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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

この頃、好きなことば

2025年05月21日 | 

4月半ば、予想していなかったことが起きて少し混乱しました。面倒なことになった、、、というのが正直な感想だったのですが、時間の経過と共に方向が定まり今は着地点が見えつつある状況です。少し前のメモ書きに「この頃、運命を受け入れる、つぶやくとほっとする・・・運命に逆らわない、、そうそう・・・」とありまして。今もつぶやくことはしませんが、人の運命について時々思いを巡らします。

「面倒なこと=ストレス曲線」の持つ意味、価値を大いに認めストレスを運んでくる運命というものに、このごろ愛さえ感じ始めているのは、学びの一つの成果といってよいかもしれません。

(2025/5/16)

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生き甲斐の心理学:アイデンティティの統合、友好的な感情、現実吟味力

五月の朝

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時にかなって

2025年05月18日 | 
昨年の秋、直接のきっかけは覚えがないのですが、近代史をやらなくちゃ!との思いが突如沸き起こり、あれこれ視聴し始めます。教科書には決して載らない全く知らなかった事実を知ることになり、そうだったのかぁ、、、これまで抱いていた出来事や人物のイメージがひっくり返されたり、やはりそういうことだったのねと認識を補強する事実に出合うこともあって、よくもわるくも軽い興奮状態にありました。
 
これ以上は無理、、、年末が近づいてコーフンを鎮静化させるべく気分転換をしたくて(パールハーバーの日に一区切り…)図書館の本棚を探しているとき見つけたのが「クララとお日さま」でした。それからカズオイシグロの長編を何冊か読んで、ひと段落つける意味で「日の名残り」の映画をDVDで、はじめてVHSで観た日から30年近く経ち久しぶりに視聴しました。
 
このような流れがあって4月、いよいよ近代史を再開しますが、思いがけず近代史の渦中にあった人々が主人公のイシグロ作品を間に挟むことになった流れも必然だったのかなと。これから読んでみたい本、文学がちらちら頭に浮かんでいます。
(2025/4/13)
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生き甲斐の心理学:アイデンティティの統合、感情にはすべて意味がある、何故生きるか
会報とNPO設立20周年の記念冊子が届きました。
2025/4/14朝の風景
 
 
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とくべつな、存在

2025年02月15日 | 
返却するまで間があるので読み終えたばかりの本をまた読み始めています。初めての時より一層間をとって、思い巡らしながら、ゆるゆると読んでいます。本を閉じているときでも、その本のことを考えると小さなドキドキが心の深いところで通奏しているみたいな、ちょっと落ち着かない気持ちになります。たとえるなら自分にとって特別な存在になりそうな、そのような人に会えたときの知覚に似ているかもしれません。

なにしろ物語は室内に射し込む陽光が床に"光模様”をつくっている、そのような場面から始まるのですから、直前に読み終えた短編集を窓辺で開いていたときに、射し込む木洩れ日が開いたページに枝葉をキラキラと輝かせて、あまりの美しさにハッと息をのむという経験の直後でもあり、読み始めるや、この本が自分にとってとても特別な他にはない特別な一冊になると感じたのはごく自然なことでした。
(2025/2/9)
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生き甲斐の心理学:感情の共感、幸福感、統御感

2025//2/11 だいぶ融けてきました。
図書館に返却した日の午後、届きました。
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タイミングを待ちながら

2025年02月09日 | 
少しドキドキしています。久しぶりにキーボードに向かっていることと、このところ本の注文サイトを見ては"まだ大丈夫、、、でも早くした方が良い気もする、、、”このようなことを続けていて今もサイトを確認したところですが、最終的にポチっとするまでドキドキは止みそうにありません。

暮れから読もうと決めていた本が、図書館前の道路工事の関係で閉館していて借りることができませんでした。それで遠くの図書館まで足を延ばして(閉館していた図書館の本館にあたる館です)同じ作者の短編集を借りて読むことにしました。年末年始の空いた時間に一編ずつ読むのにちょうどよい長さで、決めていた長編よりもこれでよかったと思いました。

いつものように居間のストーブの横を陣取ってもうじき読み終えるというときに、開いた頁の上に注がれた木洩れ日に葉っぱがキラキラ動くのを見て、あまりの美しさに息をのんだ瞬間がありました。なんてキレイ、、、流れてくるるバッハと相まって得も言われぬ気持ちになりました。(平素あまり音楽を聞かない私ですが、その日は長期間cdプレーヤーを起動させないと動かなくなる、それは大変と思いついて偶々バッハをごく低いボリュームで流していました)

年が明けて道路工事も終わり読もうと思っていた長編を借りることができました。この本を読みたかったのはタイトルと本棚から取り出した瞬間に表紙の絵に強く惹きつけられたこと、これが大きかったのですが、読み始めると先に進むのがなんだかもったいなくて、ゆっくりゆっくり進みました。そして読み終えるとこれは手元にどうしても置きたい、置かなければいけないと感じたのです。1日も早く入手したいけれどお天気を見極めないといけません。ポチっとするや、あっという間に(実感として、、)届くので配達の人が困らないように積雪の心配がなくなるまで待つことにしています。
(2025/2/8)
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生き甲斐の心理学:愛、明るい感情、調和と統合

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人は考えた通りの・・・

2024年11月30日 | 
「人は考えた通りの人間になる」…古の賢者の言葉が今日まで語り継がれてきたのは、人は深いところでそれが本当だと知っているからなのでしょう。人は考えた通りの人間になる。これと似ているけれど、より自分に沁みる表現を見つけました(ある本の朗読を聴いていて見つけました)。「私は自分が思っている通りを体験している」、思い出したときに呟くと背骨にきゅっと心地よい緊張感が走る感じです。
(2024/10/5)

10月も半ばを過ぎて肌寒く感じる日がでてくると感受性も変化して「私は~」というより「人は」という方が「人は自分が思っている通りを体験している」がしっくりきます。私はというにはエネルギー不足の気がするのは、猛暑だった夏の疲れが出て心が少し内向きになっているせいかもしれません。秋の訪れとともに懐かしい映画に感じ入ったり本と過ごす時間も増えて、季節と共に感受性の周期のようなものも入れ替わってゆく、、、おもしろいものです。
(2024/10/17)

毎夜の湯たんぽと日中も暖房が欠かせなくなりました。木々は紅葉し落ち葉舞う季節です。人は考えた通りの人間になる、私は思っている通りを体験している、、、この季節、どちらも思い出すことがめっきり減って。言葉に向かっていたエネルギーが今は別のところへ向かっているようです。
(2024/11/29)
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生き甲斐の心理学;アイデンティティの統合、大切な哲学

2024/11/27古寺の森を歩く

ニャンズ熟睡/☕タイム/鹿の目を逃れ数年ぶりに咲いたホトトギス!2024/10/25

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自問は、自分の言葉で。

2024年10月09日 | 
深層心理では「自己愛の問題」であることに変わりなくても表層に現れてくるものは千差万別、人それぞれですね。真逆の性格に見えるものが実は深層では(その真相は、、)同じ自己愛の問題にクルシンデいるとなると、、、そう思うと苦手なあの人に対してもちらっと親近感のようなものが湧いてきたりして、、、

表れ方が違うのだからセルフチェックの自問の言葉がけも人によって、この行動は自分を大切にしている行動か? 自虐の行動になっていないか? 人を(相手を)大切にしている行動だろうか? 人を(相手を)虐める行動になっていないか?等々、、、自問の言葉が浮かんできますが、今ここで私がおかれている状況や目の前の人との関係性によっても、その人にとって適切な言葉は違ってくるでしょうね。

自問するときは自分にピッタリする言葉であることが重要と感じます。頭の中だけで済ませずに、きちんと身体におとし込むという意味でも、からだに沁みる言葉でないと意味がありません。時々の自分にピッタリの言葉を見つけたいものです。
(2024/10/4)
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生き甲斐の心理学:愛、自分を知る、人間の本質
2024/10/8雨上がりの朝
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自己愛の問題、、

2024年10月06日 | 
「海の公園で」から4か月。ハッとする一文に出会いました。

いつも自分を苦しめるように、何故か生きていくのです。「自虐性の個性」といいますが、その原因は生育史にあります。自虐しないと心がおちつかないのです。(植村先生のブログ生き甲斐の心理学2024/10/3記事より)

”自虐性の個性”とな、、、そうでしたか、、、軽い衝撃とともに、このところ感じていたことにピッタリの言葉が与えられたようで爽快感も覚えます。軽度にせよ、人生の大半をこの個性にやられてきたのだなぁ、、、としばし感じ入りますが、思考と感情と行動のかなりの部分にこの原理が働いていたとすれば、私にとって日々の自問は「自分を大切にしているか?」より「これは自虐ではないか?」と問う方が効果的かもしれません。

ハッとする記事に触れて即このようにキーボードに向かっている?これは自虐に結びつく行動ではないか?とさっそく自問しますが、「海の公園で」(2024/6/9記事)の気付きこそ、根底にこのような個性が息づいていたことを暗示してくれたわけで、あの日以来、そのような苦しい個性はどんどん薄められているように思います。だからこそこの一文を最高のタイミングで受け取ることができました。
(2024/10/3)
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生き甲斐の心理学:愛、無意識の意識化

6月の思い出に。藤田嗣治のポストカード&Tシャツ
軽井沢の安東美術館にて
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愛だね、、、

2024年10月03日 | 
ここ一週間、目覚めて浮かんできたことを書き留めたいと思いながら、いざキーボードに向かうと言葉が詰まって出てこない、、今朝は偶々5時前に起床して、日常が始まる前に書き出せばよいかと試しましたが、やはりダメでした。何が浮かんできたのかさえ、すぐに思い出せません。

いつもならここでパタンとパソコンを閉じるところですが、カテゴリーだけでも決めようと、目に留まった過去記事を読み返してみました。すっかり忘れていたけれど、感じて考えてこのような日々もあったのかと。。。懐かしさも覚えて、とりあえずカテゴリーは決まりました。

「時間」に縛られることはありません。溜めこんできた「概念」に縛られる必要もありません。今日はここまで。ここで、少し進んだ、昨日よりいいねと比較して満足する自分を感じて苦笑いしますが、まあ地上に生きている限り、比較と評価はついて回りますからね。それでも、できれば比較するのは必要最小限、ほどほどにと思っています、、^^)
(2024/9/30)
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生き甲斐の心理学:愛、自分を知る、受容性

台風10号の強風のあと...
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誰ですか~?

2016年03月04日 | 

枯れ草を捨てようとして斜面に近づくと、足音に驚いたのか、一目散に駆け下りる黒いもの目に入りました。咄嗟に猫かな?なんだろう?と目で追いながら、“誰ですか~!”と一声。小さめのイノシシだと判って、“そこに居たんですか~”ともう一声。このところ土手の上の球根を掘り返されて、埋め戻し作業を夫がぼやいていましたが、犯人は、このコだったのか。。。

“また来ていたんですね~”茂みに見えなくなるまで思いつくまま声をかけて、その間、長い斜面をダダーッと下りる足を止めて、“何?”という風情で彼は2度立ち止まりました。聞き耳を立てる様子が思い出すだに可笑しくて、あちこち掘り返す困ったさんなのだけど、まあ、仕方がないか…あちらの事情もあるしと、考えるともなく考えて、もしも彼に気付くや、“こらァ~!!”と叫んでいたならば、あの聞き耳を立てる姿も叶わなかったことでしょう。

これは「心理的接触」が成った最初ではなかったか?と、彼との心理的接触の原型として心に留めておこう…などと楽しく考えます。

これは人にも応用できるかな。ちょっと苦手と感じている人に対して。思い込みは脇において、“誰ですか~?”“そこに居たんですか~?”と、やわらかな気持ちで語りかけたなら、もちろん声には出さず心の中で語りかけたなら、難しかった心理的接触も叶うかも。。。と。心理的接触は無理でも、少なくとも、うわァ来た~!!っと戦々恐々となるより、一瞬でも穏やかな気配に包まれるのは確かでしょうね。

聞き耳立てていた彼は、“恐くないから、また行こう♪”なんて通ってくるでしょうか。彼の動向と私の心と魂と。友好的感情に発展するかどうか。しばし様子見というところです^^)

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瞬間、瞬間の~

2016年01月11日 | 

一瞬の愛、瞬間瞬間の愛。。。昨年末から一瞬の~という言葉がよく浮かんでくるのですが、愛というものが、これまで自分が思ってきたより、もっと軽やかで、もっと瞬間的なものらしいことを感じだして、日毎その思いは強くなり確信になってきています。

あたたかなものに触れるとき、誰かのちょっとした心遣い、何気ない素振りに、じーんときたり、ピンと張り詰めていた緊張が解れる(ほぐれる)瞬間、あたたかなものを発信しているその人は気付いてないのです。善いことを成している意識などはなく、その瞬間は、たぶん、その人の「私」は消えて、同時に「あなた」も消えていて、その瞬間は大いなる魂の内に溶け合っているとも言えるかもしれません。

素晴らしい音楽や絵画に触れて思わず息を呑む瞬間。たぶんそれも同じ、愛と呼べるものです。朝な夕なの息を呑む空の色、小鳥の囀りにハッとしたときも同じです。

瞬間、瞬間が勝負ではないかなと、思うのです。さりげない瞬間に気付けるかどうか。気付いているかどうか。。。気付いて気付いて、気付いた端からどんどん手放してゆく。

気付いて手放して、感じ入っては手放して。それは瞬間瞬間に心を調えて、整えてゆくことだと感じます。

もしかしたら、“ああ、散らかったテーブル、、”とか、“ああ、なんだか私、暗いトーンになっている、、”とか、否定感を伴ってハッとした瞬間さえも、気付いた端から、軽やかに手放してゆければ、一瞬にして愛に変身するのではないかな。

その瞬間に気付いて、手放して、瞬間、瞬間に心を調えてゆく。まだまだ考え中ですが、2016年、年の初めに感じている、私の愛です。さて、あなたの感ずる愛は?いつか機会があったらきかせくださいね。

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