こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

核心の感情に至るまで・・・

2011年11月30日 | 未整理
受容的に自分の感情体験の意味を探る・・・これが案外難しいのは、
“また、いつもの感情、、”と感情体験にレッテルを貼っているせいかもしれません。

たとえば私には、喋りすぎてしまった、、と不安感に襲われることが時々ありますが、
自己嫌悪でいっぱいになっていた以前に比べれば、
成育史でつくられた自己概念を理解してからは、
少々落ち着かない感じ、不安を覚える程度で抑えられるようになりました。
なぜ不安になるのか原因を理解したことで、コントロールが効くようになったわけです。

しかし抑制は効くようになったけれど、なぜあんなに喋ったのだろう?
今ここで喋らずにはいられない自分を考える余裕がないのだとしたら、
喋りすぎはよくないという自己概念に未だ影響されていたと、認めないわけにはいきません。
成育史の自己概念はなかなか手強いです。

喋りすぎた不安感に気を取られて、行動の後ろにある不安感の方は、
ちっとも省みなかったのだから、実にもったいないことをしました。
自分に対してスマナカッタという気持ちにもなります。

さて、つい最近のことですが、少々喋りすぎたと、いつもの不安を過ぎ越しながら、
信頼できる友とはいえ、どうしてあんなに喋ったんだろう?とふと考えました。
核心の不安感は、ここでようやく耳を傾けてもらえたわけですが、
不安感の後ろには幾重にも感情の襞が控えていたことにハッとしました。
この半年あまりに起きた出来事、感情生活と環境の激変を考えれば当然です。

核心の感情に触れるには、“時”があるようですが、
自己概念に邪魔されていないか、感情にレッテルを貼って、
そそくさとやり過ごそうとしていないか。気をつけてみることもときには必要かもしれません。
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検証する楽しみ

2011年11月28日 | 未整理
湧いてくる感情によいもワルイもない。
すべての感情には意味があるのだから、意味を考え、
感情体験をいかに解釈するのか。

いかに解釈するか。どのように思考するか。
この感情は正しくて、この感情は間違いということは、もちろんないのだけど、
解釈/思考には、よい解釈とワルイ解釈があるようです。
ストレス曲線を増長させるさせるような解釈は、確かによくないと、
自分の“思考の仕方”に注目していると、このことが実感されます。

「体験の解釈が世界を変える」とは、本当だなあと。
日常生活で検証することが、最近のちょっとした楽しみになっています。

自己肯定的な解釈が大事と、言葉で言うのは簡単ですが、
自己肯定的な解釈に慣れていない場合には、
けっこう丁寧な自問自答が必要になってくるようです。
折々の自分の解釈/思考を観察していると、
受容的に自分の言い分を聴く。これが案外できていないことに気付くのです。

慣れないことをするという意味では、肯定的な解釈は時に努力が要りますが、
丁寧な自問自答を意識してみると、解釈のあり様が次の現象を導くことに気付きだします。

体験の解釈は確かに世界を変えます。
世界とは、今このとき。
体験の解釈が世界を変えるというその意味を、
自分の日常の体験の中で、本当にそうだと、もっともっと実感したいと思っているのです。
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補ってゆく楽しさ・・・

2011年11月14日 | 未整理
ゴミ置き場の横を通り過ぎようとしている村人を見たとき、一瞬たじろぎました。
二人が行ってしまうまで、ゴミだしを待とうか。。。

接触するのはめんどうくさいと浮かぶ一方で、
“わたしはコワガッテイル、コワガルことはなにもない・・・”という
自問自答が頭の中を駆け巡り、勇気を出してゴミ置き場に車を横付けしました。
ドアを開けながら、おはようございますと挨拶すると、見慣れない顔に、
二人の小母さんはびっくりした表情で頷きましたが、後は案の定の会話が展開しました。
他人の不燃物の袋をさぐるように見て、ワインなんか飲んでいるんだあと呟く小母さん。

人生で、好奇の目というか邪心というか気持ちのよくない眼差しを向けられる状況を、
意識的に避けてきた私としては、そのような目に耐性を身に付けたいと考えています。
同調せずに(つまり巻き込まれずに)必要以上に怖れることなく我が道をゆく。
これが課題と思っているので、ゴミ置き場の小さな出来事も成功体験の一つに数えます。

友人に話すと、わたしだったらワインのビンを出さないようにする!と言いました。
訊けば、人に邪心を起こさせないことが友人の課題なのだそうです。
友人と私の対処の違いは、成育史によってつくられた傾向の違いからきているのでしょう。

邪心を向けられれば、そこに生まれる感情は“怖い”かもしれません。
友人も私も自分の傾向を意識して、それぞれが体験の解釈に基づいて
人生で不足していたものを補おうとしているようです。

無邪気で善良そうな小母さんとちょっと邪心が強そうな小母さんが
ペアで歩いているところがおもしろいのですが、以前の私だったら、
見分ける余裕はなかったのではないかと思います。

コワガルほどのことはない…と意識するたびに、
これまでの傾向を補ってゆく楽しさを覚えます。
こんな小さな積み重ねが、けっこう大事だと思うのです。


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シンプルな感情

2011年11月07日 | 無意識の世界
好き・嫌い 怖い・怖くない。
好きと怖くないと、嫌いと怖いはセットではないか?
人間関係の感情を意識しながら、考えた時期がありました。
好きなら怖くないし、嫌いだったら怖い。。。今思うと、
この感覚は大雑把過ぎる、感情の分化がなされいないゆえの感覚のように思います。

好きでも怖いということがあります。
たとえば相手が眩しくて会うと妙に緊張してしまう。ぎこちなくなってしまう人がいます。
これは私自身の防衛機制と自己受容に問題がありそうです。

逆に、コミュニケーションが上手く取れて感情表現が自由に出来る相手には、
特に好きでもなかったけれど、付き合っているうちに好意が湧いてくることもあります。
こういう場合は付き合っていく内にどんどん相手の個性の美にも気付きだします。

怖いと相手のことがよく見えないので、伸びやかに感情表現できているかどうか。
時々防衛機制を意識してみるのが、人間関係ではとても大事なことのようです。

人にはいろいろな面があって、自分にとって好ましい点もあれば不愉快な点もあります。
のびのびと感情表現できる相手のことは、長所も短所も(自分から見て)理解した上で、
健全な、好きで怖くない関係。幸いな関係が成立している心地よさがあります。

私には、あなたとわたしの関係で部分的な嫌いを無視してきたゆえに、
好き・嫌い、怖い・怖くないが混乱して相手との距離を見極められずに、
長い時を過ごしてしまった反省があります。
のびのびと感情表現できない事を、少々軽視してきた反省があります。
自尊の念も足りなかったのでしょう。

好き・嫌い、怖い・怖くない。シンプルな感情を大事にしながら、
のびのびと感情表現できる幸いな関係を、増やしてゆきたいと思うのです。



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