しみに、ゲストハウスに戻りました。

 

翌朝は、6時ごろに起きたでしょうか。

今日のボートの出発は9時…の予定。英語のガイドブックの情報ですが、

「地球の歩き方」にはない情報が載っているので、大変助かりました。

また、出発前に、町のメインストリートを市場まで往復して、朝食です。

 

ゲストハウスに戻って、支度をして出発です。すると例の日本人旅行客が二人で近くで食事してます。

旅行客「もう行くんですかー」

くまぞー「町にいると、よけないものを買ってしまいそうなんで…また後で!」

スローボートには売店もあるのですが、基本的に食事は用意してないので、事前に用意していきます。

ただ、お手洗いの設備があまり良くないので、食べすぎやお腹壊しそうなものはNGです。

メコン川から見る朝の眺め。霧が発生してます。

船着き場へ着くと、外国人客が僕に話しかけてきます。

外国人客「昨日の船で一緒だったんだけど、今日はどの船なのかな?」

みたいなことを言うので、

くまぞー「わからないから、聞いてみます」

…I don't  know. But I will ask them.

ただそれだけなんだけど、まあ、伝わったかどうか別にして、スローボートの中にいるスタッフに、

チケットを見せて「ルアンプラバーン行く?」と聞けば隣の船だという。

乗り込んでしばらくすると、先ほどの外国人客も乗ってきました。

くまぞー「ハロー」

まあ、そんな具合です。昨日は別の船だった先ほどの日本人観光客も今日は同じ船です。

二日目の出発も時間がかかり、結局出発は10時ごろ。あちこちの旅行代理店で発券したチケットについて、

ちゃんと連絡がきてないのか、電話して聞いているようです。カオサンという言葉も聞こえたので、

遠くはタイ・バンコクの安宿街、カオサンにある旅行代理店でチケットを手配した旅行客もいたようです。

さて、そんな二日目のスローボートですが、一日目と違って、非常に寒い!

ドライシーズンということもあって、昼間は28度くらいまで気温が上がりますが、夜は15度くらいまで下がります。

朝は肌寒く、まして、船上は、昨日の心地よさとは、一転していました。

とはいえ、昨日同様、写真撮って。食って。寝て。ガイドブック読んで。

 

昼間過ぎには、寒さも和らいできました。

陽が傾き始めた頃、進行方向右手にパクウー洞窟が見えてきました。

ルアンプラバンから近い、このパクウー洞窟が見えてきたということは、あと1時間半くらいで、そろそろ、ルアンプラバン。

長かった移動も、終わりです。

メコン川の川幅の少し広くなって、川岸の建物も少しにぎやかくなってきました。

広げていたガイドブックや食べ物も、片付けして、下船の準備。

そして、ボートは、エンジンの回転音を急に小さくしました。方向をかえて、岸へ。

17時すぎ。ルアンプラバンへ到着です。

荷物をピックして、日本人観光客に挨拶しよう…と思っていたら、いつのまにかいなくなってしまいました。

ちょっとした心残りを抱えて、さあ、今日も宿探しです。

お目当てだった一軒目は、満室。近くのゲストハウスへ行ったところ、

ちょっと高かったのですが、フリーでWi-Hiが繋がることと、窓側で雰囲気の良い部屋だったので、ここで2泊することに…。

いや、なんか、雰囲気が良いから、2泊だけじゃもったいないかな。

部屋のベッドで、仰向けになりながら、久しぶりに開いたi-Phoneのアプリやウェブを見ながら、決めました。

くまぞー「すいません、3泊したいです。木曜日に出ます!」

移動ばかりでちょっと疲れていたのでしょう。そう決めたら、町へ出て、夕ご飯です。

通りに出たら、通りにびっしりとテントが張られていました。夜市…ナイトマーケットです。

多くの観光客が、買い物を楽しんでいるようです。

そして、ナイトマーケットの通り沿いには、インド料理やスイス料理に、ラオス料理に日本料理、ベーカリーカフェ。

旅行代理店の前には、ルアンプラバンから各方面へ向けてツアーバスや飛行機のチケットの案内、

そしてトレッキングやパクウー洞窟へのツアーも。インターネットカフェも何件かあって、流行っているようです。

賑わう町を眺めながら、世界はひとつじゃないけど、どこかでつながっている…そんな思いを抱きながら、

ゲストハウスに戻るのでした。


「はじめてのおつかい in Laosその1 東京-フエサイ一足飛びの巻。」

2011年01月27日 23時23分37秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。

今回は、1日目、東京~バンコク~チェンライ~チェンコーン~フエサイまでのお話。

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1月14日。東京。

出発当日は、仕事を終えて、自宅で少し休憩。一週間前から準備したバックパックに、最後の荷物を積み込んで、羽田に向いました。

出発は、日付が変わって1月15日午前0時20分。タイ国際航空バンコク行きTG661。

久しぶりの東南アジアで多少不安だった気持ちも、

新たに誕生した国際線ターミナルに到着したとたん、空港独特の雰囲気に、

一気にテンションが上がって、気持ちは、ラオスへ。

空港内の店舗は閉ってしまっているところも多かったですが、

これからホノルルやシンガポール、パリへ向かうフライトが続き、出国エリアも免税店やレストランを中心に賑わっています。

さて、機内ですが、深夜発のフライトということで、機内は、最初からずっとライトが暗め。

頼めば出してもらえるのでしょうが、アルコールのサービスもなく、おにぎりやパンの夜食のサービスがありました。

バンコクまでは、約7時間。少しでも寝ておこうと、うとうとしながらも、隣の乗客に遠慮して、もじもじ。

でも、ギャレーから、パンの香りがするじゃないですか~。

バンコク到着前1時間ちょっと前から、朝食のサービス。おいしいクロワッサンを頂けました。

現地時間午前5時20分バンコク到着。タイに入国して、荷物をピック。ここで100ドルをバーツに両替して、出発ロビーへ。

ここまでは順調だったのですが、エアアジア航空のチェックインカウンターは大混雑。

チェックイン締め切り時間も迫ってますが、これでは仕方ありません。

グランドスタッフの持つフリップに自分の搭乗便があったので、すぐに指示を受けて、チェックインを済ませ、搭乗口へ向かいます。

マレーシアをベースに、ローコストキャリアとして、アジアで存在感を示し、羽田就航も果たしたエアアジアですが、

座席は路線によってなのか、指定制になっていて、しかも意外に広く、これなら、満足。

時間帯によってはディスカウントのチケットもあったので、安値なら3000円ちょっとくらいで、

バンコクからチャンライへ行ける計算です。自分は6000円くらいだったでしょうか。

チェンライは、タイ北部の県都。6年前の2005年にも、僕は、この街に行きました。

この時出来なかったのは、タイからミャンマーへ、陸上での国境越え。

国境越えの夢を叶えるために…というか、タイから国際線でラオスへはちょっと高かったのもあって、

今回は陸路でラオスへ向かうため、タイ側の国境越えポイントのチェンコーンへ向かいます。

空港からタクシーでバスターミナルへ。6年前にもやってきた時の雰囲気を徐々に思い出します。

 

バスターミナルにいた係員に声をかけられ、チェンコーンへ行きたいと言ったら、チェンコーンへは、このバスだと。

外国人の利用が多いから、俺をみて、すぐピンと来たのでしょう。

どうやらチケットはバスの中で買うようです。65バーツだったかな。

出発まで40分ほどあったので、飲み物と食べ物を調達です。

「NISSAN」のロゴが手書き風のローカルバスに揺られて約2時間。

車窓に流れて行く田舎町の風景。

遠くに来たな…という思いが、だんだん満ちて行きます。

チェンコーンへ着くと、あちこちからトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーのドライバーから声を掛けられますが、

そこは軽く無視して、まずは付近をぐるっと。そして位置関係をガイドブックで確認です。

そしておもむろに歩き出しました。途中食事しながら、歩いて20分ほどの渡し船乗り場へ。

そう、もうここは、タイとラオスの国境を流れるメコン川なのです。

タイもラオスも、飼い犬なのか、野良犬なのか、わかりませんが、町中に、ワンちゃんが沢山いました。

看板を右折すると、坂道の途中にあったパスポートコントロールの事務所は、本当に、田舎の小さな駅の窓口のよう。

ここでちゃんと出国手続きをしないと、いけません。

タイ出国側のパスポートコントロールはこんな感じ。

ちなみに、こちらは、ラオス側から到着した外国人のためのパスポートコントロール。

 

ボート乗り場へ行くと、係員にちょっとせかされて、チケットを買って、乗船。

せっかくならここでちょっとのんびりしたかったのですが、ここは語学力のなさが、ネックです。

大体2分ぐらいでしょうか。まるで矢切の渡し的な舟で、国境越えです。

ラオス側の岸が近づいてきます。ワクワク。

そして、すぐに、ラオス側の船着き場に到着。ここでも田舎駅のようなパスポートコントロールで、入国をちゃんとしないと、

密入国になってしまいます。さすがにここでは一息。時間にして午後1時半すぎでしょうか。

ここが今日の目的地、フエサイです。

朝から一気に東京からフエサイまでやってきた達成感を、このイミグレーションで一息つきながらようやく味わいました。

一息ついたら、今日の宿探し。その前に、100ドルをラオスキープに両替します。

お目当てのゲストハウスを見つけ、一泊したい旨を伝え、値段がいくらの部屋が空いているのかを交渉するのですが、

ここでも慣れない英語と、何といってもラオスキープの桁の多さ、(100円≠10200キープ)、

そしてタイバーツもドルも使える経済状況に、難儀。

今度、もうちょっとスマートに交渉したかったものです。

ゲストハウスのおばちゃんは「若い日本人は上手に英語を話すわよー」と言っていた気がしますが、

「僕は若くないから…」と勘弁してもらうことにしました。

 

シャワーを浴びて、ひと眠りしたら、夕方です。

ここでチェックしておきたかったのが、メコン川流域の町を結ぶ、スローボートのチケット売り場。

町から10分ほど歩いたちょっとはずれた場所に、スローボート乗り場があります。

町中のゲストハウスや旅行代理店でも買えますが、値段が高かったり、トゥクトゥク送迎付きだけど、

待たないといけなかったりするので、チケット売り場でルアンプラバンまでのチケットを買って、明日の乗船に備えます。

陽が傾きはじめた頃のメコン川。明日乗る船はどれだろう。

そして夕食。ガイドブックに書いてあった、メコン川岸にあるレストランを目指します。

ラオスと言えば、ビアラーオ。

実はビールってそんなに得意じゃないのですが、ラオスに来たら、ほぼ毎日ビアラーオを飲んで、

夕飯食ってました。

沈む夕日。渡る小舟。

僕が見たかった、その風景。

そんな状況を、この日は、ソフトバンクの海外パケット定額を利用して、iPhoneを接続。ツイッターで、つぶやいていました。

ラオス側ですが、タイの電波を拾ってくれました。

あと一品フライドライスを頼んで、今日は、充分。

ゲストハウスに戻ったら、深夜からの移動で、ぐったり。

薬を飲むのも忘れて、眠りに就いたのでした。


「はじめてのおつかい in Laos」プロローグ

2011年01月26日 00時40分58秒 | 旅行

1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。

ラオスって、どこ?という方もいらっしゃるかと思います。

インドシナ半島にあり、北西方向と南東方向に細長い領土で、

北側にベトナム、南東にカンボジア、南側にタイ、北西にミャンマーと中国に接した内陸国です。

ミャンマー、タイとの国境のほとんどに、メコン川が流れ、北部とベトナムとの国境が山岳地帯。

平地は南部の一部と首都ビエンチャン周辺のみで、ほとんどは森林。

第二次世界大戦後、植民地化していたフランス側について独立を目指す右派(王政側)と、

徹底抗戦して独立を目指す左派(共産勢力)の、2つの国際的に認められた政府による内戦は、

1975年になってようやく終結し、社会主義国として成立した、とても若い国です。

ラーオ族を主とし、多くの民族を抱えていて、国民の多くが農業に従事。

自給自足に加えて、市場での売買を通して現金収入を得ているようです。

多くの寺院とフランス植民地時代の建物がミックスされた街並みで、1995年に町全体が世界遺産として登録されたルアンプラバンや、

カンボジア、アンコール文明の先駆けとなったワットプーに、世界中から観光客が集まっています。

 

…など、いろいろごちゃごちゃ書きましたが、

「ラオスに、なにしに行ったの?」「ラオスにはなにがあるの?」

と聞かれたら、何をしに行ったんだろう。何してたんだろう?

はっきり答えられませんが、ブログを通じてちょっとずつ整理していきたいと思います。

もし興味がある方は、しばらくはお付き合いください。

画像は、ルアンプラバンのメコン川に沈む夕日。浮かんでいるのは、ボート。

このボートに乗って2日間かかって、この街にやってきました。旅行3日目の事。この旅の初めての到着地です。


またまた不束者が旅に出ることを、お許しください。

2011年01月14日 00時57分23秒 | 旅行

今日はちょっと旅行の話題から。
子供の頃から、自分は、遠くへ行くのが大好きでした。

もちろん自分で働いた金ではないので、貯金を貯めたとかどうだとか関係なく、
所詮、親に無理を言っていただけかもしれませんが、
電車に乗って、意味なく、隣町へ、市へと、一人で行って少しブラブラして戻ってきたり。
科学万博も楽しかったし、ブルートレインに乗って九州へゼロ泊3日で連れていってもらったりと。

知らないところへ行くということに対して、ドキドキしたりワクワクしたのでしょう。

自分が働き始めてからは、お金も暇もなく、
旅行への出費は優先順位が低くなり、
とてもじゃないけど、そんな贅沢はできなかったのですが、
とある年の真夏に、仕事を忘れたくて、とにかく遠くへ行きたくて行ってみた、
北海道東部、中標津の荒涼とした気候と風景は、
今までの生活の中では、体験したことがない不思議な空間で、
再び、旅行したい気持ちを駆り立てるきっかけになりました。

それ以来、自分の中では、旅行が、大きな位置を占めるようになっていきました。
連休があって、お金が入ってくる予定があれば、どこか遠くへ。
日常を離れ、刺激をうけることはもちろん、
行く前に、あれこれ旅程を組み立てて、想いを馳せるだけでも、
僕には充分な満足です。

6年前にベトナム、カンボジア、5年前に、タイへ行き、
「タイからトラックに乗せられて来て、死ぬかと思いました」と言って
貧乏旅行をする日本人学生と会ったり、
ツアーバス乗って、これからカンボジアへ行くという外国人女性など、
東南アジア各地を縦横に旅行をする人たちを見かけました。
そんな自由なスタイルな旅にちょっと憧れて、月日は6年が過ぎました。
次に東南アジアに行くなら、絶対にあそこにしようと決めていた場所があります。

今の職場なら、ちょっとまとまった休みがもらそうな予感。
じゃ、行っちゃおうか…歳とってからじゃ、ちょっと無理だからさ。
英語もろくにしゃべれない不束者が、再び、旅に出ることをお許しください。

出発は、明日、土曜日。仕事を終えた後の深夜。帰国は来週日曜日の夜。
9日間しかないので、自由なスタイルな旅をしたいと言うわりには、
頭の中では、がちがちに旅程は決めていますが、
行く日と帰る日の飛行機以外は、何も予約をしていません。

旅先で、iPhoneがWi-Fiでネットと繋がる場所があったら、
ツイッターで、なんか、つぶやいてますので、お付き合いください。
mixiやブログとも連携させますので、
お暇だったらのぞいてやってください。

そんなわけで、あと一日、仕事頑張るぞ。


八重山の離島へいらっしゃい。後編「鳩間島が僕を呼んでいる。」

2010年08月07日 20時20分09秒 | 旅行
そんなわけで、7月中旬に八重山諸島を旅行してきました。
前回からちょっと時間が経ってしまったのですが、
訪れた島の写真と出来事を、少しだけブログ紹介させてください。

5泊6日のうち、後半の2泊は、鳩間島に泊ってきました。
鳩間でのスケジュールは、こんな感じ。

4日目 波照間から石垣島に戻り乗り継ぎ15分で、
     離島ターミナルから11時発の高速船に乗るが、故障で引き返す。鳩間島には12時過ぎ到着。
     民宿に到着後、昼飯を食べて徒歩で島一周。夕方からシュノーケル。夕日を民宿の宿泊客と眺めて、夕食。
     ゆんたくで、就寝12時。

5日目 朝7時すぎ起床。朝飯8時。9時半出発で、バラス島半日シュノーケルツアー。
     12時に戻ってきて昼飯。午後は島の2か所でシュノーケルのはしご。
     夕日を眺めて、日没後夕食。夜はスタッフさんやオーナーさんで三線(さんしん)などのライブ。
     就寝12時半。

6日目 朝7時半起床。朝飯8時。島の中の写真を撮る。同じ高速船で島を出るお客さんと一緒にマンゴーフラッペを食べて、
     民宿に戻り、港に向かう。
     11時45分出発。西表島経由で、石垣島。石垣牛のランチ焼肉を食べ、お土産物を買って、空港へ。
     石垣島15時15分発。沖縄で乗り継いで、羽田着夜19時5分。




鳩間島は、西表島の北に浮かぶ、人口50人足らずの島。
島一周を歩いても1時間で回れる小さな島です。
以前は、島に向かう定期船が週に何便かしかなく、行くのにはとても不便だったようですが、
日本テレビのドラマで注目を浴びてからは、観光客が増えて、毎日、高速船が就航するようになったとか。
鳩間島へは、高速船で約40分。西表島経由で運転されるのですが、
今回は、石垣島を出て、15分ほどでしょうか。突然船が海上で止まってしまい、
エンジントラブルで石垣島に引き返してしまいました。
海が荒れてなかったのが幸いで、波が高かったりしたら、ちょっと生きた気がしないかもしれません。

↓停まったのは、ピンの刺さっているこんな場所。海上で3Gの電波は通じていたのでこんなこともできました。



以前は、一泊三食が基本だった鳩間島の民宿も、
観光客が増えてからは、島には民宿や食堂が増えています。


↓くしけぇー家の併設の食堂で、昼飯。ナーベラーチャンプルー。 へちまの炒め物ですね。







でもですね、基本、50人足らずの島です。
島の売店は1店のみ。医薬品はもちろん、酒やたばこの販売はなく、土産物店もありません。
また海水浴場であれば、日よけの屋根やシャワーなどがあったりするのですが、
この島にはまったくありません。
道路だって、集落の一部が舗装されているだけ。

八重山の島は、観光でありがちな見どころや、施設など「何もない」ことを、あえて競っている感がありますが、
そういう意味で、営業している民宿が1軒もない新城島(パナリ)を除けば、
この島が、一番、何にもないかもしれません。

そんな島で今回、泊ったのは、「島茶屋&宿屋あだなし」。まだ出来て4年目の素泊まりができる民宿です。
シャワーなど水回りもきれいで、お部屋も質素ですが、きれい!
クーラーは別料金ですが、コインクーラーではなく、時間切れで目覚めることもなく、夜も安心して泊れます。

↓あだなし。すごくいいロケーションです。



素泊まりとはいえ、お腹が空いたら、ご飯を食べなくてはなりませんが、
島内にある飯屋を利用してもいいし、もちろん、あだなしさんも利用できます。
3食付きの民宿と違い、食べたい時間も、メニューも、ある程度の範囲で選べます。
また、テラスになっている食堂の脇には、ドラムセットやDJブース的なものも。
本格的なライブも開かれるみたいです。
僕が泊った時も、ヘルパーの女の子や宿のオーナーさんなど、
3人でBIGINの「島人ぬ宝」や鳩間島の唄(ごめんなさい歌の名前忘れてしまいました)
を歌ってくれました。

鳩間島は、ゴールデンウィークに「鳩間島音楽祭」という、地元ゆかりのアーティストによるお祭りがあり、
他の八重山の島と同様に、芸能と土地が強く結びついて豊かな文化が根付いているようです。

同じ民宿で泊った人達と、夕日を観に行ったり、マンゴーフラッペ食べに行ったり。
夜は遅くまでゆんたくして、いろんな話して。
自分が泊ると、泊る民宿は必ず男祭りになるという男の子。
二週間前にあった「うたの日コンサート」で、もしかして会っていたかもしれない、ご夫婦と盛り上がったり。
たまたま同じ夜に泊っただけだけど、次の日には、また誰かが旅立ち、
何処からか旅人がやってきて、違う話題で盛り上がります。
楽しい人達が集まる民宿であったことには、間違いありません。

↓夕食。この日のあだなし定食は、まぐろゆっけ丼とのこぎり鯛の塩焼きでした。おいちー。



↓朝食。ほっとする量ですが、充分満たされます。



↓あだなしのスタッフさんによるライブ。キーボードも用意していたのですが…




とにかく島にはなにもありません。
あるのは、島の海岸沿いのでこぼこ道路に、浜。
島の真ん中のちょっと小高い丘と灯台。
あとは民宿と飯。
ただただ、シュノーケル三昧でした。

↓島を一周する道路は、とにかくこんな感じ。暑いので、飲み物を持って出ないと、タイヘンなことに。






↓船原浜。ここに来るまで怪しい分かれ道がいくつかあって、不安になるけど、己をただ信じるのみです。



↓千年ガジュマル。とても立派です。日差しをよけるところがないなかで、こういう場所は貴重です。



↓立原(たちばる)の浜。リーフが遠くまで続いていて、珊瑚もきれいな場所です。
リーフエッジのあたりに西表からのグラスボートも来てました。



↓屋良(やら)の浜。西表島が向こうに見えます。一番泳ぎやすかったかな。


↓夫婦岩。昔、このあたりに仲のいい夫婦がいたということらしい。ガジュマルが岩を覆ってます。




↓アダンの木。パイナップルに似た実は、甘い香りがするそうです。



↓道を歩いていたら、地元の方に、トラックの荷台に乗せてもらいました。鉄板の上は超熱いですがうれしい経験です。



↓島の一番高い場所にある灯台。


↓夕日。屋良(やら)の浜より。この日の夕焼け沈んだ後の余韻も、きれいでした。



↓鳩間港の浮き桟橋。どこかに出かける家族のようです。


↓せっかく三脚を持ってきたならアホな恰好して写真撮らなくちゃと宿泊者さんがいうので、記念撮影。
でもピント合わせるのがちょっと面倒です。



↓こちらは、マンゴーフラッペを食べたゆみさんち。の入り口。


↓甘いものを久しぶりに食べて、至福の時。氷を作るのに大変ですぐ売り切れになるようです。


また、鳩間島周辺には、シュノーケルポイントもたくさんあり、
鳩間島からは、西表島との間にある、珊瑚でできた島へのツアーや、
西表島にある船浮周辺のシュノーケルポイントのツアーが出ていて、
自分もバラス島半日ツアーに参加してきました。
3度目の八重山で、はじめてクマノミをみつけることができました。
海ヘビもいてビックリ!いろんなツアーのお客さんがいたので大丈夫でしたが、
一人で覗いていたら、ビビりまくったでしょう。



「きれいなポイントに連れて行きますよ。まかせてください!」と、
スタッフの方が言うとおり、たしかにきれい。
午後に船浮周辺まで行った同じ民宿の宿泊者さんたちは、船浮周辺はバラス島よりも
さらにきれいだと、満足げでした。
3年前ごろ、台風による被害や、オニヒトデの増殖などにより、
白化現象で珊瑚は随分と破壊されてしまったようですが、
随分と回復してきているようです。

↓船から眺める鳩間島。島の小高い所に灯台が見えるでしょうか?



↓ 鳩間と西表の間にあるバラス島。この日もいろんな業者さんのツアーでお客さんが集まってます。




八重山が好きな人達は、石垣島、西表島、竹富島、小浜島、黒島、波照間島、新城島、鳩間島、与那国島と、
いくつかある島の中で、自分の好きな島を見つけては、リピーターになっていきます。
島自体の魅力もあるだろうし、初めて泊った時の民宿の雰囲気だとか印象だとか、
必然と、偶然と、いろいろな原因があるかもしれません。
そういう意味で、鳩間島は、波照間島の次に、好きな島になるかも。

↓港へ向かう坂道。名残惜しくてたまりません。



↓さよなら鳩間。楽しかった3日間です。



↓機上より。夕暮れの富士山と、手前に大島。




何度もまだ行ったことのない島を制覇するまで、何年もかかりそうですが
次の八重山でも、そんないい旅ができるのを楽しみに…
いや、そんな旅ができるから、次に八重山に行ける日を、今から心待ちにしているのでしょう。

八重山の離島へいらっしゃい。前編「波照間島が僕を呼んでいる。」

2010年07月28日 00時53分58秒 | 旅行

そんなわけで、7月中旬に八重山諸島を旅行してきました。
訪れた島の話を、少しだけブログでお話させてください。

5泊6日のうち、最初の3泊は、波照間島に泊ってきました。
波照間でのスケジュールは、こんな感じ。

1日目 朝6時半 飛行機で羽田発、午前9時半頃石垣着。弁当と飲み物を確保して高速船に乗って波照間島へ、午後1時着。
     民宿到着してから原付を借りる。夕方まで終日海に浮かぶ。夕方7時から飯~星空を見たりしながら、就寝11時半。

2日目 朝6時起床。日の出を見て、8時に朝飯。朝出発の船で宿泊客を見送って、午前中は海に浮かぶ。
     午後、民宿のお客さんと一緒に地元のお宅に刺身をごちそうになり、夕方4時ごろから、また海でシュノーケル。
     夕方7時から飯~夜は星空を眺めにニシ浜まで出かけ、就寝12時。

3日目 朝5時半起床。バイクで島一周して、8時に朝飯。朝出発の船で宿泊客を見送って、午前中は島の中をバイクでめぐる。
     昼ご飯を食堂で食べて、午後も、バイクで島の中を見どころめぐり&おみやげ買い。夕方6時にバイクを返して、荷造り。
     夕方7時から飯~この日も集落のはずれまで星空を眺めに出かけて、就寝午前1時。
     
4日目 朝5時半起床。港で日の出を見て、朝8時食事。残りの荷造りをして、朝9時40分波照間発の高速船で石垣島へ。

いつも、波照間にやってくるときは、朝6時台に羽田を出る石垣行きの直行便に乗ります。
朝4時台には自宅を出ないと空港に間に合わないのと、経由便や午後便に比べ少しチケットが高いのですが、
昼過ぎには波照間に着いて、午後が使えるという利点には勝てません。
JTAの機内では、久しぶりに酸素マスクや救命胴衣の説明を実演で見ました。今、大体がスクリーンにビデオ映して終わっちゃうじゃないですかー。
石垣空港でも、タラップを降りるのも久しぶり!でも、あと何年後に新空港ができれば、立派なボーディングブリッジができるでしょう。




緯度なら、きっと、台北より南。日差しも強いので、日焼け止めは必須。
僕も初めて行った時は、焼きすぎて痛くなって失敗しましたが、
バカ殿並みにたくさん塗っても、汗で流れて、結局焼けます。それでちょうどよいくらいなのです。

今回の主な目的は、シュノーケル。前回の八重山では全然海に入ってなかったのですが、
今回は心行くまで、海にプカプカ浮かんで、さんごや魚たちを眺めてきました。
シュノーケル自体は2回目。2年前に民宿からのツアーを利用しただけなので、ほぼ素人同然です。

波照間は海の透明度が高いらしく、今回、それを楽しみにやってきたお客さんも何人か民宿で会いました。
ただ、そのお客さんいわく、ちょっと期待はずれだったらしいのですが、
僕にとっては、とてもきれいな海には違いありません。

ちょうど干満の差が激しい時期だったようで、
潮が満ちていた午前は、泳いで海岸から離れのは楽なのですが、
ちょうど干潮に向けて潮が引きはじめていて戻ってくるのが大変!
足がつりそうです。

↓干潮時はこんな感じ。



↓アングルが違って比較難しいかもしれませんが、潮が満ちているとこんな感じ。


潮が引いている午後では、午後で水深が深いところまで行くのが大変!
リーフ内の浅いところは、温水プール状態で風呂に入っているかのよう。
深いところまで歩いて行くのですが、水面ぎりぎりのところに珊瑚があったりするので、泳ぐのも一苦労です。
でもいずれにせよ、きれいな珊瑚と魚を見ることができて、楽しい毎日でした。

八重山には名物の民宿がいくつかあり、今回泊った「民宿たましろ」もその一つ。
ちょっと古すぎる建物に窮屈な水回りなど、女性客にはお勧めできないという人もいるのですが、
ここの名物は、そのご飯の量ですが、その量の多さに、宿泊者のほとんどが食べきれません。
また、夜のゆんたくは、宿泊者同士でいろんな話をして旅の情報を入手したり、
気が合えばアドレス交換などして、旅行から帰ってからも、交流したりしたり、
またノンケさんの中には、ここで知り合って結婚して、二人でまた旅行にやってくる人もいます。
そんな民宿の様子が、関西のテレビ局のバラエティ番組で紹介されたことも。
http://asahi.co.jp/shinsuke/backnumber/20100215.html


↓ある日の夕飯。そうめんが以外にたくさんあります。



↓朝食も、朝からこんな感じ。



↓島の酒「泡波」。泡盛なら、1泊2食の中でサービスで出てきます。



何よりも、僕がこの宿に魅かれるのは、
もしかしたら、あと10年したら、こんな民宿の雰囲気が、
もう味わえない時代がやってくるのでは…という想いもあります。

↓軒先を見上げてみる。今回泊った別館のお宅。縁側で寝るのも気持ちいい。



島の中にはお土産物店や食事ができるや居酒屋など、店も少しずつ増えてきましたが、
基本は、各集落に一つずつある売店が中心。昼間の暑い時間帯は、その売店も食堂なんかも閉まってしまうところが多いです。
ですので、「民宿たましろ」では朝ご飯に昼飯用におにぎりを作って持っていくことができます。
ただ、バッグなんかに入れておくと、カラスに持って行かれます。僕は民宿の畳の上のバッグの中からやられてしまいました。

↓大好きなかき氷屋「みんぴか」。軽食も出してくれるが、昼間は店もお休み。



↓「あやふふぁみ」のソーキ定食。軟骨が半透明なゼラチン質になるくらいまで煮込まれていておいちー。






島内の観光名所と言えば、先ほど写真で紹介したニシ浜と、日本最南端の碑、そして星空観察センターぐらいでしょうか。
海水浴場は、ニシ浜以外は、遊泳禁止になっています。
最南端の碑は、高那崎と呼ばれる断崖絶壁が続く海岸の上にある碑で、
記念撮影のスポットになっています。
同じエリアにある星空観察センターはプラネタリウムと天体望遠鏡があり、
集落からも離れていて南十字星などの観測には最適ですが、
きれいな星なら、ちょっと空を見上げるだけで、流れ星がいくつも流れていきます。
ただ、昼間も開館しており、避暑地として隠れた人気だとか。
http://www.town.taketomi.okinawa.jp/island/hateruma/starlight1.htm

↓高那崎。ぽつんと建っているのが星空観察センター。



↓波がバザーン。船越英一郎は何処だ?


他には、草の中に埋もれてしまってあるかわからないかよくわからない史跡がいくつかあるだけ。
そんな史跡をめざして、バイクや自転車で、舗装された道を思うままに走ったり、
でこぼこ道を走っては、人のいない浜でやどかりを見たり、飼いならされている山羊や牛に会ったり、
風力発電や灯台まで行ったり、そんな風にして自分で楽しみを見つけて過ごしたいように過ごすのが、
波照間での遊び方だと思ってます。

↓島で一番好きな景色。僕は、初めてこの景色を見た時、絶叫していたような気がします。



↓集落内。朝の散歩でぱちりと。



↓道端の花。



↓ハイビスカスってやつですかねー。花の名前を知らない男。



↓史跡その1。コート盛と言って、火の見やぐら兼、不審船の見張り所のような所。



↓コート盛の上より。海の向こうに見えるのが、西表島です。



↓ペムチ浜にいるやどかり。踏んでしまいそうなくらい無防備。



↓新しくできた電力発電の風車。台風の時は、倒れるように出来ているスグレモノです。



↓史跡。シムスケーと呼ばれる古井戸。昔は集落があったのかな。でもほんとになにもありません。


↓バイクを借りたレンタルショップ。このレンタル屋の掲示板に僕の写真がお客さんとして載ってます。


また、今回、ちょっとビックリした体験は、地元の方とお知り合いの民宿のお客さんと一緒に、
お宅にお邪魔して、朝獲れたかわはぎのお刺身をいただいたことでした。
どうやら、島をよく訪れる人達の間では、人気のおじいらしく、
宿帳よろしく訪れたお客さんが書きこむノートがあり、僕もお礼のメッセージを書き込んできました。

魚は、朝、おじいが網にかけたもので、自分もかわはぎという魚を実際に見るのも初めて。
かまれる危険もあるので網から取り出すときには、先に目をつぶしてから取り出すのだとか。
硬い皮に包まれていて、おじいはペンチとなたでさばいていくのですが、
作業中にけがをしてしまいました。

↓こんな魚。ビックリ。



↓さばいてます。



↓解体ショーの途中。ギョッ。



大きな魚だったので、食べきれないんじゃないかというくらいの量が
2皿も。自分が泊っている民宿以外からも集まった方も含め計5人とおじいで、ごちそうです。
みんなは自転車でやってきていたので、泡盛を昼間から飲んでましたが、自分はお茶で、乾杯。
魚の身は締まっていて淡白な味わい。おいしくみんなでいただきました。

↓こんな感じの食卓。


他の常連の知り合いの方が送ったという餃子や、最後には完熟のパイナップルもいただいて、
大満足の昼下がり。ただ飯を食わしていただいて申し訳なかったので、
帰ってからお礼状と、俺もおじいに何か送りますと、約束して、民宿に戻りました。

こんな風に、何度やってきても新しい体験とがありし、
いつかは南十字星がちゃんと見える時期にやってこようと、次への宿題も。

↓防波堤より、朝日を望む。夕日がきれいに沈むのを一度見てみたい。


いつも、離島にいると、いつもなら、色恋はすっかり忘れてしまうのですが、
今回、初めて島内で組合の方っぽい男二人組を見かけました。気になってiPhoneアプリを立ち上げると、
どうやらそれっぽいプロフの2人がいて、メッセージを出してみたり、
また中国語圏のかわいいガチムチが200km圏内に表示されたりと、
iPhoneの実力(?)を改めて実感しました。