こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

止まらず、進む

2016年04月27日 | 螺旋状に上昇する意味
本日は雨。
インターネットが不通になって、ちょうど一週間、
今日こそはケーブル会社に問い合わせねばなるまい、、
問い合わせる前に、何を訊かれてもスムーズに答えられるように、
ケーブルにまつわる機器、器具の名前を確かめて、
一応IPも問い合わせる前にもう一度試してと、IPからケイタイにかけてみると、
あらら、通じる!!もしやと半信半疑でpc開くと、
たまっていたメールをササーッと受信、ではネットも繋がる!? 
めでたく一週間ぶりの接続が成りました。

やれやれです。

今週は、平衡感覚の違和感の症状がまた進んで、
どうなっちゃうんだろう、、と。
思えば、ここ2年ほどの間に「症状が進む」ことを、
何回か経験して、その度にストレスに追い込まれる経験をして、
そういう状況におかれるときの自分のパターンがあるということ。
その傾向が解ってきたので、どうなっちゃうんだろうと思いつつも、
今回は不安を増幅させるようなことはありません。

覚悟を決めて、とにかく動けるだけ動く。この方針で行きます。
これからはこの体感で、生活していくのだと、
若い頃のようなわけにはいかないのだと、脳にわかってもらえれば、
違和感が違和感でなくなるのではないか。
そのために目の前の為すべきことに集中して、
止まらずに動き続けることが最良の方法ではないかと思うわけです。

この方針を生きるようになると、
ごちゃごちゃと思い煩っているヒマがないことに気付きます。
日常をこなすにいっぱいで考えている時間がない。
これは私にとってはよい状況かもしれないと、どこかで思っている節もあって、
考えるより行動!と、人生であまり生きてこなかった形で進んでいるのが、
(私は)こういう生き方もするんだ…と、どこか新鮮な感じもあります。

今日は雨。

庭で作業して草木とあるときには症状のことは殆ど忘れているという、
最良の方法は使えませんが、今日も止まらず日常を進むことにしましょう。

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信ずる体感

2016年04月15日 | 和解と平和
3月。気がかりだったことが、気がかりでなくなった。
この心の流れはどうして起こったのか。

それは“信ずる心を取り戻したから”で、あるようです。
信ずる心を取り戻した結果、気がかりが気がかりでなくなったようです。
気がかりの対象そのものは何も変わらないので、ある意味、
気がかりは気がかりのままであるという言い方もできるのですが。

ただただ重く感じていた気がかりが、
遠ざかるしか手がないと考えていたところから、
それほどでもないか…まだやれると、
感じ方、考え方が180度変化したのは、
回心と呼ぶのに相応しい心の流れだったように思います。

否定的な側面ばかり見ていたところから、
それはそれとして、もう片方の面も感じられるようになってきた。
それによって気がかりに対する感情も和らぎ、
まだまだやれると思えるようになりました。

信じてみえてきたもの…3月に、この心の流れがあって4月に突入、
信ずる体感というものも掴めたような気がして。今は軽やかに前を向いています^^)

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ハジメテノ音

2016年04月12日 | 
その日に限って居間のテレビをつけたまま二階へ。
一眠りして戻ってチャンネルをNHKに切り替えると、
N響と初音ミクの共演がまさに始まろうとしているところで、
へぇ~すごいタイミングと、驚きながらテレビの前に座りました。

紹介された「ハジメテノオト」は私も時々聴いている曲です。
そういう括りで合っているのかわかりませんが、アニメにも疎く、
インターネットも最小限の知識でかろうじて繋がっている程度の私が、
ボーカロイドの歌を聴いている。自分でも意外ですが、
最初に入手したCD(Piece of Cipher+)は曲のことは何も知らぬまま、
モノトーンで描かれた森を思わせるジャケットのイラストに強く魅かれました。

数枚のCDを時々聴いているだけで、ちっとも詳しくなりませんが、
“来るべき未来に繋がっている感”があるのが好いのですね。
今のところ、それ以外はコメントするほどのことは何もありません。
私のレベルではN響に共演が歓迎されていたかどうかも些細なコトです。
ただただ、あまりのタイミングのよさに茶柱がたったときのような興奮を覚えて、
一眠りした後だったことも手伝ってウキウキと見入ってしまいました。

ニューイヤーコンサートでお馴染みの行進曲にもテレビと一緒になって楽しく手拍子して、
このウキウキの展開に満足してスイッチを切ったのでした。
(ボーカロイド:ヤマハが開発した音声合成技術及びその応用製品の総称/ウィキペディア)

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学びの途中

2016年04月11日 | 螺旋状に上昇する意味
意図せず為したことが、偶々目の前の人の心を和らげた。
意図せず発した言葉が、偶々相手の心を和らげる結果になった。
私の自我のあずかり知らぬところで、偶々そのようになった。

こういうのが好いなあと。
こういうことが沢山起これば好いなと、思います。

たぶん防衛機制でカチカチのときには起こりようがない。
ストレス曲線をさ迷っているときにも起こりようがない。
偶々そういうことが起こったときを思い出してみると、
自然体であった、これかと思います。
間の抜けた発言を自覚しても恥じ入る感じがぜんぜん無くて、
いつもより自己受容の度合いも高めだったように思われます。

和らぎの前には自然体と自己受容があったということ。
この感じを覚えておこうと思います。

自然体と自己受容の体得は偶々得られるようなものではなく、
意志と意思、努力も必要で、和らぎへの強い憧れがその原動力になるのでしょう。
自然体と自己受容に関して、人間は生きている限り学びの途中ですから、やり甲斐がありますね。

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感動は偶然の。。。

2016年04月09日 | 魂と聖霊
人や動物といった対象そのものに感動しているわけではなく
その対象を通して感じ入っている、感動していると言う方が正確かもしれません。
感動のあるなしは偶然の贈りもののようにも見えます。
贈り物は、やわらかな心の方が受け取りやすく、
対象にしばられたり執着することなく、さらさら流れてゆくのがよいのでしょう。

先日、ボッティチェリの展覧会を観て来た友人が、興奮冷めやらぬ感動を
体全体で伝えてくれる姿に、好いなあ…と、強く心を動かされて。
魂に通じる高揚感を共有するヨロコビを覚えました。
その友人を通して感動がやってきた。。。
そんなこともあって感動のあるなしについて、ちょっと考えてみたくなったのでした。

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感動のあるなし・・・

2016年04月08日 | 魂と聖霊
感動のあるなし。。。
その人に感動したことがあったかどうか。
感動とは“深く感じ入り強く心を動かされること”とありますが、
ここでは“真善美に通ずる”感動に絞って考えます。
何を考えるのかというと、身近な家族や友人知人、
これまで出会った、通り過ぎてきた無数の人々を思い出しながら、
真善美に通ずる感動の瞬間について、考えてみます。

生育史の心が反応して生まれる幸福曲線より深く、
魂の領域が感じ入ったと思える幸福曲線の体験について、
これまでの人間関係を思索するのは、なかなか楽しく、
もっと早くこの視点に気付いてもよかったのにと、思います。

感動のあるなしの視点で考えることで頭の中が整理されて、
魂に通じる喜びや充足について、自分自身よくわからなかったこと、
曖昧だった幸福曲線の形が明確になってくる感じが、とてもよいのです。

人間に限らず蔓草を食む牡鹿は、確かに私を感動させました。
折々に見えない世界や魂について、あーでもこーでも語り合ったところで
感動はなかったなあと思えるケースもあります。
身近な家族ほど生育史の心の傾向に関連付けた思索が多くなるので、
真善美に通ずる感動の視点で考えてみると、あらためて感じ入ることがでてきます。

真善美に通ずる感動のあるなし。この視点に気付いてよかった!感動しています^^)

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鹿。。。

2016年04月07日 | 無意識の世界
隣の雑木林でカサカサと気配があっても、
こちらが表に出ているときは、察知するや鹿はサーッと逃げてしまうので、
これまでは姿を見かけても、せいぜいが白いお尻の後姿だけでした。
家に居ても音を聞くだけで窓から姿を見るようなことも殆どなかったのですが、
最近になってガラス戸越しですが、はっきり姿を見る機会が3回もありまして。
一番最近は朝の散歩か、雌鹿2頭が連れ立って来ていました。

その前は、やはり朝に雌鹿が単独で立ち止まっては食事しながら、
庭の境界にしているツバキに沿って楽しげに横ぎって行くのを見ました。

最初に見たのは確か3月の上旬で、立派な角をもった雄鹿が、
木の幹に絡まった蔓を引っ張っりおろしてはムシャムシャ食べているのを、
気付かれないように、そっと、じーっと二階の窓から観察したときでした。
時折、食べるのを止めて私の方をジーッと見ているようでもありました。
あちらに、どんなふうに見えていたのか。それはわかりませんが、
気配とか痕跡だけ知るときよりも、無心な姿をじっくり見てしまった後では、
やはり無下には追っ払えないという気持ちは強くなるようですね。

鹿は神聖な動物であるという古来からのイメージも、知らず知らず、
私の思考と感情と行動に影響を与えていることもあるでしょう。

高く大きく育ったネムの木の大ぶりの枝が朽ち落ちているのを見つけました。
このところの隣の雑木林からの侵入を塞ぐのに恰好の長さです。
ちょっと遮って。気休めになるかならないかですが、今はこんなところかなあと。。。
こちらの思考と感情、人間の心の営みが現象には影響するような気もして、
まあ楽しみながら大らかに、鹿と私の双方を観察したいものだと思います。

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最高のタイミング

2016年04月06日 | 光と復活体
庭の境界に沿ってツバキを植えた向こう側は、
庭とも畑ともつかない緩衝地帯のような空間になっていて、
ネムの木を中心に一応「ハルの庭」と名づけています。

住人はエゴ、モクレン、コブシ、ニレ、ソテツ、ガマズミ、
ミツマタ、ユキヤナギ、シロヤマブキ…そしてジンジャー。
ギョウジャニンニクとクサソテツも十数年の間に少しずつ増えました。

ハルの庭で先住の草木に挟まれるように育った一本の山桜は、
光を求めて上へ上へ真っ直ぐに伸びて、初めて花を付けたのが確か一昨年のことでした。
毎朝、庭に向かって腕振り(スワイショウ)をするのが日課ですが、
居間の定位置に立つと、まっすぐ前方にこの山桜が見えます。

今朝はちょうど朝日が昇る時刻と腕振りの時刻が重なって、
・・・なんとうつくしい!初めて見る山桜の木の美しさに息をのみました。
後方にある針葉樹が逆光で黒い影絵のようになって山桜の背景となり、
花と赤みがかった葉を、それは鮮やかに際立たせてくれたのです。

最高のタイミングで出会うこと、こういうことがあるんですね。

たぶん人についても同じことで知っていると思っているのは部分に過ぎず、
まだまだこれから最高の瞬間に出会うかもしれません。このことを忘れずにいたいと思います。

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にぎやかな春

2016年04月05日 | 五感と体感
今年の庭は、いつになく賑やか。
薄ピンクのシデコブシの花つきがよく、その後ろの紫モクレンも見事に花開きました。
そして今は、ふたつが散り始めるのと入れ違いに山桜が満開です。
山桜は本当に控えめで、これまでは、どこからともなく舞ってくる花びらに、
あっ咲いていたんだ、、と花盛りの後になって気付くことも多かったのですが、
実生の木も20年近く経つと大きく成長して、今年は存在感を増してきています。

木々が成長すると小鳥や動物達の訪問も増えて、
小鳥はよいとしても動物の訪問は嬉しいような困ったような複雑な心境です。
今朝も庭と畑の境に植えている椿に沿って、雌鹿が二匹来て、
どうやらツバキの間に植えているお茶の木が目的だったようですが、
庭の中ほどのヤグルマソウはすでに食べられちゃって、
次はミヤコワスレかと予想がつきますが、さてどうしたものか。

侵入をゆるすことで起こるストレスと、追っ払うことで生まれるストレスと。
その兼ね合いを図りながら、方針と行動を選択することになりそうです。

風に舞う花びらを受けながら山間を小さな舟で川くだりしている私…
そんな想像が浮かんできたのですが、一昨日の一件で淀んでいたものが一掃され、
感情が流れ出してきているしるしかもしれません。

さて。庭の賑やかに足並みを揃えて私の心の方も少し賑やかに、活発に動かしてみたくなりました^^)♪

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猛然と、調べもの

2016年04月04日 | 五感と体感
夕べは中々寝付けず、ストレス曲線のてっぺんまで行って右往左往、、
薪ストーブの温もりの幸福感は応急処置に終り長くは続かなかったのでした。
小さな後悔はきっかけに過ぎず、ここ数ヶ月かそれ以上の間に
処理しきれていなかった諸々の気がかりが、どっと流れ出したような気もします。

寝床でざわざわ、イジイジから抜け出せないまま、どっぷり見苦しさに浸かった所で
気を紛らすべく、ガバッと起き上がり居間へ。
テレビのスイッチ入れてみたり、台所(=食べ物)へ足を向けそうになりながら、
イヤそれはダメと思いとどまり、目に入ったメガネと本と辞書を掴んで、
ヤブレカブレの気分で寝床に戻りますが、それから、
猛然と始めた調べモノに精根尽きたところで、ようやく眠りにつくことができました。

朝はいつもの時刻に目覚めて起きて、思うに夕べは、
“感情をふりきって突き進む法”を体得したのかもしれないと。
それは案外よいことで有意義な逃避とも。昇華ともいえそうですが、
感情処理の方法として私があまり取り入れてこなかった方法です。

ヤブレカブレの効用。感情をふりきって突き進む。
感情処理の方法として折々に取り入れようと決めています。

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