素朴な好奇心を、素直に表現しているかどうか。これが私の自由度を測る一つの目安になっています。どうして?どうなっているの?なぜ?、、、こころに浮かんだ疑問をさらっと口に出すことができていれば、それは自由度~良好のしるしです。
私の場合、まず無意識に「こんなこと聞いたらわるいかな」という思考が働いて、「好奇心で聞くのはデリカシーがなく、たしなみがない、、」など、質問する行為にネガティブなイメージが強く、前提には「好奇心はよくない」という強力な自己概念がありました。
好奇心、それ自体はよくもわるくもないはずですが、好奇心に迷惑している空気を身近な大人から感じ取り吸収してきた結果、子供の頃から素直な好奇心、疑問に思うことを抑制、抑圧する傾向があったと、そのように自己分析しています。好奇心の封印ほど、こころの自由を阻害するものはないですね。
それはどうして?どんなふうにやるの?自然に素朴な疑問が口から出て、相手の応答も自然で心地よく対話が進行していると、ああ好い感じ・わたしの自由度よし、、、と、思うわけです。
自由度が高まると以前は苦手だった素朴な興味と好奇心で、なんでも聞いてくるような人に対するアレルギーもなくなり、他者受容の容量もぐっと増えた気がします。(意識して知覚する)
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私の場合、まず無意識に「こんなこと聞いたらわるいかな」という思考が働いて、「好奇心で聞くのはデリカシーがなく、たしなみがない、、」など、質問する行為にネガティブなイメージが強く、前提には「好奇心はよくない」という強力な自己概念がありました。
好奇心、それ自体はよくもわるくもないはずですが、好奇心に迷惑している空気を身近な大人から感じ取り吸収してきた結果、子供の頃から素直な好奇心、疑問に思うことを抑制、抑圧する傾向があったと、そのように自己分析しています。好奇心の封印ほど、こころの自由を阻害するものはないですね。
それはどうして?どんなふうにやるの?自然に素朴な疑問が口から出て、相手の応答も自然で心地よく対話が進行していると、ああ好い感じ・わたしの自由度よし、、、と、思うわけです。
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