こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

今朝の対話

2009年06月29日 | 第9章:愛
目覚めてから、起き出す前のひととき。しばし自問自答して“そうか、生きるとは旅支度することなんだ”と腑に落ちました。直前まで、仲間とわたし、それぞれの大荷物をまとめて、家に戻る準備をしているという夢を見ていました。そこから始めた自問自答です。

仲間たちは、煩いなく楽しげな様子でした。わたしはといえば、たくさんの本を運ぶのに、別送できるものと、どうしても手荷物でゆかなければならないものとを比べて、重さを確かめたりしているのです。さもありなん、と思いました。

旅支度するのは“わたし”なので、このわたしをしっかりさせないと、準備は上手く進まない。その“わたし”をしっかりさせるために“生き甲斐の心理学”を学んでいるのだなと、これが今朝の対話の結論でした。

きょうは生き甲斐の心理学の勉強会の日。梅雨空のはっきりしないお天気ですが、こころの方はすっきりと明るく、気持ちよく一日が始まりました。

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用もないのに、、

2009年06月27日 | 無意識の世界
“~でなければならぬ”という概念が希薄だった頃に戻りたい。そんなことを考えます。今、部分的にでも戻ってみたなら、感情生活がいっそう豊かになるのではないかな。そんな予感がするのです。

~でなければならぬがない頃というのは、用もないのにふらふら出かけて、近所の家に上がり込むとか、そういうことが許されて、お喋りして無邪気に自己開示していた頃です。

わたしの自己開示の傾向には、家庭環境、父母の思考と感情と行動が大きく影響しています。それで大人になって、育った家のあり様と正反対の家族が身近になったとき、自由と同時に混乱も体験しました。

どこまで自分を開いたらよいのか、どこまで開くことが安心なのか。この明確なスケールが体感として自分の中にあることが、日々の平安感の確かな要素になるようです。

自己開示のスケールを捉えなおすのに、あの頃にちょっと戻ってみたいというのが、今の心境です。用事なく訪問してもヘンな人と驚かず、にこにこと両手を拡げて迎えてくれそうな人。考えてみたら、戻ってみるのは想像の世界でもよいのかもしれませんが・・・。どちらにしても、ちょっと試してみましょう。

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コトバは難しい、でも!

2009年06月26日 | 第9章:愛
“気持ちよく自己表現するのを大事にしたい”などというと、相手を思う気持ちが希薄と受け取られてしまいそうですが、そうではないのです。

上手に自分を表現することには、相手への配慮や不快を与えないことは、当然の前提で含まれていると考えます。

折々の情況に相応しく、相手を思い、関係性を大事に、紙やカードを選び、ペンを選び、封印のシールを選び、切手を選ぶ。これはとても楽しいことのはずなのに、いつ頃からか、気億劫に書き出すことが多かったことを、反省します。

鉛筆の手紙を心楽しく書き進めることができて、封印や宛名書きのペン選びを久しぶりに楽しみました。鉛筆はちょっぴり気怠かった作業に風穴を開けてくれたようです。

ときに語ることは難しいと感じます。難しいからこそ探求のしがいもあるのですが、くれぐれも度を越してコトバに囚われるようなことがありませんように。言葉による、気持ちよく素直な自己表現を大事にしたいと思います。爽やかに楽しく!

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トレパン気分で

2009年06月26日 | 五感と体感
目の詰まった白のコットンパンツ。ウエストと足首が紐で調整できる弛めのズボンは、動くたびに生地の擦れる音がして、なんとなく気分が楽しく、軽やかです。

この楽しさはなんだろうと考えて、小学校の体育の時の、トレパンだと思いました。色付きジャージに変わる以前、低学年で身につけていた白のコットンパンツ。あれと同じ気分です。

知人へのお礼状を忘れていたのを思い出しました。いつもボールペンかフェルトペンか、付箋か絵葉書か決め手がないまま書き出してしまうことも多いのですが、思い切って鉛筆で書いてしまうことにします。鉛筆は好きな筆記用具なので、いつもよりサラサラ澱みなく言葉が出てきて、気持ちよく書き終えることができました。

これからも気心の知れた相手には鉛筆を使ってしまおうか。自然で気持ちよく自己表現できる場を確保している人ほど、どんな場所に居ても、相応しく上手に自分を表現しているようにみえます。

素直に自分を表現できる場所、方法を、これまでより意識的に大事にしてみたくなりました。なんとなく今は、鉛筆とトレパン気分に可能性を感じています♡

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はずかしい、、、

2009年06月22日 | 無意識の世界
小学校は低学年の算数の時間。“こたえは、おだんごが○○です”と答えて、クラス中に大笑いされました。数字は正解でしたが、クッキーだったか、単にお菓子だったのか、とにかくお団子と言い間違えたのを、先生とクラス中に失笑されたショックが大きく、くったくなく発言していたところから、その日を境にちょっと萎縮気味になりました。

今、大人の目でながめれば、お団子の言い間違いなど微笑ましいだけで、皆が和んでくれたと受け取ることもできます。しかし未だに、人前での言い間違え、書き間違い、勘違い等など、後で間違いに気がついたりしても、あの時の恥ずかしい感じがぱっとイメージされるのだから、けっこう染み付いているものです。

一大事は別としても、それが許される場ならば、どんどん間違えて、はずかしい、少々きまり悪いなあ、という感情をたくさん経験する方が、人生は楽しくなる!と、こんなこと書き始めたのも、実は、うっかりの間違いに気付いたことがきっかけでした。お団子事件の言語化のよい機会が与えられたのかも・・・そんな気もしてきました。

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平安感いろいろ

2009年06月20日 | 意識と知覚
人生の折々に、必要とする平安感はいろいろあれど・・・今こだわっているのは、理性の声を大事に行動して得られる平安感です。

理性を、などと大層に聞こえますがごく単純なことです。人間関係のストレスを意識した時に、明るく実のある解釈をして、明るい感情の領域に移行させる。これを出来るだけ早くビュンと移行させる。それを為して得られる平安感に、こだわってみたいのです。

昔、テニススクールに通っていた頃、コーチと打ち合うと、自分がものすごく上達したような気持ちになったものです。それと同じで、応答を的確に返してくれる人との交流は、当たり前のように満足が得られます。こういう平安感への希求ばかり強く、それが必要な時期もありますが、今はもうワンランク上の(難易度が)平安感を目指したい。

打ち難いボールが飛んできたときに、自力で上手く返すことの出来たときの爽快感と平安感。これを意識して知覚してみたいと思うのです。

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ひやっとする感触

2009年06月19日 | 無意識の世界
最近のことですが、わたしとあなたの関係で、ちょっと違和感を覚える対応をされました。すぐには事態が飲み込めなかったのですが、考えてみるに、相手は役割遂行に徹したのだと思います。

後になって、相手の応答がない沈黙は、“察せよ”の意思表示だったことに気がつきましたが、そこから私が連想したのは、サラリーマンや官僚社会の上司と部下の関係でした。

“察せよ、多くを語らせるな、、”時に目上や、近しい間柄のやり取りで感ずることのある言外の言葉。時間をかけて築いてきた信頼関係があれば、阿うんの呼吸で、違和を感ずることはありませんが、それがない“察せよ、、”は、温かさが皆無の、ひやっとする感じだけが残ります。

ひやっと冷たい感じは、感情の硬直と関係がありそうです。

感情について知っていることを、わたしは十分に生きているだろうか。時には微細な感情にも意識を向けて、自分がのびのびと感情生活を送っているかどうか、日々の自己点検はとても大事。思いをあらたにしています。

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自信満々・・・

2009年06月16日 | 無意識の世界
自信に満ちている人に惹かれます。もちろん唯の自信過剰は問題外ですが、他者への配慮もあって(的確な現実吟味力)、自身と他者に向けて開かれている人(爽やかな防衛機制)には、魅力を感じます。

この明確な人物像は、魅力的な人物のスタンダードとして、日々の対人関係に大事な指針を与えてくれます。

客観的に考えて、魅力的な条件を充たしているにもかかわらず、何故か明るい感情よりも、暗い感情に支配される傾向があるとしたら、自分の現実吟味と、自己防衛に何かヘンなところがあるのじゃないかなと、疑ってみてもよいかもしれません。

それとは逆に、条件からは、かなりかけ離れているにもかかわらず、何故か惹かれる傾向があるのだとしたら、それもまた、自分の現実吟味と自己防衛のあり方を再考してみると、意外な気付きがあるかもしれません。

自信満々の人。魅力的な人物から受ける善きもの、愛と信頼の気配をしっかりと心身に留めおき、スタンダードを刻み付けていると、迷走しがちだった対人関係がすっきりと、気持ちよく整理されてくるようです。

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すっきりさせたい

2009年06月15日 | 五感と体感
庭の緑。梅雨に入って深みを増していますが、生長した木々が、ちょうど人の目の高さに葉を茂らせて少々煩い感じです。ほどよい木陰の夏の庭が実現するまでには、まだ2,3年がかかるでしょう。

土仕事、草花や野菜の手入れをしながら、こころの世界と同じだなあと思うことがありますが、庭造りのプロセスは、しばしば心のプロセスと重なると感じます。

ある領域に限ってのことですが、濃緑の、ちょっとうっとうしい木々は、自分の今の心境そのものという気がします。

長い間、疑問に感じてきたこと、解らないまま保留にしてきたことが、間もなく明らかになる予感がするけれど、すぐには辿りつくことができない。もどかしいィ、早くすっきりしたい。でも今なすべきこと、出来るのは粛々の読書と思索だけです。

昨日ようやく、白花コスモスとヒマワリの種を蒔きました。花が咲く頃までには、心境の方も、今よりはすっきりと風通しよくなるだろうか。期待して待つことにします。。。

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気取ってみてもしかたない

2009年06月13日 | 無意識の世界
随分前のことですが、私の発言にたいして「気取ってみてもしかたありません」と返答されて驚いたことがあります。

気取っているって、いったいどこが?と、意味不明でしたが、今ならよく解ります。怒りの感情をストレートに表現せずに、抑えて遠まわしに伝えようとしたこと(知性化)を「気取っている」と表現されたのです。

感情をストレートに伝えず、知性化することで、関係が保たれる場合もあれば、はっきり表現しないことで信頼関係を損なう場合もあります。先の例は、後者でした。

ある状況で、“行き場がない感じ”と思うのも知性化だったことに、はっと気づきました。この言葉は行き場を塞がれてしまったという、いかにも外からの力に、そうされてしまったようなニュアンスがあるでしょう。自分が行きたくない、イヤだ、そんなの嫌いだという感情をオブラートに包んでいるわけです。

感情を正直に意識化できないと、解決の扉は開きません。

“行き場がない感じ”のホンネを意識して得た解決の方法は、居直りでした。イヤだという感情を強力に意識したら、それを上回るくらい強力に“そこで楽しく生きてみようじゃないの!”と、じわじわ闘志が湧いてきたというわけです。めでたし!

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