人と接していて“なんとなくへんだなあ”と感じても、自己信頼が足りないと、その感じを曖昧にしたまま、やり過ごしてしまうことがあります。へんだなあと感じれば、それは相手を理解するための手がかりにすればよいだけのことで、人はいろいろな面をもっているのだから、光と影に彩られた相手の在り様を理解することは、愛する態度とも一致するはずです。
不実の娘たちを見抜けず、誠実な末娘に辛く当たったリア王の物語。物語には人間の可能性が極端に描かれているにしても、不実と誠実はすべての人間の可能性なので、誰でもちょっとずつゴネリルであり、コーディリアの要素をもっているのだと思います。ふいに現われる影の要素に触れたとき、人は“なんとなくへんだな”と感じるのではないでしょうか。
影の要素に触れても判断をくだすことなく、保留にしておける“大人の態度”がないと、人を見抜けないという意味では、誰でも小さなリア王になってしまう可能性があります。死ぬ間際にリア王だった自分に気付き、愕然とするようなめにはあいたくありません。
悔いのない人生のためには“なんとなくへんだなあ”、この感じを保留しておけるだけの、自己信頼という強固な足場が必要です。“なんとなくへんだなあ”、時々その感じを大事にしてこれなかった自分を反省しつつ。。。
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不実の娘たちを見抜けず、誠実な末娘に辛く当たったリア王の物語。物語には人間の可能性が極端に描かれているにしても、不実と誠実はすべての人間の可能性なので、誰でもちょっとずつゴネリルであり、コーディリアの要素をもっているのだと思います。ふいに現われる影の要素に触れたとき、人は“なんとなくへんだな”と感じるのではないでしょうか。
影の要素に触れても判断をくだすことなく、保留にしておける“大人の態度”がないと、人を見抜けないという意味では、誰でも小さなリア王になってしまう可能性があります。死ぬ間際にリア王だった自分に気付き、愕然とするようなめにはあいたくありません。
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