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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

やすらぎの場所

2007年10月03日 | 無意識の世界
江戸情緒を残すY地区、塀に囲まれた長屋式のアパートの2階に、友人が来客用に借りている部屋があります。一日中歩き回って、この部屋にたどり着きお茶を頂く時、心も体もほぉーっと弛むのがわかります。

夜もふけて、楽しき晩餐も済んで皆が帰ってしまうと、私は一夜のねぐらを作り始めます。落ち着くわよ、と勧められてから、そこでは季節を問わず蚊帳を吊るのが習慣になりました。蚊帳の中でぐっすり眠って目覚めた瞬間、ここはどこ?と、混乱を覚えることがありますが、そこで混乱しているのは現在の大人の私ではなく、子供用の蚊帳の中、午睡から目覚めたばかりの幼き日の私のようです。

塀と建物の間には土の空間があり、年輪を重ねた木もチラホラとある。そんな自然の気配が、木枠のガラス戸越しに入ってくる畳の間。

この部屋はどうしてこんなに落ち着くのだろう?

木と畳と自然の光と風。人の奏でる生活音を微かに聞いて、蚊帳の中に眠る。記憶を辿れば、これら全てが、私が幼い日に感じていた<やすらぎの原型>と重なることが解ります。

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楽しき晩餐

2007年10月01日 | 五感と体感
東京へ赴く私の楽しみの一つは、友人の木造アパートの2階で開かれる“晩餐会”です。彼女の料理は手早く大雑把ですが、実に美味しい。飲んで食べてわやわやと会話して、皆のびのびと自分を表し、主張します。

友人は食の安全性に全く頓着しないタイプで、誰かがニュースで仕入れた不安要素を呟いたりしても、「そんなの大丈夫よぉー」と一笑にふします。彼女の衣食住のスタイルは独特で、その個性は強烈ともいえるのに、この人と一緒にいると心地よいのは何故だろう?

考えてみると、私が共に居て、心地よく友好的な感情を経験するのは、例外なく<自己肯定・他者肯定ができている>人であるのが分かります。

自分の好き・嫌いと感じることを、良い悪いと判断をする前に、事実として認めることができる。同じように、相手が好き・嫌いと感じることも、事実としてそのまま認めることができる人です。

その家に集う人がイキイキするのは、きっと友人の<自他肯定>が感染するせいなのでしょう。
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