自己同一化の延長にある現象を、いいね~と自画自賛、
悦に入り、他人から見れば阿呆か、、と、一笑にふされるようなことでも、
ときには、そんな取るに足らないヨロコビを、くっきりと意識化してみると、
ちょっとした自賛が小さな自信を生み育てるということがあるのかもしれません。
他人の評価の及ばぬところでというのがミソです。
どういうわけか洗面コーナーに掛けている鏡に映る顔が、私のお気に入りです。
その鏡においては加齢現象がちっとも苦にならないのは、どうしたことか。
別室に立てかけている鏡やコンパクト、外出先で映る我が身に、
ガクンとすることは少なくないのに洗面コーナーのその鏡だけは、なぜか例外です。
眺めるたびに、いいじゃないと思える…体調思わしくないときでさえ、
あれ、案外よい顔していると思えて、ガッカリさせられることがありません。
私にとってはおめでたい魔法の鏡なわけですが、
鏡の顔を目にする度にガクンと肩を落とすのと、いいね、としゃんとするのでは、
日々の感情生活、幸福曲線のトータルは雲泥の差ですから、ありがたいこと。
もう一つ。
夕暮れ時に忘れていた生ゴミ処理に庭を走って急いで家に戻るときなど、
電灯に照らし出された窓が目に飛び込んできて、
いいね~と、思わず立ち止まり見入ってしまうことがあります。
やわらかな光の窓に見惚れながら、森の一軒家が登場する、
知っているだけのお伽噺が一瞬にして蘇り、
こんな風景を見せてくれる山のお家はイイねと、愛おしさもひとしおです。
取るに足らない自画自賛なら探せばもっと出てきそうですが、
地上で生きてゆくのに、こんなちょっとした自賛の瞬間は案外大事かと思います。
健やかな自画自賛が地上を生きるのに必要な、小さな自信を育ててくれるというところでしょうか。
悦に入り、他人から見れば阿呆か、、と、一笑にふされるようなことでも、
ときには、そんな取るに足らないヨロコビを、くっきりと意識化してみると、
ちょっとした自賛が小さな自信を生み育てるということがあるのかもしれません。
他人の評価の及ばぬところでというのがミソです。
どういうわけか洗面コーナーに掛けている鏡に映る顔が、私のお気に入りです。
その鏡においては加齢現象がちっとも苦にならないのは、どうしたことか。
別室に立てかけている鏡やコンパクト、外出先で映る我が身に、
ガクンとすることは少なくないのに洗面コーナーのその鏡だけは、なぜか例外です。
眺めるたびに、いいじゃないと思える…体調思わしくないときでさえ、
あれ、案外よい顔していると思えて、ガッカリさせられることがありません。
私にとってはおめでたい魔法の鏡なわけですが、
鏡の顔を目にする度にガクンと肩を落とすのと、いいね、としゃんとするのでは、
日々の感情生活、幸福曲線のトータルは雲泥の差ですから、ありがたいこと。
もう一つ。
夕暮れ時に忘れていた生ゴミ処理に庭を走って急いで家に戻るときなど、
電灯に照らし出された窓が目に飛び込んできて、
いいね~と、思わず立ち止まり見入ってしまうことがあります。
やわらかな光の窓に見惚れながら、森の一軒家が登場する、
知っているだけのお伽噺が一瞬にして蘇り、
こんな風景を見せてくれる山のお家はイイねと、愛おしさもひとしおです。
取るに足らない自画自賛なら探せばもっと出てきそうですが、
地上で生きてゆくのに、こんなちょっとした自賛の瞬間は案外大事かと思います。
健やかな自画自賛が地上を生きるのに必要な、小さな自信を育ててくれるというところでしょうか。