こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

大事にしたい言葉

2008年11月27日 | 五感と体感
ひとしきり話を聴いた相手から、“がんばるわ!”の一言を聞いて、それはよかったと思う間もなく、“がんばるって、あまりよい言葉ではないらしいけど…”と、その人は付け加えるのです。以前にも別の人が、心のモヤモヤを語り終えたあとに、“この言葉、あまり使いたくないのだけど、がんばらなくちゃね”と言ったことがありました。

随分前に“がんばらない”という題の本が話題になってから、どうもその影響で、“がんばるは、使わない方がよい言葉”と思い込んでしまった人がいるらしい。本の内容はよく知りませんが、がんばらないという言葉だけが一人歩きしてしまったのでしょうか。

“がんばろう”っていう言葉、私自身けっこう口にします。他者と対話する中でも、相手の現状にあうと判断すれば“がんばって!”と声をかけますし、“がんばるわ!”という言葉を聴いて、こちらが励まされることだってあります。

今ここでの感情から自然に口をついて出てきた言葉は、“思い込み”に邪魔されることなく、のびのびと生かしてやりたいものです。感情と体感から湧いてくる言葉は宝物。大事にしたいですね。




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わたしの生き方!

2008年11月24日 | 未整理
久しぶりに会った母から、思いがけない言葉を聴きました。何気ない一言でしたが、少し前に私が出した手紙に触れて、“あなたの生き方は好きよ”と言うのです。手紙に書いたのは特別なことでなく、いつものように山の暮らしの近況ですが、何をして私の生き方を“好き”と思わせたのか?

母からみれば、不安定で幸福の条件からは程遠い娘の人生は“内心は受け容れがたい”はずでした。ところが、どうも情況は変化してきたようです。高齢の母が価値観を変えたわけでもなく、私の方が生き方を変えたわけでもないけれど、母の気持ちが不安感から平安感へ移行したことは確かです。

単純なことですが、人は安心を与えてくれるものが好きです。明るい感情生活に触れると幸せを感じますが、暗い世界には不安を覚えます。生活のスタイルは変わらなくても、私の明るい感情生活を敏感に感じ取ったことが、母の“好きよ”という言葉で表現されたのでしょう。

人は目に見えないところでも交流し、たえず影響を与え合って生きているので、私の(あなたの)日々の感情生活は、実は考える以上に他者にも深く影響を与えるものなのですね。







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不思議なふしぎな天国ガイド

2008年11月21日 | 意識と知覚
“天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド”という本を読みました。地上のガイドブックを読むのと同じく、さーっと斜め読みですが、なるほどと感心しながら、旅への心がまえはしっかり頭に入れました。急ぐ旅でもないので“心がまえ”だけわかれば十分です。

今できる旅の準備は、幸福曲線の感情(平安~友好~幸福感など明るい感情)を意識して生活すること、これがいちばんのポイントのようです。“人間の本質は不安”といわれていますが、日頃から人生の一大イヴェント、たった一度の大旅行の準備を心がけていれば、この不安もぐっと小さくなるような気がしますね。

仲間との楽しい歓談のひとときや、息を呑むような美しいものを眺めているときにも、“天国のように感じる”と素直に口にされる方を知っていますが、未来の大旅行の準備に怠りない方なのだと、この本を読んで解りました。この方にとっては幸福感を意識することが、天国のイメージに直結しているのでしょう。

日々の幸福感を大事に生きたいものだと、あらためて思いました。





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どうしてこんなことに!?

2008年11月20日 | 無意識の世界
心の安定を図るために、人間の心には“防衛機制”という仕組みが備えられています。この仕組みのおかげで、人は、日々刻々と変化する環境を生き延びることもできるのですが、成長過程で身に付け、呼吸するように自然に使ってきた方法も、人生のある時期に見直しを迫られることがあるようです。

“どうして、いつもこんなふうになってしまうのか…!?” 
繰り返し起こる出来事や感情の堂々巡りに気付いたならば、そのときこそ防衛機制を意識して、見直すチャンスかもしれません。

こんなことを書いているのも、つい最近“どうして!?”という懲りない体験を繰り返したからなのですが、“どうして!?”と発したくなる感情とは、ずいぶん子供っぽいなあということに、今回はじめて思い至りました。これは進歩です。
どうして!?と叫んでいるうちは、おそらく“私がこの問題を解決するのだという決意が足りない”レベルをさ迷っている段階なのでしょう。

答えはいつも私の中に存在している。問題の答えを見つけるためには、まだ意識化が足りない感情の世界をゆっくり探索する必要がありそうです。

防衛機制・テキスト86ページを参照










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ストレスのパターンに気付くこと

2008年11月19日 | 無意識の世界
“一緒でないと不安…” または、“一緒だと安心”という心理は、意識するしないにかかわらず、誰でも体験していることでしょう。人間の自然な感情ではあるけれど、この心理が知らず知らずの間に殆どの行動の動機になっているとしたら、それは大いに問題です。

皆が楽しそうにしていることを自分もしないと、なんとなく取り残されたような気分になる。それで行動して一時的に不安は解消されても、最終的にもっと大きなストレスを呼び込むようなパターンができあがっていませんか? 私の感情より、他者の好みに合わせることに行動の基準をおいているとしたら、“私の人生を生きている”とはとても言えません。

“取り残されたような気持ち”になるのは、たぶん生育過程でつくられてきた思い込み、錯覚のようなものです。

そんな傾向に思い当たったら、試しに一度“取り残されてみる”とよいかもしれません。“皆は楽しそう。でも私は惹かれない。それには何か理由があるかもしれない。一緒にできないのはちょっとサビシイけれど、とりあえず今は保留にしておこう”。 こうやって一時的な不安感に身を置くことも、“私の人生を悔いなく生きるため”にはどうしても必要です。







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夢にむかって生きる人

2008年11月18日 | 螺旋状に上昇する意味
人生の夢の内容は人それぞれですが、夢に向かって生きている人は例外なく、人生を“綺麗な螺旋を描きながら”歩んでいるようにみえます。そのような人たちは森羅万象の出合いをこころから楽しみ、すべての関係を現実吟味を働かせながら、さらさらと流してゆくので、人生という川の流れを澱ませるようなことが殆どありません。

実は、現実吟味を働かせることは“愛する態度”と不可分なのですが、相手の現実を正確にみるためには、どうしても私自身の澱みない目と、見抜く力が必要なのですね。

澱みない目と見抜く力を育てるための方法はただ一つ。私が私自身の現実をいつも正確に意識して行動する修練を続けていくことに尽きますが、私の現実とは、今ここにある感情にほかなりません。

夢に向かって歩む人は誰でも、高みを目指しつつ螺旋状に進んでゆくようにみえますが、綺麗な線を描きながら進むためには、それなりの心構えが必要なようです。澱みなく爽やかに流れていくための心構えについて、しばらく考えてみたいと思います。








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一日の終わりに

2008年11月13日 | 五感と体感
明日からカウンセリングの勉強会に参加しますが、出掛ける前日はいつも、留守中の食事の仕込みなど家事が立て込みます。今回は出発も迫ってから、勉強会の後、京都は大原の里に足をのばすことにしたので、いつにも増して忙しい一日を過ごしました。

三千院に行くのなら、やはり源氏物語はチェックしておきたい。大原にゆかりある“夕霧の巻”を筋だけでも押さえておこうと読み始めました。先月は終盤の巻、“浮舟”を読み、その次に読むのが“夕霧”とは、私の源氏物語は、その時その時の必然で本を開くことになりそうですが、ジグソーパズルをはめるがごとく、10年かけてじっくり付き合うつもりです。

出掛けの家事と物語、そして旅支度。気がつくと口を真一文字にして、張り詰めた気分で作業していた一日でした。予定がこなせなくて、ちょっと気になることは残りますが、一日の終りはゆったりとした気持ちで締めくくりたいもの。まん丸の月を眺め、ヨガ風体操で心地よさを味わってから眠りたいと思います。。。





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一歩踏み出す勇気

2008年11月11日 | 和解と平和
カウンセリングの傾聴により、積年のこころの澱を一掃し、自分という存在をまるごと受容してもらう体験は、時に“生きていてよかった”と感嘆するほどの喜びをもたらします。しかし、この喜びの体験は、際限なく受容だけを求める行動に駆り立てる可能性もある、これを心に留めておくことも大事でしょう。

受容された体験は、生き甲斐ある人生に向けて“自力で”歩むための土壌を準備してはくれますが、私の意志と、選択と決心、一歩踏み出す勇気なしには、生き甲斐ある人生の実現は不可能です。与えられた豊かな土壌に、苗を植え毎日世話をして、花を咲かせるのは私の仕事で、他の誰も手出しできることではないからです。

知らず知らずのうちに受容されることばかり求めていると、相手の動向に一喜一憂する不安定このうえない人生を送る羽目になりますが、そうならないためには、日々の経験(感じていることや感情)を意識に上げて、“では私はどうするのか”を意識的に選択して行動すること。その積み重ねだけが、自力で生きていく強さを育ててくれるように思われます。

日々の感情を意識できるようになっても、感情的な反応に終始する時期が長かった自分を思い反省をこめて書いていますが、日常生活のささやかとみえるような事柄にこそ、感情を意識して、“自分の行動が選択できる”ようになると、それだけで人生は輝き出すのですね。






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このごろの整理整頓

2008年11月08日 | 未整理
最近、時間ができると身辺の整理整頓をしていますが、以前の整理とはずいぶん意識が変化しているのを感じます。まず、幸福曲線(平安~友好~幸福感など)を感じながら整理していること、これがいちばん大きな違いです。これまでは、すっきりした暮らし、一粒選りの暮らしをしたいという過剰な意識が働いて“~ねばならない”が強かったので、ストレス感の中で作業していたのですね。

本棚を見ると、なんとまあ沢山の本を集めたものだと思いますが、今読んだら、つまらないと思えるような本も結構あります。以前は、そういう本があると不愉快になって、処分したいという気持ちがとても強かったのですが、今は、こういう本もあの頃は必要で糧になっていたのだなあと穏やかな気持ちで見ていられます。蔵書のすべてに対して友好的になったのは、“過去の自分を肯定的に受けとめられるようになった”幸いのしるしでもあるでしょう。

今、整理整頓は私の生き甲斐の一つといえるかもしれません。幸福曲線の感情を意識できることが生き甲斐というならば、日々の暮らしの中に(人生には)実にたくさんの生き甲斐があることにも気付きます。

日々、幸福曲線の感情を意識できること。
生き甲斐ある人生の一歩は、ここから始まります。




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返り咲き

2008年11月04日 | 意識と知覚
冬を前に、やっておきたい作業がたくさんありますが、気になりながら延び延びになっていたススキを刈り取って、少しほっとしています。植物のことは手入れの時期を逃すと、次の季節が台無しになるので気が急きますが、白い花の咲く木を選んで植えた斜面にススキが繁殖して、この春はろくに花を見ることができませんでした。長い間、この斜面まで草刈に手が回らなかった結果です。

今年は手入れの余裕もなく過ぎ去った花の時期でしたが、ススキを刈り取ると、思いがけずオオデマリの木に花が咲いているのを見つけました。晩秋にみる小さな白花。手ごわいススキを相手に、苦労した甲斐がありました。

オオデマリの花の返り咲きに労われ、コデマリ、ユキヤナギ、白花のムクゲ、山アジサイ、ウツギ・・・
今から、花の季節が待ち遠しい感じです。
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