あなたとわたしの関係において、あなたから受ける不快な印象を
まったく無視していたところから、最近ようやく、
“あなたの態度に不快を感ずる”と認められるまでになりました。
ここまでくるのに、こんなに時間がかかったのは、
不快な出来事を他人事のように観察している期間が長かったせいです。
ガラス戸越しに自分の感情を眺めるという、あの感じですが、
そこに留まりながら自立の力を蓄えていた…そんなところもありました。
自分にとって大事な存在であればそれだけ、この観察期間が長くなり、
分離不安をかきたてる対象だと、不快の明確な意識化は簡単にはいきません。
人間関係の原型が再現されている可能性もあるデリケートな領域だからです。
他人事として温存してきたことを自分事としてあらためて感情体験する、
遅まきながら今ここで、不快感を私の感情として素直に認めると、
あなたとの関係において、今ようやく“自分になれた”安堵を感じます。
分離不安が起こるような人間関係は様々な感情をもたらし、
成長過程の感情生活の学びを再学習する機会を与えてくれます。
自分の感情を信じる/自己信頼を学ぶのに遅すぎるということはないようです。
「心理的適応は、自己概念が、象徴のレベルにおいて、
有機体の感官的・内臓的経験をことごとく自己概念と首尾一貫した関係に
同化しているか、もしくは同化するであろうときに存在するのである。」ロジャーズの19の命題・⑮
(119-16)
まったく無視していたところから、最近ようやく、
“あなたの態度に不快を感ずる”と認められるまでになりました。
ここまでくるのに、こんなに時間がかかったのは、
不快な出来事を他人事のように観察している期間が長かったせいです。
ガラス戸越しに自分の感情を眺めるという、あの感じですが、
そこに留まりながら自立の力を蓄えていた…そんなところもありました。
自分にとって大事な存在であればそれだけ、この観察期間が長くなり、
分離不安をかきたてる対象だと、不快の明確な意識化は簡単にはいきません。
人間関係の原型が再現されている可能性もあるデリケートな領域だからです。
他人事として温存してきたことを自分事としてあらためて感情体験する、
遅まきながら今ここで、不快感を私の感情として素直に認めると、
あなたとの関係において、今ようやく“自分になれた”安堵を感じます。
分離不安が起こるような人間関係は様々な感情をもたらし、
成長過程の感情生活の学びを再学習する機会を与えてくれます。
自分の感情を信じる/自己信頼を学ぶのに遅すぎるということはないようです。
「心理的適応は、自己概念が、象徴のレベルにおいて、
有機体の感官的・内臓的経験をことごとく自己概念と首尾一貫した関係に
同化しているか、もしくは同化するであろうときに存在するのである。」ロジャーズの19の命題・⑮
(119-16)