こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

ガラス戸が外れた

2014年01月30日 | 五感と体感
ガラス戸越しに見る自分の感情とは、
自分で認めたくない感情です。

或る日、思わぬ形で、その感情を認めざるをえない状況が起こって、
ああ恥かしいィと居たたまれない気持ちになって、
更に自分より先に他者に見えていたことにハッとしたとしたら、
行動によって他者にお見通しだったことに気付いたとしたら、
恥ずかしさの極みで消え入りたい気持ちになるでしょう。(私はそうでした)

その人の傾向によっては、これが引き金となり自己嫌悪に突入するかもしれませんが、
自己嫌悪ほど心と身体と魂にとってわるいものは無いのだと、
身心によくよく浸透したせいか自己否定感に悩むことはなくなりました。

ああ、よかった。本音を認めることができてよかった。
別に認めたところで何もコワイことなど起こらないのですね。
本音を認めたところから新しい一歩を始めるだけです。

実は他者に見えていたかどうか確かめることができないので、
本当のところは分からないのですが、“あの人にはお見通しだった”物語で満足です。
他人に知られようが知られまいが、そんなことよりも、
靄のかかっていた自分の感情がくっきり意識化できた、それが何より重要ですから。

♪どんなに上手にかくれても かわいいしっぽが見えてるよ~
 だ、だ、だれが見つかった~
私が私に見つかって実に気持ちがよいです。

認めたくなかった感情のガラス戸が外れたのは、よい萌しと思っています。
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幸福な日々の為の自問自答集

2014年01月23日 | 五感と体感
所属しているCULL(キュール)カリタス カウンセリング学会から、
幸福な日々の為の自問自答集が届きました。

自分は何処へ旅しているのだろう?
十ページほどの小冊子です。

パラパラと捲っていると、ざわざわと心が波立つのを感じます。
ふ~む、なかなか心地よき刺激かな。。。ひとり言呟き、
最初の項の「はじめに」を読むと、
・・・この特集にある50の「自問自答」が刺激剤となり、
勉強の方向を明確化してくれます。・・・と、あります。

おっしゃる通りですね、一人頷いたことでした。

深層心理学やスピリチュアル関連の本、ブログは巷にあふれ、
国境を越え、民族を越え、宗教を越えて、自由に閲覧、
刺激を受けながら思索できる時代に生まれていることに、幸せを感じます。

そしてスピリチュアル世界でしばしば耳にする、
人類は意識の進化の時代を迎えているという説は、私に希望を与えてくれますし、
ふつうに友人たちと、そのような話題を自然にしていること自体、
人間の意識のレベルがボトムアップされてきている証拠かと思ったりもします。

でも、そうやって他人と話したり、記事を読んであれこれ思う時間は、
意識が外に向かっているということで、意識の進化に必要な、
内面の深化とは逆を向いている…この自覚は、きっと重要です。

そんなことを考えながら小冊子を手にすると、自問自答集は、
ある意味、進化の時代の先端をいっているといえそうです。
今ここで、自分自身と向き合うための自問自答集とは、
意識の進化にとっても最良のツールになるかもしれません。

以上、自問自答集に触れて感じたこと考えたことを書きながら、
朝から少し停滞気味だった感情生活が、流れ出したのを感じます。

刺激に感謝、ですね。
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際限なく、迷いそうなとき。

2014年01月17日 | 愛とゆるし
それまで意識できなかった感情や思考が、
素直に意識にあげられるようになったなら、
次のステップは意識できた思考や感情を表現することでしょう。
本音に基づいて行動してみることです。

本音を行動の指針にするということは、
行動するかしないか、口に出すか出さないかも、もちろん含まれます。
行動するなら何をするのか、口に出すなら何を言うのか。
相手にどのように伝えるのか。どこまで伝えるのか。

そこに行きたいのか、行きたくないのか。
行くことの不安と、行かない事の不安と。
伝える不安と伝えない不安。。。

際限のない迷いに入りそうになると、
ここで命尽きるならどうする?と、少々大袈裟なようですが、
一瞬、死を意識にのせることがありまして、
すると迷いが消えてパッと決心がつくことがありますが、どういうことでしょうね?

もしかしたら死を意識するということは、今ここに生きいる私を
強烈に意識することと同じなのでしょうか。

その瞬間、頭ではなく身体で生きている私を意識することで迷いが消えるのかもしれません。

それまで意識できなかった感情や思考を意識して行動してみる、
本音を生きてみることが、“私”をつくっていく大事な要素になるのだと思います。

行動してみることで現実吟味力も養われます。

たぶん小さなことから始めればよいのです。
というか、身近な事から始める方がよいかもしれません。
まずは日常の些事に身近な人に意識的になることから始めるのがよいかもしれませんね。
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感情に巻き込まれなければ

2014年01月12日 | 愛とゆるし
前回に関連して。

聞き流せるようになったということは、
相手の感情に巻き込まれることなく、そこに居て、
状況はしっかり感じとっているので、
不快な言動を無視してやりすごしているわけでは、もちろんないのです。

そもそも以前のように我慢ならない不快を感じるということがないのです。

否定的感情は口に出さずに内心に納めておいて欲しい。
それがマナーというものでしょうと、相手を責めたこともありますが、
それは巻き込まれて否定感情に感染するのが迷惑だから、
そのような合理化?知性化?置き換え?等などで、
相手を糾弾したかったのでしょうね。

あなたのせいで、こんな不愉快にさせられた!というわけです。

ところが最近は、口に出してくれる方が解りやすくてよいと思うのです。
この人はこういうことに腹がたつのね。怒りを感ずるのね。
言葉で発散してくれた方が解りやすくてよいです。

巻き込まれなければ、どんな感情を聞いてもへっちゃらです。
巻き込まれなければ落ち着いてその場に居ることができます。
落ち着いて状況を見て落ち着いて相手の心情を想像できます。

巻き込まれない私をつくってゆきたいものですね。
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今ここで、心のイメージ

2014年01月11日 | 和解と平和
明るすぎることもなく暗くもない。
穏やかさのうちに晴れやかで、
静寂ではあるけれど沈み込まない、
やわらかな木漏れ日の中に、しーんと在る。。。

長く保ちたい心の雰囲気をあえて言葉にするならば、こんな感じでしょうか。
折々の喜怒哀楽を淡々と受け容れ、かつ淡々と通過させてゆく…イメージです。

身近で時々盛大な他者否定、外界否定を聞かされる羽目になると、
イラッときて、否定を発しているその人を否定したくなるのですが、
否定の連鎖ともいえるこの状況を止める方法はないものか?

考えてもなかなかよい方法は浮かばなかったのですが、
ふと気付いたら最近は、否定発言を間近で聞いてもあまり気にならなくなった。
以前のようにイラつかず、ざわつかず聞き流せるようになってきたとはどうしたことでしょう?

思い当たる節は、保ちたい心のイメージを明確に意識するようになったことと、
“今ここで”に焦点をあてることを大事にするようになったこと。
現在から滑り落ちて、過去に拘り後退しすぎたり、
未来に先走りすぎることのないように注意深くなったことが、
しいていうなら思い当たることなのですが。。。

否定の連鎖を止める方法は、“今ここで”を大事に生きること。
ということで、思い当たる節を大切にしたいと思います。
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ぐずぐずして踏み出せないことについて。

2014年01月10日 | 意識と知覚
こうしてみたいなあと思いつつ、ぐずぐずして一歩踏み出せないことについて。

何ゆえぐずぐずしているのか、行動しないのかと自分に問うてみれば、
きっとうまくゆかない・・・と、自信のない呟きが聴こえてきます。

無理に自信をかきたてるわけにもゆかないので、
自信が無いのは仕方がないこととして、とりあえず受け容れて、
こうしてみたいなあと思うことを行動するにあたって、
一歩踏み出すのに必要なものは?
踏み出すのに必要なことが何かを考えてみることにします。
“できるだけ具体的に”行動するための条件を考えてみます。

つまりは自信をもつための条件ということかもしれませんが、
一歩踏み出すのに何が必要か?条件は?と自問して、
「まずは書いてみること」と一つ答えがでたので、こうして綴っているわけなのですが、
まだ他に何があるだろう?しばらくの間、考えてみることにします。

さて、一歩踏み出せないのは自信がないからと呟いている限りにおいては、
暗いトーンのネガティヴなセルフイメージですが、
行動するために必要な条件を考えて、こんなふうに書いてみていると、
なんとなく明るい雰囲気が生まれている感じがするのだから、
単純といえば単純ですね。

やってみたいことがあるのに一歩も進めないということは、
踏み出せずに足踏みしている状態というのは、
私の願う心の雰囲気とは違うなあと、しみじみ思います。
願う雰囲気を保てる時間を少しでも長く…と、これも今年の目標にいれることにします。
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知らず知らずの感情に気付くとき

2014年01月06日 | 無意識の世界
自分の心の流れを観察していると、
湧いてくる感情にヨイもワルイもない。
すべての感情には意味がある…等の知識があるにもかかわらず、
実際には、ヨイ、ワルイと評価している心の動きを発見します。

感情を評価したり否定したりする傾向は、
長く慣れ親しんだ無意識の傾向ゆえに、
この微妙な動きは、なかなか気付けず、
事の重大さに気付くまで、けっこう時間がかかります。

こころの問題は自覚がないのが問題で、自覚できれば一歩前進ですが、
無意識に感情を嫌ってしまうようなクセを、どうしたらよいでしょう?

堂々巡りの閉塞感を感じるのであれば、
自分が無意識的に感情を評価したり嫌ったりしていないか?
ちょっと丁寧に自分の思考と感情を観察してみるのもよいかもしれません。

微妙な動きに気付くことが何故そんなに大事かというと、
無意識的に感情を否定することは、
無意識的な自己否定に直結している。
このことを私は経験的に了解したのですが、
まずは感情を嫌ってしまう傾向に気付くこと。
ああこれだと、その傾向に気付いた瞬間から、
問題の解決に向けて脳は動き出すことでしょう。

無意識に感情を嫌ってしまうクセをどうすればよいものか?
私の場合はこうするのがよいらしい、ようやく答えに辿りついたと思える今は、
思考と感情を観察しつつ新たな意識、思考と感情の展開を楽しんでいるところです。

これは問題だと自分で自分の問題を正確に掴んでいれば、
意識化できていれば、その人その人の最適な答えがきっと見つかるようにできているのですね。
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小さな目標

2014年01月05日 | 五感と体感
今年、こころがけたいこと。

「食事をゆっくりいただく」という、小さな目標をたてました。

私の場合、後片付けを思って食事は気もそぞろということがけっこう多いのですが、
後片付けに気を回して心ここに在らずは、
私の傾向になっている、たくさんの不毛な思考の一例にすぎないと思っています。

不毛な思考と感情から自由になりたいと思っているので、
今ここで目の前のことに心を一致させる訓練として、
まず食事から意識してみようと思ったわけです。

「食事をゆっくりいただく」

この小さな目標を意識していると、
食事だけでなく、他の心ここに在らずにも気付きやすくなって、
今に一致させることに、ふしぎと意識が向くようになるのです。

小さな目標のバックには、実は「今を生きる」という大きな目標が控えているのですが、
少しずつ大きな目標に近づけたい。。。まずは実践あるのみ、です。
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