こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

誰が、私している?

2023年08月29日 | Weblog
いのちが、私している…過去のブログ(2022/02/02日付)の表題が目に留まりました。いのちが、私している・・・言葉が書いた当時より深く響いてくるのを感じます。

いのちが、私している。いのちが、あなたしている。いのちが、彼してる。彼女している。同じいのちが、私して、あなたして、人間だけでなく、猫も犬も花も、生き物だけでなく石だって。あれもこれもそう。そう思えば、そんなにオソレルこともないじゃないと身体が好い感じで緩んでくるのを覚えます。小さな私が身体を信頼してその声に耳を澄ませると、いのちが私しているヨロコビがふつふつと湧いてきます。

「私」をぐーんと身体まで引き延ばしてイメージするときは「私が、いのちしている」になっていますから、それは疲れるはずです。これに気付いてクスっとしてしまいました。このイメージで長くやっていれば(生きていれば、、)それは消耗するはずです。正しくは、いのちが私しているです。たぶん大きないのちの部分が、私しているのです。
(2023/8/23)


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私は、身体のどのあたり、、?

2023年08月26日 | Weblog
ときどき「私」と心の中で呟いて、身体のどのあたりに私を感じるか確かめてみることがあります。確かめようと意識することで別の場所にさまよい出ていた「私」を定位置に戻すわけですが、「私」の在るべき場所は胸の真ん中あたりと感じます。

あるとき自分がこころを統合させるときに「私」を身体的にどのように感じているのか思い返してハッとしました。「私」を身体全体に大きく引き延ばしたようなイメージを感じて、そのようなイメージはかえって抑制、抑圧の温床になるのでは??「私」を身体の大きさに拡大するイメージはとりあえずの対処法として効果があっても、ありのままの感情を意識に上げるのは難しくなるのではないかと、そんな気がしたのです。

そのような気付きがあって、統合するときの「私」の身体的なイメージは拡大でなく胸のあたりに感じる小さな私のまま統合するイメージに変わりました。身体を信頼しないと小さな私の統合は叶いません。

折に触れて身体感覚で「私」を確かめる、身体感覚に落とし込むことで自分の望む方向へも進めると感じます。
(2023/8/16)
メダカに興味津々のカンちゃん
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今ここ、、

2023年08月23日 | Weblog
色づいた一本のホオズキを雑草の中に見つけました。ホオズキにはこれがピッタリと朱色の実が映えそうな陶器に挿しますが思うような形になかなか収まってくれません。安定をよくするために底に石を入れたり小さなグラスを仕込んでみたり、いろいろ試しましたが最後は焼き締め陶は諦めてガラス器の一輪挿に落ち着きました。

この間ああでもこうでもと30分以上やっていたことになりますが、なんと集中した時間だったことか。自動的に起こる思考が介入する余地のないこのようなひと時、、、朝食がいつもより30分遅れましたが、そんなことには代えられない、こういうのが大事なんだなぁと妙に感じ入った朝でした。
(2023/8/12)

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