こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

よろしく、ニャン太朗

2020年01月08日 | 自己実現
2020年、令和二年を迎えて、新しい年はこうしてみよう、こうしてみたい、年末から年始にかけて目標めいたことが心にチラチラ浮かんできました。それらは何かを達成させるというようなことでなく、すべて心の持ち方や意識してみたいことで私自身のあり様に関する、ささやかな事柄ばかりです。ささやかすぎて忘れてしまって、すぐに思い出せないくらいなのですが、、、というか、こころの持ち方という、すぐに実践可能な領域のことなので、浮かんできた端から実行しているということかもしれません、わかりませんが。

たとえば今年は微笑を心がけてみたいなと浮かんだとして。今ここで、即実践できることですものね。誰かと一緒でも一人部屋の中にいたとしても、即やれることです。このように心のあり様、意識の持ちように関しては、小さいけれどすぐに実践できることばかりです。小さなことが実は一番力ある・・・秘められた力がある・・・なんて囁きが聞こえてきそうです。

心に浮かんできた小さな目標の中で、しっかり留めておきたいことを一つ記しておこうと思います。「死ぬ」という言葉をやめて「離脱する」と言うことにしよう。通常の使い方において、この言葉には死をもってすべてお終いのニュアンスがあるけれど、私はそうは思っていないので自分にしっくりくる「離脱する」を使いたいと思うのです。私としては体から魂が離脱した。これがしっくりする表現であると。年頭にこのようなことが浮かんできたのは、頭で(理屈で)理解していたところから感情的に解ったというところへ一歩前進したということかもしれません。死で終わるわけではない。魂が永遠とは本当にそうなんだという実感が強まったしるしなのだと思います。

元旦未明に愛猫が離脱するという出来事がありました。ニャン太郎と暮らしていたのは姪の家族で私は一度しか会っていないのですが、彼はメッセンジャーだったし今も変わりなくメッセンジャーであり続けます。ふしぎな現れ方をして9ヶ月を姪と暮らして、突然、離脱してしまいました。前日までいつもと変わりない様子だったのに寝床で眠りながら離脱してしまうなんて。不意をつかれた人間たちはひどく落胆しました。彼はすべて承知で前の飼い主の家を出てはみたけれど(性格から可愛がられていた猫であることがわかります)、偶々立ち寄った家に住んでみたくなって、離脱をちょっと先延ばしして住み着いたのだというのが人間の考える物語です。

ちょっと予定をのばして、このおばさん(姪のこと)のそばにいてやるぜ。たぶん、こんな調子で住み着いたのでしょう。先月半ばに姪から送られてきた写真を見ていると、今になってカメラ目線の一枚が「オレはもうじき離脱するぜ、、」と言っているように見えてきます。人間の心がもう少し澄んでいたならば、それを感じ取れたのだろうな。。。まあ感じ取れたからといって何も変りはないのですが。ニャン太郎は瞬間移動可能な世界の住人になったので、私たちが思い出せば即会えるし、心の交流はすぐに叶います。

死ではない、それは離脱である。と、ここまで書いてきて、魂は人間に通用する概念で猫は違うのでは?という声があるかもしれません。私にとっては違いはないのですが、そういう声があるならば、魂をエネルギーという言葉に置き換えることにしましょうか。死は終わりでない。体という乗り物から離れてエネルギーの世界に入っていったのだと。ニャン太郎の愛のエネルギーは不滅です。

この一年、小さな、こうしてみよう。実践できる心の持ちよう。ささやかな目標を思い出すたびにニャン太郎のエネルギーとともに生きることになるでしょう。新しい年を私たちが自己実現の歩みを進めてゆけますように。小さな一歩を大切に進んでゆけますように。

よろしくね、ニャン太郎

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