こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

遠い昔の・・・

2009年03月30日 | 魂と聖霊
先日、知人の謡を聴きました。国東の我が家を訪れるにあたり、その方は「清経」を周到に準備下さっていました。源氏との戦いに敗れ、入水した夫のことを恨みに思う妻のもとに、清経の亡霊が現われ、神にも見放され入水に至るまでの苦悩、その一部始終を妻の前で舞って見せる。お能「清経」のあらすじです。

謡本のコピーを目で追いながら、清経の最期を想い目頭が熱くなります。なにしろ午前中、清経が散る前に参詣した宇佐八幡宮と、柳が浦辺りを回ってきたばかりでした。

「西にかたぶく月見れば、いざやわれも連れんと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀如来、迎えさせ給へと、ただ一言を最期にて、」
最期の最期、清き心で念じた清経は、間違いなく成仏できたといいます。

「南無阿弥陀仏ー」力強い謡の響きに、今しがた寄ってきた富貴寺が思い浮かび、阿弥陀堂の盛衰と清経の苦悩が重なり、これまた神妙な気持ちになりました。

宇佐八幡神を巡る国東半島の旅は、遠い昔を見通すような想像力なくしては楽しめない、そんな気がします。それだけに見えない気配を感知する心にとっては、とても魅力的な場所とも言えるでしょう。

見えないものを見る力を、もっともっと養いたいと思いました。

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腰痛がやってきた

2009年03月25日 | 五感と体感
こころと身体症状の相関関係はよく耳にするところですが、こころの問題が腰痛を引き起こすこともあるようです。内疾患が原因のケースは別として、きょうは痛みが増している。さて、この痛みはどこからやってきたのか?興味津々です。

週末に知り合いを案内するので、昨日その下見に、観光スポットを回ったことも多少影響しているでしょうか。確かに私にしては長時間の運転でした。

加齢現象の一つ、冬場の鍛錬不足などの原因が頭を過りますが、なんとんなく心が何かを、うったえているような気もします。よりよく生きるためのお知らせ。悔いのない人生のために変化した方がよいことがあると、(腰痛が)伝えたがっているのではないかと、そんな気がするわけです。

こころの問題と身体症状。体の問題と身体症状。
そして、魂の問題と身体症状。

さて、こうして記すこと。思考と感情と行動と身体症状の関係はどのように展開していくでしょう。感覚を大事にしながら、変化があったらまた綴ってみたいと思います。

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生の感情を探求してみれば…

2009年03月20日 | 愛とゆるし
前回の続きです。情動的に感情が飛び出してしまったときは、節度がなかったと、いつまでも悔やむより、チャンスを活かすことを考える方がずっと有意義かもしれません。節度を欠いて信用を失墜させたことは、もう仕方が無かったと諦めて、思い切って考え方を切りかえてみる。

見方によっては、生の感情を見つめるよいチャンスだった。“そんなこと思ったらイケナイ”と、抑制が働くせいで、平素は意識し難い感情を知ることができたのだから、じっくり探求してみれば、人間関係や出来事を理解する手がかりを得るかもしれません。

イヤだ、嫌い、不快の感じを、どういうところがイヤなのか、頭でなく感覚で意識してみる。落ち着いて感情を探求してみると、必要以上に相手のことを怖れていた自分に気付き、驚くことさえあります。

現実をしっかり見つめることで、平安感を手に入れる。

節度を欠く情況とは、見方によっては、“落ち着いて現実を見よ、そして味わいなさい”と、示唆されているように思えてくるからふしぎです。

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節度と自由の感情生活

2009年03月19日 | 愛とゆるし
人生の中盤に故郷を離れたことで、心身の自由を得た私でしたが、反面、好むと好まざるにかかわらず、それまで築いてきた心のバランスが崩れたことも確かでした。

抑制と抑圧を効かせて保ってきたところから、心の仕組みを学び、抑圧が心身に及ぼす悪影響を知ったことも手伝って、いっきに解き放たれた野放しの状態・・・ひとことで言うなら、節度を欠いた感情生活が出現します。

どういうことかというと、相手からの思いがけない言動に直ぐ反応してしまうこと。反応の内容は感情的で、理性的に配慮する余裕が全くもてなくなるのでした。興奮気味の相手に対しては、こちらに一呼吸おく余裕がないと、感情の応酬に終始するばかりで、有益な対話は決して生まれないものです。

時々年長の方から、若い頃のように抑えが利かず感情を爆発させてしまことを、悩みに思う話を聞くことがありますが、その情況は加齢によるマイナス面などではなく、人生の総仕上げとして感情生活を見直すチャンスが与えられたのだと解釈してみたらどうでしょう。

きっと豊かな感情生活への道しるべが与えられたのです。自由と節度のバランスを意識しながら、悔いのない感情生活、人生を歩みたいと願います。

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新緑のテンプレート

2009年03月14日 | 五感と体感
きょうは寒風が吹きすさび、冬に逆戻りしたような日です。さっきは一瞬、雪も舞いました。それでも庭を眺めていると、確実に春が近づいているのを感じます。

冬枯れの葉が強風に煽られ、2m近くある芭蕉の先から若葉が現われました。スイセンは早咲き種は終り、遅咲き分に向けて次々と開花中です。豊後梅が花盛りですが、朝に蕾の枝をとってきて室内に挿しておくと、夕方には満開になる…最高の楽しみです。

自分の変化は、自分がいちばんよくわかるもの。気がつけば庭を眺めている、ガラス戸越しにじーっと見入っている時間が増えたこと。これは、明らかな変化です。植物と近しくなれた。植物とわたしの最良の関係。憧れに近づけた感触あり、です。

そんなとき、一目で気に入るテンプレートに出合いました。今、感じている変化にピッタリです。ピタリとする感じ、憧れは大事に、あきらめずにもち続けようと思いました。

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薄紙をはぐように

2009年03月13日 | 無意識の世界
不安感の蓄積が、ある日突然、現実不適応という深刻な事態を招くことがあるので、不安感を解消する術を身につけることが、心の病の予防になります。不安感から派生する暗い、重い、ネガティヴな感情の数々。それらと上手に付き合う方法は学びと共に、それなりに身に付いたと思うのですが、かなり長い間、疑問に思っていたことがありました。

開墾作業(山の住まいゆえ、今でも笹の根を取り除いて植物の場所をつくることがある)や、草取りといった戸外で単調な作業をしているとき、ふいに暗い感情が湧いてくるとは、どういう訳か?大抵は、解決済みのはずの出来事に対して、怒りが再燃するというふうなのです。そういうときは、暗いまま無理して作業を続けるか、早々に切りあげるかのどちらかですが、この傾向はわりと最近まであったように思います。

それが今シーズンはなくなった。そのような傾向から脱したと、はっきり感じました。そうなればなったで何故だろう?とまた考え出すわけですが、長く握り締めていた小さな拘りがとれて、自由になったことが関係しているかもしれません。

気付かず握り締めていた、こころの成長を阻むような小さな拘り。学びの中で進んでいく無意識の意識化は、いつも薄紙を剥ぐように、少しずつ進んでゆくもののようです。

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わたしの個性

2009年03月11日 | 意識と知覚
本日の生き甲斐の心理学のブログ(ブックマークからお入り下さい)。
“自分の病気の原因探索はほどほどに!”を、なるほどと読みました。以前、自己分析の名の下に病因を徹底探索することがストレスの上昇を防いでくれるという、あまり宜しくない循環に落ち込んでいた時期がありました。

循環から脱出するきっかけは、日常生活で感じている、ささやかな喜びや幸福感に意識を向け始めたことでした。探索はほどほどにして、日々の明るい感情の領域から“生き甲斐を見つけることが有効である”は、その通りだと思います。

しかし、今もなお私は自己探索が楽しく、軽やかな自己分析はしょっちゅうしています。以前のようなストレス曲線上での悪循環ではなく、友好感や幸福感に結びついてゆく自己分析、探索は、私の生き甲斐でもありますが、生育史から分析するだけでなく、思考・感情・行動を日本人として、その気候風土、歴史の観点から眺め始めると興味は広がるばかりです。

自己探索することが幸福曲線に結びつくとは、わたしの個性だなあと、つくづく思います。

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穏やかな航海

2009年03月06日 | 和解と平和
人はこころの平安を保つために、いろいろクセを身につけながら大人になりますが、人生のあるとき、使い慣れたクセの見直しを迫られることがあります。一概には言えませんが、大きな見直しは、中年期にさしかかる時期に起こることが多いようです。

堂々巡りを感じつつ、なんとなく気づきながらも抜け出せない。呼吸するように自然になってしまったクセと向き合うのは容易ではなく、時間もかかりますが焦りは禁物。問題意識を片隅に置いておきさえすれば、いちばん良い時、適時に気付きは必ず、やってきます。

自分のクセ-傾向に気付くとは、専門用語を使えば“防衛機制に気付く”ということになりますが、これに気付くと人生の風景は一転して素晴らしくなる。それまでは感情という大海原を、舵を取るのに必死で航海していたのが、時には操舵室を離れて、デッキから海を眺め空を仰く余裕も生まれ、航海が俄然、楽しくなってきます。

本当の意味で“思考”が出来るようになる。航海の楽しさ、醍醐味はそこにこそありますが、考える葦としての穏やかで刺激的な航海はここから始まるのだと、つくづく思うこの頃です。

*防衛機制:生き甲斐の心理学・第8章参照

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祈りの言葉

2009年03月01日 | 五感と体感
このごろ、こころも体も “ひきこもりの季節”と呼ぶのが相応しいような日々を過しています。振り返れば、去年もそうだったし確かその前も…。この季節、スギ花粉のアレルギーがあるので、家にこもりがちになる。それに合わせるように、こころの方も内向きになるようです。

それで、この傾向が始まると、イースター(キリスト教の復活祭)の準備の時を過ごしているのだと、言い聞かせるように過すわけですが、“言い聞かせて…”これには少しばかりネガティヴな響きがあるでしょう。内向きの情況を受け容れがたい心情があったなあと思います。

ところが。今年は幾分、いつもと違う気分が入り込んできているのを感じます。それは長年、惹かれ憧れてきた祈りの言葉、大昔の賢人が捧げたという祈りの言葉がとうとう降りてきたせいで、この季節にきまって開きたくなる本の中にあります。

「内なる魂において美しいものにして下さいますように
  黄金、そして外なるものに関しては、それらが私の内なる霊と調和いたしますように」

囁くだけで、穏やかで優しい。やわらかな光に包まれたような気持ちになります。

喜びを予感するイメージは大事に、手放さずに暖め続けていると、人生のどこかで必ず、我が身に降りてくるもののようです。それで私は上の言葉に、「手放すべきイメージと、抱くに値するイメージを識別できるものにして下さいますように」と、続けたいと思います。

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