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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

一日のはじまり

2011年03月23日 | 五感と体感

悩んでいるのは私なのだから、私が私の問題を解決する。この意識を推進するために、私の感情と身体感覚を大事することを心がけています。個体の強化というか、“生きている私”をくっきりさせることが重要だと思うのです。

それには気持ちよい五感を意識して知覚することも大事でしょう。感覚的な好き・嫌い、怖い・怖くないが意識できることも大事ですし、湧いてくる感情を肯定的に解釈してゆく知恵も必要だと思います。

朝の目覚めのトーンがなんとなく精彩を欠いている・・・そんな今は、とりあえず身体感覚に意識を向けて、起床する。起床したら練功(気功の決まった動作)をする。朝のスタートに心身を調えることが大事な日課ですが、身体感覚から平安感を得て一日を始める、この方法に助けられています。

「個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する」

ロジャーズの19の命題の第一番目にもあるように、私が生きているのだから、私の感情、身体感覚から出発する以外、存在しようがないし、世界は始まりようがないのですね。

(119-2)

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こころを調える

2011年03月18日 | 五感と体感

平時の安穏から底なしの不安感へ、天災を境にわたしの心の環境は激変しました。思考と感情のバランスをとるためには、列島を覆う大きな不安感から、意識して、自分を切り離す必要があるようです。

自分の手に負えない不安感に同一化している内は何も始まりませんが、自分の身の丈にあった不安感を意識しだすとき、心は安定してくるのでした。わたしの場合は結果的には、夕べさめざめと泣いたことが突破口になりました。泣いて泣いて感情を発露したとき、現実を受け容れることができたのだと思います。

平時の安定は激変しても、季節はめぐってきます。今朝は久しぶりに霜の庭にでました。ミツマタが満開、豊後梅は遅くまだ蕾だと朝のメールで被災地の友に伝えると、後で、思いがけず庭の紅梅の写メを送ってきてくれました。ほっとする瞬間を共有できたことが嬉しくて飛び上がってしまいました。

手に負える不安感と向き合いながら、心のバランスを保つこと、相手に必要なものを届けたいのなら、自身の心を調えるのが先決であることを天災の後の友人たちとの対話の中で、このことの大切さに益々気付かされるのです。

(118-2)

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按摩の効用

2010年12月04日 | 五感と体感
背骨を回しながら“内臓を按摩する”という気功を教わりました。
凝りが解れて内臓が按摩される感じが、脳に刻まれたせいなのか、
他のことをやっていても、“これは、按摩だ…”と浮かんできてしまいます
たとえば文章を練り上げる過程も、なでて、押して、揉んで、叩いて・・・
これはもう按摩そのものではないかという具合です。

言ってしまえば、日常生活とは按摩の連続で、
押して、叩いて、揉んで、心身を鍛え上げてゆくのが人生だと、
そんなふうに考えると、なんとなく笑みさえ浮かんできて楽しくなってしまいます。

人間関係もしかりで、かつては不快なだけだった抵抗感や違和感も
按摩だと思えば心地よい刺激と感じるようになります。
刺激をどんどん意識化して、湧いてくる感情を折々の状況に相応しく
対処、昇華してゆくことができれば、心身の健康の維持・強化につながることでしょう。
心の按摩は最初は親しい間柄から、少しずつ範囲を広げてゆくのがよいかもしれませんね。

(100-6-1)
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再び、涙について

2010年11月26日 | 五感と体感
意外と、悲しい、哀しい、カナシイ感情を自分でわかって、
泣けることって、少ないような気がします。
誰かを喪失したときの悲しみの涙は別にして、
平素の人間関係で怒って泣いているようなとき、怒りの奥には、
実は悲しいという感情が隠れているのだけど、
その悲しみを理解して、自分は今悲しくて泣いているのだと、
きちんと感情体験するところまでは、至れないようです。

だから、なんとなく不消化な感じが残ったり、
心が浄化するところまでは、なかなか体感できないのでしょう。

涙がこぼれる、泣くという行為は、実はものすごく正直に、
その人の心を身体の反応として表わしているにもかかわらず、
意識の方が、悲しみという感情を拒んでしまうようです。

実はつい最近、感情と寸分違わず一致して泣くことができて、
つまり怒りの奥にある、悲しみを意識することができて、
涙の理由を、正直に伝えるという体験をしたばかりです。
意識と流した涙が一致した清々しさを、久々に味わいました。

(100-3-2)
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無防備の、楽しさ?

2010年11月23日 | 五感と体感
日曜日、教会でクリスマスの飾り付けをしました。
3つのツリーと馬小屋と、玄関のイルミネーション、
そしてランチの準備と、適当に分かれて作業を進めますが、
私は3人で聖堂にクリスマスツリーを飾りました。

作業の後、神父さまのパエリアのランチを賑やかに頂いてきましたが、
行事の前にはいつものことで見慣れた光景です。
しかし今回はなんとなく、いつもとは違う楽しさがありました。
楽しかった。この言葉が、いつもより深いところから湧いてくる感じです

一緒にツリーを飾ったHさんも“きょうは楽しかったですねー”と言っていたので、
いつもと違っていたのは、私だけでもなかったようです。

心と身体にずれのない、いつもより統合されている感じ。
感情は絶え間なく動いているのだけど、安定感がある。
枝葉は折々の風に揺れるけど、幹は動じずしっかり立っている・・・、
そんな感じと表現したらよいでしょうか。

後でつらつら考えて、これが“無防備”ということかもしれないと思いました。
どういうとき、人は無防備でいられるのでしょう?
無防備の開放感と楽しさを忘れないように。よく覚えておこうと思います。

(100)

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混乱をどのように収めていたのだろう?

2010年11月19日 | 五感と体感
あの頃の憂鬱な人間関係と新しい世界での不安感。
そのストレス曲線を、どのように処理していたのか考えてみると、わたしの場合、
休日の登山が心身のバランスをとるのにとてもよかったのだと思います。

20代になって始めた登山は、子供の頃から憧れていたことだったので、
登山に関しては何の迷いもなく、統合されていました。
同好の友も、山に行けば平素の交流とは別次元に移行しますから、
山では日常のすべての人間関係から自由になれるわけです。
山歩き、自然の中に入ってゆく時間をもつことで、
あの頃は辛うじてバランスをとっていたように思います。

人間関係の悩みを、信頼のおける誰かに打ち明けてみることはあっても、
いつも、なんとなく満たされないものが残ります。
心の奥深いところにある本質的な悩みに辿りつけない限り(気付けない限り)、
満たされないのが当たり前なことは、今になるとよく解るのですが、
問題の核心に辿りつくまでの堂々巡りのような日々を
なんとかバランスを持ちこたえさせるためには、一つでよいから、
自分を安定させる場所持てることが、とても大事なことのようです。

(99-3)
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自然を感じる

2010年09月18日 | 五感と体感


緑滴る国土に生まれた、ふしぎ。
この偶然を生き抜くのに、
自然の織りなす変化に鈍感であっては、もったいない。
変化する自然に敏感であることは、
山川草木の国土に生まれたものの使命かも・・・そんな気さえします。
不毛の堂々巡りに落ち込まないためにも、
身近な自然に感じ入る時間は意識して、大事にしたいものです。

(青人草・78)
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猫の、トラ

2010年09月16日 | 五感と体感


山の隣人の畑で、サツマイモ堀をしてきました。
一休みの冷茶を頂く間中、膝の上でまどろむトラ。
考えてみたら、猫に触れたのは半年振りです。
道路の真ん中で、ご主人の散歩を待っています。

(青人草・76)
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この世で、唯一のわたし

2010年09月14日 | 五感と体感

この世に、誰一人同じ人は存在しないとは、あたりまえのようでいて、実はきちんと意識してみると
とんでもないことなんだと驚いてしまうし、なんともふしぎな気分です。

同じ空を眺めていても、同じ感じ方をしている人はいないし、今ここでこのように知覚しているのは、この世でたった一人、わたしだけ。同じ夕焼け空を眺めて、きれいだねーと共感の言葉を交わしたとしても、それぞれが、それぞれの見ている夕焼けに感動しているのであって、そういう意味では、同じはありえないという現実とは、なんともふしぎで・・・神秘の領域に触れているような気がしてきます。

五感を総動員して目の前の風景に身をゆだね、一人であることを感じてみる。一度でも存在の神秘に深く深く感じ入ってみると、隣に佇む人と、きれいだねーと感情の共感がもてることじたい、奇跡のように思えてくるのです。

ときには一人で在ることに、とことん感じ入ってみる…そうすると、同じであることの安心感に埋没しいたときには見えなかった、一味もふた味も違う、広やかで自由な平安感が見えてくるようです。

(青人草・74)

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9月の朝

2010年09月01日 | 五感と体感
涼しい朝でした。
その後も曇り、小雨が降ったかと思うと時々薄日も射して。
台風の影響か風も強めです。
やっと風鈴を外す気になりました。

土手に生えた50cmほどのクサギ。
なかなか愛らしい花と思います。
名前ほどには臭くない、ちょっとクセのある匂い、
季節が進むと濃い青色の実を付けます。

(青人草・65)
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