こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

違うから面白い

2008年09月30日 | 愛とゆるし
下の村から我が家まで約1kmの道のりは、今どき珍しい未舗装の林道です。激しい雨で道が荒れるたびに陥没が激しくなり、いよいよ親友(夫です)一人の補修工事では間に合わない状況になりました。それで、この秋は漸く舗装工事に取り掛かることになり、ほっとしています。

早い時期から、“一度には無理でも、少しずつ舗装を拡げていかないと、体力がもたなくなる”と、私は心配してきました。それとガタガタ道では、人に訪問を躊躇されるようになることを懸念してきました。

このような私の主張は、直感的-ものごとの全体を掴む-に判断したことですが、それに対して、親友は経験に基いて判断していくタイプなので、補修するだけの体力が維持できていて、人が訪問してくれるかぎり、道路整備の必要性が、どうしても実感できないようでした。実際に作業する人が、その気にならなければどうにもならないので、私としては、心配しながらも、“仕方ない、時を待ちましょう…”と、過ごしてきたのでした。

本人が体力の限界を感じ始めたことと、“あの道では訪ねるのが億劫になる”と友人から率直に言われたことが重なって、漸く道路整備は具体化してきました。経験主義者と直感タイプ、双方の優先順位が、漸く一致したわけです。

誠実に動いてくれそうな助っ人も見つかり、その他、諸々のことを考えても、今、具体化したのは実に、時機を得ていると思えます。焦らずに、待っていてよかった。

直感に頼るのも、経験に頼るのも、成功することもあればそうでもないこともありますが、とにかく、正反対の傾向の人が身近にいるというのは、忍耐もいりますが、またそれだからこそ、学ぶことが多いのも事実です(これは経験的に理解しました)。双方の違いを楽しめるようになって、(ときに面白がって)ずいぶんストレスは減りました。本音を大事にしながら、最終的には丸くおさまることが多くなったような気がします。



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la Verna ラ・ヴェルナの僧院

2008年09月28日 | 魂と聖霊
9月某日、丘の上に建つAgricola Casentineseの宿から約20km道のり、木洩れ日の中、両脇にハリエンジュが生い茂る、曲がりくねった山道をラ・ヴェルナの僧院を目指してバスは走ります。1214年にSt.フランチェスコが、僅かな仲間と共に築いた祈りの場が、その10年後に起きた聖痕の奇跡が知られるようになると、修道僧はもとより、内外の巡礼者も増えて、今日のような規模に発展した森の僧院です。

その日も大勢の巡礼客で賑っていましたが、行き交う人びとの中にいて、なぜか、“独りあること”と“繋がっていることの心地よさ”を同時に感じていました。

800年もの間、修道僧たちの無私の愛と沈黙が、祈り込められた空間に、Andrea della Robbiaの彫刻が、柔らかな光を投げかけています。修道院の聖堂や回廊に掲げられる聖画のレリーフ。乳白色の人物像に、背景がブルーに彩色された浮き彫りをみていると、厳しい修行生活の内にも、修道僧たちが感じとっていた確かな喜びと、満ち足りた日々が伝わってくる、よく解ると思うのです。

訪れた日、大聖堂では一定の修道期間を終えた修道僧のための記念のミサが、まさに執り行われようとしているところでした。茶色の僧服に身を包んだ50人ものフランシスコ会士の入場を間近に見ながら、少女の頃に初めて出会ったカトリックの司祭が、同じ色の僧服を着た方だったこと、そこから生まれた縁を想いました。

個人の人生が様々な感情に彩られることは、僧院でも俗世にあっても同じです。木々や草花、動物や小鳥、そして岩…自然の息吹を受けながら、祈りと沈黙の内に育まれてきた森の修道院。この森で感じ取った気配は、“見えないものに信をおくこと”からくる平安感の、確かなスケールになりそうです。


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現実吟味

2008年09月26日 | 五感と体感
山に暮らしていると言うと、“では、自給自足ですか!”と訊かれる事が多いのです。その度に“…どうも野菜づくりのセンスがなくて、自給自足には、ほど遠いんです、、、”と、期待を裏切るような答えを返してきました。センスがないことは確かだけど、何よりも、熱意が足りない自覚もありました。

それがここのところ、わりあい熱心に作業を進めています。長ネギと、ブロッコリー、キャベツ、レタス等の苗を植えました。ネギの他は、葉っぱ類が全部で10本足らず。かなり内輪な数ですが、植えるまでには、草とりと堆肥を混ぜて、土をならしてと、けっこう時間がかかります。

家と菜園を何往復もして道具を運び、クワとスコップで土をすくい上げ、けっこうな全身運動にもなります。思えば「体をつかう山の生活」が私の理想だったはず。
山の生活の理想に向かって生きれば、心とからだのバランスのために一番よいことを、今更ながら確認して、それ以外に、ヨガや太極拳、整体、気功など、生涯継続できることを探してきたのは、いかにも現実吟味のないことだったと思います。

だいたい、人生のやりたいことの優先順位を考えれば、これから何かを習う時間の余裕など、あまりないことにも気付きます。

体力づくりは、“山の生活一本にしぼることに決めた”ことを、友人に電話すると、「スワイショウ(肩の力をぬいて手を振り回す運動)10分」を教えてくれました。太極拳を試みた時からスワイショウは身近になっていますから、当面は、山の暮らしの作業諸々、+スワイショウでいくことにしましょう。そして、もう一つ忘れてはならないのが、しっかり歩く日をつくること。エトルリアの遺構巡りで、連日でこぼこ道を歩くうちに、膝の痛みがとれてしまったのは、平素の歩行不足が、証明されたようなものです。自分の現実を吟味することは大事です。方針が決まって、とてもすっきりしました。
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アレッツオ Arezzo

2008年09月20日 | 第9章:愛
雨の予報がでていたので、どうせならイタリア映画でも観ながら家にこもろうと、その店にあった唯一の伊映画、
“ライフ イズ ビューティフル”を借りてきました。10年前に公開され数々の賞に輝いた映画でしたが、予備知識がなかったため冒頭に“1939 Arezzo”とでたときは、ちょっと興奮しました。

よりによってアレッツオとは…!

先のスタディツアーで、最終日、空港へのバスの中でアンケートをとりました。心に残った街でもよいし、博物館で見たあの副葬品とか、忘れがたい風景でも、何でも良いから、自分にとってのベスト3を紙に書き込むのです。迷いながらも、私は3つの場所を選びだして、その中のベスト1としてArezzoと書きました。

Arezzoを訪れた日は、ちょうど中世に起原をもつ盛大なフェスタの日でした。サラセン人の脅威に、近隣の村々が自衛団を組織して戦ったことを記念するお祭り。いつもの休日は広場で開催される骨董市も、お祭りの為に公園に移動しています。骨董市の後方の木立の中に、私たちはピクニック・ランチを準備していました。突然、大砲の音が轟きます。早々にピクニックを切りあげて、ドゥーモの前から繰り出す、パレードの見物に向かいました。

石造りの街を、村ごとの鮮やかな衣装の隊列が行進し、騎兵隊と楽隊と、時折、槍さばきのパフォーマンスなどを挟みながら、延々と続くのです。それから、隊列の行進と見物の人ごみを縫うようにして辿り着いたのは、聖フランチェスコ教会。憧れ続けてきたPiero della Francescaの絵にも、やっとたどり着きました。

Arezzoのフェスタとフレスコ画。そして、映画で語られる人生の哀しみと喜びと・・・城壁の街の思い出、あの場所で吸い込み、感じ取ってきたものの気配と共に、ふと気づくと、映画に流れる“ホフマンの舟歌”をハミングしている私がいます。映画の主題が旅の思い出と重ね合わされ、Arezzoは揺ぎ無いベスト1になりました。

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下町の“陽気”

2008年09月17日 | 五感と体感
トスカーナ地方に入る前に、4人で南東部をドライブ旅行しました。その時に訪ねたナポリの人びとのこと。前回の続きです。

その② 山間の宿のカッラさんはナポリから通って、兄の宿を手伝っている20代の女性。来日経験もあるのだから、さぞ日本語を試してみたかったでしょうに、こちらの拙いイタリア語に実に辛抱強くつきあってくれました。ナポリ行きに際しも、懇切丁寧にバスの乗降を説明してくれて、本当に助かった。息つく暇もないくらい電話で長いお喋りを続けているところはさすがイタリア人と感心しましたけれど、おかげで無事に往復することができました。

その③ バスで怖い体験があった直後で、少し緊張して歩いていたら、何気なく見やった食料品店のガラスケースの奥から、お兄さんが目配せを送ってきた。途端に力が抜けて、安堵感につつまれる・・・人を楽しませることに専心するナポリっ子気質とは、このことか。気分が落ち込んでいた分、感動も大きかったようで。

④⑤を飛ばして、⑥ 道に迷い、バスの時刻を気にしながら困惑しているところに、日本語で話しかけくれたフランチェスカさん。おかげで乗り遅れずに済みました。

考えてみれば、このような親切は、どこの街でも受けそうなことではあります。そんなありふれた親切が、ほのぼのとした思い出として残るとしたら、秘密は、ナポリっ子の放つ“陽の気”にあるような気がします。

最後に、⑦ 帰りのバスを待つバスステーション前で、けたたましい女性の声にびっくりして振り向くと、早足で逃げる夫と思しき人を妻が声を張り上げ、怒鳴りながら追跡しているところでした。人目をはばからない盛大な夫婦喧嘩、これもナポリ名物の一つらしい。このケンカは強烈な西日に照らされながら、バカンスの重たい荷物を引きずり、疲れ気味で行き交う人びとを、一瞬はっとさせ、活気付けたようにみえました!

 
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ナポリ NAPORI

2008年09月16日 | 五感と体感
時差ぼけで睡眠時間がずれ込み、変な時刻におき出しました。テレビを付けると「わたしが子供だったころ」という番組が始まり、なんと、その日の出演者はイタリア出身でエッセイシストのジローラムさん。粋なスーツ姿のジローラムさんが、ナポリの映像と再現ドラマを挟みながら、子供時代のエピソードを語る番組が見られるとは、なんとよいタイミングでしょう。

ナポリといえば旅の最初に、山間の宿からバスで出掛けて、ちょっと怖い目にもあったけれど、ナポリっ子の人情に触れてほのぼのとするような体験もあった街でした。

思いで① 市内バスに乗り込んだ途端、危うく取り囲まれそうになりました。ショルダーバッグを手で押えながら、不穏な男たちの間を必死ですり抜けますが、噂に違わず “ナポリはちょっと怖いところ、、”を、早々に体験したわけです。バスは、ゆるいラッシュアワー程度に混んでいましたが、安全地帯へ移動するまでの間、私の動向が善意の注目を集めているのがわかりました。旅の先輩と思しき欧米の旅行者からは、周囲に目を配りつつ英語で声をかけられ、チャイルドキャリーの傍らに立つナポリの若い母親は“無事でよかった…”の眼差しを投げかけてくれたような気がしました。難を逃れたから言えるにしても、ちょっと怖い体験も、このような人情に触れたおかげで、ナポリらしい体験ができてよかったと、時間が経つほどに、よき思い出に変化しています。

ナポリでは国立考古学博物館のコレクションに感動し、歴史的な教会にも足を運びましたが、なんといっても。こころに残っているのは、街で見かけたあの人、この人のことばかり。訪れた場所よりも、なぜか人の印象ばかりが思い出されるナポリです。


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美しい顔

2008年09月14日 | 五感と体感
イタリアの旅から戻ったばかりですが、記憶が薄れないうちに、少しずつ旅の印象を書き綴ろうと思います。

エトルリア人の遺構めぐりが中心のスタディツアーでは、各地のアグリツーリズムの宿を利用しました。4箇所利用した中で、とりわけ印象深かったのが、旅の終盤にトスカーナで3連泊した“Agriturismo l’Elmo” この、ヘーゼルナッツとオリーブ栽培している農家の宿は、マンマの手打ちパスタと自家製オリーブオイルの味わいもさることながら、気負いなく、そこはかとなく伝わってくる家族の在りようと温もりが心地よい宿でした。

その家の次男と思しきファーストくんがサービスの合間に見せる爽やかな笑顔。彼に人気が集まりましたが、彼の他に、二十数名が取り囲む細長いテーブルを端から順に、丁寧に公平に、各自に料理をとりわけてゆく女性の横顔にも、私はすっかり魅了されました。手伝いに通ってきている女性のようですが、その顔EarlyItalianの絵画に描かれる女性の面差しを彷彿とさせ、仕事に集中する真剣なまなざしを、とても美しいと思いました。

表のサービスは、その女性と3人の息子たちが順番に受け持ち、お母さんは料理の采配に徹しているようで、表にでてくることはありません。別の宿で、朝に夕に客のテーブルを回り愛想をまくマンマとは対照的です。出発の朝、主であるお父さんを見かけました。ヘーゼルナッツの畑にトラクターで出てゆく後姿には、誠実で頑強な善き農夫の気配が漂っているように見えます。山道とはいえ、納屋を改造した客間が車道に面しているのは決して良い条件とはいえません。それでも、他のどの宿よりもl’Elmoは魅力的な宿として心に残ることでしょう。

誠実な仕事から生み出される、信頼と安らぎの雰囲気。人が心惹かれるのは、最終的には風景でも部屋のしつらいでもなく、美しい顔(在りよう)のある場所のようです。

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