こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

身体感覚で、見守る

2011年07月31日 | 五感と体感
朝、なんとなく重い気分で目覚めました。
この気分がどこからきているのか・・・?
体感としては、お腹の辺りがなんとなく重い感じがあります。
鈍い輪郭の大きな固まりがあるような、そんな感じです。
考えるのはやめて、とりあえず“その感じ”に留まっていると、
ちょっとした気付きがありました。

昔の忘れていた出来事、ちょっとした記憶がよみがえったのですが、
判断や解釈は加えず、じっとみつめるだけにしておくと・・・
そのうちに輪郭は淡く広がり、溶けるように重い気分は消えてゆきました。

一日が始まると、思い出した出来事が何だったのかも忘れてしまいましたが、
遠い日の怖かった何か、体験の一つだったような気がします。

受容するとは判断したり解釈することでなく、
ありのままの感情に留まり、行方を静かに見守ることです。
ときに辛抱強く見守ることかもしれません。

感情を身体感覚で見守ることの大切さ・・・頭の片隅に覚えておくとよいかもしれません。

(120-11)
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生きた感情生活

2011年07月30日 | 無意識の世界
感情を受容することの大切さを理解していても、
実際に生きるとなると、そう簡単にはいかないものです。

感情について知識を得て、それなりに成育史の分析作業もこなして、
自身の感情傾向や自己防衛の傾向の理解が進んで、
かえって感情体験が疎かになっていたのかもしれません。

この感情の意味は了解済み、成育史のあの出来事に起因している・・・
それで、こういう傾向が出来てきて云々・・・というように、
感情体験を理屈で、左脳的に理解して済ませたことも多かったような気がします。

湧いてくる感情には意味がある、嫌な感情にも意味があると知っていても、
実際、嫌な感情が湧いてきたときに、理屈をつけてさっさと遠ざけてしまうとしたら、
感情を大事にしていることにはならないし、無意識では、
嫌な感情が湧いてくる自分を、なんとなくうっとうしく感じているかもしれません。

湧いてくる感情にはすべて意味があるというそのことを、
実際、生きるとなると、それは言葉で言うほど簡単なことではありませんが、
それを再確認して、やれやれとため息つきながらも、
まだまだやることはあると、進化する感情生活に希望を感じてしまうのですね。

(120-10)
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ここのところ

2011年07月29日 | 意識と知覚
こころの環境は薄曇の安定といったところです。
安定はしているけれど活気がない。
活気を取り戻すには、どうすればよいかと考えますが、
これまでのやり方では、うまくいかない。進めない。

いつのときも感情との付き合い方がポイントで、自分の中では、
もっと右脳に比重を置いて付き合うべきと答えがでています。
薄曇の安定の中で得た答え。今必要なのは、
感情に留まり、身体感覚に焦点を合わせてゆく作業です。

過程は人それぞれで、答えは本人以外知りえないとしても、
これまでのやり方ではうまくいかない状況とは、誰にとっても、
感情生活の深化、そして進化のチャンスが巡ってきたことなのだと思います。

(120-9)
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なんとなくでも意識できれば・・・

2011年07月22日 | 無意識の世界
人の心には(成育史の心には)防衛機制で不安感を解消させようとする働きがあります。
フロイトの発見した防衛機制は14個ありますが、人によって使われ方は様々で、
防衛機制を理解するのとしないのとでは、感情生活に大きな差がでるようです。

かつて、人生の幸福は感情生活の豊かさによって量られると言った人がいましたが、
健やかな感情生活(防衛機制)は自分も周りも幸せにしてくれると感じます。

ある人の日常が幸福曲線よりストレス曲線に傾いていると自覚した場合、
自身の「逃避」傾向を意識しているかしないかによっても、明暗が分かれるように思います。

イライラして何でも人のせいにする責任転嫁―「合理化」する傾向には、
合理化の前に「逃避」が働いている可能性がありますし、
なんとなく刹那的な気分で恋愛に身を焦がし―「退行」しているのだとしたら、
やはり退行以前に、何かから「逃避」しているようにもみえます。

高い見識や良識ある本を読み漁って知的な理解は進めど、
日常生活に本の中身がちっとも反映されないのであれば、そこには、
「逃避」から「知性化」という防衛機制の流れがあるかもしれません。

逃避→合理化、逃避→退行、逃避→知性化、逃避→転移、逃避→・・・
もちろん私もそうで、人間であれば誰でも「逃避」の傾向をもっていますが、
問題は“逃避している自分を意識できているかどうか”、ここが分かれ道のようです。

現実逃避している自分をなんとなくでも意識しているかどうか。
ストレス曲線(不安感~)から、幸福曲線(平安感~)へ。健やかな感情生活は、
自身の「逃避」の理解にかかっているといっても過言ではないような気がします。

*14の防衛機制・生き甲斐の心理学のテキストを参照のこと

(120-8)
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ストレス曲線を見抜くとき

2011年07月20日 | 愛とゆるし
ストレス曲線(不安感~怒り~身体症状~鬱~錯乱)をのぼりつめた結果、
他者否定に走ってしまうようなことは、誰にでも起こり得ます。
内向的な自問自答で他者否定の堂々巡りに陥る場合と、
他者否定を外に吹聴して発散させる場合があるようです。

誰かの悪口を話しまくることで、安定をえることが、
その人の傾向として定着してしまったようなケースもあります。

人を悲しませる悪口に走り、意地悪することでストレスを発散させる傾向も、
こんな傾向は嫌だ、なんとかしたいと本人が自覚しない限り解決はありませんが、
ここで考えてみたいのは、そのような意地悪にどう対応するべきかということです。

盛大な他者否定を聞かされる立場になったとき、私はどうあるべきか。
相手がストレス曲線の極みにいることを見抜いた上で冷静に傾聴できるのは、
人生経験を積んで体験的に心の仕組みを理解している成熟した大人か、
生き甲斐の心理学を真剣に学んでいる人だけかもしれない・・・
最近の出来事から、そんなことをしみじみ思いました。

人の発言に主観的な見方が入いるのは当然として、
ストレス曲線を上りつめた情況では、そこに必ず思い込みの事実誤認が纏わり付いています。
それを見抜くことなしに、錯乱している相手の言葉を鵜呑みにして同調するとしたら、
その聴き手は人間の心の認識があまりに不足しているか、
聴き手自身の深刻なストレス曲縁を疑った方がよいかもしれません。

一人一人が自身の感情生活、ストレス曲線を正確に自覚することだけが、
他者のストレス曲線の理解を可能にしてくれように思います。
意地悪しないではいられない悲しきイジワル子さん…本人は気付かぬとも
無意識では(魂は)、ストレス曲線を見抜いてくれることを切に望んいるはずです。

(120-7)
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郷に入りて、愛

2011年07月19日 | 第9章:愛
成育史の愛し愛された場面/愛の原型を折々に意識化するのは、
懐かしさやセンチメンタルな気分に浸ることが目的というわけではなく、
ストレス曲線をさ迷っている私が、愛を感ずる能力をここで取り戻すためです。

現在の私が、再び人々の優しさや親切を感じられるようになって
滞っていた感受性が再び流れ出すとき、私の感情の流れは自ずと、
ストレス曲線(不安感~)から幸福曲線(平安感~)へ移行していきます。

人は愛の原型を思い出すことで、埋もれて見えなくなっていた、
愛し愛される能力を、ふたたび取り戻すことができます。

今回の私は、当初のストレス曲線の極みのような段階から、
愛の原型を意識しながら、日を追うごとに心身の硬直が少しずつ解かれて、
故郷を離れる頃には、自他肯定の感情の流れが生まれていました。

ところで私だけ十数年離れて暮らす間に、母と亡き姉と姪の間では、
姪を中心に日常的なハグが習慣化していたようです。
新幹線の駅での別れ際、姪にとって叔母のハグは予想外でしたが、
生き甲斐の心理学では“その人が愛と感ずるものが愛”と定義しています。

愛を伝えたければ、その人の解する形で伝える努力が必要ですが、
自分がストレス曲線の只中にあるときには、決して愛の定義は思い出さないし、
とても他者の愛の原型を慮る余裕はでないものです。
滞在を終えるときに私がハグで愛を伝えようとして、それが叶ったのは、
愛の定義を知っていたからで、生き甲斐の心理学の学びの成果といえるでしょう。

成育史の愛が思い出せなければ、これから原型をつくればよいわけですが、
愛されている現実を感じる能力が、他者を愛する能力も可能にしてくれます。
これが愛の原型を意識することの最大の理由なのだと、私は理解しています。

(120-6)
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根っこの感情

2011年07月16日 | 無意識の世界
一親等と三親等と、ときどき二親等と友人がアクセントに入ってくる。
故郷の日々の前半は母の病室から家に戻ると、
人間関係のストレスにずーん沈み込むような時を過ごしました。

今思うと、一つの体験に縛られて被害妄想に陥った情況ですが、
被害妄想…この意識には恨み辛み、怒り、悲しみ、虚無感、、、
ネガティヴな感情がすべて入ってくるように思われます。
それらの感情を辿っていくと最終的に辿りつく感情は「怖い」です。

あなたが悪い、あなたが間違っているとうい他者否定の奥に、
怖がっている私がいるとは意外ですが、辿っていくと、
相手をコワガッテ、怖いからこそ「間違っている!」と
必死に反撃しようとしている自分がいるわけです。

“私は怖がっている・・・”怖がっている自分にはっとしたとき、
いったいぜんたい、これは怖がるほどの状況なのだろうか?
私は何をそんなに怖がっているのだろう?と、冷静な自問自答が始まります。

妄想とはよくいったもので、怖いといったって焼いて食われるわけでなし、
生命をとられるわけでなしと思った途端に、ふっと心身が弛むのでした。

焼いて食われるわけでなし。そう思うことで日々を切り抜けているうちに、
被害者意識からも徐々に脱却することになりますが、
ネガティヴな感情の堂々巡りを意識したならば、
諸々の感情のいちばん奥に在る感情を知ることで、
案外、解決の糸口がみつかるものかもしれません。

「好き・嫌い」 「怖い・怖くない」 これが諸々の感情の
いちばん根っこにある感情で、人間の原初的感情だそうです。

(120-5)
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夏の夕暮れに

2011年07月12日 | 魂と聖霊
今日も一日暑かった・・・ソファに倒れこんで、ぼんやり小窓を見上げていました。
西日が射し込み、光の帯が床までのびています。
風に揺れる梢の緑に見とれていると、お寺の鐘の音が聞こえてきました。

涼風が心地よい時刻には、濡れ縁に出て深呼吸。。。
緑の空気をいっぱい吸い込むと、満ち足りた気持ちになりました。

帰宅して一時間あまり、自然の中に溶け込むような時を過ごしながら、
このところの、心身の凝りがほぐれてきているのを感じました。

光の帯と深緑の中の虫の音、小鳥のさえずり、そして夏の夕暮れの匂い・・・
私を育んでくれた自然環境の様々な風景が、甦ってきます。

梢の向こうにオレンジの月がのぼる頃には、
“あなたが間違っている”・・・このところ私を苦しめてきた
他者否定の思い込みが、崩されるつつあるのを感じていました。

人は、心と体と魂から成っています。

ときどき生育史の心は、他者否定することでバランスをとろうとしますが、
愛そのものの魂は、他者否定に苦しみを感じます。だから、
他者否定からくるストレス曲線(暗い感情)は、魂の感情といってよいのかもしれません。

たぶん夕暮れ時の自然に心身を委ねたことが、魂のためにとてもよかったのです。
扇子を取り出す元気もないほど精根尽きたとき、
自然の息吹の中で、心の防衛がいとも簡単に解かれたようでした。

(120-4)
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香りの記憶と幸福曲線

2011年07月11日 | 五感と体感
概して、曇天の心境で時が流れてゆきます。
ストレス曲線は上昇して、怒りを通り越して情けない、やるせない、悲しい。

体験の解釈だけでは、どうにも手に負えないので、
五感や身体感覚から幸福曲線を努力するようにしています。

今なら病院から戻って一息ついて、白檀の扇子をとりだします。
子供の頃、いちばん素敵で好きだった母の夏の装いが、
濃いベージュのレースのワンピース姿で、私の中では、
その装いと白檀の扇子がセットで記憶されています。

大人になって、懐かしい白檀の扇子を自分のために買い求めました。
優雅に扇げば天然木の穏やかな香りに満たされて、しばし安らぎの体感を漂います。
私にとって白檀の扇子は、愛の原型を呼び覚ましてくれる大事な小道具というわけです。

怒りを通り越した憂鬱を意識しだしている今日この頃、
五感と体感で、曇天の中の晴れ間を少しずつ増やさなければと思います。

この憂鬱は入院中の母が原因というわけではありません。
もっと宿命的な、愛の孤独感が根本にあると自己分析しています。

身体に染み込んだ安らぎの香りの記憶が、孤独感をほんの少し和らげてくれます。

(120-3)
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故郷は難しい・・・

2011年07月10日 | 意識と知覚
3月から続けていた気功が、ここ一月途切れています。
あの震災の直後、二泊三日の気功の講習会に姉と参加していました。
その姉が突然逝ってしまって、私の習慣も途絶えてしまいました。

こちらに来る前日、久しぶりに試してみましたが、
そのときだけで、やはり気功の習慣は戻ってきません。
同じことをやって姉と繋がる、遠くにあって気で交信する、
今思うと、祈るような気持ちで気功に励んでいたのだと思います。

その姉の乗っていた車で、母を病院に見舞う日々ですが、
病院の周辺は新幹線の駅ができてから、すっかり様変わりして
昔しか知らない私は、多くの商業施設と縦横に広がる道路に戸惑い、
不慣れな車を運転していることに加え、
このところの暑さで心身の疲労はかなりのものです。

感情体験も故郷ならではの心の流れを経験しているわけですが、
自分の解釈の原型をまざまざと見せ付けられているようでもあり、
それは疲れることですが、それだけに、どんな思考/解釈をすると、
ぱっと気持ちが楽になり、ストレス曲線を脱することができるか。

故郷は、それがみえやすい環境ともいえます。

楽になるのは一瞬で、すぐにぐずぐずになりますが、
それでも少しずつ、その一瞬を広げてゆけそうな気がします。

自分は何のために生きているのか?
故郷のストレス曲線は、いちばん大事なことを問い直す、
またとないチャンスを与えてくれているように思うのです。

(120-2)
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