こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

相手のせいではなく…

2012年07月28日 | 未整理
私のことを解ってくれて、うれしい。
あなたは解ってくれるので、うれしい。。。
解ってくれている相手に気持ちを伝えつつ、自分の言葉がなんとなく尾を引きました。

つらつら考えて、解ってくれてうれしいと感激する気持ちの裏側には、
解ってくれないことの不満とやるせなさのようなものがあって、
それは自分が思う以上に強いものだったのだなと、思いました。

それはこういうことかもしれません。
ある人に向けて、“あなたが解ってくれないことに、私はストレスを感じています。
私は、あなたのせいでストレス曲線におかれているのですよ!”
こんな怒りにも似た感情があったような気がしてきました。

これはヘンな話で、相手が解ろうが解るまいが、
幸福曲線へ向かうのは私の心一つでどうにでもなるのだから、
自分がなんとかすればよいだけの話で、相手を怒る必要はないのでした。

相手に振り回されずに、自分の幸福曲線は自分で確保しなければなりません。
わからんちんの相手なら、なおさらですね。

解ってくれる人がいてくれたので、安心してプチ怒りの存在に気付く事ができたのでしょう。
本音の感情に気付いて、自分が解決するのだという気持ちになって、
プロセス・スケールは底辺から中辺へ流れ出したといえそうです。

なんだか相手に対して、愛すべきわからんちんと呼びたい気さえしてきました^^)


*生き甲斐の心理学・第3章・プロセス・スケール
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感情の矛先

2012年07月25日 | 未整理
長年継承されてきた或る慣習に関して、私はとても保守的で、
部分的に刷新することさえ不愉快を感じる方でした。
さて先日、時代だからという理由で安易に変えるべきではない、
そう考えていたその大事な慣習にあたり、
“あの人、言っていることとやっていることが違うじゃない…?”
と言われても仕方のないような失敗をしてしまいました(> <)。。。

こんな展開、予想もしなかった、、、
恥かしいィ、、穴に入りたいような気持ちを抱きつつ、
こんなふうに気付かせてくれるとは、ホントにすごいなあ、と
天の配慮に感じ入ったり、ドンマイの眼差しを向けてくれる人々を
ありがたく思ったり、感情は目まぐるしく流れていきました。

失敗の直後に私が悟ったことは、
不満を向けるべき対象は慣習の在り様云々でなく、別にあったということでした。
本来の不満を意識しながら、不安に留まれるだけの力がないので、
矛先を慣習の方へ置き換えていたことにハッとしたわけです。

恥はかきたくなかったけれど、ものすごく面白い体験でした。

無意識の意識化。一つのことが明らかになると糸が解れるように
他のことも連鎖的に明らかになってゆくことがありますが、
そういえば、“本来、不満を向けるべき対象”を批判されると、
少々興奮気味に反撃して過剰防衛していたっけ…思い出しました。

本来あるべきところに感情があるというのは、実に気持ちがよいものです。


*生き甲斐の心理学・第8章〔52〕置き換え
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気になる人/現象…

2012年07月23日 | 未整理
この投げやりな感じは、何なんだろう…?
全体から醸し出される雰囲気に、違和感をおぼえました。
気になる・・・不快という意味でとても気になったので、
ある会合に初めて出席して、まっさき気になった現象を、
(初対面のその人の印象を)、丁寧に感じてみることにします。

第一印象は、大事な何かを私に伝えてきていると考えています。
だから自分の中に、それと同質の感じがないかどうか。
自分に投げやりな感じがあるとしたら、どんなときにでてきたか。くるのか。
言葉も交わさない。ただ見ていただけで気になった印象を、
気付かなかった自分の振る舞い、在りようを意識化する手だに使うわけです。
・・・しばし考えると、確かにあるなと思います。

あのような投げやりな態度が顔を出すことが、自分にもあると知って、
知ったからといって不快が即解消するわけではありませんが、
無意識だったことが意識に上がるだけで、心の構造が変わるのは確かなようです。
ここが面白いところなのですが、その人その人にあった速度と時に、
無意識の意識化が全体的な人格の変化をもたらすのは確かなことなのです。

自分の内に同じ現象を見つけたことで(無意識の意識化がなったことで)
次に同じ現象にあっても、最初ほど強い違和感はおぼえなくなるはずです。
それは現象に慣れて気にならなくなるのとは、中味が全然ちがいます。
(慣れるというのは無意識の度合いを強めるだけということもあるので…)

同質のものをもっているから、影響を受ける。不快を覚える。
投影の本質は、こういうことなのだろうと思います。


*生き甲斐の心理学・第8章〔58〕投影
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慎重さの中味…

2012年07月21日 | 未整理
どちらかといえば私は、周囲から行動が慎重であると見られて、
ときには慎重すぎると思われているかもしれません。
自己分析すれば、その慎重さは無意識的で、
行動の根っこにあるのは、失敗をオソレル感情のように思います。
(安請け合いして出来なかったら困る、、というような感じです)

今も慎重であることに変わりはないのですが、中味がちょっと変化してきたような気がします。

他者の目が大きな要素を占めて、「どうするべきか」を優先させていたところから、
自分が「どうしたいか」と、感情を意識することが大事になってきた。
今は、正直な感情を吟味するところからくる慎重さです。
(外から見れば同じかもしれませんが)

感情に照らして行動を吟味するという、新しい傾向をよろこびつつ、
自分の容量や快適な身の丈に気付かせてくれるのは感情なのだと、つくづく思います。
(感情は心のらしん盤・・・)
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身の丈の、幸福曲線

2012年07月19日 | 未整理
このごろどうですか・・・?と質問されて、
“以前に比べて、よくなってきた感じ”について、まとまりなく言葉を発していたら、
“感情の流れの中を生きられるようになった…(ということですね)”と、
相手は、わたしに起こっていることをひと言で表現してくれました。

その通りなのですが、以前より感情の流れの中を、のびのびと生きるというそのことの
密度がちょっぴり濃くなった気がするのは、日常生活の折々の感情を、
折々の行動の指針にごく自然に組み入れることができるようになったからだと思います。

この新しい傾向が、私はこれでよいのだと思える、日々の安定感を生み出しているようです。

よい意味で、人生がこぢんまりとまとまってきました。
自分が捌ける身体にあった容量を理解すると、
外界との関わりで無理をすることがなくなり、人生がすっきり流れ出すようです。

“今日も身の丈の幸福曲線を追求していくことにしますか”・・・
先日、遠くの友人へ朝のメールで呟いたら、
“身の丈の幸福曲線、いい言葉ですね”と、共感の応答をもらいました。
日々のストレスを幸福曲線へ移行させることの楽しさ。
これを覚えると、それは人生の宝物になるのだと思います^^)


*暗い感情の領域(ストレス曲線)/明るい感情の領域(幸福曲線)
 生き甲斐の心理学・第5・6章を参照のこと
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ぬかるみに車が嵌って…

2012年07月01日 | 未整理
大雨の最中、家人が車をぬかるみに嵌めてしまいました。
一キロの林道を無事に上ってきて、もう少しで我が家という場所で、
バックしようにも前輪が空回りして身動きできなくなっていました。
4輪駆動の軽トラだから大丈夫と過信した、うっかりミスだったようです。
私も合羽に着替えて加勢することにしました。

エンジンをふかして車輪が持ち上がったすきに倒木を挿し込んだら、
荷台にまわって積んだ石に覆いかぶさり私も重しになる、
この作業を繰り返し、脱出するまでに一時間以上かかりました。

日常的な小さな災難に遭ったとき、対応の仕方はいろいろありますが、
相手のミスに注目するとイライラ感が募ります。
他者否定に走ると、それを口にしてもしなくても険悪なムードになるので、
目の前の、車を脱出させることに集中して淡々と作業する。それが一番です。

“現実を受け容れることに心を集中させる”ということだと思います。
それは“私の問題として”現実にかかわっていくことでもあります。

山暮らしでは、このような災難?に巻き込まれることはしょっちゅうですが、
イライラして関わっていた時期のことを、本当に残念だったと思います。
日常の小さな事件に対する関わり方、体験の解釈の仕方、
ストレス曲線を放置して進むのか、幸福曲線を選び取っていくのか。
日常の小さな事件は、学びのチャンスに満ち満ちていますね。
  片方だけ残った長靴を車で草花を運ぶ専用容器に^^)
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