こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

感受性を、再発見。

2014年11月19日 | 螺旋状に上昇する意味
日常生活の、ちょっとした心の動きですが、
瞬間的に起こる“ああイヤだ、出来れば避けたい…”
逃避への傾きは感受性に関して、大事な示唆を与えてくれます。

そんな状況であれば避けたくて当たり前と、
当たり前に生きてきた感受性を、果たしてそうだろうか?
それを避けたいと感ずる気持ちの背景にある自己概念をあらためて吟味してみると、
そうでもなかった…避けたい気持ちの方がへんだったと、
無意識に温存してきた感受性のゆがみにハッと気付かされたりします。

たとえば私の場合、林道歩きでは村人に遭遇しますが、
歩いてゆく先に作業中の人の気配を察知すると、
鹿やイノシシよりも村人に対する方が、
後ずさりしたくなる気持ちは強かったのです。
もちろん村育ちである私の生育史が関係しているのですが、
これはヘンだわ、、と、気付いてから、
風穴が開いたというか空気の通りがよくなって清々しいこと。

それで。へんな感受性にハっとしたなら、
感受性の背景にある自己概念・思考をきちんと言葉に起こして、
新たな自己概念を、また言葉に起こして、
自己概念の再構成をしてみると、大事な気付きがいっそう
人生に活かされてくるようにも思います。

余分な避けたい、逃げたいものが減るということは、
怖いものが一つ減るということなので、こころの環境が快適になるのは当然です。

ところで、避けなくてもよいものを避けて、
避けてもよいところを避けなかった。
「逃避」の感受性はめちゃくちゃだった…と、思うのですが、
近頃は避けてもよいものを自然体でよけてゆく。
この新しい傾向が益々こころの環境を好くしてくれると感じます。

逃避するときしないとき。すべてはバランス、ですね。
私を幸福にしてくれる感受性を再発見して、
こころの環境を快適に、生きたいものだと思います。
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内なる情熱と自己実現

2014年11月14日 | 
それじゃあ余生を生きているみたいじゃない…!
自己実現の3つの法則(イメージして、言語化して、行動する)に、
消極的な私の発言を聞いて親友は少し動揺したようでした。

久しぶりに訪問した先輩がすっかり老け込み余生の風情を漂わせていたと、
がっかりした直後だったので、いっそう敏感に反応したと察しますが、
もちろん私は「余生ではありませんから安心ください」と答えました。

自己実現には外界に実現してゆくものと内的世界に実現してゆくと二通りあって、
人によって強く意識している自己実現が前者が強い場合と
後者が強い場合と個性の違いがあるように思います。
後者の場合は3つの法則が外に向かって明確に発信されずに、
ひっそりと行われるというところに特徴があるので外からは見え難いのです。
外から見えなくても(きちんと観察していれば見えるはずですが)
内なる情熱は熱く燃えているのです。

誰もが両側面をもっていますが、現れ方の比重に違いがあって、
それが個性の違いにもなっているのだと思います。

一般的には外へ発信される3つの法則をいわれることが多いので、
それに則って「自己実現を思索しなければならない」と囚われていた時期は、
一般的でない私は今思うと苦痛でしたが、二つの側面を理解した今は、
他者にも自分にも以前より自己実現というものを受容的に捉えられるようになっています。

3Vの法則を地で行っているように見える親友の刺激を受けながら、
私は私の自己実現の道を歩んでゆくことにいたします。

なんとなく余生は惰性の響きがありますが。。。
創造的に生きるのであれば余生を生きるなどありえませんね。
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コダワリが感受性を鈍らせる。

2014年11月01日 | 意識と知覚
ここ6,7年、秋の定日に、とある神社へ足を運ぶのが習慣でしたが、
今年は出かける直前になって方針を変更、図書館に出かけました。
なんとなく気が進まない自覚がありながら、
習慣にこだわり直前まで中止の決心がつかなかったのです。

止めたことは正解でした。以前から、
場所の気配に、なんとなくしっくりこないものを感じていました。
でも思い過ごしかしらと、それを確かめたくて通っていた節もあります。
杜が縮小してしまったことが影響しているのか…と思ったり、
長いお家騒動の記事を目にして、それが気配に影響していたのかと、
納得してみたり。。。しかし理由はどうであれ私の中で、
違和感というストレス曲線が、そこへ行く目的達成の満足感を
今年は上回ってしまったということでしょう。

その場で感ずるもの。感覚。私のフィーリングは、
コダワリや硬直した思考があると、意識化がぼやけてしまうようです。

後日、友人にその話をしたところ、友人はそこで体調を崩したと聞いて驚きました。
初めて知ったのですが神社仏閣の気配に敏感な性質のようです。
私もよく知る寺院の境内を、最近訪問してとてもよかったと、
それを聞いて、なるほどと思いました。

友人は夫の趣味に付き合うかたちで神社仏閣を訪問しているので、
強い思い入れがない分、場の気配を素直に感じ取っているのかもしれません。
思い入れやコダワリを外して、ありのままに見る。ありのままを感ずる。
場の気配を感じ取る楽しみ。そのような感受性を意識してみるのに、
とある寺院の境内に、久しぶりに出かけてみようかと思っているところです。

ところで図書館では、ふと目に付いた「銀河鉄道の夜」を借りて、
国宝を旅するヴィジョアル本の弥勒菩薩を思い致すのと併せて、
当初の神社訪問の目的が満たされたと思いました。
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