こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

小さなリア王

2009年02月19日 | 愛とゆるし
人と接していて“なんとなくへんだなあ”と感じても、自己信頼が足りないと、その感じを曖昧にしたまま、やり過ごしてしまうことがあります。へんだなあと感じれば、それは相手を理解するための手がかりにすればよいだけのことで、人はいろいろな面をもっているのだから、光と影に彩られた相手の在り様を理解することは、愛する態度とも一致するはずです。

不実の娘たちを見抜けず、誠実な末娘に辛く当たったリア王の物語。物語には人間の可能性が極端に描かれているにしても、不実と誠実はすべての人間の可能性なので、誰でもちょっとずつゴネリルであり、コーディリアの要素をもっているのだと思います。ふいに現われる影の要素に触れたとき、人は“なんとなくへんだな”と感じるのではないでしょうか。

影の要素に触れても判断をくだすことなく、保留にしておける“大人の態度”がないと、人を見抜けないという意味では、誰でも小さなリア王になってしまう可能性があります。死ぬ間際にリア王だった自分に気付き、愕然とするようなめにはあいたくありません。

悔いのない人生のためには“なんとなくへんだなあ”、この感じを保留しておけるだけの、自己信頼という強固な足場が必要です。“なんとなくへんだなあ”、時々その感じを大事にしてこれなかった自分を反省しつつ。。。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

感覚を楽しむ・追記

2009年02月18日 | 意識と知覚
目の前に現われてくる様々なものを感じていると“思考に気をとられているヒマがない”と言うより、“感情に気をとられているヒマがない”というのが正確だと、気がつきました。

強い不安を自覚したならば目の前の事象に意識を向けてみる。感覚を味わうことで、感情に溺れるヒマを与えない。不安の中で考えてみても、建設的な思考は出来ないものなので、今は感覚を楽しみながら、“行動すること”に重きをおいて過してみる。

明るい感情生活は、明るい思考を生み出します。明るい感情生活の基本は平安感なので、感覚を楽しみながら、幸福曲線(平安、友好感、健康感、幸福感、統御感)を目指そう!
生き甲斐の心理学と、これまでの人生で学んだことです。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

感覚を楽しむ

2009年02月17日 | 意識と知覚
先週から、春の木版摺りに取りかかっています。前にも書いたことがありますが、友人から任されている季節ごとのカード摺りを一日3,4時間。いつもより快調に進んでいるのは、五感を意識的に、楽しむようにしているせいかもしれません。

作業の工程に沿って、使う感覚が変化してゆくのを意識して楽しむことは、今に集中することです。色を調合してバレンで擦りながら、ふとFMラジオの音楽が耳に入ってきたり、筆を洗いに立つと、ガラス戸越しにジョウビタキのタキチャンが目に入る・・・目の前に現われる様々なものを感じていると、思考に気をとられているヒマがありません。

このように過す一日は“精一杯生きた”という、充足感があります。

母から譲り受けた、スミレ模様が編み込まれたスェーター。肌触りのよいニットの感触もちょっと優雅な気持ちになって、快調な作業に一役買ってくれているような気がします。時にはメリハリをつけて、このような演出もよいものです。

もうしばらくは一日一日、五感を意識的に楽しんでみるつもりです。春のカードが摺り上がる頃には気力も漲り、また新たな地平が見えてくることでしょう。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

美しいなあ…

2009年02月12日 | 意識と知覚
K半島に移り住んだ当時、山や田畑で働く地元民が、「うつくしいなあ」という言葉を日常的に使うのを聞いて、とても驚きました。自然に触れて感動したときに、「うつくしいなあ」と表現されるようでしたが、それを聞く度になんとも幸せな気持ちになるとは、どういうわけでしょう? 

考えるに、“美しいと感じるこころ”に感動している私がいるようです。

美しいなあと、感動している人を見ると、なぜか幸せな気持ちになります。素直に“うつくしいなあ”と感動することが、すごく大事な気がします。あれこれ理屈をつけずに素直に感動できること。

ミネルヴァさん(2/10記述)の映像に惹き込まれたのは、単純に、美しかったからでしょう。
あれこれの理屈や評価する必要はありません。信じることを生き抜いている姿が美しかった、これだけで十分です。

ミネルヴァさんの真っ赤なスカートと、鮮やかな柄のベッドカヴァーを思い出すたびに、笑みがこぼれます。本物の喜びだけが、本物の喜びを引き出す力があるのだと思います。美しいなあと、素直に感じられることと生きる喜び・・・どうも深い繋がりがありそうです。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

満ち足りた時間

2009年02月10日 | 魂と聖霊
少し前になりますが、テレビでスロバキアの山間の村、ヴルコリニェツのクリスマスの様子が放映されました。18世紀の木造民家が世界遺産にも登録されて、クリスマスは里帰りの人で多少賑やかになりますが、平素は6世帯、人口28人の小さな集落の映像です。

番組は村人のミネルヴァさんが共同の清水場で水汲みする場面から始まりました。細い雪道をバケツを提げて家に戻ると、壁際に暖房と調理ができる頑丈なキッチンストーブ、真中に大きなベッドのある室内が映し出され、一人暮らしの日常生活はこの一部屋で営まれているのがわかります。

クリスマス・イヴ。書机に小さな灯りをともし、ミネルヴァさんは一人静かに祝い日の晩餐をとります。飾り気のないシンプルな食卓ですが、傍らに立つ大きなモミの木には、母から譲り受けた大切なクリスマス飾りが煌いていました。食事が済むと深夜のミサに与るために教会へ。

人口が今の何十倍もあって賑やかだった子供時代から、今に至るまでの村の暮らし、天国のご主人との想い出の数々。いちばん大切な方と静かに向き合い対話しながら過す最良の時。映像を通して、すべての出会いの核になる最良の関係を慎み深く生きている女性の、満ち足りた時間がしーんと伝わってきます。

観終わって、番組開始から30分も経っていないことに驚きましたが、最良の関係に見入って、いつもはあまり経験することのない時の流れを漂っていた、そんな気がしました。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

木々とわたし・追記

2009年02月08日 | 魂と聖霊
昨日の文章で、“わたしと庭木の関係”が最良に向ってきたことを書きましたが、そこのところをもう少し、丁寧に書いておこうと思います。

人が一度手を入れた森が、手入れを続けないと、どんどん荒れて植生が乏しくなるように、庭も草取りを怠ると、強い草たちだけが生き残り、小さな草花達は消え去る運命にあります。

我が家の場合、草取りをしなければ、あっという間に芒と笹に覆われてしまうのは、目に見えています。だから、豊かな植生を望むなら草取りは必須です。

木々の剪定をするのは、それぞれの木が豊かに花を咲かせ、実らせ、お互いを引き立て合いながら、その個性を発揮してもらうためです。抜き取られる草や切られる枝にも想いをいたしながら作業すること。余裕のないことが多くても、心がけたいです。(草とわたしの最良の関係のために!)

森羅万象の出合いの一つである庭木とわたしの関係。どちらかといえば手入れは人任せの比重が大きかったところから、意識して目を凝らし手入れする関係になりました。これは比喩でもなんでもなく、純然に木とわたしの交流、最良の関係の話です。

今朝は花粉症の症状が出始めて、今日はまだ外にでていないのですが、一日一度は一巡りしたいと思っています。人生の出合いの一つ、自然とわたしの最良の関係に向けて。。。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もっともっと、もっと

2009年02月07日 | 魂と聖霊
“わたしとあなた”の間には、この世で実現しうる“最良のバランス”というものがきっとある。昔から、そんな思いがありました。それが原動力でもあり、最良を実現すべく日々を生きるわけですが、あなたは何も生身の人間ばかりでなく、私と関わる全てのものです。

あなたは森羅万象、この世の出合いのすべてで、全体の益となるべき最良のバランスを、私は生きることができるはず、見つけられるはずだと信じているのです。

言葉にすると深遠ですが、具体的にはいたってシンプル。だけど時が来ないと辿りつけない道でもある・・・最近は、“わたしと庭木の関係”が最良に向けて、大きく前進しました。あちこちで苗木が育ち、剪定の必要がでてきたために、親友に任せていたのでは追いつかなくなり、私も本を片手にじっくり枝を観察、切るべき枝を選定して剪定というわけです。

私にとっては、木々とこのように密接に関わることは必然で、最良への道筋だと感じます。

念のために言えば、バランスをとるために場合によっては、離れること、ちょっとの間、席を立つことだってあるわけで、すべてに密接を求めるというわけではありません。

まだまだやってないことがある。最良に向けて可能性を生きなければと、死ぬまで思って生きていくような気がしますが、可能性とは魂のために出来ること、なし得る可能性です。

最良のバランスへの道を求めること。もっともっとと、生涯こいねがって生きてゆきたい。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

願をかける

2009年02月04日 | 無意識の世界
人はそれぞれ、その人なりの流儀で進めればよいのだけど、耳から入ってくる“幸いなる生き方モデル”などに影響されて、知らず知らずに自分にはそぐわない方法で進もうとしてしまうようなこともあります。

モデルは本質を解かり易く説明するための方便で、この方法が誰にでも当てはまるわけではないということ。知識は、それぞれの現実に照らされ咀嚼されて、私の流儀はいつも、わたしによって見つけ出されなければなりません。

たとえば願望を実現させるための3Vの法則。目標を明確に掲げて日々努力する方法も、私に似合う方法となると、自己実現に向ってがむしゃらに突き進むイメージは和らげた方がよい。確かな方向は定めても、暈しながら円環に緩々と進むようなイメージの方がピッタリするのです。

さて確かな方向が定まってきた今、わたしは一世一代の願掛けを目論みますが、新しいことを始めるのに立春は相応しいような気がします。更に願望の内容から考えて、今日が天国の父の誕生日だというのも縁起を感じてしまうのですね。

こんなふうに自己実現のことを緩々と語っているところ。実に日本的なモデルを提供しているような気もしますが、語りながら、わたしの流儀で進む決心がいよいよ固まってきたようです。

クリック感謝いたします
人気ブログランキングへ


            
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

耳を澄ませば

2009年02月02日 | 五感と体感
読みかけで中断していた本、「すべては音楽から生まれる」(茂木健一郎著PHP新書)を捲りだし出合った一文。「人間が獲得したものの中で、一番の福音でもありのろいでもあるのは“意味”だと思う。意味に拘泥してしまうと、生命の活動から遠ざかってしまう傾向がある。」P.123

夕べこれを読むや、がーんと一撃された気分。タイムリーに鋭い指摘をもらったと思いました。

だいたい私が折々の節目に読みたくなる定番は、ユングのタイプ論なのですが、立ち止まる時というのは、自分の中の対立する要素(光と影、男性性と女性性、外向性と内向性というように)を統合させる要求が、ものすごく強まるようです。

立ち止まるのは、偏りを正す必要があるから。

意味に拘って、生命の活動から遠ざかってしまう傾向は“わたしの傾向”だったかも。
このごろ音を楽しみ出したのは、大正解で、新たな指標で、“生きる喜びの根”が確かに生えだしてきているのだろうな。そう思います。

意外と音のあることに神経質で、BGMを楽しめないタイプでしたけど、このごろは手を動かしながら、思考と聴くことを行き来して楽しむことを覚えました。

前述の本の「音楽は意味から自由であり、生命運動に近い」、この福音を生き抜きたい。

人気ブログランキングへ
 ♡クリック感謝いたします♡


            


コメント
この記事をはてなブックマークに追加