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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

歩いて歩いて歌いだす

2009年10月14日 | 五感と体感
このところの寝つきの悪さは、明らかにストレス曲線の症状です。昨日は睡眠不足を補うために50分の午睡。その熟睡の後、ふと林道を歩いてみようと思いたちました。部分舗装工事が始まっている林道の未舗装と舗装の割合を、歩数で確かめてみよう。釣べ落としの夕暮れ前にメモとペンを持って出発しました。

その結果、林道の凡そ半分は舗装になることが分りました。豪雨のたびのヒヤヒヤから、すっかり解放されるまでにはまだ何年もかかるでしょう。それでも100歩分も舗装が伸びるとは、本当にありがたい。帰りの上り坂は木立のざわめきや小鳥達の気配を感じながら、のんびりと家に戻りました。

それから、あらためて共同購入の食料を取りに車で出かけました。友人宅までのドライブ、ふと気付くと歌を口ずさんでいます。明らかに30分足らずの山歩きの効果です。午睡の前までは、とても歌うような心境ではなかったのですから、心と体はやはりひと続きです。

今朝は珍しく寝過ごしました。大慌てで台所で動きながら、大きな声で歌っていました。朝ごはんを催促する猫にも替歌で答えます。木立を歩いて歌いだす♪…どうやら暗い暗い感情の領域からは脱したようです。

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愛とゆるしの原型

2009年10月13日 | 第9章:愛
どんな仲良しに対しても、面白くない感情が湧いてくることはあります。明るい感情だけもたらす人間関係があったとしたら、それこそ不気味です。

心の世界を探求し出すと、多かれ少なかれ親に対して否定感を体験することになります。身近にいた兄姉に対しても同じ。もっと共感的に理解してほしかったのにちっとも解ってくれなかったと、成育史をうらむような感情が湧いてきますが、自分を理解するためには、これも必要なプロセスです。

自分のことが理解できてくると、自己中心的に見ていたところから、今度は自分と相手を含めた人間全般に興味が湧いてきて、自分の成育史を客観的に見る余裕も生まれてきます。

家庭はカウンセリングルームではなかったのだという、当たり前のことに気がついて、与えてもらったものの大きさに気がついて、家族が欠点だらけだったこと、共感してくれなかったことにさえ、深い意味があることに思い至ります。

家族が、愛とゆるしの原型の一つだったことに思い至ります。

たとえ家族でなくても、自分さえその気になれば愛とゆるしの原型をもつことは可能です。愛とゆるしの原型をもつ幸い。人にとって、これに勝る幸いはないかもしれません。

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選べるのが大人

2009年10月09日 | 和解と平和
森羅万象に身を置いて、大小様々なハプニングの連続の日々を生き抜いていく。湧いてくる思考と感情の、どこに焦点をあてて行動してゆくのか。自分にとって一番必要なもの、大切なものを見極め、選択する大人の力を育みたいものです。

自由こそ大人の旗印です。囚われない心で、大事なものを選び取っていく能力。たくさんのハプニングの中から、どこに焦点をあててゆくべきか。心と体と魂の滋養になるものを慎重に選択して、行動していく。たとえドアが開かれていても、今の自分にはマイナスになると判断したなら、そこには入らない。大人は現実吟味を働かせます。

誠実に、真摯に自己の思考と感情に向き合い判断していくなら、その判断と行動は他者のためになるばかりか、ひいては社会のためにもなる。これは驚きですが本当です。ロジャースが19の命題で語っている言葉(パースナリティの理論p148・14~18行目)は、学びの当初から私の胸に深く刻まれました。そして生き甲斐の心理学を学ぶ価値も、ここにあると考えます。

さて、自分にとってマイナスになるとはどういうことか。心と体と魂を大切にするとはどういうことか。自由な心の自問自答。これを何よりも大切に生きられたらと思います。

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空を巡る巡礼

2009年10月02日 | 魂と聖霊
劇団東演の“どん底”を観ました。舞台には4体の二段ベッドと二十数名の役者たち。全員が白を基調とした衣装に、セリフや音楽に合わせてベッドの上を回転しては、浮遊するような歩行を繰り返す。独特の動きは透明な混沌とでもいったらよいのか、なんともふしぎな世界が展開します。

どん底を生きる人々の救いようのない現実が描かれている一方で、どん底にあってもなお善きものを希求して止まない心の本性が描かれている。それが希望の光として、確実に観る者の心に残ります。洗練の極みと思える演出と鍛錬あればこその役者のしなやかな動き。久しぶりに手が痛くなるほど拍手しました。

どん底の人々に揶揄されながらも信念を曲げず、信じる言葉を言い残して立ち去ってゆくルカにこんなセリフがあります。“わしらは、みんなこの地上では巡礼さ。わしらの地球だって空を巡る巡礼というじゃないか”。ゴーリキーの戯曲が生まれて100年を経て、今尚上演を重ね観客を集め続けているテーマは、やはり“信じて見えてくるもの”なのだと思いました。

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