こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

率直な表現に、プラスして

2012年10月31日 | 未整理
抑圧さえなければ、私は感情表現がストレートな方かもしれません。
率直な表現については少女の頃に、母から長所として指摘されたことがあって、
今思うと、さすが母。娘の特徴をよく見ていたと思います。

成長するにつれて子供の頃の、なんでもかんでも感じたままを表現していたところから、
肯定的な明るい感情だけを率直に表現するようになったのは、
他者と上手くやってゆくための自然の成り行きだったと思います。
それだけなら成長のしるしでもありますが、
傾向に拍車がかかると、いつしか肯定的な意識は伝えられるけど、
否定的な意識は伝えられないという極端な傾向が私の個性に定着しました。

14の防衛機制で考えるならば、肯定的な感情は「昇華」することで、
否定的な感情は「抑制・抑圧」することで平安を保つという、
少々極端なバランスのとり方が、これまでの人生の私という個性の傾向でした。

それで私の最近の感情観察の楽しみですが、
肯定的な感情をストレートに表現するのでなく、ちょっと間を置いてみる。
好意を知覚するや、直ぐに反応せずに溜めてみる…これを意識するのがおもしろいのです。

反射的な反応を止めて、知覚を味わうために一呼吸置くといったらよいでしょうか。
この“間”が、これまでになかったような味わいをもたらす事に気付いたら、
これまでの傾向が、とてももったいなかった気がしてきます。

無意識的な反応は、人生の味わいを半減させるような気がします。

率直に伝えるという少々粗野な(と今は感じられます、、)昇華の方法から、
言葉がすべてでない感情表現と、多少は優雅な気配も漂うような。。。
そんな昇華のあり様に進化できればいいなと感情の観察を楽しんでいるところです。
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五感を大事にすると。。。

2012年10月24日 | 未整理
湧いてくる感情を意識するって、けっこう愉しい。
身から湧いてくる感情を意識するのが、とても新鮮に感じられる今日この頃です。
自身の内から湧いてくるもの。感情とは本来そういうものですが、
こういうときには、こういうふうに感じる(べき)ものと、
頭から出てくるものを感情だと勘違いしてしまうケースもあるのです。

感情を大事にしょうとしても、そのような勘違いの感情は
意識すればするほど疲れを感じ、かえって感情生活は混乱します。

今あらためて湧いてくる感情を意識することに新鮮な愉しさを覚えているのは、
勘違いの感情が私の人生で、けっこうな割合を占めていたからなのだと思います。

身の内から湧いてくる明るい感情-平安感とか友好感、幸福感が、
案外、意識することで得られるものだということにも驚かされます。
逆を言えば、明るい感情は意識しなければなかなか得られないものといえるかもしれません。
たとえば、いつもの知った顔といつものように一緒に作業して、いつものようにおしゃべりして。
そんな当たり前の日常の場面が、これまでなかった本物の感情で彩られることに、
近頃の私は静かな、そして、なんともいえないヨロコビを覚えているのです。

いつもの場面が、これまでになく明るい感情に彩られるとはどうしたことでしょう?

夏草をゴミ袋に詰め込むときの名残の匂い、怖々片付けた山椒の木の棘の感触、
作業を終えた後、落葉の始まった桜の木の下で頂いたアイスクリームの苺味、
その小枝越しに見上げた秋空の感じ、四方山話を語る相手の穏やかな声のトーン、
花活けのお当番の相棒が選んできてくれた花の取り合わが、とても素敵だったこと等など。

当たり前の日常の、これまでにない明るい感情の背景には、
素直に感じる感覚を大事に、これを意識したのがよかったのだと思います。
とりわけ私の器官を通して得る感覚/五感を大事にすることは、
身の内から湧いてくる感情を大事にすることに直結することだと思うのです。

いつもの日常の中で素直に感じてみることを大事にして、本物の感情を意識的に知覚する。
それを大事にしてゆくならば、私の勘違いの感情もいつかきっと自然に姿を消してゆくことでしょう。
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人生を大切に思う気持ち。。。

2012年10月19日 | 未整理
誰もが、長く馴染んできた不安解消法というものをもっています。
外界からのストレスを知覚するやいなや、自動的に(無意識的に)、
その方法で平安を得ることが習慣になっています。

ヒトのせいにすることでストレスを解消するとか、
不安感など感じないふりをして適当にやり過ごしてしまうとか
おしゃべりして感情を吐き出すことで、すっきりさせるとかして、
とりあえず心の平安、均衡を保つことに成功します。

長くそのような方法で不安を解消してきて何ら不都合がなかったのに、
ある日、そういうのってヘンじゃない…?
なんでもかんでもヒトのせいにしているんて。
本当は不安なのに、いつもいつも不安感をあってなきがごとくやり過ごしているなんて。
ストレス解消/不安解消法が、おしゃべりだけなんて。
そういう自分って、へんじゃない・・・?
心の奥深いところで、そのような意識が芽生えてくる時期が人にはあるようです。
(もちろんない人には一生ありませんが、ある人にはあります)

そのような意識が芽生えてくると、これまでの方法が通用しなくなって、
以前だったらヒトのせいにして得られた平安感だったのに、
ヒトのせいにしてみても、何となくすっきりしない感じが残ります。
いつもの解消法が、かえって新たな不安を生み出している。。。そんな感じです。

こんな自分て、へんじゃない…?こんな疑問が生まれたらならば、
心の奥底に芽生えた意識に正直になるとしたら、
馴染みの解消法に走るのをぐっとこらえて、立ち止ってみる。
ストレスに対して、習い性で反応しようとする自分をしばし沈黙させて、
自身の心を思い巡らしてみる、この間をとることができたなら、
それが大事な大事な、最初の一歩になると思います。

馴染みの方法を手放すのは勇気がいるものです。
一歩を踏み出せるかどうかは、へんな自分のままでは終わりたくない。
人生をどのように生きたいのか、終わりたいのか。
人生を大切に思う気持ちと、願望の強さにかかっているのだと思います。

さて私はというと、事あるごとに心の中で踏み止まり、
不安感/ストレスを意識して、それで、どうしたいの?と自問自答しながら、
同時進行で、人生でどうありたいのか。くっきりとした願望/イメージの強化に努めようとしているのです^^)
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踏み出す勇気は。。。

2012年10月17日 | 未整理
外界を大きなストレスをもたらすものとして身構えている。必要以上にオソレテイル。
わたしにはどうも、そんな傾向があるようです。
無意識の内にどうもそのように知覚しているらしいのです。

もちろん成育史に起因する傾向ですが、長年その傾向のもとにバランスをとって生きてきたのに、
今頃その長く馴染んできた傾向が気になりだしてきたわけですが、何を今更と思う反面、
傾向が変化すれば自分の理想に近づけるということなのだろうな…と、うすうす感じてもいるのです。

意識にのぼってくるというのは、やはり一つのタイミングではあるのでしょう。

人によって、向き合うべき問題の内容は違っていても、
これが自分の問題なのだということをなんとなく知りながらも、向き合えずにいる…
人にはそんな段階があって、いつか向き合わねばならない、問題を放置していては幸福になれない。
それを知りながら、一歩踏み出せずにいる段階があるようです。

踏み出せぬまま人生を終えてしまう…それも人生ですが、
どこに分かれ道があるのでしょうか。。ふしぎな気もします。

踏み出せぬまま人生を終えるのはイヤだなあと強く思うことも、分かれ目かもしれません。
その強い願いに愛の領域が関係しているのは確かなコトのように思います。

さて、自分が変化するためには何をしたらよいのか。
変化に必要なことはなんとなくわかっているので、あとは踏み出す勇気だけです。


今年は夕方の開花が一つもなし!10/12朝6時過ぎの夕顔の花。
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焦らなくても、だいじょうぶ

2012年10月07日 | 未整理
中秋も過ぎた頃から、心の中で“焦らなくても、だいじょうぶ”と
自分に声をかけることが多くなりました。
不安感の中味が、以前の“怖い感じ”がすっかり影を潜め、
秋の深まりとともに、ふと焦っている自分を意識することが増えたせいです。

ストーブのための薪づくりと畑の種まきと。気温が下がりだし、
冬支度が差し迫ってきたのが、不安感に影響していることは確かですが、
この時期になると、年末に向けて行事のあれこれも頭をかすめだします。
でも外的環境や条件の変化のせいばかりでなく、私自身の感情生活が、
原初的なところから分化して、進化する過程をたどったという気もします^^)

人生の折々の場面で様々な問題に遭遇するたびに、人は進歩したり後退したり。
行きつ戻りつを繰り返しながら、少しずつ辿りつきたい目的地に向けて進んでいるのだと思います。

怖いよりも、焦っている感じの方が一歩進んだ感じがします。
怖い感じの次に来る行動の選択は怖い対象から逃げるか。それとも受け容れるかですが、
焦っている感じは、対象から逃げずに目の前の現実と向き合うことが前提にあって、
はじめて湧いてくる感情だと思うからです。

今は冬支度が迫ってきていることに関しても、人間関係のあれこれについても、
慌てそうになる自分を意識するたびに“焦らなくても、だいじょうぶ…”と心の中で呟いています。

いい歳をして何を今更…などと思わず、ストレス曲線の根っこにある微細な“怖い”を
素直に意識できたことが、感情生活をちょっぴり進化させてくれたようです。

こぼれ種が植木鉢に命中して咲いたケイトウの花。
他には着地しなかったようで一輪だけ。ふしぎな感じです。
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