こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

神々の訪問…

2008年04月29日 | 愛とゆるし
“感情は受け容れるのでなく、認めればいいのよ”“受け容れるというから、受け容れられない感情というのがでてきてしまうし…”旅に出る直前に友人と交わした会話ですが、これと似た話、どこかで聴いたことがあった・・・。そう、ある神父は次のようにおっしゃいます。

“神さまを信じると、私は言わない 神は認めるだけでいいのです”、神の存在は疑念の入り込む隙がないほど自明であるからして、信じる必要はないという訳です。神はサムシンググレート、宇宙、大自然など、人によって様々に表現されるかもしれませんが、ここで私は神父様の言に倣い、“感情を受け容れると、私は言わない 感情は認めるだけでいい”と、言ってみたいのです。

生きている限り、感情は否応なしに湧いてくるもの。感情をギリシャの神々に譬えるならば、こちらが受け容れようが受け容れまいが、おかまえなしに何時でも何処でも神々はやって来ます。ならば、どんな神の訪問でも―どんな感情がやって来ても、さらりと認めてさえしまえば、神は早々に引き上げていくかもしれませんし、
無視せず認めることで、訪問の意味を考える余裕も生まれてくるのでしょう。ゼウスやヘラの訪問が否応なしのものならば、受け容れるのは “感情”というり、“神々の訪問には、それなりの意味がある”ということの方だと思うのです。

絶え間なく訪れる感情に、いちいち躓いているのでなく、絶え間なく訪れる感情の流れを、軽やかに生きてみたい。

感情の大洪水に、修復が危ぶまれるほど打撃を受けた堤防でも、感情を無視せず(抑圧せずに)認めていく作業の中で少しずつ回復されていきます。ちょっとやそっとのことでは決壊しない堤防は、日々刻々の感情の波をさりげなく、さらりと認めること。この繰り返しの中から築かれていくものだと思うのです。










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ハプニング

2008年04月25日 | 愛とゆるし
出発の時刻が近づいても、アブラ(猫)が戻ってきません。林道に沿って名前を呼んでも、隣の森に向かって声の限りに叫んでも一向に姿を見せないので、やむなくフェリーはキャンセル、出発を一日延ばしました。旅の準備は万端ですから、夕方からは予定外の手持ち無沙汰の時を過ごし、今朝は居間のソファで目覚めました。ヒマな時間に浮んだことは示唆的で、これからの方向を指し示してくれたと感じます。

              *

5,6歳の頃、実家の奥座敷で一人過ごした時のことを、時おり思い出しますが、そこでは一人であって独りでないような、見守られているという感覚がありました。実際ひとり遊びしながら“神さまがみているからね…”と、愉しげに、ひとり言した記憶もあるのですが、近頃、これは、あの時の感覚と同じだなと
思う瞬間が、よくあるのです。大きなものに見守られている感覚・・・。それと共に、子供の頃には見えていて成長とともに隠れてしまった“個性”が、今頃になって息を吹き返してきたような気もしています。息を吹き返したなら、それを活かしてやりたい。

個性それ自体は、特徴とか生得的な傾向とか呼べるもので、長所にも短所にもなり得る物ものですが、個性をどのように見抜き、見守ってゆくか、付き合い方次第で、長所と短所の度合いが決まってくるもののように思われます。“個性の美”もしかりです。人はしばしば、自身の“個性の美”の守り手として、無意識的に、師や恋人や友を求めたくなるものですが、この人生で、個性の守り手としての師や恋人を得られるとしたら、それは稀なる幸運で、自身の個性の守り手は、自分でしかありえないと考えるのが賢明です。

もしか、自身で守り育てる気持ちが生まれ、それを生きられるようになったときに、個性を理解してくれる師や友との出会いは起こるのかもしれませんが、それを当てにしているうちは、絶対に無理。不毛な夢に終るでしょう。“生き甲斐の心理学”と繋がりながら、個性を十全に生きてみたい。無事に出発できたなら、今晩は船の上で、自身の個性を思い巡らし、具体的な方法や在りようをゆっくり考えてみたいと思っています。



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理想と現実と

2008年04月23日 | Weblog

しばらくの間、家を離れることになった。
旅にはノートパソコンを持参するとしても、
滞在先の小屋で、インターネット接続をどうしたものか。

フリースポット、ネットカフェ等の手もあると教わった・・・だけど行き先は街中ではないので、便利がよくない。

出発までに、作業の動機と必然を吟味して、防衛機制を点検して、理想と現実のギャップを縮めて・・・そして、明日の今頃は、穏やかな気持ちでフェリーに乗込む。
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丈夫な器・・・

2008年04月22日 | Weblog

しなやかで強い器
どんな感情でも、一端おさめることのできる器
豊かな感情生活に欠かせない、丈夫な器

脆い器から堅牢な器へ それには、
まずは器を感じることから(感じてもらうことから…)
わかったつもりから、ほんものの理解へ(体感としての)


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WAT A BEAUTIFUL DAY

2008年04月21日 | Weblog

知人の庭の最新作。木のデッキの脇に置かれた石に彫られた横文字は、主が青春時代に大好きだった曲のワンフレーズなのだそう。大工仕事、石積み、道具作りに庭仕事、その他なんでも、それが好きで好きでたまらなくて為された仕事をみるのは、愉しい。

高木がつくる穏やかな木陰、シャギーな味わいのある庭。そこから、バラの木を2本と、白いシュウメイギク、浅緑のアジサイ、イングリッシュデージーが、うちの庭にやって来た。バラの名はプロスペリティ、木っ端の名札が付いている。
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anima mundi

2008年04月20日 | Weblog

“世界に宿る魂”J・ヒルマン・・・ようやく、この本の中の言葉が、体験と結ばれて理解されるようになってきた。
魅かれるにまかせて、何度読んだかしれない。

おぼろげながらの理解だったのが、少しずつ、少しずつ…霞が晴れてゆくように見えてくる。 大事なことは、自身の個性をしっかり見抜き見守ってやること。
 
 
  
  
 
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世界が変わるとき…

2008年04月19日 | 無意識の世界
前回(4/12)に続き“思い込みから自由になる”ことについて。思い込みから自由になるとは、「体験の解釈」が変化することですが、自分を振り返ると、思い込みに気付くのにも段階があったことが判ります。生き甲斐の心理学では、感情生活に意識を向けることを大事にしていて、明るい感情の領域、とりわけ日々の“平安感”を大切に考えます。小さな気付きは、平安感にあるときに起こることが多いのですが、いくつもの小さな気付きという準備を経た後に、根深く強力だった思い込みが、突き崩される時が来るのでしょう。

人により内容は違っても、“強力な思い込み”から自由になるとは、これまで気付けなかった“思い込みの核心”に至ることで、過去の大小様々な体験が全く違った様相で知覚されるようになる。体験の解釈が変わることで、自分自身を友好的感情をもって新たに迎え入れるということが、起こるのです。

さて、私の思い込みの核心は、ずばり“セルフイメージに関すること”でした。これが私だと思っていたのは、ごく一部分だった。それも一番の特性、端的には“個性”というものを、殆ど理解していなかったことに、ハッと気付いたときの驚きといったらありませんでした。気付いてしまえば、糸を手繰るようにいろいろなことが見えてきます。

性格傾向(無意識的な心の動き*)との関連も見えてきて、あの人、この人の交流、あの時の反応、あの時の言葉・・・過去の出来事を新たに照合すると、なるほど、なるほどと頷けることばかりです。考えてみれば、過去・現在・未来…体験の解釈の連続が人生をつくっているともいえるのです。体験の解釈が世界を変える・・・学ぶほどに、この言葉の意味は実感され、誰にとっても、人生は祝福に向けて開かれているものだということが、確信をもって解るようになります。
 
*注:生き甲斐の心理学86ページ・こころをのびやかにする方法(14の防衛機制)

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たけのこ堀

2008年04月18日 | Weblog

曇り空が幸いして、木版カードが予定より早く摺り上がる。今日の内に送ってしまおうと思い立ち、小包をつくっていると、“たけのこはいかが?”と友人からメールが入る。

友人の竹林への道すがら、郵便局もあるので都合がよい。軍手に長靴、米袋を持って行く。筍堀専用のクワというのを初めて借りて、珍しく5つも堀ってしまった。たけのこ堀もなかなか愉しいと、初めて思う。道具と工夫は大事・・・。
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摺り日和

2008年04月17日 | Weblog

きょうは一日中、霧がかかり、木版摺りに最適の日。水辺に咲くコオホネと、ツユクサが綺麗に摺りあがる。作業しながら、えもいわれぬヨロコビがやってきて、どういう条件で、このような感情が起きたのか?考えている。(これは中国の易経の考え方に通じる)

実はこのような日常の小さなヨロコビが、一番大事。
・・・だからしっかり掴んでおく。


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雨の日はトーンダウン。。。

2008年04月16日 | Weblog

終日の雨。すべての感情には意味がある。とりわけ“憂鬱感”は、まだ生きられていない、内なる存在からの大事なシグナル・・・雨の日の憂鬱とは別に、そんなことを考えてみる。

夕方になって少し雨足が弱ると、いよいよ深くなった霧の中、あっちからこっちから、ウグイスが鳴きだした。
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